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この作品は同人ソフト「月姫」(c)TYPE-MOON の世界及びキャラクターを借りて創作されています。
シエルシナリオ、アルクェイドシナリオのネタバレを含みます。

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 落ちたのは何もない闇の中。
 遠くの一隅だけが切り取られ、明かり窓のように光景を映していた。
 向こうに見えるのは街の雑踏。いつかの約束通り、志貴と有彦と、そしてアルクェイドが楽しそうに笑いながら歩いていく。
 そんな自分がどこにもいない未来でも…シエルの心は、ほんの少しだけ軽くなった。
 幸せそうな他人を見て、それで救われた気分になるのは、虚しいことかもしれないけど。


 闇が深まる方へ歩き出す。
 辛いという意識はない。もう誰も殺さなくて済むのだし。
 ただ、自分のしたことに自信はなかった。吸血鬼を助けて死ぬなんて。人間という種としての、保存本能はどこへ行ってしまったのか。
 でも…
 目の前で死ぬ者を平気で見捨てるよりは、人として正しい行いだったと思いたい。
 そうとでも思わないと本当に救いがない、と言った方が正確かもしれないが。
 闇は広がり、シエルの意識を浸食し出す。あと数歩で途切れて消える。ろくなことがなかったけど、そんな時間ももうすぐ終わる――。
 目の前に人影が現れたのは、ちょうどその時だった。

「…死ぬ間際くらい、もう少しまともな人が出てきてくれてもいいと思うんですけど」
 苦虫を噛みつぶしたような顔で、ため息混じりに抗議する。
 ナルバレック、メレム・ソロモン、その他埋葬機関の面々が、冷ややかな顔で立ち塞がっていた。
「さっさと戻れ、シエル」
 シエルが今来た方を指さして、ナルバレックは言い放つ。
「また次の仕事があるからね。死んで楽になろうだなんて、そんな虫のいいことは許さないよ」
「鬼ですか、貴方は…」
 いや、鬼なのは知っていたけど。それにしたってあんまりだ。
 同僚たちは何も言わない。シエルが死んだ後も、彼女らは吸血鬼と戦い続けねばならない。それを考えると一概に文句も言えないけど…。
 下を向いて、シエルは少しだけ愚痴をこぼした。
「…本当は、ずっと嫌だったんです」
 やっぱり返答がないので、ぼそぼそと続ける。
「わたしは貴方みたいな殺人狂じゃない。しがないパン屋の娘です。剣を振るうのも、誰かを灰にするのも、そんなことしたいわけじゃなかった。わたしには向いてなかったんです」
「あれだけ殺しておいて、今さら何を言っているんだ。お前は」
 身も蓋もない言われようだった。
 胸に突き刺さって顔も上げられなかったが、その前で意外にもすっと道が開く。
「まあでも、私もそこまで鬼じゃない。
 自分の罪が消えたと、本気で思ってるなら止めはしないよ。
 お前に殺された者は今も冥府を彷徨っているだろうけど、自分ひとり安らかに死んで何の気も咎めないなら、どうぞ好きにするがいい」
「思いっきり鬼じゃないですか!」
 怒鳴ってみて、しばらく黙ってから頭を振った。
 もちろん、本物のナルバレックがこんな所にいるわけがない。
 夢の中の彼女に、こんなことを言わせてる。それは結局、未練があるということだ。
 シエルは諦めて、溜まっていた息を吐き出した。
「分かりましたよ。情けない話ですが、やっぱり死にたくないようです。死ぬ資格もありませんし、また貴方にこき使われてあげますよ」
 にやりと笑って、ものも言わずに彼女らの幻はかき消えた。
 疲れ切って、何もない空を見上げる。
 何もかも、もっと上手いやり方があったような気がするけど。
「まあまあ」
 後ろから軽く肩を叩かる。
「いいじゃない、生きてれば楽しいこともあるわよ」
 遠くで幸せになったはずの彼女が、目の前で笑ってる。
「まったく…どうしてあなたはそうお気楽なんですか」
 不平を言ったつもりなのに、顔の方が勝手に釣られてしまって、そして…
 アルクェイドの白が広がり、視界の中を塗りつぶした。




