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 三年生は人生を左右する時期だが、一・二年生はバレンタインまで特にイベントはない。
 全国大会に向けて、ひたすら練習の日が続く。
 その間も、姫水は積極的に夕理に話しかけていた。

「Aqoursは今回はどうなるのかしらね。あちらも入試で大変でしょうし」
「そうやな……去年の三年生は留学と推薦で、そこまで負担はなかったみたいやけど」
「今年は三人とも普通に受験なんでしょう? 特に桜内さんは、音大を受けるって話だものね」
「どれだけ大変なのか私には想像もつかへん。
 それがなくても、WBNWほどの曲は今回は期待したらあかんと思う」
「あの時は何もかも失った浦の星だからこそ、桜内先輩に何かが降りてきた……ということかしら?」
「部外者の私が勝手に想像するのも失礼ではあるけど。
 もっとも結局は、桜内先輩の高い実力があってのことや。
 私程度ではせっかくの全国でも何も降りてこないし、地道に作るしか……はっ!」

 うっかり話し込んでしまい、夕理は気まずそうに横を向く。
 大いに手応えを感じた姫水に、さらに幼なじみが援護射撃をした。

「あはは、うちの頭やと難しい話はできひんからね!
 姫ちゃんがいてくれて良かったね! ねっねっ夕ちゃん!」
「押しつけがましい!」

 ぶすっとする夕理だが、勇魚は気にせずにこにこしている。
 花歩と小都子は温かい目で見守っているし、後ろで勉強中の三年生たちもチラチラ気にかけてくれている。
 時間はないが、何とか下の名前で呼ぶくらいにはなりたい姫水である。

「ちーっす。どう夕理、姫水に篭絡された?」
「されてへんわ!」
「もう、つかさってば。そういうことは口に出さないの」

 遅れてきたつかさの声とともに、今日も部活が始まった。
 練習中も、姫水の意識は夕理へ集中する。

「天名さん。そこの歌い方は、もう少しビブラートをかけるといいと思う」
「わ、分かった」

 これはアタックとは関係なく、行っておくつもりだった。
 自分はWestaの後輩に何も教えられないけれど、せめて夕理を通じて歌唱技術を伝承するために。

「昔受けた一年間のレッスン。私に残る全てを天名さんに託すわね。
 きっとあなたなら、最大限に生かしてくれるはずだから」
「う……まあ、新人の指導にありがたく使わせてもらうで」
「音楽理論的なことは私より夕理ちゃんやものねえ。ほんま、二人がいてくれて良かった」
「さ、小都子先輩まで……」

 戸惑いつつも、理があることなら無駄に反発などせず、夕理は素直に聞いてくれる。
 そういうところも、姫水の中で好感度が上がった。


『藤上さん、いつデートに誘ってくるんやろ』

 部活終了後に、夕理のそんな気がかりが視線として飛んでくる。
 姫水も焦らすわけではないが、もう少し確実性がほしい。
 というわけで、帰りのバスで友人たちに尋ねた。

「私と天名さん、少しは距離が縮まってると思う?」
「もちろんや! 夕ちゃんはきっと姫ちゃんのことが大好きやで!」
「ありがとう、勇魚ちゃん」

 誰よりも大切な勇魚だが、客観的意見は当てにならないのは重々承知している。
 花歩の意見を聞くと、難しい顔が返ってきた。

「うーん、スクールアイドルの話には釣られてるみたいやけど。
 とにかく夕理ちゃんはめんどくさいから、油断はしない方がええで」
「そ、そうなの。花歩ちゃんはどうやって仲良くなったの?」
「つかさちゃんに依存しないよう、交友を広げたのに乗っかっただけ。参考にならなくてごめん」
「それだけで天名さんが、花歩ちゃんに心を開くとは思えないけどね」

 花歩も勇魚も、そして誰よりつかさも、夕理が求めるものを提供できたのだと思う。
 それを踏まえて、姫水がデートに誘うべき場所は――

「大阪の美術館めぐりを考えてるんだけど、どうかな」

 芸術的な案に、勇魚の顔がぱっと輝いた。

「ええね! うちらはそういうとこ苦手やから、誘えるのは姫ちゃんだけや!」
「こらこら、私は誘われたら行くくらいの芸術力はあるで。
 まあ、自分からは行かへんから、確かに二人ならではかもね」
「ありがとう。それじゃ、思い切って申し込んでみるわね」

 思えば人から好かれてばかりで、自分からここまでアタックするのは初めてかもしれない。
 少し楽しくなりつつ、輪が繋がる日を心待ちにする。
 人から好かれてばかりだったから――失敗することは全く想像もできないままで。


