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この作品は同人ソフト「月姫」(c)TYPE-MOON の世界及びキャラクターを借りて創作されています。
シエルシナリオ、アルクェイドシナリオのネタバレを含みます。
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死者を狩る、という行為には、既にさしたる抵抗はない。
彼らが死者となったのを防げなかったことへの悔恨はあるが、だからこそ早急に塵へと返さねばならない。
アルクェイドと別れたシエルは、夜通し街を徘徊してようやく一人の死者を仕留めた。もうこの街にはほとんど残っていないようだ。これで本体が出てきてくれればよいのだが。
死者が灰となった場所を、教会の聖水で清める。ここは昨晩と同じ公園。死者とはいえ人の形をしているので、警察に捕まりたくなければこういう人目のない所で殺さなくてはならない。
この公園は、シエルにとっては執行の場所だった。
意志のない死者なら躊躇いはない。だが、意志を持った吸血鬼は少し厄介だ。
火葬が一般的なこの国で、数年経った死体を要する吸血鬼は発生し得ないと思っていた。だが運悪く…当人には幸運か不運か判断に迷うところだろうが、肉体的ポテンシャルが優れていたため、殺されてすぐに吸血鬼となるケースが発生した。
死徒らしからぬ吸い散らかされた死体を見て、シエルは重い気分で調査を開始した。そして数日前の同じ時刻、この場所へと当の吸血鬼を追いつめたのだ。
星の下で振り向いた姿は、志貴と同年代の少女だった。
「ふぅん。エクソシストって本当にいるんだ」
シエルの法服を見て判断したのだろう。死臭を漂わせた少女は、薄笑いを浮かべてそう言った。
「正確には違いますが、そう思っていただいて結構です。それではこちらの目的も分かりますね」
「うん。素直に殺されてあげるつもりはないけどね」
手に殺気を込め、吸血鬼は一歩ずつ近寄ってくる。
その力は常人を遥かに越えるが、シエルから見ればただの素人だ。しかもこちらとの実力差すら理解していない。戦えば容易に勝つだろう。
だがシエルはそうしない。十字架の代わりに、用意したのは言葉と事実だった。
「三日前に女性を一人。昨日に男性を二人」
一瞬だけ時間が止まる。
「貴方が殺したのはこの三人ですか」
「…うん。そうだよ」
吸血鬼は、無邪気な笑顔でそう答えた。
が、手に取るように分かる。軽さを装っているのは、そう思わないと精神が保てないから。実際は崩れる寸前だ。
「だって仕方ないよねぇ? わたし、もう人間じゃないんだもの」
「人間ですよ」
淡々と、シエルは言う。別の状況で言われれば、あるいは救いの言葉となっただろう。だが発言者にそんな気はない。
「肉体はそうでなくても、貴方の心は人間のままです。個人は人格で判断されるものです。
人の倫理も道徳も、貴方は忘れたわけではない。人を殺すというのがどういうことか、知らないわけではないでしょう。
それなのに人を殺したんです、貴方は」
「黙りなさいよ!」
「黙るのは貴方ですよ。殺人犯さん」
吸血鬼の目が怒りに染まる。押し寄せてくる殺気を、シエルは目を閉じてやり過ごす。
「じゃあどうしろって言うの!? 血を吸わなきゃ死んじゃうんだもの。仕方ないじゃない、どうすれば良かったのよ!」
「死ねば良かったんです」
簡潔な答えだった。
彼女は後ずさり、信じられない、という顔でこちらを見ている。
「人を殺さねば生きられないなら、自ら命を絶つべきだった。そうすれば、最小限の犠牲で済んだ。
自分が生き延びたいという、ただそのエゴのために貴方は他人の人生を奪ったんです。そうまでして生きたいんですか」
「この……悪魔っ……!」
「貴方がそれを言うのですか? わたしを罵るのは構いませんが、殺された人から見れば貴方こそ悪魔ですよ。
死のうと思えば死ねたのに、貴方は他人を殺すことを選んだ。それは貴方の意志ということです。
殺された人たちにも人生や夢があったのに、家族や友人がいたのに、一生懸命生きていたのに。
それなのに貴方は殺した」
空気が凍る。返事がないので、もう一度言う。
