「うわあ、めっちゃ並んでる」
長い行列が伸びるのは、梅田スカイビルの展望台入口。
カップルも多いが、それ以上に外国人観光客が多い。
夕理はちょっと帰りたそうにしている。
「またの機会にせえへん?」
「えー!? そう言わないで、うちと一緒に登ろ!」
「そうそう、待ってる間もやることはあるんやから。まずはプレゼント交換ね」
花歩が何か操作してスマホを差し出した。
画面にはあみだくじが表示されていて、夕理は呆れた目を向ける。
「何でそんなアプリ入れてるんや」
「え、ええやろ、結構役に立つんや! ほら選んで選んで」
「うちはこれー!」
三人が選んだ選択肢から、画面演出とともに線が下へ降りていく。
その結果は――
「はいっ夕ちゃん!」
「はい勇魚」
「はい私ー……って自分やないかい! やり直し!」
花歩のボケツッコミを経て再抽選し、夕理のキャンドルは花歩へと渡った。
勇魚から夕理へのプレゼントは、雪の積もった小さな家の吊し飾り。
手から吊り下げてみて、嬉しいながらも少し困る。
「部屋に飾るにしても、すぐ季節外れになるやろ」
「夏でも涼しい気分になってええやん! 花ちゃん、このお人形は何なん?」
「えっ、トナカイやと思うんやけど……鹿かも……」
「どっちでも可愛いで! おおきに!」
そんな下らない話をしながら、待つことしばらく……。
「や、やっと登れた……」
シースルーの長いエスカレーターを経て、ようやく到着した展望台はやはり賑わっている。
過去の記憶とは大違いの光景に、花歩は思わず二度見した。
「前に来たときはガラガラやったのに」
「外国人に大人気らしいで。客の75%が海外からってニュースで見た」
「へー。インバウンド様様やなあ」
「わざわざ遠い国から来てくれはったんや。うちは嬉しいで!」
「そのせいでこんなに混んでるんやないか……。まあ、一因になってる私が言えたことではないけど」
観光公害の話は置いておいて、せっかく手に入れた眺望を満喫する。
北に流れる淀川を見て、勇魚が夏の花火大会の思い出を話した。
来年はみんなで行こうね! と無邪気に言う彼女に、夕理は素直にうなずけない。
(来年……藤上さんが東京に行った後、つかさはどうするんやろ)
(たまになら、私と遊んでくれるんやろか)
(それとも私は、今後ずっと遠慮すべきなんやろか……)
「あ、小都子先輩からや」
花歩の声に、反射的にスマホを取り出す。
画面の中では、小都子が美しいドレス姿でポーズを取っていた。
「うわー! 先輩、めっちゃ綺麗やー!」
「さすがの大人な雰囲気やね。私もこんな風になれたらなあ」
(たぶん着たくて着たわけではないんやろうけど)
それでも、この写真を送ってくれた意図を何となく察した。
賞賛のコメントを返してから、夕理は友人たちを振り返る。
「せっかく来たんや、景色を楽しんでくで。
この風景は、今日このときしか見られないんや!」
「おお、なんか知らんけど夕理ちゃんが熱い」
「あはは。うちらの学校見えるやろかー?」
眼下に広がるクリスマスの大阪。
雪の気配はなく晴れていて、ロマンチックさとはあまり縁がないけど。
どこも明るく賑やかなのが、上空の三人にも何となく伝わってきた。
「それじゃ、暗くならないうちに帰ろっか」
「そうやねー」
夕暮れに差し掛かる地上に降りて、花歩と勇魚はあっさりと言う。
二人はこれから家族クリスマスなのだろうか。それとも昨日済ませたのだろうか。
夕理の帰宅後が一人きりの聖夜なのは、もう慣れきったことだ。
厳密にはクリスマスは日没で終わりなのだから、何ら特別でない冬の夜でしかないし……。
などという言い訳とは裏腹に、夕理の口は思い切って動いていた。
「あの、花歩、勇魚!」
「うわ、何?」
「よ、良かったら私の家に寄ってかへん……? ほ、他に用事があるならいいけどっ」
二人は一瞬驚いたけれど。
すぐに両側から抱きついて、今日一番の大はしゃぎである。
「行く行くー! そういやうち、夕ちゃんち行くの初めてや!」
「それなら追加のお菓子買うてこっか! 夕理ちゃん、何がいい?」
「え!? レ、レープクーヘンていうのが気になってたんやけど……」
屋台に取って返すと、ちょうどツリーに明かりが付いた。
