・この作品は「THE IDOLM@STER」の世界及びキャラクターを借りて創作されています。
『ワシの百合m@sは108式まであるぞ』参加作品です。
お題 40)私はアイドル







イデアの二重鏡






(こんな子がアイドル志望って、気は確かなのかしら)

 水瀬伊織にとって、萩原雪歩の第一印象はそれに尽きると言っていい。
 内気で臆病、あがり症で見た目も地味、挙句に男が苦手って、これで何をどうアイドルするつもりだろう。
「あ、あのね、友達が勝手に応募したら受かっちゃって…」
「あーそう、断れなくて来ちゃったってわけね。私が代わりに断ってあげましょうか?」
「で、でもせっかくの機会だから、弱い自分を変えたいなって…」
「アンタねぇ…芸能界は自己啓発セミナーじゃないのよ。そんな甘い奴の居る場所なんてないの。ハッキリ言って邪魔! 足手まとい!」
「うう、ひどい〜」
 水瀬伊織には野望がある。
 アイドルの頂点に立ち、父や兄に自分の存在を認めさせる。トップアイドルの知名度なら、大会社の社長だって越えられる。
 その第一歩で、こんな弱弱しい奴に足を引っ張られるわけにはいかないのだ。
「プロデューサー、何で私がこんなのとコンビなわけ?」
「仕方ないだろ、俺しかプロデューサーがいないんだから…」
「とっとと新しい人を探してきなさいよ。まったく冗談じゃないわ」
「ご、ごめんね伊織ちゃん。私頑張るから」
「フンッ」
「こら、なんだ年上にその態度は」
「うるさいわね、芸能界に年齢なんて関係ないでしょ。年上に見られたかったら、それ相応の態度を取りなさいよ」
「そ、そうだよね、二つ下の伊織ちゃんの方がしっかりしてるなんて…。こんな私なんて、穴掘って埋まってますぅ〜」
 反論もせずに穴に隠れる彼女には、もはや溜息も出なかった。
 まあ、厳しく当たっていればいずれは逃げ出すだろう。
 それを期待することにして、雪歩とのアイドル活動は開始された。

『何、その引きつった笑顔。私みたいに自然に笑えないの?』
『もっと大きい声出しなさいよ。そんなんじゃ誰にも聞こえないわよ!』
 伊織に叱責されるたび、ごめんね、ごめんね、と雪歩は謝る。
 予想に違わず、雪歩の活動は困難を極めた。一歩進んでは一歩下がり、失敗してはいじいじと自虐に走る。
『ううう…私なんて、私なんて…』
『穴に隠れてたって問題は解決しないでしょーが! ああもうっ!』
 しかし予想に反して、なかなか辞めようとしないのだ。
 そろそろ来なくなるかな、と思っても、事務所へ行くと雪歩がいる。
 おはよう、伊織ちゃん、と、自信のなさそうな笑顔で挨拶してくる。
(ま、この手の子って、辞める勇気すら持てずにダラダラ続けるのよね。本当に迷惑)
 そんな伊織の内心も知らず、雪歩が向けてくるのは尊敬の目だった。
「伊織ちゃんはすごいね。いつも堂々としてて、自分の言いたいことをハッキリ言えて…」
「アイドルを志望するなら当たり前のことでしょ。できない方がおかしいのよ」
 斬って捨てる伊織だが、雪歩は別に世辞ではなく、本気で言っているようなのだ。
「私も、伊織ちゃんみたいになれたらなぁ…」
 暢気にそんなことを言う雪歩に、伊織としては頭を抱えたくなる。
「アンタね、アイドルでしょ? 他人から憧れられる立場でしょ? 自分が人に憧れてどうすんの!」
「そ、そうだよね。そういえば私、アイドルだったよね」
「…もういい、アンタアイドル失格。今すぐ一ファンになって私の応援でもしてなさい」
「そ、そんな〜。見捨てないで〜」

