「さあ可愛い後輩たち! チョコを! カモン!」
放課後に登校してきた桜夜が、満面の笑顔で催促した。
被服室に全員が揃う中、チョコを持った姫水がにこやかに尋ねる。
「その前に先輩、報告することがありますよね? 今日、一校目の合格発表でしょう?」
「……見事に落ちました……」
「はあ……午前中に連絡がなかった時点で分かってましたけど。
でも、まだまだ先は長いです。これを食べて頑張ってください」
「姫水ぃぃぃぃ!!」
姫水が手渡したのは、Vの文字をかたどったおしゃれなチョコ。
表面はトッピングシュガーで可愛くデコられている。
「ヴィクトリーのVです。必ず勝利を掴めますよ」
「うちからもどうぞ! ガッツのGです!」
「姫水ちゃんみたいに上手ではないですけど……ファイトのFです」
「ううう……私はなんて幸せ者なんや……」
長居組から三個のチョコを受け取り、桜夜は鼻をすすって大袋を取り出す。
「どうせ立火は一口チョコやろ? 私のはじゃじゃーん! なんとキットカットや!」
「スーパーで買うただけやんけ。かかってる手間は変わらへんやろ」
「値段がちゃうやろ! ほら三人とも、好きなだけ持ってってええでー」
「い、いえ、一個でいいですよ。先輩のお渡し会用に残しておかないと」
「花歩は謙虚やなあ。値段といえば、つかさのに期待してるんやけど」
「いやー、そんな大したもんじゃないんすけどー」
ドヤ顔のつかさが取り出したのは、見るからに高級そうな箱だった。
開けた中には色とりどりのアソートチョコ。
八個並んだそれに皆の目は吸い付けられ、桜夜が恐る恐る質問する。
「え、ええと……おいくら?」
「四千円っす。一粒五百円のチョコ、遠慮なくどうぞ!」
「……キットカットなんかですんまへん……」
「ちょっ、桜夜先輩が喜ぶと思って買ったんすよ!? 姉に援助してもらったから大丈夫ですって!」
あ、そうなん、とけろりとした桜夜が、高級チョコを大事に口に入れる。
他の部員もご相伴にあずかる中、姫水の綺麗な指がチョコをつまんで――
この期に及んで目を奪われたつかさは、はっと我に返り、慌てて晴へと顔を向けた。
「晴先輩はいります?」
「いらない」
「じゃ、あたしも食べよっと。あれ夕理、取らへんの?」
「残った一個を箱ごとちょうだい。帰りに交換しよ」
「そう? ま、綺麗な箱やからなー」
呑気なつかさが箱をしまう一方で、小都子、姫水、花歩には緊張が走る。
あれと引き換えに渡される本命チョコは、つかさにどう扱われるのか……。
小都子は少し深呼吸してから、ナイフを置いて明るく声を上げた。
「さ、ザッハトルテも切り分けましたよ。桜夜先輩からどうぞ」
「やったー! 小都子のお菓子を食べるのも、これが最後かなあ」
「そう寂しいこと言わずに、大学に行っても遊びに来てくださいね。お菓子出しますから。
晴ちゃんも食べるやろ? 3×3に切ったからね」
「それやったら仕方ないな」
先ほどから勇魚がちらちら晴を気にしているが、今はまだ桜夜のターン。
ザッハトルテと紅茶で優雅な気分を味わった後、桜夜の手は最後に夕理へと向く。
「用意してあるんやろ? 恥ずかしがらずに出す!」
「どこまで厚かましいんですか……。どうぞ、ほんまに受験は頑張ってくださいね」
「おー! どんなんやろ。開けちゃえ」
「せめて開けていいか聞いてから……ああーもう!」
ラッピングを解けば、出てきたのは星型のホワイトチョコに赤薔薇のデコレーション。
得意そうな小都子と、興味のない晴以外から感嘆の声が上がる。
「おおー! 夕理ってほんまは私のこと好きなんとちゃう?」
「木ノ川先輩だけに気合い入れたわけじゃありません! みんな同じです! 広町先輩もどうぞ」
「おっ、おおきに!」
「勇魚と姫水さんも」
「ありがとー! 夕ちゃんにもらえて、めっちゃ嬉しい!」
「ふふっ。仲良くなるタイミング、ぎりぎり間に合ったわね」
それぞれもお返しを渡し、次々とメンバー間でチョコが交錯する。
花歩は少し身を固くして、失敗を経て完成させた作品を差し出した。