 最初に目に入ったのは、妙に古めかしい感じのする天井。
 ゆっくりと息を吐き、首だけ動かして状況を確認する。明るいのは蛍光灯で、窓の外は夜中らしい。
 見たことのない部屋だが、家具や壁の雰囲気は覚えがある。以前調査のときに探っていた…遠野家の古風な屋敷。
 身を起こすと、ベッドの脇の白い女性が目に入る。
「…アルクェイド」
 彼女はベッドに覆い被さるようにして、すやすやと寝息を立てていた。
 ずっと、側についていてくれたのだろうか。
 ちょっと嬉しくて、静かに体を揺する。声をかけようとしたところで、う〜んと唸って彼女は目を覚ました。
 起きるやいなや、アルクェイドがしたのは口をとがらせることだった。
「もう、何で3日も寝てるのよ! たかがあれくらいの傷で!」
「だから、貴方みたいに頑丈じゃないんですってば! 普通は死んでますっ!」
 少し睨み合ってから、アルクェイドは身を起こして大きく伸びをする。シエルの方も首を回して、あらためて自分の体を確認した。新品のパジャマを着て、血の汚れも綺麗に拭き取られている。ここの家の人がしてくれたのだろう。
 心臓に開いたはずの穴は…何もなかったように塞がっている。
「…どうして、わたしは生きてるんですか」
 聞かないわけにもいかず、アルクェイドにそう尋ねた。
 聞かれた方はどうでもよさそうに、軽い口調で答える。
「そりゃあ、あんな状況で吸血鬼がすることなんて決まってるでしょ」
「まさかあなたの血を飲ませて吸血鬼化させた、なんて落ちじゃないですよね」
「当たりー」
「なっ…!」
「あ、平気平気。命が繋がった時点で、血の方は志貴に殺してもらったから」
 ひらひらと手を振って種を明かすアルクェイド。シエルの勢いは消散し、実感するまで数瞬かかった。
「…そう、だったんですか」
 思わず、自分の胸に手を当てる。
 普通の体。
 血に染まった手が綺麗になったわけではないし、吸血鬼と戦う上ではむしろこれで不利になった。それでも、どうしようもなく嬉しくて仕方ない。
 最後の最後に志貴に迷惑をかけてしまったけど、生きていれば謝ることもできる。
「貴方にも、お礼を言わなきゃいけないんでしょうね」
 そう呟くシエルに、アルクェイドは冗談じゃないという顔で言った。
「別にいいわ、おあいこだから。こっちだってお礼なんか言わないからね」
「そうですね、わたしも言われたくないです。勝手にしたことですから」
 互いに向き合って、ふふんと鼻で笑う。
 …ようやく、戻ってきた気がする。
「あ、でも服を持ってきてやったことは感謝してね」
 ベッド脇の机の上に、アパートから持ってきてくれたらしい制服と、それに眼鏡が綺麗に畳まれて置かれていた。
「本当だ、どうもすみません。お礼にカレーでもおごります」
「それはいらない…」
「まったく、偏食の吸血鬼なんてとんでもない話ですね」
「誰のせいよ誰のっ!」
 ベッドから降りて、オレンジ色の制服に着替える。二度と着ることはないと思っていたけど、今は遠慮しないでおこう。
 度のない眼鏡をかけたところで、アルクェイドが話しかけてきた。
「そういえば、口の周り洗ってきた方がいいわよ」
「え?」
 それは3日も寝ていたのだから顔くらい洗いたいけど、どこから口の周りが出てきたのか。
「何でです?」
「何でって…ほら、分かるでしょ。血を飲ませたんだし」
「?」
 言い辛そうに目線を逸らす彼女に、頭の中で思い浮かべてみる。
 吸血鬼が、自分の血を飲ますとしたら……?
「‥‥‥!!」
 ようやく思い至って、反射的に唇を押さえた。
「何てことしやがるんですか貴方はーーっ!」
「しょうがないでしょっ! ああもう、いいから早く洗ってきてよ! こっちだって気持ち悪いんだから!」
「言われなくてもそうしますっ! はあ、どうしてこうついてないんでしょう。ようやく生まれ変われた矢先に、唇を奪われた相手がこんなのですか…」
「むっかー。文句があるならもういっぺん死ねばっ!」
 すっかりへそを曲げて、アルクェイドはふいと向こうを向いてしまった。また言い過ぎてしまったか。
「冗談ですよ。まあ、あなたは美人だから我慢することにします。どうせなら起きてるときにしてほしかったですけど」
「なっ…!」
「それじゃ遠野くんに挨拶してきますね〜」
「勝手にしなさいよ、ばかシエル!」
 アルクェイドは真っ赤になって手近にあった枕を投げてきたが…それは本当に人を殺しかねない速度で飛んできたので、シエルは慌てて部屋の外へと逃げ出した。


