地下鉄の駅に降り、ちょうど到着した電車に飛び込む。
「夕理!?」
声にはっと振り返ると、ホームで桜夜が心配の表情で固まっていた。
たぶん今の自分は、心配されるような顔をしているのだろう。
何も言えず、ぺこりとお辞儀をすると同時に、電車のドアは閉まった。
「あーー!」
乗り損ねた桜夜の悲鳴が遠ざかっていく。
悪いことをしてしまったが、今は気遣っている余裕はない。
よろよろと車両の端へ行って、さっきの結果を反芻する。
『ごめん』
『受け止められへん。ごめん』
(泣くな!)
浮かんでくる涙を必死でこらえる。泣いている場合ではない。
現実を直視した上で、これから進んでいかないと……。
と、よほど酷い顔をしていたのか、前に座っていたおばちゃん二人が声をかけてきた。
「お嬢ちゃん、どないしたん?」
「体調悪いん? ここ座りや」
「い、いえ、大丈夫です」
苦手な大阪の人情に、慌てて手を振って辞退した。
体調の問題ではないということを、何とかして伝えないと。
「ちょっと……好きな人に振られただけです」
「あれま! そういや今日、バレンタインやったねえ」
「こないな可愛い子を振るなんて、とんだ見る目のない男やな」
女の子なんですけどね、と内心で呟きつつ、少し落ち着いた。
自分に言い聞かせるように、とつとつと話す。
「でも、世界一好きな人なので……。諦めないで、振り向いてもらえるよう頑張ります」
「何とまあ、健気な子やなあ。おばちゃんももらい泣きしそうや」
「けどね、やり過ぎたらあかんで。ストーカーとかになるで」
「は、はあ」
さすがの夕理も苦笑するしかない。
おばちゃん達は、そういや私の若い頃は、なんて勝手に盛り上がり始めた。
でも、確かに言われた通りだ。ストーカー化するくらいなら腹を切って死ぬ。
どこまでのアタックなら許されるのか、慎重に考えて進まないと……。
(友達以上の感情を持ってもらうって、どれだけ難しいことなんやろ)
(……でも、やるしかないんや)
ひとまず今は、スマホを出して文字を打ち込んだ。
結果報告の文章が、小都子、花歩、姫水へと飛んでいく。
「すみません。帰る途中に呼び戻して」
「ええよ。私もつかさちゃんとは、話がしたかったとこや」
自転車から降りた小都子が、阪堺大橋の上で待っていた。
走ってきたつかさが息を整えている間に、小都子は静かに話し始める。
「夕理ちゃんからの報告は、さっき信号待ちの間に読んだよ。
ほんま、少し変わったよね。昔の夕理ちゃんやったら、潔く諦めてた」
「はい……」
諦め悪くあがくようになったのは、夕理には良いことなのだろうか。
……いや、この件に関してだけは、良いこととは思えない。
抗議半分に、つかさは先輩を詰問する。
「一体どういうことなんです!?
そもそも夕理の性格やったら、今さらあたしを狙おうなんて思わないはず!」
「最初は夕理ちゃんもそのつもりやったで。言い出したのは花歩ちゃん」
「花歩のやつ~!」
「決意したのは、姫水ちゃんと話したとき」
「姫水ぃ~!」
「もちろん私も応援した。
あなたに協力ばかりしていた夕理ちゃんが、ようやく自分の幸せを求めてくれたんや。
それの何があかんの?」
「うぐっ。そう言われると耳が痛いんですが」
気勢をそがれたつかさは、夜の大和川へ視線を逸らす。
さんざん手伝わせておいて、挙句に振るなんて自分でも鬼畜とは思うけど。
何があかんかと言われたら、夕理のためにあかんとしか言いようがない。
「……あたしなんかが、夕理を幸せにできるとは思えません」
「まだ中二のときのこと引きずってるん?」
「それもありますし……あたしチャラくていい加減ですし……」
「全国進出の立役者が何言うてるんや。そもそも、姫水ちゃんは幸せにする気やったんやろ」
「それは、そのっ……!」
確かに姫水に対しては、釣り合わないという気持ちを乗り越えた。
だがぶっちゃけてしまえば、姫水には恋していたが夕理にはしていない。
それに、今の時点で改めて考えてみても……。
「姫水は完璧に見えて、あたしと同じく友達を裏切った脛の傷がありました。
けど夕理はちゃう。どこまでも清廉潔白です。
はっきり言います。夕理には小都子先輩みたいな、非の打ちどころのない人が似合うと思います」
それを聞いた相手の複雑な顔を、つかさはしばらく忘れられそうになかった。
自嘲的な笑みは、初めて見る先輩の表情だった。
「夕理ちゃんが泊まりに来た日、私はあの子が欲しくなった」
「え……」
「私ね、夕理ちゃんが好きなんや。つかさちゃんには渡したくない。
このまま、私のところにいて欲しいって、そう思って……。
しかもそれを、夕理ちゃんには隠したまま。
先輩として尊敬される資格なんてないのが、今の私や」
「小都子先輩……」
絶句するつかさは、同時に後悔する。
この人には醜い部分などないと、勝手に思い込んでいた。
なのに夕理には隠したことを、つかさには話してくれた。恐らくつかさだけに。
その意味は理解できるが、つかさはなおも食い下がる。
「そ……それやったら、なおさら結構やないですか!