「部長、私の感謝の気持ちです! 明日の合格発表、吉報になるって信じてます!」
「花歩……ありがとう。大事に食べるで」
袋の中身は、赤と黒の二つのハートチョコ。
自分と桜夜なのだろうか、と一瞬考える立火だが、当たってても違ってても聞くのは無粋だ。
代わりに後輩の手を取って、一口チョコをしっかり握らせた。
「ほんまは十個くらいあげたいんやけど、ファンに申し訳が立たへんからな。
せやけど、感謝の気持ちは花歩と同じくらいこもってるで!」
「ぶ、部長ぉ……!」
ホワイトデーの頃には、立火はもうこの学校にはいない。
たくさんのチョコの中の特別な一つを、花歩は大事に鞄にしまった。
そして――
「晴先輩! 受け取ってください!」
勇魚の大声に、部室内の空気が固まる。
冷ややかに向いた晴の視線の先で、勇魚はペンギン型のチョコを真っすぐ差し出していた。
三度目の正直。怖気づくことのない後輩に、晴はすぐには拒絶しなかった。
「……受け取る理由は特にないな」
「せやけど、小都子先輩のチョコは食べはりましたよね!」
さっきのは小都子が地ならしをしてくれたのだと、勇魚は勝手に思っている。
その小都子は受け取ってあげたら? と晴に言いかけたが、すんでのところで止めた。
これは勇魚の勝負なのだ。
立火たちも黙って見守る中、晴の声は一層低温になる。
「私からのお返しはないで」
「はいっ! 最初から期待してないです!」
「特に感謝もしない」
「受け取ってくれるだけで十分なので!
あ、でも捨てられたらめっちゃ悲しいで。食べてくれたら十分です!」
「厚かましいんだか謙虚なんだか……」
晴は小さく溜息をついて、壁の時計を見上げた。
そろそろ夕方のお渡し会の時間だ。ここまで迷った時点で、もう負けたようなものだと……
手を伸ばして、ひょいとチョコを取り上げた。
「純粋に食糧としていただいていおく。チョコはエネルギー豊富やからな」
「は……晴先輩ぃ……!」
泣き笑い状態の勇魚の目から、ぽろぽろと涙が落ちる。
そしてくるりと後ろを振り返って、一年生の仲間たちに飛びついた。
「みんな、やったでー! うちの気持ち届いたー!」
「うんうん! 良かったね、勇魚ちゃん!」
「いやあ、勇魚の粘り勝ちやなあ」
(あの先輩、本当にお礼の一言もないのね)
少し不満な姫水だが、幼なじみがこんなに喜んでいるのだから良しとしよう。
微笑んでいる夕理にも、小さな勇気を与えられたようだし。
そして上級生たちの生温かい視線の中、晴は無表情でチョコを鞄に入れ、何事もなく事務連絡をした。
「お渡し会の時間です。校門に行きましょう」
「そうやな。桜夜はちゃんと応対するんやで」
「分かってるって。それにしても卒業間際に、晴が少し優しくなるのを見られるなんてねえ」
「そういうのではありません。勇魚のチョコ、桜夜先輩に回らなくて残念でしたね」
「もー。チョコより後輩の笑顔の方が、嬉しいに決まってるやろ!」
そんな様子を見ながら、小都子は少し思いにふける。
(晴ちゃんも一応私には特別な人やし、何か作っても良かったかな?)
(けど突き返されて平気でいられる自信はないなあ……)
(やっぱり、そういう挑戦は勇魚ちゃんに任せよう)
嬉しそうに晴に話しかける勇魚を眺めつつ、あと一年、二人の関係に夢ふくらむ小都子である。
花歩と夕理を留守番に残し、朝と同じ面子は外に出ていった。
二人は黙々と衣装を作り、花歩の方が一足先に完成した。
「できたー! 地区予選の鎧に比べたらめっちゃ楽やった。
……勇魚ちゃんには悪いけど、ほんまに全国大会これでええんやろか」
「花歩は目立ちたいんやろ。どうせ周りは豪華な衣装やから、逆にこういう方が目立つんとちゃう」
「あはは、それもそうかも。ちょっと着てみよっと」
一人で着替えるのも恥ずかしいが、思い切って制服を脱いだ。
衣装を身にまとうと、気分までピエロになってくる。
おどけた動きを試しつつ、ただ一人の観客に向かって、明るく声を張り上げる。
「さあさあお立合い。夕理ちゃんの世紀の告白まで、あと一時間ちょい!
私たちがついてるんや、絶対絶対大丈夫!