 廊下に出たところでメイド服の少女と鉢合わせする。礼を言ってから志貴の居場所を聞いた。
 さすがにこれだけ世話になって、その上洗面所を貸してくれとは言いづらく、顔を洗うのは後回しにしてそのまま案内され居間へと向かう。
 志貴は居間のソファーで妹とお茶を飲んでいたが、シエルを見るなり文字通り飛び上がった。
「先輩! もう起きて大丈夫なのか!?」
「はい、お陰様で。遠野くんには色々と迷惑をかけちゃいましたね。ありがとうございました」
「いいって、先輩はこの街を救ってくれたんだから。お礼を言うのはこっちの方だ」
「あはは。別に救ったってほどじゃないですけど」
 確かにこの街から殺人鬼は消えたけど、犠牲になった人は戻らない。それを思うと余計に罪が増えた気がする。背負っても仕方ないと分かってはいるが。
「事情は、アルクェイドから聞いちゃいましたか」
「…まあ、大体は」
 そうですか、と口の中で言った。さすがにこの期に及んで、正体を知られたくなかったとは言えない。
 開き直って、ちょっと怒った顔を見せる。
「助けてもらってなんですけど、遠野くんは無茶をしすぎです。体内に入った血を『殺す』なんて、神経の方が壊れたらどうするんですか」
「いや、アルクェイドも手伝ってくれたからそうでもないよ。あいつが半泣きになって、先輩を抱えて飛び込んできたときは驚いたけどさ」
「そ…そうだったんですか」
 何だか照れくさい。別にシエルが照れることではないけど。
 だが志貴の妹がソファーからじっとこちらを見ているので、えへんと顔を改めた。お手伝いさんらしい姉妹も、台所の入り口から顔半分だけ出して覗いている。早めに退散した方が良さそうだ。
「それは別として先輩。俺、けっこう怒ってるんだけど」
 志貴の言葉に我に返って、ごまかすようにシエルは笑った。
「あ、そうですね。ずっと遠野くんを騙してたわけですから。嫌われても仕方ないです」
「そうじゃなくて! 分かってて言ってるだろ。先輩とアルクェイドが危険な目に遭ってたなら、どうして教えてくれなかったんだよ? 俺にだって何かできたかもしれないのに…」
 それを聞いて、つくづく教えなくて正解だったと思った。
「まあまあ。そういう遠野くんは何をしてたんですか」
「何もしてないよ。いつも通り、普通に学校行って、有彦と馬鹿やってた」
「そうですか。…なら、良かった」
 良かった。彼の平和な生活を守れた。
 志貴にはそうあって欲しかったのだ。たとえ自分の自己満足でも。
「いいじゃないですか、わたしはこれが仕事なんです。遠野くんは学生なんだから、少しは手柄を譲ってください」
「そういう問題じゃ…」
「いーえ、その方の仰る通りですわ」
 黙って聞いていた志貴の妹が、やにわに立ち上がると二人の間に割り込んできた。
「シエル先輩、でしたかしら。兄を巻き込まなかったことはお礼を言います。この上は一刻も早く、あのアーパー女と一緒に出ていっていただけると嬉しいんですけど」
「おい秋葉っ!」
 妹の暴言に、さすがに志貴も叱りつける。
「何て失礼なこと言うんだお前は! そんな風に育てた覚えはないぞ!」
「なっ…。えーえー、こっちだって兄さんに育てられた覚えなんかありません。7年間も放っておかれたんですから!」
「ち、ちょっ…。今はそんな話をする場合じゃないだろ…」
 が、あっさりと反撃を受けて、ぷいと横を向いた妹をなだめる羽目になる始末。
 シエルは堪えきれずに、思い切り吹き出してしまった。
「先輩〜」
「いやいや、いい妹さんじゃないですか。お兄さん思いで羨ましいです」
「あ…貴女にそんなこと言われる筋合いはありませんわ! まったく!」
「はぁ…。まあ先輩。立ち話もなんだし、お茶でも淹れるから座ってよ」
「いえ、今日のところは夜も遅いですし退散します。いずれ菓子折でも持ってあらためてお礼に来ますね」
「いいよそんなの。それより、明日からまた学校に来るんだろう?」
 それを一番確認したかったのだろう。
 一瞬言葉に詰まったが、志貴の目が不安に変わるのを見て、言わないわけにはいかなくなった。
「すみません遠野くん。今まで生徒を演じていたのは、すべてわたしの仕事のためです。もう目的は果たしましたから、学校へ行く理由も…」
「いいじゃないか。俺も有彦も先輩がいてくれれば楽しいし、先輩もそうだって自惚れてるんだけど。それだけじゃ理由にならない?」
 一体どこまで喋ったんだ、アルクェイドは。
 志貴の目は真っ直ぐにこちらを見ていて…それはシエルには、断ち切るしかないものだった。
「遠野くんのクラスに、弓塚さんという生徒がいたでしょう」
 急に級友の話を振られ、彼は怪訝そうな顔をする。
「え? うん…。今はちょっと休んでるけど」
「彼女は、わたしが殺しました」

