チョピリチュアルのすすめ、その1(チョピ1) |
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☆ 『全ては波であり、全ては1つ』 ☆ 「宇宙に存在する、全ての物は、 実体のない、“波(エネルギー)” から出来ている」 という考えがあります。 この考えは、スピリチュアルの世界で、 考えられていることです。 また、科学(物理学(ぶつりがく))の世界でも、 ほぼ似たような事が、考えられています。 最新の科学(物理学)では、 物質(ぶっしつ)を構成(こうせい)する、 もっとも小さいもの、『量子(りょうし)』を、 調べた結果、『量子』は、 “実体のある”→“粒子(りゅうし)”でもあり、 “実体のない”→エネルギーの“波”でもある、 という、2つの異(こと)なる性質を、合わせ持った、 存在だという事が、分かってきたそうです (ある時は、実体があって、ある時は、実体がない、 という、不思議な存在みたいです… 私は、詳しいことは、さっぱりわからないのですが^^) 科学者さんの中には、『量子』は、単なる、 エネルギーの波である。 と、単純明快(たんじゅんめいかい)に、 結論づけられている方も、おられるようです。 (私は、『量子』が、2つの異(こと)なる性質を、 合わせもってしまうという問題は、 次元を1つ超えることで、 解決されるように、思います。 例えば、アリンコさんが、「この地球は、 平らであると同時に、球体でもある」と、 不思議な考えに、至(いた)ったとします。 アリンコさんの住む、小さな世界(次元)では、 その考えに、矛盾がないようにも思われます。 でも、人間の住む、大きな世界(次元)では、 地球が、球体であることは、 分かっているので、アリンコさんの考えが、 半分当たっているけど、半分間違っていることが、 分かります。 このような、ことが、 人間が、持ってしまった、 量子に対する、矛盾した考えにも、 当てはまるような気がするのです。 大きな世界、1つ先の次元に、私達が進む事で、 量子が、波だと、認識される日が来ると、 私は思うのです) どちらにしても、 最新の科学では、 物質の最小単位(さいしょうたんい)と、 考えられている、 『量子』とか、『電子(でんし)』が、 実体のない、“波”であることを、 半分ぐらい、認めているのです。 (少なくとも、『量子』は、“波”ではない! と、証明(しょうめい)できた科学者は、 いないようです) スピリチュアルの世界では、 物の本質は、波であり、この世は、 実体のない、幻のようなものだ。 みたいに、考えられています。 そのような考えは、昔から、 仏教の世界にありました。 「色即是空(しきそくぜくう)空即是色(くうそくぜしき)」 という言葉がそれに当たると思います。 この言葉は、 「この世の全ては、固定的な実体で、 出来ているのではない。 全ての本質は、流動的な空であり、 その空によって、この世は作られている」 という考えを、言っているものです。 (…多分、そんな感じだと思います) この世は、実体のない、エネルギーの波で できているという考え方は、仏教の世界だけでなく、 宇宙の意識体とか、別の次元の親切な方とか、 様々な方達が、おっしゃられていることでもあります。 ということで、スピリチュアルの世界では、 昔から、今にいたるまで、 この世界の本当の姿は、 実体のない、空、エネルギーの波、が、 形をとることで、成り立っているもの。 と、考えられています。 エネルギーの波の1つ1つが、 “石ころ”になったり、 “川”になったり、 “豚”になったり、 “木”になったり、 “人”になったり、 “音楽”になったり、 “太陽光”になったり、 “感情”になったり、、、 ありとあらゆる存在になっていると、 考えられているのです。 イメージ画像1 ↓ イメージ画像2 まとめると(ひつこいですが^^)、 この世界で、実体=物質(ぶっしつ)として、 認識(にんしき)されているものも、ふくめて、 全ての存在は、 実体のないもの=波(エネルギー)で、 作られていると、 科学の世界でも(半分ぐらい)、 スピリチュアルの世界でも、 考えられているのです。 そうは言っても、 石ころや、木や、私達人間が、 実は、実体のない存在で、 実体をもたない、「波」から、 できているという考えは、 信じがたい話です。 