「貴方が殺したんです」
決着はついた。
少女はしばらく俯いていたが、やがて小刻みに震え出した。
その顔は死者のように蒼白だった。
「他に……方法がなかったの……」
弱々しい弁解を繰り返す。勝手に吸血鬼にされて、衝動に負けて人の血を吸ったとき、一体どれだけ苦しんだろう。自殺しろと言われて死ねるものでもないのも承知している。
だがそれを言うなら殺された人はどうなる。相手が吸血鬼だから諦めろとでもいうのか。そんな馬鹿な話はない。
「他に方法がないのは、わたしも同じです」
手をかざして黒鍵を生み出し、ぴたりと少女の首筋に当てた。
彼女はもう抵抗しなかった。
それは震えながら涙を流す、ごく普通の女の子だった。
「約束します。貴方をこんな目に遭わせた吸血鬼は、わたしが必ず地獄へ送ります。…何の慰めにもならないかもしれませんが」
実際、慰めにはならないようだった。少女は泣きながら、最後に誰かの名を呼んだ。
苦しまぬよう、一瞬で首を切り落として殺した。
少女が灰になった場所へともう一度行ってみる。街灯に照らされたそこは、既に何の痕跡もない。
シエルの表情は変わらない。祈ることも泣くことも偽善にしかならない。為すべきは行動のみだ。
たとえ悪魔と罵られようと、いつか地獄へ落とされようと。
吸血鬼は一匹残らず、この地上から殲滅してやる――。
学校での探索は相変わらずだった。何か餌でもないと出てこないのかもしれない。
アルクェイドが約束を守っている手前、用もなく志貴に会いにもいけず、結局何ら得ることなく下校路についた。疲れている暇はない。アルクェイドと仲良くするという、気の滅入る作業が待っているのだ。
「あ、来た来た。やっほー」
家にも帰らせてくれないらしく、純白の吸血姫は路上のガードレールに腰掛け待ちかまえていた。
「今日はずいぶん早起きなんですね」
「まあね。ご飯食べに行くんでしょ? 付き合ってあげてもいーよ」
どうも余計な楽しみを覚えてしまったようで、気楽な笑顔でそんなことを言ってくる。
仕事とはいえ、食事までこんなのと一緒なのは気が滅入る。
「困りましたね、実は金欠なんです。またの機会にしませんか」
「志貴のところに行こーっと」
「わああああ! 分かりました、ぜひご一緒させてくださいっ!」
必死で腕にすがりつくシエルに、吸血鬼はにやりと嫌な笑みを浮かべた。
「じゃ、行くわよ。下僕」
「‥‥‥‥」
こいつ、わざとだ。
昨日シエルがあんなことを言ったものだから、暇つぶしを兼ねて試しに来たらしい。どこまで性格の悪い奴だ。
やはりこんな作戦自体に無理がある。シエルの提案に裏があることくらい、いくらアルクェイドでも可能性は考えるだろう。ナルバレックのもっともらしい言葉に釣られたことを、今さらながら後悔した。
渋い顔で歩くシエルの隣で、吸血鬼は鼻歌などを歌っている。
「随分と楽しそうですね」
「うん。だってあなたがわたしの言いなりになってるんだもの。こんな快楽は味わったことがないわ」
「〜〜〜〜〜!」
「あー楽しー」
シエルの中で糸が切れた。引きつった笑いを浮かべながら、アルクェイドの腕を取って大股に商店街へと歩き出した。
「さあこの店です! 入りましょうさあ!」
カレー屋ニューデリーと書かれた黄色い看板を前に、彼女は気が進まなげな表情を見せる。
「カレーって辛いやつでしょ? 違うのがいいなぁ」
「何を言うんです! カレーこそすべての料理の頂点に立つ、まさに味覚のエベレスト。カレーを食べないなんてのは人生における最大の損失ですよっ!」
「そ、そうなの。じゃあ入ってみるわ…」
勢いに押されて店内に入るアルクェイドに、内心でほくそ笑むシエル。
「50倍カレーふたつ!」
メニューも開かず、手を挙げて店員に注文する。結果がどうなるか分かっているのに、自分の行動を止めようという気が起きなかった。後にして思えばやはり疲れていたようだ。
はたして、運ばれてきた毒々しい色の料理を見て、アルクェイドは不安げに眉をひそめた。
「ねえ、これって本当に食べ物?」
「アルクェイド! なんて失礼なことを言うんですか。この店は本場のスパイスを500以上揃えた通のカレー屋なんです。ありがたく頂いちゃってください」
