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「部長、明後日は7:45に登校してください」

 連休明けに、晴から立火へ妙な指示が出た。

「チョコはいつ持っていけばいいか、という問い合わせが来ているので。朝にお渡し列を作りましょう」
「ええ……もらうの期待してるみたいで恥ずかしいなあ」
「誰も来なかったら、それはそれでネタになりますからね」
「悲しすぎるやろ!」

 マネージャーらしく働く晴に、桜夜も尻尾を振って詰め寄った。

「私は? 私は? 問い合わせ来てる?」
「多少来てますが、先輩は朝は勉強ですよね。夕方の部ということで、四時半で告知しておきます」
「ううっ。早くもらいたいけど、しゃあないか」
「他のメンバーはどうする?」

 晴に尋ねられ、一年生たちは顔を見合わせる。
 花歩は思い出す。テレビで見たアイドルの握手会で、一人だけ誰も並んでいなかったのを。
 あんな状況を味わったら、ショックで寝込むことになりかねない。
 が、涼しい顔で手を上げたのは姫水だった。

「私は朝に来ます。今の人気なら、それなりには列もできるでしょう」

 自信満々で言われ、ぐぬぬとなったつかさが対抗して手を上げる。

「あたしもやります! 友達に頼んどくんで、ゼロってことはないはず!」
「サクラやんけ!」

 立火のツッコミが響く中、勇魚の元気な挙手が続く。

「うちもうちも! 誰も来ないならそれでもいいです。
 でも、もし万一うちに、チョコを渡しに来てくれた人がいたとき。
 その場にうちがいなくて、悲しませる方が嫌なので!」
「おお……さすが勇魚ちゃん、ファンへの神対応や」

 感心する花歩だが、とても同じようにはできそうもない。
 情けない顔で晴に頼み込む。

「もし私にって人が来たら、すぐスマホで呼んでください。飛んでいくので……」
「分かった。まあ、どうせおらへんから気にするな」
「はっきり言いすぎですよね!?」

 そして部員たちの視線は、残った小都子に集中する。
 チョコをねだるのは本人のキャラではないが、勇魚の態度も見習いたい。
 結局、口実をつけて早く来ることにした。

「立火先輩が大変そうやから、列の整理でも手伝いにきますね」
「またまたー。もうすぐ部長なんや、チョコの数でも私と並ぶ気でないとあかんで」
「さ、さすがに先輩にはかないませんってば。あ、ほら、早く部活を始めましょう」

 所在なさげな夕理に気付いて、小都子は話を終わらせる。
 気遣われてしまった夕理は、少し恥ずかしそうにしつつも先輩に同調した。

「全国大会はもう再来週なんです。皆さん緊張感を持ちましょう」
「ちょっと夕理ー、ひがんだらあかんで。もらえそうにないからって」
「どうでもいいです!」

 ウザく絡んでくる桜夜に反発しつつ、どうでもいいのは事実なのだろう。
 夕理の頭の中は、つかさへのチョコで一杯のはずだ……と小都子は思う。
 今は湖面のように落ち着いた心持ちで。

(私は何とか、自分のバレンタインを楽しめそうや)
(夕理ちゃんも、今回はいっぱいいっぱいやと思うけど)
(来年はきっとファンも増えて、後輩からも渡されて、また違ったバレンタインになるんやろな)
(っと、気い早すぎやな)

 この日は被服室に移動し、衣装作りを開始した。
 明後日に誰かがチョコを渡しに来ても、裁縫中なら影響も少ないという目論見である。
 三分の一ほど進んで本日は終わり。
 昇降口を出た小都子に、花歩が小声で話しかけてきた。

「い、いよいよカウントダウンですね。夕理ちゃん、大丈夫でしょうか」
「花歩ちゃんが緊張してどうするんや。後はつかさちゃん次第やで」
「うう、そうなんですけど……小都子先輩はさすが大人です」
「いやあ、昨日は色々あったんやけどね」
「え、何ですか?」
「あはは。いつか笑い話になったら話そうかな」

 煙に巻かれたような顔で、花歩は勇魚たちを追って帰っていく。
 今はああして友達を心配している花歩も、立火に渡すときは心ときめかせるのだろう。
 既に夕理に渡してしまった小都子は、当日はちょっと退屈かもしれない。