迷わず笑顔で突き進めー!」
笑いというのは難しい。一歩間違えれば相手を不快にする、サーカスのような綱渡りだ。
花歩も内心冷や冷やだったが、幸いにも夕理はくすくすと笑ってくれた。
「まったく、花歩はアホやなあ」
「あ、あはは。誰がアホやねーん」
「……ねえ花歩。私と友達になってくれて、ほんまにありがとう」
花歩はピエロらしく、のけぞる全身で驚きを表現した。
入学式の日、気難しい顔でこちらに気付きもしなかった女の子は、今は深い友情を瞳に宿していた。
「ど、どうしたんや急に」
「これからは、ちゃんと口に出して言おう思て。好きな人、好きなもののこと、全部」
「そっか……私も夕理ちゃんのこと、大好きやで」
「……チョコ、今渡せば良かったやろか」
「渡し直す?」
「それはちょっと寒いやろ」
笑い合いながら、朝に交換したチョコを取り出し、一口食べる。
夕理の凝ったチョコに比べて、花歩のは夕理のYをかたどった単純なチョコ。
来年はもっと頑張らないとなあ、なんて考えていると、夕理の幸せそうな声が聞こえた。
「凝るのはただの趣味。大事なのは込められた気持ちや」
* * *
三十分ほどして、お渡し会を終えたメンバーが戻ってきた。
桜夜がほくほく顔で抱えてきたチョコに、花歩の目が見開かれる。
「桜夜先輩もめっちゃ多いですね!」
「もー、今日ほどスクールアイドルやってて良かったと思ったことはないで。
可愛い女の子たちが! 私のためにチョコを!」
「よ、良かったですね~。部長も結構追加がありましたね」
「爽wingの国枝も来てくれたで。ありがたいなー」
「恵と叶絵もチョコくれた! 受験中なのに! そういや立火のクラスメイトは?」
「あいつらが来るわけないやろ……」
三年生が盛り上がる傍ら、姫水と小都子も受け取ったチョコを大事にしまう。
そして追加ゼロだったつかさは渋い顔だ。
「留守番してれば良かった……。恥ずかしい……」
「まーまー! つーちゃんのファンは早起きさんが多かったんや!」
「別にええし……。昼休みにあたし推しの先輩からもらったし……」
そんな後輩たちに笑いながら、立火と桜夜はふと気づく。
お互いの手にある、余ったお返しチョコに。
「……いる? 桜夜」
「ちょっとむずがゆいけど……一応交換しとこか。
けどキットカットと一口チョコは釣り合わへんやろ。なんか追加でちょうだい」
「そうやなあ。ホワイトデーに、合格祝いも兼ねて何か贈るで」
「う、うん」
なおさら合格するしかなくなったと、こっそり意志を固める桜夜である。
照れくさそうに一個ずつ交換してから、衣装作りを再開した。
ときおり渡しに来る女生徒に、手を止めて応対しつつ、ピエロ服は次々完成していく。
三年生も最後の衣装を着て感慨にふけっていると、スマホを見ていた晴が立火の方を向いた。
「SNSで連絡が来ました。和歌山市駅からチョコを渡しに向かっているので、何とか受け取ってもらえないかとのことです」
「和歌山!? えらい遠くから来てくれるんやなあ。せめて天下茶屋まで迎えに行くで」
「分かりました。後は片付けておきますので、すぐに出発してください」
「すまん!」
どのみち終了時刻も近づいていたので、今日の活動はここまで。
慌ただしく帰り支度をした立火は、部室を出る際に部員へと振り向く。
「合格発表は明日の10時や。みんな授業中とは思うけど、気にせず連絡するからよろしく!」
後輩の元気な返事を浴びながら、立火は早足で帰っていった。
他の部員も被服室を片付け、衣装を視聴覚室に運んで解散となる。
部室の鍵を持っていた桜夜に、小都子が声をかけた。
「先輩、鍵なら私が返しますよ?」
「んー……私にやらせて。最後に少しくらいは、副部長の仕事をね」
「あはは、それやったらお願いします」
後輩たちは昇降口を出て、それぞれの帰途につく。
チョコの数は少ないものの、目的を達した勇魚が一番嬉しそうだった。
そんな友人の姿に微笑みながら、夕理はつかさと西へ向かい。
その夕理に視線でエールを送って、花歩と姫水は東へ向かう。
そして小都子はもう振り返らず、自転車置き場へ歩いていった。
――いよいよ、その時が来た。
* * *
「冷静に考えたら、あたしがこんなにもらってええんやろか」
夜の下校路を歩きながら、つかさはエコバッグの中身を再確認する。
「お姉ちゃんに半分あげる約束で、高級チョコのお金出してもらってん。
せやけど、あんなに嬉しそうに渡されたからには、あたしが全部食べるべきなのかなあ」
「つかさ……」
夕理の頬がほころぶ。何やかんやで、つかさもスクールアイドルらしくなってきた。
競技への情熱はなくても、ファンの応援は素直に喜ぶ子で良かった。
「一口でも食べてあげれば、想いは受け取ったことになると思うで」
「そうやなー。一個ずつお姉ちゃんと半分こしようかな。
