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 夢を見ていた。

 とても仲のいい姉妹の夢。
 姉は、誰よりも妹のことを可愛がっていた。
 妹は、そんな姉が大好きだった。
 一緒の制服に身を包んで……
 同じ学校に通って……
 暖かい中庭でお弁当を広げて……
 そして、楽しそうに話をしながら、同じ家に帰る。
 そんな些細な幸せが、ずっとずっと続くという……

 ……悲しい……夢だった。









「……どうして、分かったの?」

 顔を上げた少女は、先刻の、今にも泣き出しそうな笑顔のまま、細い声で聞いた。
「死人が生き返るわけがないわ」
「そう……かな。そんな奇跡があっても、いいんじゃないかな」
 それは夢の中なら、奇跡なんていくらでも起こるだろう。
 それに何の意味があるのかは知らないけど。
「別に奇跡が起こったっていい。栞が幸せになるのなら、自然の法則なんて無視して構わないわよ。
 でもね、この夢で幸せになるのはあたしとあなただけよ。栞じゃない」
「……じゃあ、どうしたら栞ちゃんは幸せになるの」
「ならないわよ!」
 半分は自分に向けて、香里は吐き出す。
「死者は幸せになんかならないのよ! もう、どこにも存在してないんだから!」
「冷たいよ! お姉さんのくせに!!」
 八つ当たり気味の応酬を交わして、そして静寂が続き。
 カチューシャの少女はしばらく地面を見つめて、やがて上げた顔は……泣いていた。

「本当に楽しい夢だったんだ。いつも栞ちゃんが出てきて、ボクと一緒に遊んでくれた。
 栞ちゃんと一緒にいるだけで幸せだった。
 本当のボクはベッドの上で。
 目を覚ませるかどうかも分からないなんて、知りたくなかったのに。
 どうして、夢を見続けちゃいけないの……」

 香里は何も言えなかった。
 ついこの前まで現実から逃げていた自分が、何を言えるだろう。
 それでも、ここに留まるわけにはいかない。どこへ行けばいいのか分からないけど、とにかく歩いて帰ろうとする。
 彼女の脇を通り過ぎた、その背中に声がかかる。
「……行っちゃうの」
「そうよ」
「どうしても?」
「どうしてもよ」
「……強いんだね、栞ちゃんのお姉さんは……」
 その言葉に、振り向くことはできなかった。

「違うわ、あたしは弱い。弱いから、栞のことを傷つけた。
 でも後悔してるし、あの子に土下座して謝ったわ。
 その舌の根も乾かないうちに同じことを繰り返すなら、あたしはもう、二度と栞を妹と呼べない――!」

 断ち切るように一歩踏み出し、そして……
 幸せな夢は、粉々に散って消えた。






 そこは夜の病室で、動き回る医師たちの向こうに、横たわる妹が見えた。
 白い布に覆われ、その顔は見えない。
 心の準備だって?
 壁際に座り込んだまま、膝を抱えて顔を埋める。
 いつ、平気になるのだろう。一ヶ月後だろうか、一年後だろうか。
 それでも、いつかその時は必ず来るのだ――。





 葬儀は父が取り仕切ってくれたので、何もすることはなかった。
 抜け殻のようにそこにいるだけの香里に、名雪が声をかけてくる。
「ごめんね、香里。わたし、こんな深刻な話だなんて思わなくて……」
 泣き出しそうな顔でそう言われると、こちらの方が申し訳ない。
「なんで名雪が謝るのよ。あたしがわざと言わなかったんじゃない」
「で、でも、香里が苦しんでるのに、わたしあんなこと言って……」
 中途半端に話すんじゃなかった。結果として名雪を傷つけてしまった。
 でも何も話さなければやはり傷つけたろうし、すべて話していたら苦しませたろう。
 結局、どうしたって救われないことというのは、確かにあるのだ。
「そんな顔しないでよ。名雪が気楽に笑っているだけで、あたしは結構救われるんだから」
「そ、そうかな……。うん、分かったよ」
 とはいえ葬式中に笑うわけにもいかず、神妙な顔で名雪は尋ねる。
「……香里、大丈夫?」
 何度も、そう聞かれたっけ。あの時と今と、どちらがましかは知らないけど。
「そうね。何で生きてるんだろうとは思うわ。栞がいない世界なんて何の意味もないのに」
「香里っ!」
「大丈夫よ。……死ぬ気力もないわ」
 力なく笑うと、親友の肩を軽く叩いてその場を離れた。
 むろん気力があっても死ぬわけにはいかない。罰を受けて死ぬならともかく、自分が楽になるためなんて許されない。
 妹は生きたくて生きたくて、それでも死んでしまったのに。

 葬儀も終わり、父が休んでいいといったので、おぼつかない足取りで家に入る。
 習慣でまっすぐ自分の部屋に向かったが、ふと足を止めた。
 少し迷ってから、栞の部屋の扉を開ける。あの時にこうしていればと、後悔を抱えて。
 そこは時間が止まったまま。棺に入れた遺品以外は、手をつけられずに残っていた。
「……栞」
 けれど、その主はもうどこにもいない。

 後悔は山ほどある。妹を拒絶したことは言うまでもなく。
 受け入れた後も、もっと別の接し方があったのではないだろうか。
 無理をしてでも作った妹の笑顔を、否定することはなかったのではないか。
 それとも、最後に本音を聞けただけでも、良かったと思うべきなのだろうか。
 分からない。結局、答えは出ない。
 そして栞がいない今、償うすべは何もない。

「栞……」

 虚空に名前を呼んで。
 そしてようやく、自分が泣いていることに気づいた。
 涙は止まらず、延々と頬を流れ続ける。胸は張り裂けそう、心は砕けそうになり。
 けれどそれは当然のこと。大事な人を失うのは、元より辛く、救われないことなのだ。
 それをごまかして回避しようなんて、二度と思わない。

「栞……栞……」

 だから香里は泣き続ける。
 この涙も苦しみも、ただの想い出になんて決してしない。
 ずっと……自分のいる場所に置いておくと、そう心に決めた。







 本当の春が来て、周りもすっかり落ち着いた頃、香里は一人で病院を訪ねた。
 月宮あゆ、という名の患者に会うために。
 彼女の病室は、確かにあの時の部屋と同じ階だった。看護婦の話では、七年間も眠り続けているという。
 許可を得て室内に入り、思わず息をのんだ。
 やせ衰え、マスクとチューブと、様々な装置に囲まれた少女の姿。あの子と同一人物だなんて、言われなければ気づかない。いや、生きているのかどうかすら。
 これでは幸せな夢を求めるのも、仕方がないのかもしれない。


 それでも敢えて香里は言うのだ。

「早く目を覚ましなさいよ」

 届くように、現実の空気を震わせて。

「そうでないと困るのよ。勝手なことを言わせてもらうけど、あなたには……あたしと一緒に、栞の話をしてもらうんだから」

 彼女の瞼は動かない。手を触れられない彫像のように。
 それが目覚めようと努力しているのか、それとも夢を見続けているのかは――外からは分からなかった。








<END>





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