 そして時間が経つうちに、意外と雪歩も様になっていった。
 普段は相変わらずびくびくしているくせに、いざステージに立つと自棄になるのか、それなりに堂々としているのだ。
 自分が自分でないみたい、とは本人談だが、徐々にその別人ぶりが増していく。
(ま…まあ、これくらいはやってもらわないとね)
 特にダンスは、最初は苦手と言っていたくせに、いつの間にやら同程度にまで上達していた。そうなると身長の分だけ、彼女の方が映える気がする。
 これはまずい。散々バカにしておいて、その相手に抜かれたのでは話にならない。
(別に、ダンス以外は勝ってるけどっ。でも私が雪歩に一つでも負けるなんて、万が一にもあったら困るじゃない、うん)
 言い訳しながら早朝にレッスン場に行くと、何とそこにも雪歩が来ていた。
「え…。アンタ、なんでこんな朝早くから来てんの…」
「あ、伊織ちゃん。おはよう」
「い、いや、まあ熱心なのは結構なことよ? アンタはそれくらいやって一人前なんだからね!」
「うん…私はダメダメだから、人の十倍も百倍も頑張らなきゃ」
「ふ、ふーん。多少は根性ってもんが出てきたみたいじゃない」
 余裕を装いつつ、伊織も自主レッスンを開始する。
『伊織ちゃんはすごいね』
 いつもそんな悠長なことを言って、こちらを崇拝していたはずだったのに!
 もしかして私を油断させるつもりだったんじゃ、などと妙な疑心暗鬼まで湧いてきてしまう。
 気が焦り、普段以上のステップを踏もうとして――
「きゃあっ!」
「い、伊織ちゃん!? 大丈夫!?」
 転ぶと同時に我に返る。なんたる無様。雪歩の前でこんな姿を晒すなんて。
「ど…どうもしないわよっ!」
 雪歩の涙目を振り払うように立ち上がり、軽い痛みに少し冷静になる。
「…ちょっと足、捻ったかも」
「ええええ!? ど、どうしよう! 救急車! 救急車を呼ぶね!!」
「落ち着きなさいよ…。アンタがパニくっても仕方ないでしょ」
 慌てぶりに少し安堵する。ああ、いつもの雪歩じゃないか。まるで年上らしくない。
「大したことことないわ。いちいち騒がないの」
「でででもこのままじゃ…そうだ、救急箱取ってくるね!」
 矢のように駆けていく彼女の、その背中に向け一つ嘆息。
(…なんであいつ、こんなに必死なのよ)
 呆れた顔をしたつもりだったけど…
 胸の奥が少し暖かくなっていたことに、自分でも気付いていた。

 いいと言っているのに椅子に座らされ、靴と靴下を脱がされる。足首に当たるスプレーが少し気持ちいい。
 目の前には屈んでいる雪歩の頭。
 思わず撫でそうになる手を止めて、浮かんだ疑問を口にする。
「ねえ…。なんで、私にそんな親切にできるの?」
「え?」
「私なんて、いっつも雪歩に意地悪言ってばかりじゃない。とっくに嫌われてると思ってたわ。なのに自分のことみたいに心配して…」
 雪歩が顔を上げる。
 目を合わせられなくて、つい視線を逸らした。
「ほ、本当にアンタはお人よしよね。ばっかじゃないの」
「…意地悪だなんて、思うわけないよ」
 雪歩の目線が床に落ちる。
「伊織ちゃんの言うことはいちいちもっともだもの。私はどうしようもない弱虫で、アイドルなんて夢見すぎで…」
 そしてまた、雪歩の顔が伊織を向いて…
 優しく笑いながら、彼女は澄んだ声で言った。
「――でも、そんな私がここまで来られたのは、伊織ちゃんが叱ってくれたお陰だよ」
 かあっ
 顔面が熱くなる。どうして、そんな笑顔を見せるんだろう。
「大丈夫? 歩ける?」
「た、大したことないって言ってるじゃない」
「痛かったらおんぶしてくよ?」
「いらないわよっ。お姉さんぶらないでよね、雪歩なんか私の妹がお似合いよっ」
「ええ〜…でも、それもいいかなぁ」
「良くないでしょっ! ほんとにアンタはーっ!」


*        *        *


 アイドル活動は軌道に乗っていく。雪歩といるのは楽しい。
 仕事が成功したとき、雪歩と一緒に喜べるのは嬉しい。
 失敗したとき、落ち込む雪歩を励ましていると、いつしか自分も元気になる。
 本当は良くないと思う。芸能界は厳しいところだ。友達なんか作って馴れ合ってはいけないのだ、でも――
(――少しくらい、なら)
 そんな感情が生まれた、その矢先のことだった。
「新しいプロデューサーが見つかったぞ!」