ま、バレンタインも終わって、もうイベントもないんや。
あとは東京観光……やなくて、全国大会だけやな!」
「もう、どっちがメインやねん」
笑いながら、夕理が決めた目的地が近づいてくる。
あと少しというところで、つかさは思い出したように鞄を開けようとした。
「そうそう。まだ夕理にチョコあげてへんやん」
「つ、つかさ。ちょっとだけ公園入っていい?」
「え、こんな時間に? なんや、渡すとこ人に見られるの恥ずかしいん?」
歩道を外れて、夜の住之江公園に入る。
遊び場には子供の姿はなく、大きな日時計が街灯に照らされている。
その街灯の下まで来て、夕理は足を止めた。
さすがにつかさの声も怪訝なものになる。
「夕理?」
「つかさ、チョコあげる」
「あ、うん。みんなと同じのやろ? 何を大げさに……」
夕理は鞄を足下に置き、地面にしゃがんでファスナーを開けた。
中にあるのは、誤解しようのない大きなハート型チョコ。
これがつかさの視界に入った瞬間、もう後には引けなくなる。
少し震える手をぎゅっと握って、大事な人たちの声を頭に響かせた。
『ずっと好きやったんやろ!?』
不興を買うのを恐れずに、扉を開けてくれた花歩。
『つかさを、幸せにしてあげてほしい』
同じ女の子を好きになって、だからこそ託してくれた姫水。
『晴先輩! 受け取ってください!』
傷ついてもめげない根性を、目の前で見せてくれた勇魚。
『心から応援してる』
そして小都子と一緒に作った、このチョコレートさえあれば、恐れるものなど何もない!
チョコレートを両手で持って、勢いよく立ち上がる。
案の定、つかさの目は驚愕に見開かれた。
でも分かっていたことだ。ならば花歩に言われた通り、笑顔で突き進もう。
抑えつけてきた想いを、ついに開放できる喜びを込めて。
「愛してる、つかさ。四年前からずっと!」
差し出されたチョコの前で、数秒経っても、つかさは石のように固まっていた。
せめて反応くらいしてほしかったが、それなら仕方ない。チョコを掲げたまま身を乗り出す。
「私と付き合ってほしい! 将来的には結婚してほしいんや!」
「ま、ま……待って! ちょっと待って!」
つかさの状況は、混乱の二文字そのものだった。
ようやく上げた声は、どこか抗議のようにも聞こえた。
「今まで、そういう流れとちゃうかったやろ!?
夕理は少しずつ成長して、あたしの手から離れていって。
あの二人きりの日々には戻らず、広い世界に羽ばたくんやって……」
「自分で言うのも何やけど!」
つかさにしてみれば、いきなりUターンして突撃してきたように見えるのだろう。
やっと他者との関わりへ歩き出したはずが、また元の古い場所へと。
でも違う、夕理の心はずっと変わっていない。
重すぎる気持ちを減らそうとしただけで、好きだという事実は何も変わらない。
心臓は爆発しそうで、でも頭は落ち着かせて、一生懸命に説明する。
「私は以前に比べたら、だいぶマシな人間になったと思う。
花歩たちと仲良くなれたし、尊敬する先輩もできた。
自分が作りたい曲で、周りを喜ばせることもできるようになった!
まあ……クラスの人とはあんまり話せてへんのは課題やけど……。
でも、今の私なら、どちらの答えでも大丈夫や」
少し息をついてから、まだ呆然としている彼女に対し、改めてチョコを突き付けた。
赤裸々な心を、何も隠さず鮮明に。
「――返事を、聞かせてほしい。
つかさが私を好きになっても、私はそれに溺れたりはしない。
つかさが私を振ったとしても、私はそれで絶望したりはしない。
せやから、正直な気持ちを聞かせて……!」
木々の向こう側から、車が行き交う音が響く。
言うべきことは全て言った。
覚悟して、結果がもたらされる瞬間を待つ。
目を左右させているつかさは、何とか器用に収める方法を考えていたのだろう。
でも、チョコを差し出した夕理の腕が、震えながらも決して下がらないのを見て……
諦めたように目を伏せた。その口から、正直な言葉がこぼれ落ちた。
「ごめん」
本当に、夕理を傷つけたくなかったのだろう。
つかさの方こそ泣きそうになりながら、それでも嘘のない、本心を返してくれた。
「受け止められへん……ごめん……」
「そっ……か……」
だらんと、夕理の腕が下がる。
頑張って作ったチョコは、役目を果たせず手から落ちかけた。
<潔く諦めよう>
<見苦しいことはしたくない>
夕理の中の潔癖な部分が、しきりにそう言い立てる。
この状況も当然覚悟はしていた。
『ありがとう。すっきりした。これからも友達でいてや』
そんな回答も用意はしていた。
でも頭をよぎったのは、姫水と勇魚のことだった。
一敗した程度ではくじけないと言って、そのおかげで友達になれた子。
今の夕理よりよほど冷たい仕打ちを受けながら、決して諦めなかった子。
みっともないのは分かっているけど。
もう少し……もう少しだけあがきたい……!