 *   *   *


「次の日曜日? ……まあ、ええけど」

 金曜の部活開始前。
 ようやくお誘いを受けた夕理は、態度はともかく了承した。
 立火と一年生たちが拍手する中、姫水はにこやかに手続きを進める。

「まずはミュシャ館でいい? 本当は私、ミュシャの絵が大好きなの」
「そうやったん。私もまた行きたいと思ってた」

 その答えに安心しつつ、姫水は近くで聞いていた小都子に頭を下げた。

「いつぞやは誘っていただいたのに、断ってすみませんでした。現実感がない状態で名画を見るのが怖くて……」
「あ、あらあら、こちらこそ酷なお誘いをしてごめんね。二人で心置きなく楽しんできてや」
「はいっ」
「あれ、そういえば晴ちゃんも日曜は美術館に行くって」

 げ、という顔でシンクロする後輩たちに、晴がじろりと目を向ける。

「私は東洋陶磁美術館、香雪美術館、湯木美術館に行く。休日にお前らに会いたくはないが」
「ご心配なく。私たちは他にハルカス美術館、市立美術館の予定です。天名さん、それでいい?」
「ええで」

 答えながらも、夕理の目はいぶかしむ。
 晴には相変わらず素っ気ないくせに、夕理とは仲良くしたいという心情が分からない。
 性格の悪さは似たようなものだと思うけど。
 ともかくデートは成立し、ちょうど部室に来た桜夜へ、姫水は嬉しそうに報告した。

「天名さんにOKしてもらえました」
「おー! 良かったけど、当日ムカついても切れるんやないで」
「大丈夫ですよ、新しい関係に精一杯挑戦してみます。
 なので桜夜先輩も、明日の試験は頑張ってくださいね」
「ううっ、可愛いこと言うてくれるやないか。姫水を見習って頑張るで!」
(木ノ川先輩の激励にも利用された……)

 どこまでもそつの無い子だ。もちろん激励自体は良いことだけど。
 何かもやもやした気持ちを抱えながら、夕理は今日も部活を始める。
 とにかく日曜、そこで駄目なら諦めてもらうしかない。


 翌日。部活を終え帰宅した姫水は、明日のデートの準備をしていた。
 夕理との仲は計算通りに進み、ATFDのライブも着実に形になりつつある。
 曲名の通り、八人全員が仲良くなったWestaで、必ずアキバドームを沸かせるのだ。
 と、試験を終えた桜夜から部にメッセージが届く。

『あかん』
『私の人生、終わった』
(さ、桜夜先輩!?)

 まだ五校もあるじゃないですか、と慌てて慰めながら、姫水に不安の影が差す。
 本当に計算通りに進んでいるのだろうか……。


 *   *   *


 夕理が姫水と完全に二人きりになるのは、これが初めてかもしれない。
 改めて見ると美人やな、と、待ち合わせの堺市駅で思った。

「今日はよろしくね。それじゃ行きましょうか」
「う、うん」

 特に儀礼もなく歩きだし、戸惑う夕理に、姫水はくすくすと笑う。

「天名さん、服を誉め合ったりは苦手なんでしょう?」
「そ、そうやけど。小都子先輩から聞いたん?」
「ふふ、秘密。そして現代アートは嫌いと見たわ」
「その通りや。全部とは言わへんけど。
 意味不明なものに意味不明なタイトル付けて何がアートやねん」
「だから国際美術館は外したんだけどね。今日は古典アートを楽しみましょう」
「うん……」

 よく研究してきている。
 夕理と仲良くなるため、色々考えてくれているのだろう。
 でも何故だろう。五月に同じ場所で、小都子と花歩がいた時ほどには、心が動かない……。


「素敵……」

 とはいえミュシャの絵に目を輝かせている彼女は、夕理からも可愛く感じられた。
 本当に、病気が治って良かった。
 自分は一切何の役にも立てなかったけど。

(やっぱりつかさが最強なんや)
(頑張って頑張って想いを届けて、決着も自分でつけた)
(もう私が隣に立つことなんてできひんのかな……)
(っと、あかん。美術と藤上さんに集中しないと)

 ミュシャと同じくサラ・ベルナールに見出された宝飾作家、ルネ・ラリックのジュエリーに感嘆しつつ、一館目の観覧は終わった。
 夕理が通路の先を指し示す。

「あっちに撮影コーナーがあるで」
「一緒に撮ってくれるの?」
「え、うん。前に来たときは小都子先輩と花歩が撮ってくれたから」
「嬉しいな。私たちの大事な思い出ね」