(やっぱりもう一つ、特別なチョコを作ろうかなあ)

 そんな理由で渡すのも何だけど。
 彼女なら、きっと喜んでくれるだろうから。


 *   *   *


 さらに一日が経過し、とうとう前日。
 春に比べると皆の裁縫は早くなり、明日には衣装も完成しそうだ。

「では、朝のお渡し会の面子は時間に遅れないように。
 全国大会に向けて、最後のファンサービスや」

 晴に念押しされ、部員たちは三々五々帰っていく。
 電車の吊り革につかまりながら、つかさは浮かない顔だった。

「あたし、何個もらえるんやろ。姫水にボロ負けしたらへこむで」
「地区予選で主役やったんや。印象には残ってるやろ」
「ならええんやけどー」

 こうやって表に出しているライバル心は嘘ではないのだろうけど。
 その裏に何もないのか、夕理は気になって探ってしまう。

「……姫水さんに、特別なチョコは渡すん?」
「んー……実はちょっと考えたんやけど。
 でも未練がましいし、やめた。皆と同じチョコ」
「そ、そう……」

 普段は鋭いつかさなのに、夕理が明日企んでいることには、まるで気付いていないようだ。
 クールタイムは一ヶ月で足りたのだろうか。
 表に出さないだけで、心の奥には今もずっと、あの子だけがいるのだろうか。

(でも……そうやとしても後には引かれへん)

 もう一ヶ月待っていたら、三年生は卒業してしまう。
 立火と桜夜が、そして姫水がいる今のWestaのうちに、できれば決着をつけたかった。
 天名夕理にとって、最も重要な関係性に。


 全国大会が終われば、すぐに学年末テストだ。
 夕理が自室で勉強していると、花歩から何度目かのメッセージが来た。

『告白の台詞は考えた? 何なら歌詞担当の私が添削するで』
『いらんわアホ! いい加減に鬱陶しい!』
『がーーん、心配してるのに』
『気持ちは嬉しいけど、明日の今頃にはもう結果は出てるんや』
『うん……あ、芽生の話なんやけど。
 天王寺福音はチョコ持ち込み禁止なんやって。バレンタインも何もないで』
『ふうん。まあ学業に関係のないものやからね』
『えー? つまらないやろー?』

 結局そのまま、しばらく雑談をしてしまった。
 会話を終えてから、少しスマホの画面を眺める。
 小都子と姫水は、さすがにこの期に及んであれこれ言ってはこない。
 そして蚊帳の外にしてしまった勇魚には、終わったらすぐ報告しよう。

(ふう……)

 天井を見上げて深く息をつく。
 机の引き出しを開けて、宝石箱をそっと取り出した。

 中身は中学一年生の時間の全て。
 つかさと写った十枚の写真。つかさが初めてくれたリボン。
 そして――生まれて初めて、バレンタインに渡されたもの。
 何の変哲もない友チョコの、ラッピングだけを後生大事に取ってある。

『はい夕理! ハッピーバレンタイン!』
『おっ、なんや夕理も用意してあるやん。恥ずかしがらないで出して出して』
『あはは、えらい気合いの入った友チョコやなあ。めっちゃ嬉しいで!』

 独占できた頃のつかさの笑顔は、思い出すだけで胸が締め付けられる。
 振られるよりも嫌なのは、また依存する自分に戻ることだ。
 でも、大丈夫。そうならない自信はある。
 Westaでの一年間で、彼女に告白する資格だけは得られたはずだ。

 台所の冷蔵庫から、小都子がくれたトリュフチョコを持ってくる。
 あれから少しずつ大事に食べて、これが最後の一個。
 口に含んで、ビターな外側と、甘い内側をゆっくり味わった。
 この栄養を使って、明日は一世一代の勝負にいよいよ臨むのだ。


 *   *   *


(ほんまに列作るほどチョコもらえるんか?)