 志貴の体が硬直する。
 秋葉は眉をひそめ、近くで聞いていた姉妹も顔を強ばらせた。
「彼女は吸血鬼となって人を襲っていた。殺人事件のいくつかは彼女によるものです。
 だから、わたしが殺しました。
 そのことを後悔もしていないし、間違ったことをしたとも思わない。
 …それでも、わたしが普通の生徒としてあの教室に行くなんて、できるわけがないでしょう?」

 志貴には答えようがない。
 シエルを責めるわけにもいかず、といってクラスメートが殺されたというのを、「そんなこと」で済ませられるわけもない。
 結局絞り出すように、思ったことを言うしかなかった。
「分からないよ、先輩…。
 先輩がそう言うなら嘘じゃないんだろう。でも、俺だって同じ立場なら同じことをしたかもしれない」
「ええ、けど実際はそうならなかった。それで十分なんです。
 遠野くん、あなたはこちら側に来ちゃいけない。
 あなたには家族も居場所もあるじゃないですか。勝手なお願いですけど…ずっと大事にしてください」

 わたしの分も、なんて、決して口には出せなかったけど。
 志貴はまだ何か言おうとしたが、シエルは黙って彼の後ろを指さした。
 振り返ったそこには、妹と、同居人の姉妹の不安そうな目。志貴がどこかに行ってしまうのではないか、と。それを振り払うことなどできるはずもなく…
「でも先輩、それなら先輩だって…!」
 それでも志貴は諦めずに、なお食い下がろうとしたけれど――
 再び前を向いたとき、シエルの姿はどこにもなかった。



 高い壁の上から、とん、と道路に着地する。
 雲一つない月夜の下、遠野家の壁の外は人の気配もなく、止めていた息を吐き出した。
 あの空間から逃げてきた。自分がいるべき場所ではないから。彼には悪いが、菓子折は郵送で勘弁してもらおう。
「わっかんないなぁ」
 聞こえる声に上を向くと、壁に腰掛け、アルクェイドがぶらぶらと足を揺らしていた。
「別にいいじゃない。ロアは倒したんだし、少しはのんびりしたって」
「そうはいきません。まだ仕事は残ってますから」
 アルクェイドもひらりと飛び降りる。
 それと同時に、シエルは腕を振って黒鍵を抜き放った。
 そう、例えばこんな仕事が。