これ幸いと、再び三人で写真を撮る。
夕理のスマホには、花歩と勇魚との思い出がどんどん満ちていく。
お菓子を買って帰途につきながら、夕理は心に決めていた。
今日の写真をプリントして、コルクボードに貼ることを。
つかさとのあの一年を、これで完全に貼り替えるということを。
* * *
小都子のドレス姿に盛り上がりながら、つかさたちは中之島へ向かう。
いつもは閑散としている京阪中之島線も、今日ばかりは多少混んでいた。
なにわ橋駅の改札を出たところで、急に奈々が騒ぎ出した。
「あー! 私、めっちゃスノーマン見たい! 何より先に見たい!」
「え、そう? それやったら、私たちは東の方から回ろか」
晶に先導されて、他の面々も東側へ向かう。
姫水もついていこうとしたところで、つかさの手が引き留めた。
「あたしたちは西側」
「え? あ、そういう話なの」
察した姫水は苦笑するが、抵抗はしなかった。
代わりに、離れていく友人たちへ二人で手を振る。
「今日のことはありがとう。本当に楽しかった」
「カラオケ、おごってもらって悪いねー!」
「いえいえ! 全国大会も頑張って!」
「藤上さんて優等生ぽくて苦手や思ってたけど、割といい奴やな!」
二人きりになり、急に静かになった空間で、つかさは改めて手を差し出した。
少なくとも自分だけはデートのつもりで。
「行こう。姫水と一緒に見たかったんや」
「わあ……」
駅から地上に出ると、そこはイルミネーション会場のど真ん中。
日はすっかり落ち、夜の中之島を照らす灯りの間を、大勢の人が行き交っている。
感動している姫水に満足しつつ、その手を引いて少し移動した。
「まずはあれが本命や。大阪市中央公会堂!」
重要文化財に指定され、昼はシックな姿を見せる公会堂。
今は夜の影の中で、大勢の観客に囲まれている。
程なくして映像が始まった。
ネオ・ルネッサンス様式の正面に、赤、白、緑。輝く光のアートが投影される。
「プロジェクションマッピング! こんな歴史ある建物に、面白い組み合わせね」
「そうそう。大きいし迫力あるやろー?」
「でも、どうしてもゴルフラや瑠璃光を思い出しちゃうわね」
「ま、まあ、今日は部活のことは置いといて」
7分間の上映を終え、周囲は大きな拍手に包まれる。
つかさも姫水の横顔を見ながら手を叩いていたが、問題はここからである。
「その……このマッピングに金かけすぎてるのか、正直これ以外は大したことないねん。
東京のイルミネーションに慣れてる姫水には、物足りないかもしれへんけど……」
「ふふ、勘違いしてる。私、東京でこういうの見たことはないわよ」
「え、そうなん!?」
「一緒に行く友達もいなかったしね」
「そ、そっかー! 初めてなんやったら絶対楽しめるで。あたしという友達もいるし!」
ころりと表情が変わって、意気揚々としたつかさと並んで歩きながら、一年前のことを思い出していた。
(弥生さんは、こういう派手なのはあまり好きでなかったものね……)
病気が治ったこと、四月に東京へ戻ることは、当然ながら彼女に報告してある。
ただ、いつ会いに行くかはまだ迷っていた。
全国大会であちらに滞在中に、少し抜け出して会うべきだろうか。でもWestaの一員として行くのだし……。
(ううん、後で考えればいい話よね)
(今はつかさとの時間を楽しもう)
市役所正面まで行って、青く光る八角形のモニュメントで記念撮影。
そこからケヤキ並木の電飾の下を、土佐堀川ぞいに戻ってくる。
台湾との文化交流で設置された、ランタンアートのトンネルなどもあった。
「素敵な会場じゃない。たぶん東京に負けてないと思うわよ」
「そ、そう? いやー、部長さんに聞かせてあげたいで!
あ、そこで夕ご飯にしよ」
屋台が立ち並ぶ一角で、ピザやケバブを半分こして食べる。
物理的に腹の満たされたつかさだが、精神的にも少し胸焼けしそうだった。
何せ、周りはカップルばかりなのだ。
(やっぱり、ああいうのが羨ましい……)
(友達のままでも十分楽しいけど……でも夕理があんなに協力してくれたのに、それで満足してええんか?)
(クリスマスに二人でイルミネーション! このシチュで何もしないなんてアホやろ!?)