「理由をっ……聞かせてもらえへん!?」
「夕理……」
困ったようなつかさの表情に、罪悪感で胸が痛む。
それでも必死で踏み止まって、執拗に食い下がった。
「しつこいのは自覚してる。けど私の四年間の想い、あっさり終わりにはできないんや。
私には他に相応しい人がいると思ってるから!? それとも、まだ姫水さんのことが好きやから!?」
特に前者。姫水から聞いたそれが本当なら、こんな腹立たしいことはない。
つかさは自問するように考えて、程なくして答えを出した。
「……両方や」
「そう……」
夕理の口から小さく息が吐かれる。
ここから先は茨の道だ。今までのように、片思いで満足した方が楽かもしれない。
けれど胸の中の強い欲は、それを選ぶことはできなかった。
天名夕理は――何が何でも、彩谷つかさが欲しいのだ。
「つかさ。それが理由なんやったら、私にあと少し頑張らせてほしい」
すがってくる言葉に、つかさの足は後ずさりかける。
それを追いかけるように、夕理は必死で懇願した。
「何年かかっても、絶対に振り向かせてみせる。
私の一番はつかさだけや。他に誰もいないって分からせる。
姫水さんへの気持ちを……変えるのは大変やとは思うけど。
でも、挑戦する機会だけは与えて!」
「夕理……」
「……駄目、やろか」
「駄目とは……言えへんやろ。しゃあないな……」
諦めない夕理に、つかさの方は諦めたように笑った。
少しの感心も混ぜて、友達としか思ってない子に優しい目を向ける。
「気持ちは嬉しいし、夕理がアタックしたいなら止めはせえへん。
けど、あたしは軽い女とちゃうで。ずっと応えられなくても……悪く思わないで」
「重々分かってる。つかさのことは、私が一番よく分かってんねん」
夕理も笑って、持ち続けていたチョコに視線を落とす。
今日、四年越しの恋が終わることも覚悟していた。
けど違った。ここから、また――新たに始まるのだ。
「チョコだけ受け取ってもらえへん? 持って帰るのは悲しすぎるから」
「うーん、めっちゃ重いけど……ま、あたしは友チョコのつもりでもらっとく」
深い恋と愛を込めたチョコは、片手で軽く受け取られた。
いつか絶対、つかさも頬を染めて受け取るようにしてみせる。
そう決意しながら、夕理の方からも手を差し出す。
「つかさのもちょうだい」
「ええ……なんや渡しづらいなあ」
「いいから。つかさから貰えるものなら、何でも嬉しいから」
「それやったら……。はい」
高級チョコが一粒だけ入った箱が、夕理へと渡される。
バレンタインの儀式はこれで終わり。
そして……普段は空気を読まない夕理でも、この空気では一緒に帰れないのは分かっていた。
「私、ちょっと寄るとこあんねん。地下鉄で帰るから」
「そっか」
「けど今日だけや。明日からは、できる限りつかさの近くにいる」
その言葉にも、返ってくるのはつかさの困り笑い。
悪あがきして延長戦に持ち込んだけど、事実は変わらない。
今日、つかさに振られたのだ。
夕理はきびすを返し、少し早足で歩き出し、そして駅へと走っていった。
つかさも帰ろうとしたが、公園から出たところで歩みを止める。
本当に、これで良かったのだろうか?
(少なくとも、あたしが望んだ状況とちゃう……)
(夕理には、ちゃんと幸せになって欲しかったのに!)
なのに先の見えない、報われる見込みもない長期戦に突入してしまった。
やるせない憤慨に、つかさは思わずスマホを取り出す。
八つ当たりとは分かっているけれど……
夕理を任せたつもりだった相手に、猛然と電話をかけていた。
(どーなってんすか、小都子先輩!)