 晴の指示より早く家を出ながらも、立火は未だ半信半疑だった。
 去年の三年生は、この日にはそもそも登校してこなかった。
 何人かぱらぱらと、渡してくれという生徒が部室に来ただけで、結局手分けして家まで配りに行った。
 全国へ進んだとはいえ、あれから急に増えるものだろうか……。

 などという疑念は、校門に近づくと吹き飛んだ。

「立火先輩や!」
「好きです! 受け取ってください!」
「全国大会めっちゃ楽しみです!」
「はい列を崩さない。通行の邪魔にならないよう並んで」

 二十人くらいはいるだろうか。既に晴が列の整理をしている。
 ぽかんとしている立火へ、その三白眼がじろりと向いた。

「ちゃんとサービスしてくださいよ。寒い中を来てくれたんやから」
「あ、ああ、みんなおおきに! 私からのお返しはお徳用の一口チョコやけど、堪忍してや!」
『はーい!』

 快く了解されて心苦しいが、全員に普通のチョコを返していたら破産してしまう。
 せめて心を込めて、握手し、サインし、お礼を言う。
 隣に立つ晴が持った袋から、一口チョコの包みを一個一個渡した。

「わ、さすが立火先輩ですね」
『藤上さんやー!』

 感心しながら到着した姫水にも、すぐさま人が群がっていく。
 駅の方からも次々人が来て、勇魚が嬉しそうに列作りを手伝った。
 中学生の子が、憧れに目を輝かせながらチョコを渡す。

「絶対大女優になってください!」
「ありがとう、全力を尽くすわね。はい、私からもどうぞ」
「え、手作りですか!? メッセージカードまで!」
(姫水、マメなやっちゃなあ)

 横目で見ながら、今度は立火の方が感心する。
 確かにカードくらい作るべきかもしれなかったが、今は受験中なので許してほしい。
 プロ女優に会える機会とあって、列は途切れることはなく……

「うげっ」

 時間通りに来たつかさは、その列を見て渋い顔だ。
 とはいえ自分に駆け寄ってくるファンの姿に、すぐさま営業スマイルを用意する。

「つかさ先輩、地区予選の決闘マジ最高でした!」
「あはは、ありがとねー。あたしが先輩かあ」

 そして自転車を置いてきた小都子が、立火の後ろからひょいと顔を出した。

「えらい列ですねえ。手伝いましょうか」
「何言うてんねん。自分のファンに対応しいや」
「小都子にチョコを渡したい方! こちらへどうぞー!」

 晴が声を張り上げると、遠慮がちに遠巻きにしていた女の子たちが、何人か近づいてくる。

「私、小都子さんの歌声が好きで……ソロバージョンも出してほしいです!」
「あ、あらあら、おおきにね。需要があるなら歌ってみようかなあ。はい、私からもどうぞ」
「うわあ、綺麗なチョコ! 手作りですか!?」
「うん、一応ね」
『橘さんのお手製チョコ!?』

 晴が何度もブログに上げた結果、小都子のお菓子作りの腕は知れ渡っている。
 立火の列の最後尾にいた子たちが、顔を見合わせ、こそこそと列を移った。
 視界の端で見ながら苦笑する立火である。

(あはは、小都子にファンを取られてもうた)
(……けど、なんや嬉しいな)
(地味で優しいだけと思われてた小都子も、今は色んな魅力が世間に伝わってるんや)

 しかしこうなると、一つももらえていない勇魚が気にかかる。
 本人は気にせず、仲間たちの人気を見てにこにこしているが……
(部長として歯がゆい! めっちゃいい子なんや、もっと伝わってや!)
 という念が通じたのか、姫水に渡して帰ろうとした上級生が足を止める。

「勇魚ちゃん、もらえてへんの?」
「はいっ、うちは人気がないので!」
「それも可哀想やな……こんなんで良かったらいる?」
「いいんですかっ!? わーい! ファンの方から初めてのチョコやー!」
「い、いや、チロルチョコでそこまで喜ばれても……」
「うちからもどうぞ! 手作りですよ!」
「な、なんか申し訳ないで……」

 ファンは恐縮しながら帰っていくが、勇魚は純粋に喜んでいる。
 横目で見ていた姫水も、頬が緩むのを止められないようだ。
 立火もほっとして、引き続きチョコを交換していく。


