※つかさが二番目であることを許容した場合のif展開です。
あくまで本編は31話④であり、こちらは今回限りの仮定上の話になります。
それをご承知の上でご覧ください。
姫水は真剣に、つかさの答えを待っている。
何か言わねばと彼女の方を向いたとき――
(あ……)
目に入ったのは綺麗な唇だった。
キスしたい。
その欲求が、あとほんの少しで実現するのだ。
ただ、姫水の二番目であることを受け入れるだけで、たったそれだけで!
「姫水……」
考えるより前に、体が勝手に姫水の方へ近づいていた。
近づかれる側は一瞬身を固くしたが、抵抗はしない。
二つの唇は、急速に距離を縮めて――
「ん……」
身も心もとろけるような衝撃が、つかさの中を駆けめぐる。
ファーストキス。自分がというよりも、姫水のそれをもらえたのが決定的だった。
これを手放す選択肢なんて、世界のどこを探してもあり得ない。
唇を離し、強く強く抱きしめて、つかさは条件を受諾した。
「二番目で……いいからっ……!」
姫水が息をのむ音が聞こえる。
恐る恐る抱き返しながら、何度も確認してくる。
「い……いいの? 本当にいいの?」
「いい! 姫水と結ばれるなら、何だって受け入れる!」
「私は、勇魚ちゃんを好きなままでいいの?」
「ええんや! 捨てろなんて絶対言わへんから!」
「二人が同時に事故に遭ったら、私は勇魚ちゃんの方に駆けつけるわよ!?」
「それで構へんから!」
体を離して、しばし見つめ合う。
互いの瞳にかすかに浮かぶ涙は、何のためのものだったか。
目を閉じて、もう一度唇を重ねようとしたとき――
「ちちち、ちょっと姫ちゃん! つーちゃん! 落ち着いて!」
大慌ての勇魚の声が聞こえる。
はっと我に返ると、駆け寄ってきた小さい友達は、耳まで真っ赤になっていた。
「仲がいいのはええことやけど! 子供たちも見てるから! ねっ!」
動物園の客たちの視線に気付き、つかさと姫水も赤面する。
一度目のキスは、いったい何人に見られたのだろう。
ごほんごほんと咳払いする二人に、勇魚の元気な声が響いた。
「でも良かった! つーちゃんの告白、上手くいったんやね!」
「う、うん、そうやねん」
「勇魚ちゃん。私たち、正式にお付き合いすることにしたから」
「うち、めっちゃ嬉しいで! このジュースでお祝いや! あ、さっきの女の子のお母さんがね……」
まだ頭がふわふわしてるつかさは、勇魚のかんぱーい! の声にオレンジジュースを掲げる。
そうして中身を飲み干して、ようやく少し現実を認識してきた。
姫水の方をちらりと見ると、恋人となった彼女は頬を染めて、幸せそうに微笑んでいる。
(や……やったんや!)
(あたしの恋、ついに成就した!)
(ちょっと条件付きやけど、贅沢は言えへん! 姫水がキスさせてくれるなら、この程度のこと……)
そう自分に言い聞かせ、つかさは思い切り万歳をする。
「やっ……たーーー!!」
「ち、ちょっとつかさ、喜びすぎよ」
「喜ばずにいられるかっちゅーねん! 姫水、愛してるで!」
「う、うん……私もつかさのこと、愛してる」
少し恥ずかしそうなのがまた愛おしい。
感動で号泣したい気分だが、場所が場所だけに今は我慢して……
ふと、隣でにこにこしている勇魚が目に入る。
(あたしが二番目でしかないことは……勇魚にはまだ言わなくてもええやろ)
お前が一番やと言われても、勇魚だって困るはずだ。
いつかは話すとしても、今でなくていい。
姫水も同じ考えのようで、ひとまず棚上げして先を促した。
「さ、動物園の続きを見に行きましょう。
……ふふ、同じ景色なのに、何だかバラ色になった感じ」
「姫ちゃん、幸せそうやねえ。つーちゃん、結婚式には呼んでや!」
「もっちろんや! スピーチは勇魚に任せるで!」
* * *
「お、お邪魔しま~す」
昨日の佐々木家に続いて、いきなり藤上家に泊まることになった。
『お母さんは色々な手続きで東京に行ってて……今夜は一人なの』
頬を染めた姫水にそう言われて、どこの誰が断るというのか。
通された姫水の部屋を、隅から隅まで堪能する。
「ほうほう。この部屋で姫水がねえ」
「あ、あんまり見ないでね。まあ、もうすぐ引っ越しちゃうけど……」
「うん……そうやな。でもここまでの苦労を考えたら、遠距離恋愛くらい軽いもんや」
「つかさ……」
「姫水……」
二人きりの家で二度目のキス。
思う存分に唇を味わってから、そういえば、とつかさは思う。
(胸のサイズ、直接測らせてもらえるんちゃうか?)