 黒鍵を見ても、アルクェイドは平然として言葉を待っていた。
 やりにくいが、気を奮い立たせて詰問する。
「アルクェイド。貴方が墜ちるまで、どれくらいの猶予ができましたか」
「聞いてどうするのよ」
「答えによってはやはり貴方を倒さねばなりません。実現できるかはともかく、少なくともその方法を考えなくてはならない」
 ロアに奪われた力は戻っても、吸血鬼の業が消えたわけではない。
 彼女が人類の敵でなくなったわけではないのだ。
 意外にも、アルクェイドは不快そうな顔すらしなかった。ただ両手を腰に当て、心底呆れたように言った。
「助けたのに殺すの? 頭の悪いことするなぁ」
「放っておいてくださいっ! わたしは使命より感情を優先させてしまった。それは許されることじゃないんです。貴方が人間の敵なら、個人の好悪なんて捨てなくちゃいけない…!」
 決死の覚悟で言っているつもりだった。罪を背負っている分、自分の好きにできる余地なんてない。
 なのにアルクェイドはきょとんとした顔で、どうでもいいところに反応した。
「個人の好悪って?」
「え?」
「それって、あなた個人はわたしを嫌いじゃないって風に聞こえる」

 …なんでそんなところに反応するんだ。
 ごまかす方法を思案する暇もなく、アルクェイドは覗き込むようにして詰め寄ってくる。
「ねえ、どうなの?」
「どうでもいいでしょうそんなことはっ!」
「何よ、自分だけ質問して、こっちの聞くことには答えないわけ? だったらわたしも教えてやる理由なんかないわ」
「くっ…貴方って人は〜!」
 こういうところが嫌いだ。いっそそう言ってしまおうか。
 といってもそんな嘘をついたところで状況が悪化するだけなので、苦労して自分を納得させてから、できるだけ視線を背け、小さな声で、シエルは本当のことを言った。
「…嫌いじゃ、ありません、けど」


「えへへー」
「なにっ、なんですかっ! 別に好きだとも言ってませんよっ!」
「うん…いいわ、分かった」
 にっこりと笑って、静かにアルクェイドは約束した。
「安心していいよ。人間に害は与えない。墜ちるときは、その前にこの世から消えるから」
「‥‥‥」
「考えてみれば、真祖っていう生き物はずっとそうしてきたんだしね」
 正直に言えば、そう答えてくれるのを期待していた。
 でも、実際に言われると後ろめたい。それは自ら命を絶つ…と、いうことだ。
「いいんですか…それで」
 思わずそう言ってしまったが、答えはあっけらかんとしたものだった。
「いいよー。どうせ百年後くらいだし」
 がっくりと脱力する。深刻になって損した。百年というのが長いのか短いのか、ただの人間に過ぎない自分には分からないが…どちらにせよ、人間の常識で考えても無意味らしい。
「分かりました。これでもう貴方を狙う理由はありません。危険度が少ない割に排除が困難とあっては、他の吸血鬼を相手にした方がよっぽど効率的ですからね」
「本当、いちいち口実をつけるよね」
「悪かったですね。本能だけで生きるよりましです」
 そんな風にまた憎まれ口を叩き合って。
 そうして、話すことがなくなってしまった。彼女を殺す理由がないなら、繋がりも途絶えてしまう。
「約束でしたね、アルクェイド」
 だから最後くらい、笑顔で言った。
「ロアが消えた以上、契約は守ります。遠野くんと会うことを邪魔はしませんし、貴方の前に顔も出しません」
「そっか…。そういう約束だったっけ」
「はい。そういう約束でした」
 あの時は、守る機会が来るなんて思わなかったけど。
「あなたはどうするのよ」
「とりあえず報告に戻って、あとは今まで通りです。吸血鬼を浄化して、それが終われば次の吸血鬼のところへ…その繰り返し」
「何よ、そんなこと望んでないくせに」
 もう関係ないはずなのに、アルクェイドは納得できないように言った。
「いいじゃない、学校でも志貴のところでも好きなところに行けば。
 この前も言ったけど、あなたが罪と思ってることって結局はロアの仕業でしょう? 何だってそんなもの背負い込んでるのか分からない。…また怒るかもしれないけど」
「怒りませんよ」
 自分に苦い笑いを向ける。本当、冷静に受け止めればこんなに簡単なことなのに。
「罪かどうかわたしには判断できません。自分自身のことですから。
 でも、ロアだった頃の光景は記憶に焼き付いているし、今も同じようなことが起きていると知ってしまった。何も知らなかった頃みたいに、楽しく生きるのはもう…無理ですよ」
「そうかなぁ。わたしは全然気にしないけど」
「ええ、お互いそれでいいじゃないですか」
 別にシエルだって無意味なことをしてるわけじゃない。誰かの日常が壊されるのを、戦うことで少しでも守れる。そうやって…少しでも善いはずのことをしていないと、生きていけない。
 アルクェイドはこれから始まる。志貴や有彦なら信頼できるし、日常の中の幸せをこれから知っていけるだろう。それを祈るくらいしかできないけど。
「それじゃ、アルクェイド…。遠野くんにあんまり迷惑かけちゃ駄目ですよ」
 返事を待たず、シエルは身を翻して歩き出した。
 使命を果たせなかった自分は、戻ればナルバレックにどんな目に遭わされるやら。それをやり過ごしたとしても、その先は吸血鬼との戦いが続く。でもそれを選んだし、それ以外は選べなかった。
 そうやって。
 これからもずっと、一人で戦い続けるのだと思っていた。

