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 叫びの残響が消えた後、しん……と静まった部屋の中。
 事態を理解できない勇魚の前で、幼なじみはゆらり、と立ち上がった。

「やっぱりそうなんだ。私のこと苦手なのかなって思ってた。
 そこまで嫌われてたのは予想外だったけど」

 勇魚から見えない側で、姫水は不機嫌そうに笑う。
 ああ、と、つかさの心に浮かんだのは暗い喜び。
 少しだけ自分のために動かせた。優等生の仮面を、少しだけはがすことができた。
 相変わらず、彼女を怒らせるやり方しかできなかったけれど。

「勇魚ちゃん、あなたの勘違いだったみたいよ。彩谷さんが私を好きなはずがない」
「そ、その通りや! 初めて会った時から嫌いやったんや、このクソ優等生!
 いつも余裕ぶって、あたしにマウント取ってきて……!」
「何なのよその被害妄想は。私が何をしたっていうのよ」
「うっさい! 何をしたって、何をっ……!」
「や、やめて二人とも!」

 挑発を交わす二人が信じられず、勇魚が割って入ろうとする。
 つかさは反射的ににらみつけると、とばっちりを被弾させた。

「ついでに言うたら勇魚も嫌いや!」
「うちも!?」
「この無神経! なに余計なことをペラペラ喋ってんねん!
 アンタなんか歌もダンスもあたしより下手なくせに、ただ幼なじみってだけで、無条件に愛されて――」

 最後まで言えなかった。
 がくん、と体が揺れ、胸倉をつかまれたと理解する。
 眼前には姫水の怒りの表情があった。

「勇魚ちゃんを侮辱しないで……!!」

(あ……)

 笑ってしまうくらいの大差だった。
 つかさが必死に動かした感情なんて、あっという間にかき消された。
 結局、姫水を動かすのはいつもそれなのだ。

(そうやっていつもいつも、勇魚のことばっかりっ……!)

 急に姫水から怒りが消え、驚いたように手が放される。
 その理由が分かるまで、つかさも数瞬かかった。
 自分の両目から、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちていた。

「あ、彩谷さん……?」
「遊び半分でいいはずやったんや……」

 一番嫌いな二人の前で、みっともなく泣いて。
 みじめで、情けなくて、それがまた涙を加速させる。
 入部した当初とは真逆の現状に。
 止められない涙とともに、嵐のように吐き捨てた。

「気軽に楽しめばいいだけのはずやったのに!
 何で後からアンタ達みたいなのが入部してくるの!? 話ちゃうわ!!」

 扉が荒々しく開けられ、逃げるように足音が遠ざかっていく。

 いなくなったつかさに呆然としながら、やがて勇魚が小さく言った。

「うち、後でつーちゃんに謝るね」
「……理由も分からないのに謝っても、かえって怒らせるかもしれないわよ」
「うん……でも、うちが言い始めたことやし……」

 そう言いはするものの、勇魚は自分の頭の悪さがもどかしい。
 つかさがなぜ泣いたのか全く分からないし、それに……

「姫ちゃん、何で病気って言わんかったん?」
「え?」

 言われて初めて気づいたように、姫水は首を傾ける。

「そうだった?」
「そうやで! 離人症って単語も出さなかった。
 つーちゃんに言いたくない理由でもあったん?」
「私は……」

 自問せざるを得なくなり、姫水の息が一瞬止まる。
『つかさに何の現実感も持っていない』
 それは本当に、事実だったろうか?

(もしかして私、無意識に彩谷さんのことが……)

 だがその仮説は、勇魚には言い辛いことだった。
 都合の悪いものを隠すように、姫水は穏やかな笑みを浮かべる。

「何となくよ。どのみち彩谷さんは私が嫌いなんだから、必要はなかった。
 部室に行きましょう。先輩に報告するんでしょう?」
「う、うん……」

 もやもやを抱えながら、二人は化学室を後にする。
 結局話すことが正解だったのかも、よく分からないままで。


 *   *   *


 『なにわLaughing!』の練習中、夕理と花歩はどうしても部室の端に気を取られる。
 遅れてきた勇魚と姫水が、立火と晴に何か報告していた。
 最後の作戦があったようだが、立火の落胆顔を見る限りは不発らしかった。

 退部を知る部員たちは暗い気持ちで練習していたが、その顔が徐々に怪訝なものに変わる。

(つかさちゃん、退部届持ってきいひんな?)