 *   *   *


(くそう……まだ姫水の列の方が長いで……)

 つかさも一人一人のファンに感謝はしているが、それはそれとして姫水には負けたくない。
 現時点で差は六個。
 八時を過ぎると、住女の生徒たちが登校してきた。
 伸びそうになる立火の列に、すぐさま晴が制御に走る。

「住女生は後で教室で渡してください! 今は外から来てくれた人が優先です!」
(部長さんとこはえらいことになってるなあ)

 逆につかさの方は、とうとう列が解消してしまった。
 校門で手持ち無沙汰にチョコを待つというのは、非常に情けない気分である。
 勇魚に話しかけようとしたが、ちゃっかり他の人にチョコをもらっている。
 と、響いたのは待ちわびた声だった。

「つかさー! お待たせー!」
「奈々! 首尾はどうやった?」
「昨日みんなから集めた分と、私たちのも合わせて、友チョコ十個!」
「よっしゃー! これで逆転やあー!」

 遠くを見れば晶と楓が、少し呆れ顔で昇降口に入っていく。
 ちょうど姫水も最後の一人から受け取り、苦笑いをつかさに向けた。

「相変わらず下らないことで張り合うんだから」
「うっさいわ、そっちは何個やねん。計算ではあたしが一個多いはず!」
「このチョコ一個一個に想いがこもってるのよ。数で語れるものじゃありません」
「くわー、この優等生めえ。あたしに負けるのが怖いんやろー」
「あはは、相変わらず仲ええなあ。で、つかさには悪いんやけど」

 と、奈々が鞄からチョコバーを取り出す。

「はい、藤上さん。ハッピーバレンタイン!」
「ありがとう、三重野さん。私からもどうぞ」
「ちょっ、奈々あああ! あたしを裏切る気!?」
「二人とも大好きやでー。ついでに言うなら、この後は六組の全員、計43個が藤上さんにプラスされるから」
「ふふ。圧勝してしまって悪かったわね」
「うぐぐ……ええの! さっきの一瞬だけは勝ったから!」

 楽しく騒ぎながらも、つかさの胸は多少ちくちくとする。
 本音では姫水に特別なチョコをあげたいし、姫水から特別なチョコをもらいたかった。

(あたしの恋が終わって一ヶ月経った……)
(友達兼ライバルとして、じゃれたり張り合ったりできてると思うけど)
(好きな気持ちはほんまに減ってるんやろか)

 正直なところ自信はない。
 夕理のように厳しく自分を律することは、やはり無理なようだ。
 もしかしたら一生、果たされなかった想いを抱えて生きていくのかもしれない。

(他人から見れば不毛なんやろな……けどしゃあない、なるようにしかならへん)
「つかさ? 私からの分は部活で渡すわよ」
「あ、うん。部員が揃ってからの方がええな。
 てことで奈々にはお返しのチョコクッキー。助かったから三枚あげるで」
「ありがとー! それじゃ私は用事があるから、先行ってるね」

 奈々が去ると同時に、お渡し会を終えた立火が声をかけてくる。

「さて撤収や。おっ、つかさも随分もらってるやないか」
「いやあ、友達に頼んで水増ししてまして……って部長さんこそ、なんすかそのチョコの山」
「あはは、私もビックリやで。全国大会さまさまやなあ」
「ほんま、ありがたい事ですよね」

 そう言う小都子も予想外の数だったようで、クラスメイト用のブラウニーまで放出していた。
 姫水はさらに多く、勇魚に半分持ってもらっている。
 それをも上回った立火は、チョコで満たされたバッグをしみじみと見つめた。

「これが、私のアイドル活動の到達点なんやな。
 多くの人に助けられながら、こんなに応援してもらえるところまで来た」

 あと十日で引退する部長の述懐に、部員たちはとっさに言葉もない。
 後輩たちに感謝の目を向けながら、立火が声をかけたのは、一個のチョコも持たないマネージャーだった。

「特に晴、私をここまで押し上げてくれてありがとう。
 今日のお渡し会も、晴が頑張って宣伝したからこんなに集まったんや」
「私は皆に周知しただけ。その先は部長自身の魅力ですよ。
 それにバレンタインとなると、カッコいい系の女子の方が有利ですからね。
 ということで……」