 後ろから、アルクェイドがついてきたりしなければ。

「な…!?」
「まあ、平和で平凡なのも魅力的ではあるけどね」
 驚いて振り返るシエルに、何食わぬ顔で空を見上げる彼女。
「でも、それだけなのも飽きそうな気がする。
 結局、わたしは死徒を狩るために作られたんだから。最後はそれが存在理由になるしかないわ。アルトルージュとの決着もつけなくちゃいけないし」
「ちょっ…一体、何を言ってるんですかっ!」
「ああもう、分かんないかなぁ」
 不満げに言われても、分かるわけがない。幸せな日常を、拒む理由なんて思いつかない。
 混乱する中を、真祖の姫君はこちらを見る。静まる夜の中で……月を背にして。
「わたしは、シエルと同じ側だってこと」

 半ば呆然としているシエルを置いて、アルクェイドはさっさとアパートへ向けて歩き出した。
「しばらく泊めてね。わたしの部屋は滅茶苦茶になったままなんだから。それくらいしてくれたっていいでしょう?」
 のろのろと歩き出しながら、まだ信じられず、視線は地に落ちる。
 …これからもずっと一人で戦い続けるのだと、そう思っていたのに。
「でも…本当にいいんでしょうか。わたしは…」
「何を言ってるのよ。言ったじゃない、責任を取ってもらうって。だからそうするべきなの」
 詭弁だ、そんなの。嘘にもほどがある。
 そう思うけど、顔が勝手にほころんでいく。どうしよう、嬉しい。
 一人じゃないなんて、そんな未来を示されたら…もう抗えない。
「はぁっ…。仕方ないですね。あなたを放っておくと心配ですから、わたしがついていてあげます」
「ふんだ。その代わり何か作ってよ。お腹が空いたって感じるのも、あなたのせいなんだからね」
「いいですよ、とりあえず晩ご飯はカレーですけど」
「…やっぱり考え直す…」
「駄目です。一度言ったことは責任を取らなくちゃいけません」
 アルクェイドは困ったように眉を寄せて、でも足を止めようとはしなかった。
 それと並んで、黒い空の下を歩いていく。
 行き先が変わったわけではない。先には無数の血と死と、そして死徒27祖が待ち受ける。どれだけ生きていられるかも怪しいものだ。
 なのにどうしても思えてしまう。多くはないけど、きっと楽しいこともあるって。
 その理由ははっきりしていたから…言葉は自然と、口をついて流れ出た。
「…ありがとう、アルクェイド」
 面と向かってなんて、とても言えなかったけど。
 それなのに彼女ときたら真っ直ぐに顔を上げ、本当に屈託なく、嬉しそうに笑うのだ。

「うん…!」

 月明かりの下で、その笑顔に目を奪われながら。
 ああ、もしかして本当に、救われたのかもしれないと…
 初めて、そんな風に思った。







<END>



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