 端正な姫水の笑みと、ミュシャの描いた女神に挟まれて撮影。
 自分だけが場違いの気がした。

 電車に乗って天王寺で降り、あべのハルカスへ。
 移動中も、姫水は飽きさせぬよう話題を提供してきた。
 スクールアイドルのこと、音楽のこと……。
 夕理が乗りやすそうな話を、大量に用意してきたのが何となく分かる。

(なんか重く感じてきた……)
(い、いや、藤上さんは善意でしてくれてるんやで)

 百貨店はバレンタイン商戦まっただ中で、美術館に向かう二人にも自然と目に入る。

「天名さんは、誰かにチョコをあげるの?」
「……さあ」
「あれ、意外。軽薄な流行や! とか言うと思った」
「べ、別にええやろ。ほら、そっちのエレベーター!」

 16階にある美術館は、今は高名な西洋画家の展示。
 歴史的な名画だというのに、どうにも頭に入ってこない。
 これまた綿密に予習してきた姫水が、適度に述べるうんちくに、相槌を打っているうちに見終わってしまった。
 さすがに姫水も状況に気付き始めたようだ。

「……ねえ天名さん。ちょっと外を見てみない?」
「え、展望台登るん?」
「そこまで行かなくても、そこの外に出ましょう」

 無料で出られる16階のテラスは、景色もそれ相応だ。
 ちらりと向けた横目の先で、姫水は計画を練り直しているように見える。
 少し良心が痛みながら眼下を眺めると、四天王寺に天王寺福音学院。通天閣に、それから――

(天王寺動物園……)

 あれからもう二週間。姫水のクールタイムは終わったのだろうか。
 見た目通りもう平気なのか、それとも内心は違うのか。

(というか、この後はあそこの隣に行くんや……。私の方が気が重い)
「さすがに寒いわね。それじゃお昼にしましょうか」
「あ、うん」

 夕理に好き嫌いはないので、適当に任せて洋食屋に入った。
 テーブルの上で手を組んで、姫水は穏やかに口火を切ってくる。

「天名さんは、理想のグループはどういうものだと思う?
 私はやっぱりμ'sやAqoursのように、全員が互いに想い合ってこそ、結果も残せると思うの」
(そっちの方面から攻めてきたか)

 夕理の渋い顔にもめげず、姫水は平静を保ちながら話を続ける。

「全国大会で皆を笑わせるには、八人の絆が結ばれないと――」
「私はそうは思わへん。スクールアイドルに馴れ合いなんて不要や。
 地区予選も、別に仲良しこよしでなくても突破できたやないか。
 そもそも八人の絆とか言うて、ちゃっかり一人減らしてるのが小賢しい」
「き、岸部先輩は仕方ないでしょう? 向こうにその気が全くないんだから!」
「なら私だって同じや。
 ただ同じグループってだけで、無理に仲良くしても意味なんかない」
「天名さん……」

 困ったような視線から、夕理は思わず目を逸らす。
 晴が今日行っている美術館は、陶磁器や茶器が中心だったはずだ。
 俗世から離れて、幽玄の世界を楽しんでいるのだろう。
 自分もあれくらい徹底できれば、この完璧な優等生を困らせることもなかったのだろうけど……。


 隣接する動物園の方はなるべく見ないようにしつつ、市立美術館に入る。
 今日は特別展はなく、各部屋で小展示がいくつも行われていた。
 気まずい空気に夕理がどうしようもない中、姫水は小さく溜息をついた。
 聡明な彼女は、もう戦線を維持するのは無理と判断したようだ。

「今日は仲良くなるのは諦めるわ。せっかく来たんだから、純粋に芸術鑑賞だけしていきましょう」
「う、うん……」

 夕理も申し訳ないとは思いつつ、少しほっとして、関西の実業家が集めた美術品などを眺めていく。
 しかし美術館を出れば、また姫水と二人きりという現実が待っている。
 相手の方は、こんな状況でも態度を崩さずにこやかに言った。

「ちょっと慶沢園けいたくえんに寄っていきましょうか」
「それ何やったっけ」
「日本庭園。行ったことない?」
「そういやあった気がする。あんまり興味なかった」

 住友家が作った林泉回遊式庭園に入り、少し歩く。
 一月の末とあって木々は枯れ、どこかもの悲しい。
 他に誰もいない静かな庭で、不意に姫水は足を止め……
 さらに微笑も止めて、真剣な顔で頭を下げてきた。

