清川SS: All or No




 その日は外も雲に覆われ、ガラスもまた白く曇っていた。清川望はごしごしと手でこすったが、そこに映る自分は今日も変わらない。
「男に見える…」
 ごつん、とガラス窓に頭をぶつける。
 彼と出会ってから1年半、自分の気持ちが日に日に大きくなるとともに、それがいつも空回りしているのを感じていた。彼にとっては自分はただの話しやすい友だちなのだろう、たぶん…。
「はぁ〜〜〜〜ぁ…」
「ちょっと、どけてくださるかしら」
 不機嫌そうな声に顔を上げると、女生徒が一人いらいらと腕組みを指で叩いているところだった。最悪の気分のところへ最悪の相手が現れた望は、むっとして思わず声を荒げる。
「廊下の真ん中がいくらでも空いてるだろ」
「その不景気な顔をどけてくれと言ってるのよ」
「なっ…!」
 鏡魅羅。男子生徒に人気の彼女は、望から見ても美人だと思う。ただし個人的に一番嫌いな人物でもある。
「あーそうかい悪かったね!どうせあんたみたいな美人にはわかりませんよ!」
 そう怒鳴ってずかずかと歩き去る望を、魅羅は無言で見送っていた。

 彼が自分を嫌ってはいないことは知っている。いやむしろ好感は持っていてくれてると思う。
 しかしいくらいい奴でも自分が女の子を好きになるはずがないのと同様に、彼が自分を男友達と同じに見てるなら、最初から望の想いは通じることはないだろう。
「はぁ…」
「どしたの、望ぃー」
「あ、いや、なんでもないよ」
 自分らしくないと思う。でもどうしたらいいのかわからない。
 水泳は簡単だった。頑張れば頑張るほどタイムが伸びた。でも彼のことは、そもそも何をすれば良いのだろう?
「そういえばH組の鏡ー、また男に荷物持たせてんのよー」
「ほんっとムカツクよね」
「そうだよなっ!」
 突然の大声に仰天する友人に、望はあわてて咳払いする。
「男子も男子だよね。ちょっと綺麗だからってでれでれしちゃってさ」
「まったくその通り!」
「性格最悪なのにねー」
「そうそう!」
 力強くそう言い切って、ふっと望の顔が翳る。
「…でもやっぱり美人の方がいいな…」
 しんとする空気の中で、望は手の届かない遠くを見たままだった。

「あっ、コウ!」
「あ、清川さん」
 最近彼と一緒に帰ってない。以前はよく並んで歩きながら馬鹿話をしていたけれど、今はもうそんな事はできない。
「えっと…その…」
「うん、何?」
「ちょっと失礼するわね」
 俯いて口ごもっている望の隣を、親衛隊を引き連れた魅羅が通り過ぎた。公の視線がそちらを向いて、望の心臓がずきん、と痛む。
「いやー、相変わらずあの親衛隊はすごいね」
 公が苦笑する。さすがに望の前で魅羅の美しさを口にはしなかった。でも望にはその口にしないことがなんとなく伝わってしまった。ただの被害妄想だったかもしれないけど。
「で、どうしたの?」
「…やっぱり…な、なんでもないの!そ、それじゃ!」
 公の返事を待たぬまま、望は走り去った。

 駅では親衛隊と別れた魅羅が定期券を出しているところだった。息を切らせている望をちらりと見たが、特に何も言わずホームに入る。望は馬鹿にされたようで、魅羅の後を追いかけた。
「美人は得だよな」
 追い越し様ぼそっと口にする。言った瞬間に後悔した。
「‥‥‥‥‥」
 魅羅は何も言わなかったが、その視線は怒りを含んでいた。びくっと立ち止まる。魅羅はそのまま電車に乗り込み、取り残された望はしばらく立ちつくしていた。
 電車が去る。惨めな気分だった。


 最近元気がないのを心配したのか、公が買い物に誘ってくれた。浮かれた気分と不安な気分が混在したまま、いつものようなラフな格好で出かけようとして、ふと鏡に映る自分の姿を見る。
「…これじゃ駄目に決まってるじゃないか」
 美人は美人でまた苦労があるという。自分の情けないやっかみに、魅羅が怒るのも当然だろう。望はぱしっと頬を叩くと、タンスの奥からスカートを取り出した。自分だって。
「ご、ごめん。待った?」
 歩いてくる望の姿に、公は意外そうな顔をする。予想はしていたけど説明のしようがなくて、望はどうともできず下を向いてしまった。
「そ、それじゃ行こっか」
「う、うん」
 ぎこちない感触を拭えぬまま、二人は並んで歩いていく。
「これなんかどうかな」
「い、いいと思うぜ…わよ」
 公の表情が少し変わる。後悔と期待と、望はちらちらと彼の顔を見た。
 別れ際、耐えきれなくなって口にする。
「ね、ねぇ…あたしって、こういうの似合わないかな?」
「いや、そんなことないと思うよ」
「正直に言って!」
 しばらく沈黙が流れる。望の必死の表情に、公は遠慮がちに口にする。
「似合わなくはないけど…俺は前の清川さんの方が好きだな」