そう言って安心させるように自分のカレーを食べ始めるシエルに、アルクェイドも少し警戒を解いてスプーンを手に取る。
「ところで50倍ってなに?」
「それはもちろん、50倍おいしいという意味です」
「あ、そうなんだー」
あっさり信じたアホ吸血鬼は、スプーン一杯にカレーをすくい取ると一気に口へ運んだ。
店内に悲鳴が響き、シエルは腹を抱えて笑い転げた。
「ごめんなさい! 悪かったですっ!」
我に返ったとき、アルクェイドは頭に青筋を浮かべて店を出ていった。
大急ぎで二皿のカレーを平らげてから、店にはツケにしてもらって後を追う。
「あなたがどういう奴なのかよーく分かったわ! 二度と信用するもんかっ!」
「謝ってるじゃないですか。やっぱり初心者に50倍は辛いですよねー。うんうん、次は甘口にしましょう」
「冗談じゃないわよ! 殺されたくなかったら二度とあの食物の名は口にしないことね!」
「アルクェイド…」
シエルの歩みが弱まり、俯いて足を止める。しゅんとなったその姿を目にして、さすがにアルクェイドも戸惑いを見せる。
「な、何よ」
「ごめんなさい。馬鹿なことをしてしまいました…」
「ま、まあそこまで反省してるなら…」
「はい、カレー嫌いを作ってしまうとは…。インドの人に申し訳が立ちません」
「反省するところが違うでしょうがぁっ!!」
そろそろまずい。これ以上怒らせたら八つ裂きじゃ済まない。シエルは両手を合わせて、真摯な演技で頭を下げた。
「本当に反省してます。あ、ほらそこのクレープ屋さんって有名なんです。今度はあれにしましょう。ね?」
「ふん。50倍クレープとか言って、50倍甘いクレープでも食べさせる気なんでしょ」
「ありませんよそんなクレープ…。学生の行列ができてるじゃないですか。若者に大人気です」
「むー」
アルクェイドが何か言う前に、シエルは急いで列に並んだ。つくづく馬鹿馬鹿しい仕事の気がする。列の前後で仲良さそうに話している女生徒たちの声に、なおさらそう思う。一番安いクレープを二つ買って、小走りに元の場所へ戻った。
「ちゃんと待ってましたね」
「別にあなたのためじゃないわ。食べるからちょうだい」
不機嫌そうに手を差し出すアルクェイドだが、一口食べてあっさり態度を変えた。
「おいしいね! なーんだ、やればできるじゃない」
馬鹿力でばんばん! と背中を叩かれ、殺意を新たにするシエル。
「あ、あはは。甘い物が好きなんですか」
「うーん、そうね。カレーとどっちか選べって言われたらこっちだし、甘い物が好き、っていうことになるのかも」
そんなことをいちいち考えないと分からないのは、ある意味哀れだ。
近くの植え込みに座って、しばらく二人とも黙々とクレープを食べた。目の前を、普通に生活している人たちが通り過ぎていく。こうしていると自分が普通でない、異質であるという事実をひしひしと感じる。一人のときはそれほどでもないが、今は隣に自分の正体を知っている奴がいるからだ。
しかもそいつ自身は自らの異質性に疑問も持っていないので、なおさら腹が立つ。
陽は急速に落ちていく。彼女の横顔は夕日に照らされて、見た目だけは本当に…綺麗に見える。
「アルクェイド」
「うん?」
「ひとつ聞いてもいいですか」
向けられる紅い瞳を、シエルは眼鏡越しに見つめ返した。
「真祖という生物は、自然が自己防衛のために生み出した存在であると聞きました。人間が自然を破壊するから、それに対抗するため、人間を律するために作られたのだと」
それはずっと前から聞きたかったことだ。
確認しておかないと、この不条理な存在にいつまで経っても納得できない。
「まあ、そんな話もあるわね」
アルクェイドはあまり興味なさげにそう答えた。
「実際のところはどうなんです。貴方は人間に天罰を与えたいんですか」
「あのねぇ、見れば分かるでしょ。そんなわけないじゃない」
「そうですね」
アルクェイドが積極的に人間を殺すことはない。もちろん人命を尊重する気もないだろうが、ロアに騙されたとき以外は血を吸ったこともない。
その意味ではロアはもちろん、先日殺した少女よりも直近の危険は少ない。
だが将来において墜ちたとき、その被害は二者の比ではない。真祖である以上その危険性を持ち合わせているのだ。