どっちが大きいとかはもうどうでもいいけれど、数字は知っておきたい。
怒られへんよね? と期待しながら、右手を彼女のバストに持っていくと……。
「ち、ちょっと!」
困り声で体を離される。
少しショックだったが、嫌なわけではないようだった。
「わ、私たち今日付き合い始めたばかりなのよ!? いきなりは情緒がないというか……」
「もー、ロマンチックなお姫様やな。どれくらい間を置いたらええの?」
「は、半月くらい……」
「よっしゃ、カレンダーに印つけとこ」
「やめなさいっ。……もう、何で私、こんな人を好きになったのかしら」
「またまたー、ベタ惚れのくせに」
浮かれてるつかさにジト目が向けられるものの、姫水はすぐに笑い出す。
そのまま体に腕が回って、姫水の方から抱き締めてくれた。
「私だってこれが初恋なんだから……優しくしてね?」
「うん……あたし、世界一優しい彼女になるで」
今日のところはキス止まりにして、二度とない交際初日をしばらく楽しんだ。
(これが姫水がいつも入ってるお風呂かあ)
(はあ~極楽極楽)
半月経てば、一緒に入ってもらえるのだろうか。
でも今の時点で十分に至福だし、それに……
(あの条件、そんなに気にする必要なさそうやな……)
勇魚の話ばかりされるとか、お前は二番目だと事あるごとに言われる、なんてことは全然なかった。
むしろ姫水はおくびにも出さず、つかさの恋人としていてくれている。
(意地なんか張らずに、妥協して正解やったんや……)
今の彼女は台所で、つかさのために手料理を作っている。
夕理には既に一報済みで、これで次の幸せを探せるはずだ。
妥協したおかげで、全ては丸く収まるのだ……。
「急だったから、あまり凝ったものではないけど」
「いや、十分やで! めっちゃおいしい!」
お世辞ではなく、本当に涙が出るほどおいしい。
神戸のおにぎりがあんなに美味だったのだ。目の前のパスタやコロッケはそれ以上に決まっていた。
と、姫水がフォークを置いて申し訳なさそうな顔をする。
「神戸では頑張ってくれたのに……現実感がなくて、味も分からなくてごめんね」
「あ、そういうことやったん。ええってええって、これからいくらでも作るから。
次は姫水がうちに泊まりに来てや」
「うん。ご両親とお姉様にもご挨拶しないとね」
「え、えへへ……あー、ほんまにおいしい!
これを毎日食べられる奴は幸せ者やで! ってあたしやないかーい!」
「ふふっ。もう、つかさったら」
食後はテレビを見ながら居間でベタベタ。
年末もイチャイチャはしていたけれど、恋人となるとやはり物理的距離が違う。
両手は恋人繋ぎにして、体は寄せ合って。
そして姫水の流れる美しい髪が、つかさの手で二度、三度と梳かれる。
風呂上がりで編み込みもない、純粋な彼女の髪。
姫水は少しくすぐったそうにしながら、されるままになっていた。
お喋りして夜更かしして、ようやく二人で同じベッドに入る。
「狭くてごめんね」
「ええでー、その分くっつけるから」
「もう……おやすみなさい」
おやすみのキスをして、恋人一日目は終わる。
二人とも浮かれすぎて疲れたのか、意外とあっさり眠りに落ちた。
* * *
(うっ、寒っ)
一月の気温に目が覚めたつかさは、足が掛け布団の外に出ているのに気付く。
やはり一人用のベッドを二人では無理があった。
姫水の方は……大丈夫そうだ。
静かに寝息を立てている彼女を、至近距離から好きなだけ見つめる。
合宿のときとは何という違いだろう。
ふと思い出した条件も、頭の外へ放り出す。
(二人が同時に事故に遭ったら、姫水は勇魚の方へ行く……)
(でもそんな事態、現実的に起こるわけないやろ)
気にしなければいいだけの話だ。
考えないようにしながら、布団に潜り直したときだった。
甘い思考を打ち砕くように、姫水の口から寝言が漏れた。
「勇魚ちゃん……」
数瞬止まったつかさの呼吸が、何とかして再開する。
分かり切っていたことだ。
つかさが目を逸らそうが、忘れようが、姫水の心には現実に勇魚がいる。
その条件を呑んだ上での、今の状況なんだから……。
「ん……」
つかさの動揺が伝わってしまったのか、姫水はゆっくり目を開ける。
そして恋人の表情を見て、はっと息をのんだ。
「ご、ごめんなさい、私、もしかして――」
「謝らないで……謝る必要はないんや」
「……うん」
「姫水の、大事な気持ちなんやから」
「うん……」
姫水は少しだけ、毛布に顔を埋める。
再び顔を見せたときは、もう申し訳なさは消えていた。
代償もなしに、こんな幸せが手に入るわけがなかった。
受け入れた以上は、もう決して覆せない。つかさは永久に二番手だ。
そうだとしても――。
「ね! 姫水の事務所って、マネージャーとか募集してへん?」
「ええ!? そもそも私、前みたいにお仕事もらえるかも分からないのよ」
「姫水なら大丈夫やって。どうせあたし、将来やりたいこともないから」
ベッドの中で抱き寄せて、パジャマ越しの体温を感じる。
「姫水のそばにいたい」
姫水は直接は答えず、ただ優しく抱き返した。
「ありがとう、つかさ。大好きよ」
「うん……あたしも、大好き」
あなたは二番目に、こちらは一番目に。
やはり、そのことは心に刻まないといけない。
美味しいところだけ取ろうなんて、無責任な選択をしたつもりはないから……。
時計を見るとまだ六時だった。
もう少し寝ることにして、お互いに目を閉じる。
今日は祝日。
少女たちは手を取り合ったまま、夢の中へと落ちていく。
<ifストーリー・終>