5世紀の長きに渡り人類社会の半分を支配してきたゴールデンバウム王朝銀河帝
国は、常勝の天才ユイナハルト・フォン・ヒモーングラムの手によりついに滅び去
った。帝国の実権を掌握したユイナハルトはフェザーンを制圧、堕落した自由惑星
同盟をも滅ぼし、ヒモーングラム朝銀河帝国初代皇帝として全宇宙をその足下に跪
かせるに至ったのである。
一時は下野した同盟軍不敗の名将フジ・シォンリーだったが、事の成りゆきから
再び決起。帝国からイゼルローン要塞を再奪取し、民主主義の牙城を守るため孤軍
ユイナハルトに敵対する。宇宙歴800年、新帝国歴002年、ユイナハルトは大
艦隊を率いてイゼルローン回廊へと進軍。常勝と不敗の、最後の戦いが始まろうと
していた。
銀河紐緒伝説(1) 疾風怒涛編
スクリーンに映る星空を、ユイナハルトは昔と同じように見上げていた。
「いずれは、この星々も私のもの…」
銀河に向かって彼女がそう呟いてから、いったいどれだけの時が流れただろうか。
かつて彼女を「青髪のマッドサイエンティスト」と呼んでいた門閥貴族たちは、す
でに歴史の表舞台から完膚なきまでに一掃されていた。彼らの手にあった権力は、
それにふさわしい人物が自らの手で奪い取ったのである。ユイナハルト・フォン・
ヒモーングラム。今や「青髪の天才」と呼ばれる若き皇帝は、天空に輝くほとんど
の星々をその手中に収めていた。
ほとんどの…ただ一点、フジ・シォンリー一派の立てこもるイゼルローンを除い
ては。この広い宇宙で、そこだけが未だユイナハルトの支配の手を拒んでいるので
ある。アスターテにおいて、アムリッツアにおいて、ユイナハルトの完勝のキャン
バスがついに完成を見なかったのはひとえにシォンリーの用兵によるものであり、
それどころかバーミリオン会戦においてはユイナハルトこそが敗北の淵を覗きかけ
たのであった。
「私に対する、侮辱よ」
その侮辱を晴らすにはただ一つ−−−今度こそ、シォンリーに対して勝利を納め
なければならなかった。たとえ相手が流浪の一私兵団だったとしても。
ユイナハルト改造の旗艦、真・ブリュンヒルトの艦上で、銀と黒の帝国軍の軍服
に包まれた若き軍神は麾下の勇将たちを一瞥した。回廊の旧同盟側から進軍するユ
イナハルトに付き従うのは3個艦隊。いずれも帝国において最強と目される強者達
である。
「ニジノンフェルト!」
「うんっ!」
呼ばれたのは根性の猛将、サキッツ・ヨーゼフ・ニジノンフェルト上級大将だっ
た。彼女率いる「虹色槍騎兵」の破壊力は全宇宙一と評され、彼女に壊された者の
数は他に類を見ないと言われている。
「卿は前線に布陣し、うるさいハエどもを蹴散らしてやりなさい」
「一緒に頑張りましょう!」
「キヨカーマイヤー!カガミンタール!」
「私の出番だね!」
「あら、私一人で十分よ」
続いて呼ばれたのは「帝国の双璧」と呼ばれる二人の提督だった。毎日50光年
のロードワークを欠かさない、「疾風ノゾミフ」ことノゾミフガング・キヨカーマ
イヤー元帥と、男性不信の男たらし、美しき提督ミラカー・フォン・カガミンター
ル元帥である。
「卿らはそれぞれ右翼と左翼を担当し、一気に敵を殲滅するのよ」
「任せとけよ!」
「おーほほほ、おやすい御用ですわ」
そして中央にはユイナハルトの本隊が位置する。まさしく必勝ともいうべきこの
布陣に、さらに回廊の帝国側からは2個艦隊が進軍してきているのである。誰が見
てもシォンリー軍の命運は風前の灯火と思われた。
「少々よろしいでしょうか?」
そんな昂揚の中、皇帝に冷水を浴びせかける一人の人物がいた。抑揚のない静か