 収録が終わった後の控え室。プロデューサーが誰かの電話を受けていたと思ったら、急にそんなことを言い出した。
「…は?」
「は、じゃないだろ。社長がようやくピンときたらしい。
 新しい人はバリバリやる人らしいから伊織と組んで、俺は雪歩をじっくり育成する、という社長の方針で…」
 言いながら、彼の目が怪訝なものに変わる。たぶん、二人並んで間の抜けた顔をしていたのだろう。
「あ、あの…。それは、コンビ解消、ということですよね…」
「まあ、そうなるが…。正直、お前たち二人はスタート地点が違いすぎる。これ以上無理に合わせようとするのは、効率的でないと思う」
 ごもっともだ。アイドル向きの伊織と、不向きな雪歩とは、最初の立ち位置がまるで違う。
 頭では分かっているのに、その理屈が今は癪に障る。
 それを承知で、雪歩は今まで頑張ってきたのに!
「伊織だって、その方が良かったんだろう?」
「え…。ま、まあ、そうね…」
 そうだった…。自分が最初にそう言ったから、社長だって人を探してきたのだ。
 ちらり、と横目で雪歩を見る。表情はよく分からない。直視する勇気がない。
「俺は引き継ぎがあるから、今日はこれで解散だ。それじゃ!」
 プロデューサーが出て行き、部屋に二人が残される。
 何を言おう、何か言わなきゃ、と気が逸る間に、雪歩の方から口を開いた。
「残念だけど、仕方ないよね。私、伊織ちゃんの足を引っ張ってばかりだったもん」

 妙に落ち着いた口調が、ますます伊織を苛立たせた。
 何なんだろう、雪歩のくせに。高校生だからって大人の対応のつもりだろうか。
「で…でも、大丈夫なのかしらね」
 声が少し掠れる。動揺を悟られないようにして、かえって声域が高くなる。
「…伊織ちゃん…?」
「私は別にいいのよ? でも、雪歩が私なしでやってけるのかしらね。
 アンタなんて一人じゃ何もできないくせに」
 雪歩の目を見られない。
「伊織ちゃん」
「私は天性のアイドルだもの、アンタ程度のマイナス要因は何でもないのよ。
 ま、別に無理にとは言わないけど? よく考えた方がいいんじゃないかしら!?」
 早口でまくし立てながらも、聡い伊織は分かっている。
 自分は卑怯者だ。
 解消したくないって、一緒にいたいって自分では言えないから、雪歩に言わせようとしている。
「ねえ、伊織ちゃん」
 でも一言、雪歩が一言でいいから、自分に縋ってくれたら――

「いい加減にしてくれないかな」

 …それは雪のように、冷たく凍った声だった。



「私になら何を言ってもいいって思った?
 私にはプライドなんて存在しないって思った?
 二つも年下の中学生に、タメ口使われて、散々見下されて、何も感じてないって思ってた!?」

「雪……歩……」

 足元が粉々に砕けて落ちていく。
 雪歩と過ごしてきた時間が、一瞬で反転した。
 輝いていた日々だと、そう思っていたのは――自分だけだった?

「伊織ちゃんといるとね、自分が惨めになるの。
 あなたみたいに強い人には、弱い人間の気持ちなんて分からないよね。
 もう沢山! あなたの行くべき場所に、一人で行けばいいよ。私はどうせ足手まといなんだから!」

(な…何よ)
(やっぱり、私が嫌いだったんじゃない。だったら最初からそう言えばいい。最初から言ってくれれば――)
 こっちだって、好きになんかならなかったのに。
 自分の思考に我に返る。今、何を考えた?
 そんな事あるわけない。悔しくて、思わず彼女を睨み付ける。

「御免なさいね萩原さん。今までの非礼をお詫びいたしますわ」
 雪歩に出会う前、常にお嬢様を演じていた頃の、硬質な声だった。

「貴方の優しさに甘えてしまって、本当、私はなんて愚かだったのかしら!
 私の顔を見るのもご不快でしょう。ご機嫌よう。二度と会わないよう気を付けますね!」

 毒を吐くだけ吐いて、きびすを返す。
 控え室の扉を開け、部屋を出て、勢いよく閉める。その間、雪歩からの呼びかけはない。
 この期に及んで、まだ期待していた自分に腹が立つ。顔を伏せて廊下を走り、建物の外に飛び出した。
 顔を上げると、一面の茜空。
 泣くもんか。泣いたりするもんか。
 きっとこれで良かったのだ。腕の中のウサギを強く抱きしめる。
 このまま雪歩が隣にいたら、もっと弱くなっていたかもしれないから…。




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