「さっきからずっと考えていたけど、私の何が悪かったのか分からない。
 恥を忍んでお願いするわ。天名さん、私の至らないところを教えて」
「ふ、藤上さんは何も悪くないんや!
 あなたは皆から愛されてるんやから……私一人がおかしいだけや。
 これ、木ノ川先輩にも同じこと言うたで……」

 何でこんなことを二度も言わねばならないのだろう。
 だが姫水の方は、その名を聞いて詰め寄ってきた。

「桜夜先輩は何て言ったの?」
「……愛され桜夜ちゃんは、魅力に落ちない奴は許せないとかアホなことを。
 藤上さんはそんなアホなこと言うたらあかんで!」
「あいにく私も、度し難いアホだったみたいよ。
 天名さん、もう一度聞くわ。私のどこが気に入らないの。
 他人に遠慮しないあなたなら、言い淀む理由もないでしょう」

 内心少し怒っているのだろうか。説明しないと帰してくれなさそうだ。
 夕理も明確に言葉にはしづらいのだが……。
 もうどうしようもない。無理にでも一気に言い切った。

「藤上さんって、おもろないねん」
「え……」
「嫌いではないけど、どうしても好きという気持ちが湧いてこない。
 はっきり言うなら、あなたに対して興味が持てない。
 ……これでいい?」
「う……うん、ありがとう。それじゃ、帰りましょうか」

 さすがに動揺を隠しきれず、優等生の微笑も保てなくなって、姫水は呆然としたまま庭園を戻っていく。
 何とかして駅まで着き、彼女と別れ……
 夕理は電車に乗り込み、人生最大の溜息をついた。

(つ……疲れたああああ…………)





「十六年間生きてきて、あんなこと言われたのは初めてよ!!」

 自分の部屋で突っ伏した姫水は、やるせない思いを床にぶつけていた。
 呼ばれて参上した勇魚も、幼なじみのこんな姿を見るのは初めてだ。
 花歩が隣から耳打ちする。

「姫水ちゃんって、今まで誰にも拒絶されたことなかったん?」
「う、うん……うちが覚えてる限り、会う人は誰でも姫ちゃんを好きになってたで」
『あははは! 完璧少女、初めてフラれましたってか』

 通話アプリから聞こえるつかさの声に、姫水はむっとした目をスマホへ向ける。

「そういえば、大嫌いって言われたことはあったわね。実際は大好きだったわけだけど」
『ほっとけ! うーん、話聞いた限りやと、完璧すぎたのが夕理の鼻についたのかなあ』
「え……」

 絶句する姫水だが、花歩まで納得した風にうなずいた。

「ちょっと計算しすぎって感じはするよね。
 夕理ちゃんは嘘が嫌いやから、相変わらず演技してるって思われたのかも」
「つ、つーちゃんも花ちゃんもひどいで!
 姫ちゃんはただ、夕ちゃんに好かれたくて色々考えてただけで……」
「も、もちろん姫水ちゃんは悪くないってば」
『ただ夕理は、そういう難しい相手ってことや』

 姫水が挫折したというのに、つかさはどこか楽しそうだった。
 そんな夕理を気に入っているし、それでも姫水は何とかすると、そう思ってくれているのだろう。
 でも姫水の方は手詰まりだ。
 現実感は取り戻せたのに、夕理に届く道は雲がかかって見えない。

「優等生らしくない方がいいの? でも小都子先輩だって優等生じゃない……」
『そう言われればそうなんやけど、何が違うんやろなあ』
「ねえ姫ちゃん、不安やったら次はうちも一緒に行くで! 花ちゃんもや!」
「え、私も? もちろんいいけど」

 クリスマスの雰囲気に姫水が加わるだけなら、楽しい休日になりそうではあるが。
 つかさの声がやんわりと制止した。

『夕理は姫水に興味ないんやから、そんなん余計に相手にされへんやろ。
 やっぱり二人きりで対決するしかないと思うで』
「うん……そうよね。もう一度考えてみる。みんな、今日は本当にありがとう」
「ファイトや、姫ちゃん!」
「絶対に仲良し五人組を実現させよう!」
『ま、なるようになるってー』

 三人が去ってから、姫水は息をついて天井を見上げた。

(興味のない人に冷淡なのは、私も人のことは言えないわよね……)

 父親の顔はもう思い出せもしない。
 それに比べたら、夕理はまだ姫水に向き合ってくれている方だ。
 とはいえ次の日曜がリミット。それ以上はもう全国大会が来てしまう。
 わがままと言われようと、何とか団結した八人で本番を迎えたい。が、その前に――。

(より切実な問題を先に考えないと)

 自分と夕理のことは一度置いて、明日どんな言葉をかけるかを考え始めた。
 人生大ピンチの先輩のために。



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