 望は服をタンスの奥にしまった。寂しそうに。
 似合うって言ってほしかった。嘘でもいいから。勝手だけど。


 昼休みに望が泳ぎに行こうとすると、魅羅が屋上へ上がるのが見えた。後を追って階段を上がる。
「鏡さん!」
 振り向いた彼女がなにか疲れたように見えたのは錯覚だろうか。見返すと、そこにいたのはいつもの鏡魅羅だった。
「なんの御用かしら?」
「あ、あの、えとさ」
 ぎゅっと拳を握りしめる。本当は嫌だった。でも後がなかった。
「ど…どうしたら好きな人に振り向いてもらえるかな!?」
 悲鳴にも似てる。思わず眉をひそめる。望がどんな気持ちで言ったか知ってる。だから余計に思い出したくなかった。
「何を言い出すかと思えば…」
「頼むよ!」
 藁にすがる様に望は言った。
「何でもする!あいつに好きになってもらえるなら何でもするから!だから…」
「甘えないで!」
 魅羅の手が望の制服の胸ぐらをつかむ。自分より身長の高い相手に望の顔が青ざめた。
「そんなものあるなら私が教えてほしいわ!何もないのよ、何も」
 正しいのかどうかも。前に進んでいるのかどうかもわからずに。
「後悔しないようにとか自分らしくとか、いくら口で言っても好きになったらそれで終わり。あるのは通じるか通じないかだけ!ただそれだけ…」
 魅羅の手が弱まる。予想してなかった。聞きたくもなかった。いっそ諦めろと言われた方が良かったのに。
「他にはなにもないの…」
 男子たちに囲まれて、いつも幸せな筈の彼女が力なく下を向いた。もう、どうしたらいいか分からない。
「何だよ…何だよ!!」
 他になにもできずそう叫ぶと、望はその場から走り去った。



『伝説の樹の下で、待っています』

 最後の日。せめて自分の気持ちだけでも知ってもらおう。それでも届かないなら仕方ない。
「あなたのためなら水泳も捨てるわ!髪だって…いくらでも、伸ばすから…」
 用意してきた言葉はどこかへ飛んでいき、自分でも何を言っているのかわからない。おびえたような目で彼を見る。そこに見えるのは…苦しさ。現実感が消えていく。
「…ごめん…」

『好きだけど、そういう風には見られないから』


 とぼとぼと歩いてくる彼を見つけた。隣には誰もいなかった。
「主人君」
「鏡さん…」
 ぱしっ、と公の左頬が鳴る。押さえたまま、少し呆然としていた。
「貴方が悪いわけじゃないわ。完璧だったわけじゃないけど、それは彼女も同じ。だから…これは彼女の分の痛みよ」
 そうしないとお互いに背負い込んだままだから。そのために。
「…ごめん!」
 走り去る公を見送りながら。
 あるいは自分を振った男たちの何人かも彼と同じだったのだろうかと、ふとそんなことを考えた。


 彼女は花壇の前で花を見つめていた。世話は後輩の女の子に頼んでいて、もうここは望の花壇ではない。
「清川さん」
 かけられた声にびくっと反応する。魅羅も迷ってる。一人にしておいた方がいいのだろうか。
「‥‥‥‥‥‥」
 ゆっくりと立ち上がって…元気よく振り返る。
「あ、あははは、やーっぱ駄目だったよ!でもやるだけはやったし、振られてせいせいしちゃったかな」
 笑顔。誰が見ても痛々しい。魅羅はそっとその肩に手を置いた。
「…無理しない方がいいわ」
 笑顔が消える。歯を食いしばって、自分と戦って。
 勝ちでもなく、負けでもなく。ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
「清川さん…」
「やだ…やだぁ…」
 そのまま地面に崩れ落ちる。抗議するように大地を叩く。でも何も答えてはくれない。
「なんでだよ!あたしじゃ駄目だったの!?あたしじゃ…」
 何もかも失くしてもよかった。彼がずっと笑いかけてくれるなら。
 世界で一番、どうしてもどうしても欲しかったもの。なのにそれだけは、結局手は届かないまま。
「コウ…コウ…」
 小さく名前を呼びながら、望はずっと泣き続ける。魅羅は隣に小さくかがむと、そっと彼女に手を重ねた。
「間違ってもいないし、無駄でもなかったわ。でも」
 ぽたぽたと涙が落ちて、地面の色を変えていく。
「たとえもう駄目だ、死んじゃうと思っても。
 きっといつか思い出にできる日が来る。時間はなにもかも癒してくれるわ。だから…今は泣きなさい」

 いくら悪い所数え上げても。良い所思い出しても。
 好きになったら終わり。好きになれなかったら終わり。

 人の一生から見れば、失恋なんてただ一瞬のことなのだろう、きっと…。


「ありがと、落ち着いた」
 そう言ったけど、魅羅の顔を見ることはできなかった。後悔するななんてできない。引きずるななんてできるわけない。
 それでもいつか、笑って話せる日が来ますように。
「それじゃ、私はもう行くわね」
「あ…」
 魅羅の姿が遠ざかる。望はようやく顔を上げて、その背中に声をかけた。
「鏡さん!」
 魅羅は立ち止まる。少しためらって振り返る。
「さよなら」
 その寂しそうな微笑みは、初めて見る彼女の微笑は、望の心に焼き付いて、そのまま動くことを許さなかった。紫の髪が見えなくなるまで。
 自分もまた振り返る。見慣れた校舎。伝説の樹。こんな終わりなんて望んでなかったけど。
「さよなら…」
 その声は風に消え、望はもう歩くことのない道をゆっくりと歩いていった。


 迷って、苦しんで。笑って、そして後悔して。
 でもいつかみんな思い出に変わる。この時間はもう戻ってこないけど。

 だからどうか、きっと笑って話せますように。



<END>


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