 花歩は思わず夕理の方を見るが、相手も首をひねるだけだ。
 結局最後までつかさは現れず、着替え中に二人でこそこそと話す。

「つかさちゃん、どうしたんやろね」
「分からへん……何かあったんやろか」
「ま、まあ辞められなくて良かったやん。首の皮一枚つながったんやな!」
「どうやろ……」

 夕理は花歩ほど楽観的にはなれない。退部届を出すのすら嫌になって、このまま来ないだけなのかもしれない。
 帰りに勇魚と姫水に報告のことを聞いてみたが、歯切れの悪い答えしか返ってこなかった。
 一緒に帰る? という花歩の誘いを辞退して、一人で駅に向かう。
(これからはずっと一人かもしれへんし……慣れないと……)

 ニュートラムに乗って、話す相手もいない下校路を耐えている時だった。
 夕理のスマホにメッセージが届く。
 送り人の名に目を見開いた。

(つかさ!? どうして――)

 完全に縁を切られて、もう話もできないのかと思っていた。
 良い報せなのか、悪い報せなのか。
 脅えながら読んだ本文は、短い一言。

『まだ好き?』


 一瞬混乱する。誰が、誰を?
 でもすぐに答えは出た。つかさが、夕理に、聞いてきたのだから。
 迷うことなく正直な気持ちを送る。

『私は、つかさが好きや。何かあった?』

 返事は来ない。電車内なので電話もできない。
 窓の外を、昨日絶交されたばかりのATCが流れていく。
 今度は少し迷ったが、心を奮い立たせて文字を打ち込んだ。

『会いに行く。嫌ならそう言って』

 応答がないことに安堵する。
 視界に入るなとまで言われたのに、直接押しかけたら本当に嫌われるかもしれない。
 でも今の接触が助けの求めなら、たとえ嫌われてもいい。つかさの力になりたい。

 阿倍野で勧誘したとき彼女に言った。私は大丈夫だからと。
 あれから様々なことがあって、今ならもう――つかさに嫌われても、大丈夫だ。


「あら夕理ちゃん~、いらっしゃい」
「夜分にすみません。つかさはいますか?」

 聞かれたつかさの姉は、心配そうに二階へ顔を向けた。

「帰ってから部屋に閉じこもりっきりやねん。ごはんやでって言っても出てきいひんし……」
「あ、上がらせていただいていいですか」
「どうぞどうぞ。夕理ちゃんは、ほんまにつかさと仲ええんやねえ」

 昨日絶交されたばかりで複雑な気分だが、お礼を言って階段を上がる。
 初めてつかさの部屋に誘われたとき、無邪気にわくわくしていたのを思い出す。
 あれから遠く離れた状況で、深呼吸して優しくノックした。

「つかさ、入るで」

 鍵はかかっておらず、静かに戸を開ける。
 そして現れた光景に、しばし言葉を失った。

 つかさが制服姿のまま、ベッドに突っ伏していた。
 肩を震わせた後ろ姿は、見る影もなくボロボロで。
 すすり泣く声は、どれだけの間そうしていたのだろう。

「つかさ……わわっと」

 歩み寄ろうとして、何かを踏みそうになる。
 足元に目を向けて、思わず息をのんだ。
 翡翠のブローチ。
 床に叩きつけられたのか、石の一つが金具から外れていた。

(やっぱり今回も、藤上さん……)

 踏まないように拾い上げ、そのまま歩を進める。
 足音に反応するように、つかさが吐いたのは恨み言だった。

「あいつっ……あたしのこと全然眼中になかった……!」

 泣きながら、憤懣を込めてシーツに爪を立てる。

「あたしに何の現実感も持てないって!
 あたしより夕理の方が印象に残ってるって!!」
「そ、そうやったん……」

 こうなった理由はよく分かったが、夕理としては何ともはやである。

(藤上さん、意外とえげつないなあ)

 とはいえ姫水を責める気にもなれない。
 今までの空回りを客観的に見るに、そう思われても致し方ないとしか……。
 理性で考えてしまう自分が少し嫌になりつつ、溜息をついてそっと尋ねる。

「……そんなに、あの子が好き?」
「嫌いや、あんなやつ!!」

 ベッドに顔を埋めながらも、つかさの悲鳴は部屋中に響いた。

「大っ嫌い!! 世界中で一番嫌い……!!」
(そこまでかあ……)

 一度でいいから、これほど強い感情を持たれてみたかった。
 でも自分ではないのだ、自分では……。

 伏したままのつかさの隣に座って、夕理は天井を見上げて話し始める。
 一見関係ない世間話を。

「知ってた? 舞洲のゆり園、閉園するんやって」
「………」
「たぶんこの前の台風で駄目になったんやろな。
 何だか象徴的やし、私もあのとき言ったことは撤回するね」
「…………」



『私は未来永劫、つかさのことが好きやから!』
 そう叫んだあの場所は、もう永遠に失われてしまったのだ。

「あの時は子供やったし、正しくもなかった。
 相手が何をしても好きでい続けるなんて、ただの妄信や。
 幻滅するようなことをした相手は、正しく幻滅すべきやと思う」

 つかさは小さく震えている。
 別に脅すつもりではないので、すぐに結論を伝えた。

「その上で、私はまだつかさが好きや」
「え……」
「つかさのそういう弱いところも、今の私は愛しいって思う」

 足を崩して、つかさの方へ体へ向ける。
 なぜ好きなのか、口で説明はできるかもしれない。
 でも結局は今、視界に入る彼女を好きだと思う、その心の動きが全てだった。

「他にもたくさん友達がいるのに。
 一番辛いときに、私に連絡してくれて嬉しかった」
「あ、あたし……」

 合わせる顔がないのを承知で、つかさは少しだけ夕理の方を向く。
 なぜこの子に連絡したのか。
 姫水にプライドも何もかも壊されて、もうそれしか残ってなかったから――。