先輩にもそういう欲があるって知って、余計に安心しましたよ。
どうか夕理を幸せにしてあげて……」
「けど、夕理ちゃんが好きなのはあなたなんや」
はっきりと言い切る小都子に、つかさの反駁は完全に止まった。
小都子の声は、99%の優しさに満ちている。
でもその中に一滴だけ、嫉妬や悔しさが混じっているように聞こえた。
「夕理ちゃんが恋しているのは、世界であなた一人だけ。きっと未来永劫ね」
「……違う可能性も、あると思うんですけど」
「そうやね。嫌なこと言うてもいい?
あなたが姫水ちゃんと結ばれてくれれば、この状況にはならなかった」
「! 先輩、それはっ……!」
「ごめんなさい。あなたたちが深く悩んで、あの結果を選んだのは分かってる。
でも現実として、つかさちゃんの選択が夕理ちゃんの選択に繋がったんや。
そのことは自覚して」
後輩をぐうの音も出ぬほど追い込んだ小都子は、最後に深々と頭を下げた。
「無理に好きになってあげてとは言わへん。そんなん長続きせえへんしね。
けど、頭から拒絶だけはしないで。お願いやから、夕理ちゃんにチャンスをあげて欲しい」
「……それは……分かってます」
「虫のいいこと言うたら、部活も続けてくれると嬉しい。
こんな次期部長には、もうついてかれへんと思うかもしれないけど……」
小都子の足が、弱弱しく自転車のスタンドを上げた。
自転車を回転させ、背を向けて立ち去ろうとする先輩に――
つかさは思わず、大声を出していた。
「何か勘違いしてるみたいですけど!」
「………」
「あたしにとっては、変わらず好きで尊敬する先輩です。
小都子部長率いるWestaが全国へ行けるよう、あたしは全力を尽くします!」
小都子の返事はなかったが、その背中は小さく震えていた。
自転車は走り出し、市境を越えて堺へと去っていく。
橋の上を吹く風に、つかさは小さくくしゃみをする。
すっかり遅くなってしまい、急いで駅へと戻っていった。
家では姉がチョコを待っているはずだ。
* * *
「引退前にお会いできて感激です!」
「こちらこそ、遠路はるばるほんまに嬉しいで」
和歌山市から来た二年生三人を、立火が出迎えたここは天下茶屋駅。
チョコレートを交換し、写真を撮ってから、熱い要望を伝えられる。
「次のバトルロードはぜひ和歌山へ!」
「KEYsとの対決が見たいです!」
「天名さんと玉津さんは因縁もあるようですし!」
「うーん、まだバトルロード自体やるかは分からへんけどな。ま、小都子に伝えとくで。
すぐに和歌山へ帰るん?」
「いえ、せっかく来たので難波で何か食べていきます」
「あらら。それやったら難波で迎えた方が良かったやろか」
「めめ滅相もない! ここまで来ていただいてありがとうございました!」
全国大会への応援を口にしながら、三人は南海のホームへ戻っていった。
手を振って見送ってから、三つのチョコをバッグに加える。
朝の分は昼食時に家に置いてきたが、それでもかなりの量だ。
(引っ越しまでに食べきれるやろか……?)
贅沢な悩みとともに西へ歩いていくと、桜夜からメッセージが来た。
『なんか、夕理の様子がおかしかった』
(?)