「じゃあ、真祖というのは一体なんなんです。何のために存在するんですか」
「…わたしに聞かれても知らないわよ」
少しむっとしたように、アルクェイドは言った。
「それを言うなら、人間って一体なんなのよ」
「ただの一生物です」
「なら真祖もそうなんでしょ。何のために存在するかなんて、哲学命題を聞かれても困るわ」
「哲学は知りませんが、何のためかは答えられますよ。すべて生物は、自種を他種より繁栄させるために生きているんです」
人間はそこから少し外れた部分もあるが、根本的にはそういうことだ。
だから埋葬機関は彼女を殺す。人類が鼠や蚊や病原菌を殺してきたように。
「じゃあ、わたしは生物じゃないんだ」
そんなシエルの思想は露知らず、アルクェイドは少し自嘲気味に笑った。
真祖はもうアルクェイド一人しか残っていない。彼女の同類は、すべて彼女が殺してしまった。
もう繁栄のしようがない。
「それが不思議だから聞いてみたんです。…でも、少し意地悪でしたね。この話は止めます」
「別にいいわ、気にもならないし。そうね、本当に――わたしは何で生きてるんだろうね」
結局、明確な答えは得られなかった。シエルもそれ以上考えるのをやめた。
他の生物の都合なんて知らない。
人間に害を与える生物、ましてや人命を損なうような生物は、殺してしまって一向に構わないというのが人類共通のコンセンサスだ。
「それにしてもこんな風に話ができるなんて、少し前までは考えられませんでしたねー」
そろそろ夜なので、形だけは友好的に締めることにした。
「そうね、ちょっと違和感あるかな。そろそろ殺し合いたくならない?」
「なりませんよっ。わたしは本来平和的な人間なんです」
「うそだー」
あっさり否定されてしまった。本当に、別に戦いが好きなわけでもないのに、どうしてこんな事になっているのかと時々思う。
思ったところで現実が変わるわけではないけど…。
「二人ともこんな立場じゃなくて、普通にクレープを食べることができたら、もっと楽しかったかもしれませんね」
言ってから後悔した。自分が馬鹿みたいだ。打ち消すように視線を逸らす。
「無意味ですね。こんな仮定」
アルクェイドは少し驚いていた。
それが、僅かに首を傾けて、そのままにっこりと微笑む。
…思わず見とれた自分に、腹が立った。
「でも、わたしはイフって好きだな」
純白の吸血姫は言う。
「どんな結果になるか分からないけど、とりあえずその時は救いがあるような気がする」
「そう…ですか」
救い、だって。
平然とそんなことを言うこいつが、やっぱり大嫌いだ――。
「それでは、今夜もパトロールを開始しましょう」
「そうねー」
すっかり陽が落ちた中で、気のない返事をして、アルクェイドはまだきょろきょろと商店街を見回している。
段々と社会に興味を持ち始めているようだ。良い傾向…なのかどうか。
「今日はお休みにしましょうか」
「え?」
「息抜きなら付き合いますよ。もう死者もほとんど見つからないでしょうし」
人の良さそうな笑顔でシエルは言う。殺せなくても、彼女について情報を集めることは今後の戦いでも有効なはずだ。
「あ――うん」
アルクェイドは少し逡巡したが、好奇心が勝ったのか、ふんぞり返って鷹揚に言った。
「そうね。あなたがどうしてもって言うなら、付き合ってあげてもいいよ」
「はいはい」
特に目的があるわけでもないので、そのあたりの店に適当に入る。服屋、ゲームセンター、本屋…。アルクェイドは面白そうに眺めていたが、結局は眺めるだけで、服を手に取ることもゲームを始めることもしなかった。それはやはり、世界の内と外の距離であるようにシエルには見えた。
「貴方は読書はしないんですか」
本屋で雑誌を物色しながら、何の気なしに彼女に尋ねる。
「読書? 不要じゃないかな。必要な知識はもう持ってるし」
「別に必要に迫られて読むだけが読書じゃないですよ。あるでしょう、人間性を豊かにするとか」
「人間じゃないのに人間性とか言われてもなー」
「うーん、それはそうですけど」
じゃあどんな本がお勧め? と聞かれてシエルも一瞬慌てた。偉そうなことを言っておきながら、ここ数年仕事関係の本しか読んだことがない。
二人で店内をうろついて、ピンクのカバーが並ぶ恋愛小説の棚にたどり着いた。