「あたしは自尊心を保つためだけに、夕理に好きって言わせようとした……!」

 自責に満ちたつかさの懺悔を、夕理は優しく笑い飛ばした。

「こんなもので保たれるなら、いくらでもどうぞ! つかさ、大好きや!」


 ゆっくりと、身を起こして隣に座るつかさを、夕理は見守った。
 ごめん、という蚊の鳴くような声に、ええよ、と返す。
 何とか呼吸も生気も戻ってきて……
 自分を取り戻したつかさにあったのは、湧き上がる怒りだった。

「くっそぉぉぉー! あのアマァーーー!!」

 枕を手に取り、ボコボコに殴り始める。

「あたしをコケにしやがって!
 もう許さへん! くそっ! 大嫌い! マジムカつく!!
 絶対、このままでは済まさへんからっ……!」

 可愛さ余って憎さ百倍とはまさにこのこと。
 夕理としては少し複雑だが、とにかく元気になって安心した。
 ひとしきり発散して、ぜえはあと肩で息をしてから、つかさは気まずそうにおずおず隣を見る。

「あの……夕理」
「うん」
「あんなに暴言吐いて、振り回しておいてなんやけど……。
 やっぱり、まだ辞めたくない。
 だって今辞めたら、あいつはあたしのことなんて三日で忘れる……!」
「……そう」

 夕理はふうと息をつく。
 何とか危機を脱したけど、ここで小躍りしている場合ではない。
 敢えて厳しいことを言うのが自分の役目だ。

「部活を続けて、それでどうするつもり?
 今まで通り漫然と停滞するだけなら、何の意味もないで」
「それは……」

 つかさは深く息をする。
 ぐちゃぐちゃだった頭も、ようやく普段通り働いてきた。
 このままではいられないと、その思いだけを背に受けて、一つの答えを口にする。


「あたしは、藤上さんと勝負して勝つしかないと思う。
 それだけが、あいつに届く唯一の道やと思う」


 本当は以前から考えてはいた。
 姫水に自分を認めさせ、かつ自分の中の劣等感も解消する、一石二鳥の方法だと。
 ……勝てそうにない、という致命的な問題点を除けば。

「まあ、具体的な勝ちの目は何もないんやけどな……」
「そんなことない!」

 待ってたとばかりに、夕理は胸の前で拳を握る。

「方法はある。ユニットや!」
「ユニット……って、少人数のグループ内グループやったっけ」

 つかさも聞いたことはある。
 少人数に分かれることで小回りが利き、時にユニット同士で競うこともあると。
 夕理もうなずいて説明を続ける。

「例えばAqoursなら、CYaRon!、AZALEA、Guilty Kissの三人ずつの三ユニット。
 CYaRon!以外はメンバーが卒業して休止中やけど、去年はAqours本体に匹敵する声援を受けることもあった。
 一人であの人に勝てないなら、二人で戦うしかないやろ!」
「で、でもあたしとユニット組む相手って……」
「私以外に誰がいるんや!
 藤上さんの人気には、私も足元にも及ばない。
 でも私は、藤上さんにもできない作曲ができる!」

 夕理が曲を供給し、二人だけのユニットで人気を獲得する。
 そうしてつかさを姫水と同じ高さに押し上げて、最終的には彼女と一対一で勝負する。
 そう提案してくる夕理だが、つかさは躊躇せざるを得なかった。

「せ、せやけど、それって」

 勝てるかどうか以前の問題だ。
 以前USJで自分が言った通りの、外道の行い。
 こんな自分を好きでいてくれる夕理を、姫水への想いのため協力させるなんて……。

 なのに夕理の瞳は、全てを受け入れたように優しかった。

「つかさは私にたくさんのものをくれた。それをお返しするだけや」
「で、でもあたし、昨日あんなに酷いこと言って」
「どうするかはつかさが決めて」

 夕理が差し出した手の上にあるのは、壊れたブローチ。
 今のつかさの心のように、割れた姿をさらしている。
 あいつのことが大嫌い。
 でも……
 それと同時に、こんな目に遭ってもなお、あいつがどうしようもなく好きだった。

 どのみち部活を辞めても無意味だったのだ。
 相手にされないだけでショックで泣き出すような存在を、忘れて幸せに生きられるわけがなかった。
 正直に認めて、まっすぐに夕理の瞳を見る。

「あたし、藤上さんに勝ちたい。
 勝ってあたしのこと認めさせたい」
「うん」

 伸びたつかさの手が、夕理の手にブローチごと重なる。

「夕理、協力して……!」
「うん……!」

 嬉しさのこぼれる声とともに、ブローチはつかさに渡される。
 戦おう。
 どれだけ道が険しくて、星のように遠い相手でも。
 二人のすべてを懸けて、必ず想いを届けるのだ。



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