とりあえず岸里駅に入り、ベンチに座って返信を打つ。
『何や?』
『一人で泣きそうな顔で地下鉄に乗ってた。つかさと何かあったんやろか』
『ふむ』
もう何も起きないと思っていたのに、水面下でまだ何かあったのだろうか。
とはいえ立火も、色々ありすぎた一年を経て、さすがにもう慣れてきた。
『ま、何かあれば報告してくるやろ。先月のつかさと姫水みたいに』
『それならええんやけど。最後まで面倒起こす子たちやな』
『心配しなくても大丈夫や。私たちが引退しても、あいつらなら上手くやれる』
『別に心配してへんわ!』
引退という単語は、桜夜には刺激が強かったろうか。
けど残り十日。桜夜も自分も、少しずつ心の準備をしていかないと。
『うー。立火がそう言うなら、夕理のことは気にしないでおく』
『結局、夕理のこと好きになったん?』
『ちゃうわ! 相変わらず偉そうやし!』
反射的なメッセージの後、少し間を置いて、恥ずかしげな文字が流れてくる。
『でも受験は応援してくれてるし、チョコもくれたから……。
もう嫌われてはいないって、思ってええんやろか』
『夕理よりもお前がどう思うかやで。
少なくとも卒業式の日には、なんて言うて別れるかちゃんと考えときや』
『これ以上宿題を増やさないで!
はあ……今日のところはチョコ食べて勉強しよ』
『歯ぁ磨くんやで~』
会話を終えて、立火は電車待ちのホームを眺めた。
人間関係は部員たちを信頼する。今は自分の問題を片付けるのが先だ。
私立大の合格発表まであと半日。
そこで受かりさえすれば……。
* * *
「たっだいまー!」
明るい気分で帰宅した勇魚を、さらにハッピーな状況が待っていた。
汐里がとてとてと玄関に来て、小さな包みを差し出してきたのだ。
「おねーちゃん、あゆちゃんがくれたで」
「え、うちに!? ほんまに!?」
近所に住む小学生の女の子から、まさかの本日最後のバレンタインである。
受け取った勇魚が大喜びしていると、居間から母が顔を出した。
「あゆちゃん、勇魚の元気なライブが好きなんやって」
「そうやったん……。うち、スクールアイドルやってて良かったあああ!」
どちらかというと大人しい子だけに、感激もひとしおだ。
脱いだばかりの靴に、再び足を入れようとする。
「ちょっとお礼言うてくる!」
「こらこら、こんな時間やで。電話にしときや」
「あ、そっか。えへへ」
「そう、東京でやるんや。うちがテレビに映んねん! あゆちゃんも見てね!
ほんなら、ホワイトデーにお返しするからね! おおきにあゆちゃん!」
着替えもせず自室で電話していた勇魚は、昔なら延々喋っていたろうが、今日は適度なところで通話を切った。
ちょっとデリカシーが身に着いたかも、と得意顔である。
と、汐里が姉の鞄をじっと見ている。朝と厚みが変わっていないそれを。
「おねーちゃん、いっぱいチョコもらえた?」
「いっぱいではないかなー。お姉ちゃん、あんまり人気ないねん」
「なんでや! もっとがんばって!」
「ま、まあまあ。たとえ数は少なくても、うちはほんまに幸せで……あ、電話や」
手に持ったままのスマホの、相手の名前に目を見開く。
今日はいいことばかりだと、すぐに電話に出た。
「夕ちゃんからかけてきてくれるなんて嬉しいで!」
『声が大きい。今、ちょっといい?』
「うんうん! ……あれ夕ちゃん、なんや元気ない?」
『ごめん勇魚。ここしばらく隠し事してた』
「え……」
夕理からの報告は簡潔だった。
つかさに告白して振られたが、振り向いてもらえるよう努力を続けると。
『花歩と姫水さんは知ってたのに、勇魚にだけ黙っててごめん。つかさに事前に漏れるのが嫌で』
「もー、そんなんいちいち気にすることとちゃうで!
そっか、夕ちゃん、つーちゃんにアタックするんや。うちに手伝えることは何でも言うてや!」
『うん……ねえ勇魚』
さっそく相談事か、と勇魚はわくわくと言葉を待つ。
とにかく夕理の役に立ちたかったが、聞かれたのは自分のことだった。
『勇魚はなんで、岸部先輩に冷たくされても平気で……。
いや、やっぱいい。勇魚が図太いからやろな』
「もー! 夕ちゃんひどいでー!
晴先輩は冷たいとこも確かにあるけど、根はいいとこも一杯あるんや!」
『まあ、あの先輩なりの筋は通った人やな』
夕理が晴を誉めてくれて、思わず顔がにやけてしまう。
だが、続く問いが本題らしかった。
『勇魚は、岸部先輩を幸せにしたいとか考えたりする?』
「え……」
なかなか難しい質問に、つい聞き返してしまう。
「夕ちゃんは、つーちゃんを幸せにしたいん?」
『当たり前やろ。姫水さんにもそう頼まれた。
けど帰ってから色々考えたんやけど、私がやろうとしていることは、ほんまにつかさの幸せになるのか……』
「うーん……晴先輩は、うちがいなくても十分幸せやと思う」
夕理は息をのむ音が聞こえるが、勇魚には分かり切っていた事実だった。
『私は自分の性格を気に入っているし、この性格のまま満足いくよう生きてみせる』
そう言い切ったあの人は、一人でいることで完成されていて、他人を必要としていない。
だから幸せにしようなんて、おこがましいことは全く考えてない。
「けど今日のチョコ、たぶん先輩も、悪い気はしてへんと思う!