 照れ隠しなのかそうでないのか、晴は軽く流して話を後輩に向ける。

「つかさは部長のカッコいい路線を受け継ぐんやったな。
 三年生になる頃には、今回の部長を越えるチョコを集めるものと期待してるで」
「ちょっ、ハードル高すぎっす!」
「あはは、つかさちゃんはうちのエースやからねえ」

 小都子にまで言われ、姫水と勇魚もエース! エース!と笑顔で手を叩く。
 困り顔で昇降口へと向かうつかさに、立火が並んで歩いていく。
 手から下げたチョコの袋が、つかさには少し重くなったように感じた。

「……あたし、ファンの期待に応えようとか、ご立派なことは考えないですよ」
「私だってそんなに殊勝ではなかったで。プロとはちゃうしな。
 やりたいようにやって、それで応援してもらうのが一番や」
「もー、虫のいいアイドルやなあ」

 笑いながら、五人のスクールアイドルたちは校舎へ入っていく。
 この後は教室と部室で、普通の学生らしいバレンタインを楽しむために。


 *   *   *


 その少し前。花歩はお渡し会とは逆側の校門から、こそこそと校内に入った。
 ご指名の連絡が来る配は全くない。
 気落ちして昇降口に行くと、下駄箱で夕理に出くわした。
 平然としているものの、やはりチョコはもらえていない。

「私たちって何があかんのやろなー」
「登校前にチョコ渡しに来るって、よほど熱狂的なファンだけやろ。
 そこまでではないだけで、普通に花歩が好きな人はいると思うで」
「ううっ、ありがとう。せやけど熱狂的なファンも欲しい」
「贅沢ばかり言わない! ほら、これあげるから」

 夕理が差し出したのは、丁寧に箱に入ったチョコレートだった。
 大喜びで受け取った花歩は、透明な袋入りの赤い物体を取り出す。

「ありがとー! はい私からはこれ」
「ルビーチョコ使ったんや」
「最近流行りやからね。夕理ちゃんはホワイトチョコやろ。開けなくても分かるで」
「まあ……白は好きやし」

 お祭り気分に浮かれる校内を歩きつつ、別れる寸前に花歩は尋ねた。

「つかさちゃんにはいつ渡すん?」
「……帰りに」
「そっか、やっぱり二人きりの時がいいよね。がんば!」
「別に頑張ることとちゃう。ここまできたら、粛々と想いを伝えるだけや」

 そう言いながらも、夕理の声が少し固いことに花歩は気付いてしまう。
 夕理は二組に入り、花歩も三組へ行こうとした時だった。
 ふと予感がして、二組の中を覗いてみると……
 夕理に向かって、曲を誉めてくれたあの二人がチョコを差し出していた。

「あ、天名さん、ハッピーバレンタイン」
「これ、全国大会への応援も兼ねて……迷惑でなかったら」
「ええ!?」

 完全に予想外らしかった夕理は、大慌てのまま両手で受け取る。

「あ、あ、ありがとう。あ、私のチョコ余ってへん……。
 ホワイトデーにお返しするから! 必ず!!」
「い、いや、私たちが贈りたかっただけやから」
「天名さんの気持ちだけで十分やで」
「そうはいかへん! 全国大会もホワイトデーも、必ず相応しいものをお返しする!」
(夕理ちゃん、良かったなあ)

 心が軽くなって、花歩も自分の教室に入る。
 お菓子作りが得意な子が、机の上にチョコマカロンを広げていた。

「花歩ちゃん、おひとつどうぞ」
「おっ、それなら遠慮なく。私のも見て見てー、失敗チョコ」
「失敗なん!?」
「最初は部長のために作ってたんやけどね……」

 花歩が鞄から取り出したのは、赤くうねる毛のような不気味なブツだった。
 クラスメイトたちが気味悪そうに覗きこむ。

「何やこれ、イソギンチャク?」
「聖火の形にしようとしたんや! けどそんな型ないやろ?
 アルミホイルでそれっぽく頑張ってみたんやけど、固まったらこんな惨状に……」
「あはははは! それで最終的には成功したん?」
「結局、無難にハート型にしたで。
 ま、これも味は変わらへんから。どうぞどうぞ」