「このあたりはどうですか? わたしも昔は読んでました…」
「え、シエルってこんなの読むの? 人殺しの本とかだと思ってた」
「あのですねぇ、わたしも元は純真なパン屋の娘だったんですっ」
…あまりに離れすぎて、あれが自分に人生だったという実感は日々薄れているが。
一冊手にとって挿し絵を見る。この手の本は、フランスでも日本でも大して変わらないようだ。
「まあ、やはり今のわたしたちには無縁ですよね…。アルクェイド?」
見ると、アルクェイドは一冊の本を手にとって、物凄い速さで立ち読みしていた。人間離れした敏捷性を誇るだけあって、目の動きも相当速いようだ…なんて感心している場合じゃない。
「もしもし」
「うん、おもしろいね!」
「はい?」
「よくもまあ、架空の話をここまで作れるよね。空想具現化では生物は作れないけど、この本ってそれに近いじゃない。本当、感心した」
そんなに凄い本だったのかと数ページめくってみたが、いかにも小中学生向けの甘ったるい恋愛話だった。初めて触れるとはこういうものなのだろうか。
「でも変なところで切れてたけど、続きがあるの?」
「これは1巻ですよ。今のところ6巻まで出ているようですね」
「じゃあ読むから待ってて」
「買いなさいっ! お金持ってるんでしょう」
「あ、そっかそっか」
結局アルクェイドは残る5冊をまとめ買いし、店を出てからもすっかり夢中になって読みふけっていた。歩きながら読むと危ないですよと注意しても、全く聞く耳を持たなかった。
「…それじゃ、わたしは一応見回りをしてきますね」
「んー」
生返事に呆れたように肩をすくめて、シエルは死者狩りへと出かけていった。
だが、これが瓢箪から駒だった。
翌日の放課後にアルクェイドのマンションへ行くと、彼女はまだ小説を読んでいた。しかも部屋にはいつの間にか本が増え、50冊あまりが散らばっている。
「あ、おはよー」
「おはようじゃないです。一体どうしたんですか」
「いや、つい買いあさっちゃって」
目が赤い。元から赤いが、今の赤さは少し違う。濁っている…ような気がする。
「もしかして、寝てないんですか?」
「あはは」
ぱたん、と本を閉じ、笑おうとして、不意にその顔を不安が覆う。
「うん、寝なきゃいけないのにね。それが必要なのに、なぜだか勿体なく思えてくる。寝てる間は何もできないんだって思ったら、つい次の本に手が伸びちゃう。…わたし、壊れちゃったのかな」
思わず言葉が出なかった。あのアルクェイドが、人知を越えた化け物が、試験前の学生のようなことを言っている。
だがそれも一瞬だ。これがもたらす結果は容易に想像できる。吸血衝動を抑えるための睡眠を止めれば、後は命を削って抑えるしかない。
「そんなことないですよ。吸血鬼だってたまには息抜きも必要です」
「そんなもんかなー」
「そうですとも!」
思い切り断言した。結局その晩も死者狩りを休んで、代わりにテレビを見ることにした。小説のひとつに『TVドラマ放映中』の帯がついていたので、じゃあ見てみようということになったのだ。
初めてニュース以外の映像が映し出されたテレビに、アルクェイドは一瞬で釘付けになった。話しかけても返事がないので、そのまま退散した。
さらに翌日に部屋を訪れると、いつの間にかビデオデッキが接続されていた。今日は小説の代わりにレンタルビデオが散乱している。
「あ…おはよ」
笑っているが、明らかに力が落ちている。アルクェイドは片手で顔を覆った。
「参ったなぁ…。本格的に壊れてきたみたい」
呟きながら、それでもテレビから目を離さない。その横に正座して、覗き込むように隣の顔を見る。
「それが普通なんじゃないですか」
そう言って、シエルは微笑む。
「楽しいことをひとつも知らないなんて、そんなのは悲しすぎますから」
アルクェイドは答えない。真祖という神に近い存在が、今はテレビに夢中になっている。まさに堕落だ。
ずっと届かないと思っていた彼女の、こんな姿には妙に溜飲が下がる思いだった。
…それが貧しい感情であることも、一応は自覚していたが。
<つづく>
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