な声に皇帝は内心舌打ちをすると、冷ややかな視線を発言者に投げかける。ユイナ
ハルトはこの血色の悪い軍務尚書を本当は嫌っていたのだが、それはなによりも彼
女の主張するものが正論であるからだった。
「何よ」
「何度も申し上げましたが、こんな無意味な戦いで流血を増すのは良くないと思い
ます。無理に武力に頼らなくとも回廊の両側を完全に封鎖して孤立させてしまえ
ば、どのような処置も可能ではないですか?」
「これは私に対する挑戦なのよ。宇宙を手に入れるには手袋越しでなく素手である
べきね」
それを皇帝の覇気の現れと見るか、単なる稚気と見るかは人それぞれだが、軍務
尚書ミオル・フォン・キサラギシュタインにとっては後者以外の何者でもなかった。
「…それは単に自分のために戦うということでしょうか」
「それ以外に聞こえたら、それは私の言い方が悪いんでしょうね」
一瞬、光コンピュータを組み込んだキサラギシュタインの眼鏡が異様な光を放つ。
が、口に出しては何も言わず、軍務尚書は一礼して退出した。
「ふん…」
ドン
「いたっ」
「あっ、ごめんなさい。通信です…」
「普通に持ってこられないの!?」
「本当にごめんなさいっ!」
近侍のミハール・タッテが持ってきた通信は、イゼルローン要塞から発せられた
ものであった。皇帝は鼻で笑うと、読み上げるようミハールに命じる。
「読んでいいのかなぁ…」
「つべこべ言わずに、さっさと読みなさいよ」
「うーんっ」
しばらく逡巡した後ミハールが読み上げたのは、次のような文章だった。
『例年フジ・シォンリーに負け続けにもかかわらず、なぜか皇帝を続けている奇跡
の人ユイナハルト氏へ。こりずにまた挑戦しようだなんて超頭悪いって感じ!ど
うしても負けたいって言うなら俺に任せとけよ、力になるぜ…』
「もういい!!」
「さよならっ!」
専制君主の怒りの波動を浴びて、ミハールは転がるように退出した。
「おのれ同盟軍、この私をコケにしたわね!」
「もう同盟軍ではないのですけれど」
「覚えてなさい!ああ、今度の新兵器実験が楽しみねぇ…」
軍務尚書の冷静な指摘を無視した皇帝は、そのまま号令を発する。
「全艦出撃!」
「何を言ってるんですか?せめて帝国側から来る2艦隊を待ってから行動すべきで
す。そもそも…」
「出撃ったら出撃!私の命令よ。ああ、燃えてきたわ!」
帝国において皇帝の命令は絶対である。キサラギシュタインは表情を変えずに引
き下がると、小さく呟いた。
「だから気が進まなかったんです…」
その声を聞いた者はおそらくいなかったであろう。無数の戦意を乗せ、帝国軍は
一路回廊を進軍していった。
虚空に浮かぶ銀色の球体。
ここ、イゼルローン要塞には一つの伝説がある。
司令官執務室で、開戦前に、女の子の告白で生まれたカップルは、永遠に幸せな
関係になれるという伝説である。
一人シォンリーに呼ばれたコウデリカ・シュジーンヒルは、わずかにベレー帽を
直すと執務室の扉を開けた。
「…シュジーンヒル大尉。ごめんなさい、こんな所に呼び出したりして」
「いや、いいけど。何?」
完璧なヒロインと呼ばれる彼女も人生の全ての場面において名優であったわけで
はない。「少佐」と訂正し、「コウデリカくん」と呼び、その度に副官に返事をさ
せたあげく、ようやくの思いで呼びかけた。
「コウくん」
呼ばれた相手は目を見開いて返事をし、優しく微笑んだ。
「長い時間をやっと取り戻せた気がするよ」
「‥‥‥」
「昔はよくその名前で呼んでくれたのにね」
「そ、そうだっけ?忘れちゃった…」
頬を染めてうつむくシォンリーにとって、足踏み状態から抜け出すのは容易では