(ちょっとモーションかけてみるか……)
川面を眺めている想い人に、小さく咳払いしてから思い切って踏み出す。
「あー……姫水って好きな人はいるの?」
「勇魚ちゃんが好きよ?」
「ってこのやり取り、前に桜夜先輩とやってたやろ! そういうんやなくて、もっとこう……」
「男の人? いたことはないし、あまり興味もないかな」
「いや男に限らなくてもいいけど……つ、つまり、初恋もまだなんや」
「そうなるわね、私には勇魚ちゃんだけで十分だったから。つかさは?」
「うえ!?」
姫水に特に含むところはなく、単なる恋バナとして話しているようだ。
つかさは必死に平静を装いつつ、口を大きく開けて笑う。
「あ、あたしはどうやろなー。あははー」
「ごまかして、ずるいなあ。でもつかさに好きになってもらえる人は、きっと幸せでしょうね」
(あかん……こいつ意外と鈍感や!)
段々とつかさにも分かってきた。
自分が恋をしたり、その対象になったりという発想自体がない。
勇魚との友情にどっぷり浸かってきたこの子には、好きな人=友達なのだ。
一体この状態からどうしたものか……。
東へ進みバラ園まで来ると、大きなスノーマンが見えてきた。
奈々たちとはすれ違わなかったが、もう公会堂の方へ行ったのだろうか。
ここにもクレープの屋台があって、本日最後にとベンチに座って食べる。
「はいつかさ、あーん」
「あ、あーん」
ただの友達なのに、こういうことは平気でしてくる。
というより、勇魚とはしょっちゅうやっているのだろう。
勇魚……。
姫水の病気を治したのは、あの幼なじみではなく自分なのに。
(って、やめやめ。あかん方に進んでるで)
(そもそも勇魚は、今日は夕理と一緒にいてくれたんやないか)
(あたしも……残り少ないクリスマス、最後まで楽しもう)
そこから先はあまり大したものはなかったけれど。
一秒でも姫水と長くいたくて、中之島の端まで歩いた。
疲れてへんやろか、と横目で見るつかさに、嫌な顔ひとつせず一緒にいてくれた。
そんな時間もとうとう終わり、難波橋に上る橋の前まで戻る。
「橋を渡れば北浜の駅や」
「そうなのね。ねえつかさ、今日は本当に……」
「ち、ちょっと待って」
終わりにしようとする姫水の言葉を、思わず遮った。
ん? という顔の彼女の前で、つかさの思考は迷いに迷う。
このまま無難に終わらせるか、いっそ告白するか、逡巡した挙句……。
どちらでもない、第三の馬鹿げた道を取るという、よくあることをしてしまった。
「ひ、ひとつ聞きたいんやけど」
「うん、なあに?」
「――あたしと勇魚、どっちが好き……?」
恐る恐る直視した前にあったのは、完全にアホを見る目だった。
溜息をつかれ、やれやれと頭まで振られた。
さすがにムカついてくる。
「な、何やねん! あたしにとっては重要なことなんや!」
「だからってねえ……クリスマスの気分がぶち壊しじゃない」
「大事なことに蓋して楽しんでも意味ないやろ! 正直に答えて!」
必死なつかさの顔に、姫水もさすがに少したじろぐ。
望む言葉が得られないことくらい、器用なこの子なら分かっているだろうに。
それでも正直に伝えることが、恩人のためにできることなのだろうか。
「言っていいのね?」
「いい。言うてや」
「分かった……」
冬の空気を吸って、真実を注ぎこんでそのまま吐き出した。
「私にとって、この世で一番大切なのは勇魚ちゃん。
未来永劫、何があろうとそのことは変わらない」
「……そっ……か……」
「でもね」
うつむきかけるつかさの両手を、姫水の手が強く握る。
お揃いのリングが光り合う前で。
強く強く、姫水は心から断言した。
「あなたと二人きりでイルミネーションを見たこと、私は一生忘れないから」
ぽろりと、涙が数滴こぼれるけれど、繋がれたままの手には何もできなかった。
光り続ける島の上で、つかさも素直な気持ちを伝える。
「……ありがと。今日、最高の一日やった」
「うん……私もよ」
「帰ろっか」
「うん。これからもよろしくね」
片手が外され、手の甲で涙をこする。
もう片方は繋いだまま、静かに中之島を後にした。
* * *
姫水と別れて弁天町に戻ったが、まだ今日という日は終わっていない。
プレゼントを渡しに天名家へ向かう。
「つかさ!?」
夕理の方からすれば青天の霹靂だった。
姫水とラブラブに過ごしてると思ったのに、なぜここに!?