うちが幸せになって、晴先輩も少しだけ、普段とは違う嬉しさを感じてくれたら。
それでええやろ! ね!」
『私が同意することとちゃうけど……うん、それでええんとちゃう』
ほっとしたように、夕理の声は柔らかくなった。
『私も、あまりおこがましいことは考えへんようにする。
つかさの人生はつかさのものや。
そこへ少しだけでも、私が彩りを添えられるようになりたい』
「うん! 頑張れ夕ちゃん!」
電話を切って、色々な想いがあるのだと天井を見上げる。
夕理の好きが、勇魚の好きとは違うことを実感しながら。
(うちの、晴先輩への気持ちは……)
あくまでも先輩として好きなだけ。恋心は、友達のためにずっと前に捨てた。
その友達は、今や病気は治り……
つかさという大事な人ができて、夕理とも自力で仲良くなって。
もう勇魚なんて、それほど必要ないのかもしれないけれど。
(でも、うちの気持ちは変わらへん)
(姫ちゃんには必要なくなっても、うちにはいつまでも、友達が一番大切や)
そう考えていると、一度居間に行っていた汐里が戻ってくる。
「おねーちゃん、ごはんできてるでー」
「あ、そうやった、お腹すいた! ねー汐里、朝にあげたチョコおいしかった?」
「……もったいないからたべてへん」
「ええー? 食べない方がもったないでー」
話しながら着替えていると、スマホの通知が鳴った。
届いたのは胡蝶からのお礼メール。
今日は本当に、最高のバレンタインだった!
* * *
一方の彩谷姉妹はというと……。
「うわあ、私の妹って人気者やなあ!」
つかさの部屋に広げられたチョコの数々に、姉は大いに感動していた。
この半分となると、三千円の代価としては過ぎた量だ。
「で、お姉ちゃんはどれ持ってってええの?」
「それなんやけど、やっぱり贈ってくれた人の気持ちもあるやろ。
一個ずつ半分に割るから、ちょっと待ってて」
「おお、つかさもファン想いになったんやねえ。……あれ、それは」
隠そうとしても隠しきれない、大きなハート型のチョコ。
ひゅーひゅー、と気楽に茶化そうとする姉に、つかさは苦い顔で贈り主を言う。
「夕理からやねん」
「え……」
「……あたし、どうしたらええんやろ」
恋愛では失敗ばかりの姉に相談するほど、つかさは悩んでいた。
そして姉は小都子とは逆に、つかさのことを最優先に考えてくれる。
「夕理ちゃんには悪いけど……見込みがないんやったら、きっぱり断るのも優しさやと思うで」
「い、一応ごめんなさいはしたんや! なのにもう少し頑張らせてって……」
「迷惑やからやめてって言うたら、あの子なら即座に諦めるやろ」
「いや迷惑というわけでは……先輩からも頼まれてるし……」
ごにょごにょと口ごもる。
そうやって周りにいい顔をすることで、逆に傷つけてしまうのだろうか。
でも、と丁寧にラッピングされたそれを手に取る。
夕理が一生懸命作ってくれたこのチョコを、迷惑などとは絶対に言いたくなかった。
そんな妹に、姉の表情はふっと和らいだ。
「全く見込みがないってわけでもなさそうやね」
「どうなんやろ……もう自分で自分が分からへん」
「まあまあ。とりあえず開けてみたら?」
「うん……」
少しおっかなびっくり、包装紙を解いて箱を開ける。
出てきたのは白いハートの中央に、『My Love』の綺麗な文字。
重い! と頭を抱えるつかさに、姉も苦笑するしかない。
「それは半分もらうわけにはいかへんね。そっちのとか、センスのいいチョコやな」
「あ、これは……」
そそくさと隠したのは、デコレートされたT字型チョコ。
他の部員宛のものと変わりはなかったけれど、それでも渡したくない……。
姫水からのものとすぐに気付いたのか、姉の苦笑いは拡大した。
一層落ち込むつかさである。
「あたしって優柔不断なダメ女なんやろか」
「若いのにそこまで自省的になることもないやろ。
ま、つかさが姫水ちゃんのために頑張ったように、夕理ちゃんも頑張ろうとしてるんや。
とりあえずはお手並み拝見、くらいに構えておいたら?」
「うん……それもそうやな」
あくまで夕理が仕掛けた勝負なのだ。気を使いすぎるのも夕理を軽んじている。