なかった。言うべき言葉は長い時間をかけて用意されていたのだが、優秀な記憶力
はこのとき所有者を裏切った。
「あ、あのね…」
「な、何?」
「…えっと…」
「あーーっ!ふたりともこんなところで何やってるんですかぁ?」
突然の声に二人はばっと飛び離れる。息を切らして入ってきたのは、シォンリー
の被保護者であるユミアン・サオツだった。
「もうすぐ戦いが始まるのに、ユミアンは不謹慎だと思いまぁす!」
「ち、違うのよユミアン、これはその…」
「だいたいいいんですか?あそこでサオラン中佐たちが聞き耳たててるんですから
ね!」
ドアの向こうでビクゥ!という気配が立ち起こる。コウデリカが無言でドアを開
くと、向こう側からイゼルローンの歩く悪徳三人衆が頭をかきながら司令室に入っ
てきた。
「ユミアン、お前なあ…。せっかくいいところだったんだぜ」
「ブー、コウデリカさんはユミアンのだもん」
「サオラン中佐…」
「に、にらむなよコウデリカ!いや、別に立ち聞きする気はなかったんだけどよ、
たまたま立ち寄ったというか…」
必死に苦しい弁明をしているのはイゼルローン一のナンパ師、ヨシビエ・サオラ
ンである。撃墜王(エース)の称号を持つ彼だが、ナンパに成功した試しは一度もない。
「ほらほらシォンリーちゃんも、そんな顔してると超怖いぃみたいな」
「(いつもいつもいつも…!)」
『伊達と酔狂』の最大の体現者であるユウティ・アサヒナンボロー提督は、戦い
を前にして妙に元気だった。もともとお祭り好きなイゼルローンの面々においても、
特に彼女のそれは際だっていたものだ。
「まあ所詮コウデリカ君のような庶民は運から見放されてるということかねえ。
はーーっはっはっはっ…」
「(…もう、やる気なくなっちゃうよ)」
一人で高笑いしてるのはイゼルローン一の伊達男(?)と呼ばれる元『薔薇騎士団』
連隊長で現在要塞防御司令官の、レイカー・フォン・イジューインコップであった。
言うまでもなくこの三人こそが、先程の無礼千万な通信文を合作した張本人である。
「そういや帝国軍が動き出したぜ。やっこさん、かなり怒ってるみたいだしな」
「うん…。やっぱり、ちょっと失礼だったかな」
「あーに言ってんだかあ」
要塞の両側から同時に攻撃されては、彼女たちにとうてい勝ち目はない。もとも
とシォンリーの用兵には心理的要素が濃いものが多かった。とはいえ、今回の作戦
がそれに類するものかどうかは後世の軍事評論家にとっても意見の分かれるところ
だったろう。
戦いの緊張が走る中、それを解きほぐすようにシォンリーの演説が要塞内に流れる。
「もうすぐ戦いが始まります。ろくでもない戦いだけど、それだけに勝たなくては
意味がないと思うの。勝つための計算はしてあるから、無理をせず、気楽にやっ
てね。かかっているのはたかだか政治思想だもの。永遠の幸せにくらべたら、た
いした価値のあるものじゃないよね…。それじゃみんな、そろそろ始めましょう」
それだけ言うと、民主主義の最後の護り手となった魔術師はかたわらの幼馴染み
をそっと見上げた。もともと彼女は軍人になどなりたくなかったのだ。彼女がなり
たかったのは…。
「それじゃ、今日もサクッといこう!」
陽気なかけ声と共にアサヒナンボロー艦隊が出撃する。すでに偵察部隊からは、
帝国軍の回廊侵入を知らせる報告が届いていた。
宇宙歴800年、新帝国歴002年の5月1日、俗に言う「回廊の戦い」は、こ
うして幕を開けたのである。
<To be Continued>
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