「ごめんごめん急に。家にいてくれて良かった」
「さ、さっきまで花歩と勇魚もいたんやけど……。あ、えっと、上がって」
少し逡巡してしまった。つかさと二人だけの最後の写真を、はがしている最中だったから。
だがつかさは玄関先で固辞して、何かの包みを手渡した。
「これ渡しに来ただけやねん。いっぱい助けてもらったお礼と……あと一応クリスマスやから」
「え、ご、ごめん! 私の方は何も用意してなくて……」
「お礼なんやから別にいいって。それよりこういう時はなんて言うの?」
「……開けていい?」
「どうぞー」
中身はおしゃれなガトーショコラ。
胸がいっぱいになりながら、同時に花歩と勇魚に申し訳なく思う。
ずっと一緒にいてくれたのに、今この瞬間の方が心を動かされてる。
だから小さくお礼を言ってから、つい憎まれ口を叩いてしまった。
「ふ、藤上さんとホテルにでも行ってるのかと思ってた」
「あはは。夕理がその手の冗談言うのって珍しいなー」
「半分本気やけど……」
「……十分仲良くはできたんやけどね。
でも姫水にとっては、あたしは友達止まりやった。
あれだけ頑張ったのに、やっぱり勇魚には勝てないまま」
「え……」
絶句する夕理の前で、つかさは自虐的に笑う。
けれど、別に落ち込んでいるわけでもなさそうだった。
「ま、高望みしすぎやったな。
物心ついてからの幼なじみに、三ヶ月頑張った程度でかなうわけないって」
「で、でもつかさ、それは……」
そんなのは困る。
二人が両想いになってくれればこそ、自分も諦められると思ったのに。
未練がましいこの想いに、とどめを刺してもらいたかったのに!
(……けど、そんなのは私の勝手な都合や)
いつものように心を押し殺して、夕理は自分に我慢を強いる。
付き合いの長いつかさには、それが痛いくらいに分かった。
『一生忘れないって言うてもらえたし、今のままでも別にいいかなってー。あははー』
なんてことは、なかなかに言い辛い。
「ま、まあ、告白するのかしないのか、もうちょっと考えてみる」
「そう……私に何か、手伝えることがあったら」
「さすがにもう大丈夫やって」
半歩後ずさって、つかさは笑顔で尋ねた。
「夕理の方は、クリスマスはどうやった?」
「う、うん。花歩と勇魚とプレゼント交換したり、スカイビルに上ったり……めっちゃ楽しかった」
「それは何よりや。
あたし達は別々のクリスマスを過ごして、それぞれ楽しめた。もう大丈夫やね」
「……うん……」
「それじゃ、また部活で」
来たときと同じく、つかさは風のように帰っていった。
また一人になった家で、部屋に戻り、一時間前の出来事を必死で反芻する。
『うわー! 夕ちゃんの本棚、難しそうな本がいっぱいやー!』
『法律の本とかばっかやろ? でも実はそこの隅に、スクールアイドル雑誌があったりするんやで』
『なんで花歩が把握してんねん!』
花歩と勇魚さえいてくれれば、もう大丈夫と思っていた。
なのにどうして、プレゼントを持ってきたりするのだろう。
つかさの誠意なのは分かるけど、結局突き放されるなら、もう揺り動かさないでほしかった。
一口食べた黒いお菓子は、泣きたいくらいに甘く感じた。
* * *
「たっだいまー」
「おかえりー。クリスマス、充実してたみたいやな」
「……そういうお姉ちゃんは、何で今日も家にいるの」
「ぐふっ。い、いやね? どうしても外せない用事って言われたら仕方ないやろ。断じて振られたわけでは」
それもう脈なしやろ、とは武士の情けで言わないでおく。
代わりに小さな包みを取り出した。
「はい、寂しい姉にプレゼント。化粧品、安かったから」
「つ、つかさあああ! うちの妹は世界最高のアイドルや!
もう私のボーナス、全部つかさに貢ぐ!」
「そこまでしなくていいって……。お年玉に色さえつけてくれれば」
鼻をすすりながら化粧品を取り出す姉の前で、つかさはソファーに身を沈める。
「何やもう、恋愛ってめんどくさいなー」
一周回って、そこに戻ってきてしまった。
だが姉は涙を引っ込めて、急に年上らしく優しい目で見てくる。
「それでも、素敵なことも一杯あるやろ?」
「……まあ、ね」
恋をしなければ、彼女と二人でイルミネーションを見ることもなかった。
それならやはり最後まで、この想いを貫くべきだろうか。
壁のカレンダーを見ながら、つかさはとりあえずの決断を下す。
(よし決めた――。来年考えよう!)
どのみち今年はあと六日で終わり。
今は目いっぱい姫水と遊んで、八合目の景色を満喫しよう。
後のことは……2019年の自分が何とかしてくれるだろう。