 失敗チョコを適当に割って、周りの子に食べてもらう。
 女子校のバレンタインは、実にのどかなものだった。
 花歩がマカロンを味わっていると、教室の入口から声がする。

「花歩ちゃん、ちょっといいー?」
「お、奈々ちゃん。失敗チョコ食べる?」
「いや私はええわ。はいこれ、香流から」
「香流ちゃんが!?」

 奈々が手渡したパッケージは、どこかで見た覚えがある。
 確かコンビニで売っていたものだが、それでも十分に感涙ものだ。

「うわーい! ファンからの初めてのチョコやー!」
「あはは。本人は『アタシはチョコとか贈るキャラとちゃうのに』ってブツブツ言うててんけどね」

 正直なところ花歩もそう思ってたので、ありがたいサプライズだった。
 聞けばつかさが姫水に対抗するため、チョコをくれと懇願してきたので、それを買ったついでらしい。
 つかさの必死さに苦笑し合ってから、奈々は自分のクラスに帰っていった。
 香流にお礼のメッセージを送っていると、入れ替わりで勇魚が入ってくる。

「お渡し会終わったでー」
「おつかれー……って勇魚ちゃん、それ……」
「うん、三個ももらえたで! 花ちゃんも来たら良かったのに!」
「あ、あはは、私は勇魚ちゃんみたいな人気はないから……」
「ちゃうちゃう。このチロルチョコは可哀想やからってくれた分で」
「うーん、同情かー」
「こっちの二つは、Westa全員が好きな……何ていうんやっけ」
「箱推し?」

 と、近くのクラスメイトが助け船を出す。

「そうそう、それや! それで列がなかったうちに渡してくれたんや」
「そういうもらい方もあるんやな。それでもらえても少し複雑かなあ……」

 香流からのチョコを勇魚に見せると、一緒に喜んでくれた。
 勇魚は京都の胡蝶にチョコを郵送したので、今日到着したらええなあ、なんてことを話す。
 そしてクラスメイトに配り始めた勇魚に、同じだけの量が返ってきて。
 先生が来るまでの間、しばらくチョコレートパーティに興じていった。


 *   *   *


「ごめん! 思ったよりファンの方が多くて、全員分のブラウニーはないねん!」

 謝る小都子に、2-3の生徒たちは文句を言えようはずもない。
 たとえ小都子のお手製チョコを、ずっと楽しみにしてきたとしてもだ。

「小都子の人気が出て私たちも嬉しいで」
「そうそう、ブラウニーの権利はじゃんけんで決めるということで……」
「私はいらない。みんなで食べたら」

 忍が素っ気なくそう言ったのが、小都子へのフォローであることは明らかだった。
 だから小都子も、もはや迷いもなく包みを取り出せた。

「忍は気にしなくて大丈夫やで。はいどうぞ、いつもお世話になってます」
「え!? わ、私だけに!?」
「うん。忍だけに渡したいんや」

 誰にも差をつけるべきでないと思っていた。
 それが角を立てない方法であると。
 でも夕理という後輩と出会って、特別な気持ちを少しだけ味わって……
 思い切って踏み出した小都子に、クラスメイトたちは答えを返す。

「おー。忍はもらって当然やな」
「いつも小都子に尽くしてきたもんねえ」

 ――角なんてどこにも立たなかった。
 今まで何を悩んできたのだろうと、思わず笑ってしまう小都子の前で、忍は涙まで浮かべている。

「あ、ありがとう。ホワイトデーは3倍にして返すから!」
「もう、喜びすぎやって。別に本命チョコではないんやからね?」
「そ、そんなん分かってる! それでも、嬉しいんや……」

 温かい教室の中で、足りないブラウニーは半分こされた。
 小都子も他の子が持ってきたチョコを遠慮なくいただく。
 そして忍が幸せそうにトリュフを食べるのを、穏やかな気持ちで見ていた。

(私の小さな勝負は成功した。あとは夕理ちゃんの大勝負)
(どうか上手くいきますように……)



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