本命チョコはひとまず脇に置いて、ファンからのチョコを半分にし始めた。
(今日のお姉ちゃん、ずいぶん頼りになるなあ)
姉もバレンタインには色々あったのかもしれないが、話す気はなさそうだった。
太らない程度に二人でチョコを味わいながら、波乱の2/14は終わっていく。
* * *
弁天町駅の朝のホーム。弁天中出身の住女生が、一人また一人と集まってくる。
「結局、藤上さんには勝てたん?」
「一瞬だけ勝った!」
「最終的には負けたんやな」
「そこは触れないのが武士の情けやろ」
そんな晶とつかさの会話を、奈々が笑って聞いている。
そして自販機の陰から、夕理が覗きながら機を伺っていた。
四人目が来たところで、思い切って飛び出し挨拶する。
「お、おはよう!」
四人の女子はそれぞれ驚いたが、まず大声を上げたのは奈々だった。
「天名さん!? 何で朝からこんなとこいるん?」
「いや、天名さんって弁天中やろ」
「ええー!?」
晶はいつの間にか知っていたようだ。初耳情報を冷静に言われて、奈々は当然の疑問をぶつけてくる。
「なら朝は一緒に行ったら良かったのにー。なんで今まで黙ってたん?」
「わ、私がいたら邪魔かなって……。
けど今日からは、私も一緒に登校していい?」
「ええでええで、水くさいなあ」
「私も構へんけど、どういう心境の変化?」
晶に聞かれ、夕理の目はつかさへと動く。先ほどからぽかんとしている想い人へ。
「……私は、つかさが本気で好きやねん。一秒でも長く、そばにいたいんや」
「おおー! そういう話めっちゃ好き!」
奈々はミーハー精神で大喜びし、晶も微笑ましそうにうなずいた。
つかさだけが目当てと言ってるようで、気を悪くされないか心配だったが、杞憂で良かった。
この二人とは、Saras&Vatiで共に活動したというのもあるだろう。
問題はもう一人……。
「ど、どうも……」
「あ……うん」
楓という名の彼女は、夕理の記憶には全くないけれど。
名簿を調べる限り、中二のときに同級生だったらしい。今は花歩、勇魚と同じクラスだ。
『あー! おったわ。めっちゃ性格キツい子やろ?』
などと四月に花歩へ言ったことは知る由もない夕理だが、良く思われていないことは想像がつく。
それでもつかさのためなら、自分から関わることも今は厭わなかった。
「その……なるべく大人しくしてるから、許可してもらえへん?」
「い、いやいや。私の方も三人に混ぜてもらってる立場やから。許可も何も」
「ちょっと楓ー。もう一年間も一緒なんやから、寂しいこと言うのやめとこー?」
「そ、そう? まあ天名さんにも、一年後くらいには慣れてると思うで……うん」
奈々のおかげで和やかな空気になったところで、電車が到着した。
乗り込む五人の中で、最後に夕理は許可を求める。
つかさに対し、今さら言葉ではなく、視線だけで。
(これが、私の一歩目や)
二人きりの世界に戻るのではなく。
もっと世界を広げることで、つかさに近づいていく。
好きになってもらえるかはともかく、安心だけはして欲しかった。
つかさは肩をすくめながら、どこか楽しそうに了承の意を示した。
『住之江公園ー、住之江公園ー』
ニュートラムを降りて、夕理は内心でほっと息をつく。
奈々が積極的に話しかけてくれて、まず初日は何とかなかった。けど……。
花歩のクラスでお昼に起きたことが再現したとき。つまりは許し難いことを言われたとき。
どうするのが正解なのか、夕理はまだ答えを持てない。
空気を壊さないよう日和るのは、それはそれでつかさに失望されそうだ。
当面は、そんな事態が起きないことを祈るしかない。
(ほんま、人間関係って難しいなあ……)
でも、と改札を出るつかさと目が合う。
四年前のあの日から、今まで通り過ぎてきた軌跡。
こんなにも好きでいられる人と、出会えたことへの感謝があふれ出す。
「ねえ、つかさ」
「ん?」
「大好きや。世界で一番」
「ん……ありがとね」
小声で話して、前を歩く三人を追いかける。
自分たちの関係は、いったんの決着を見た。
そして新たな一歩とともに、最後の大会へと向かうのだ。
あと八日の後、憧れのアキバドームへと!
<第33話・終>