その点、 “音とか光とか電波”などが、 「波」で、できているというのは、 信じやすいというか、 多くの人が、信じていることですし、 それもまた、本当の話だと思われます。 存在(そんざい)の本質(ほんしつ)が、 “波”でできているという事に、 信じやすいものと、 信じにくいものと、 2つに分かれてしまうのは、 「形があって、手でさわれるもの」と、 「そうでないもの」との、 違いがあるからだと、思います。 でも結局(けっきょく)、 「形があって、手でさわれるもの」と、 「そうでないもの」との違いは、 それぞれの持つ、“波”の違いでしか、 ないと思うのです。 “波”の違いとは、 “波の個性(こせい)”の違いだと思います。 “波の個性”を、“固有の波”と、言いかえても 良いかと思います。 例えば、音の事を考えてみます。 音は、“波の個性”の違いの分だけ、 様々な音として、存在する事になります。 人が聞くことができない種類の音から、 人が聞くことができる音まで、 多種様々(たしゅたよう)な音が、 存在します。 人が聞くことができない種類の音と、 人が聞くことができる音の違いは、 音の波の、振幅(しんぷく)の、長さ、早さ、 強さなどの、違いになると思います。 その違いが、それぞれの音の持つ、 “波の個性”=“固有の波”です。 ド♪の音が、ド♪なのは、 ド♪“固有の波”を持っているからです。 そして、ド♪の音は、 1つだけではなく、 低いド♪の音があったり、 高いド♪の音があったりもします。 つまり、 同じ“固有の波”を持った、ド♪の音が、 更に、“固有性”を深めることで、 様々な(低いものから高いものまで)、 バラエティ(多様性)ゆたかな、 ド♪という存在に、なっていきます。 石ころが、石ころなのも、 ド♪の音が、ド♪であるように、 石ころが、石ころ“固有の波”で、 できているから、石ころなのです。 石ころの波は、 音の波と違って、手でふれられたり、 形をなしている、という個性、性質(せいしつ)、 特徴(とくちょう)があります。 また、石ころは、1つだけではありません。 世の中には、たくさん石ころが、存在します。 それぞれの石ころは、石ころ“固有の波”を、 基本的(きほんてき)に持っていて、 更に、石ころ1つ1つが、 それぞれ“固有の波”を持っています。 そのことにより、世の中には、 たくさんの、バラエティゆたかな、 石ころ達が、存在することになります。 そういった事は、 人に対しても、花に対しても、 どんな存在に対しても、 同じ事が言えると思います。 ※ 小さなまとめ ※ 万物(ばんぶつ)には、 それぞれ“固有の波”がある。 “固有の波”を持った存在が、 さらに、“固有性”を深めることで、 その存在は、増えて行き、 バラエティーに富(と)んだ存在に、 なっていきます。 逆に考えると、 無限(むげん)に存在するかと思われる、 たくさんの、バラエティーに富んだ、 “固有の波”は、元々、同じ“固有の波”から、 派生(はせい)して、できたものと、 考えられます。 派生する前の波、その前の波、と、 大本(おおもと)まで、波をたどっていくと、 そこには、1つの波が存在することになると、 思われます。 なので、その大本となる、 1つの波の個性は、 全ての波の個性と、 通底(つうてい)している 存在だと、思われます。 ★ 大きなまとめ ★ 万物は、波でできている。 この世界は、バラエティーに富んだ、 波の集合体(しゅうごうたい)である。 波の集合体は、もともと、 1つの波からできている。 ということで↓ 『全ては波であり、全ては1つ』 と、なるんじゃないかと、 今まで、頭の中に入っていた、様々な情報を、 整理しながら、まとめてみました。 …まとまってないかもしれませんが。 (話が、飛躍(ひやく)しすぎたところが、 あったかもしれませんし…ごめんなさい) 以上のように、私のまとめたものは、 よくわからないもの、だったかもしれませんが、 「全ては1つ」という考えと、 「全ては波(エネルギー)でできている」 という考え方を、頭の片隅においておくと、 生きていく上で、面白いかと思います。 テレビのニュースショーを見て、得られる知識より、 ためになる知識かもしれません。 この、単純な考え方が、 スピリチュアルで語られている、 大本の考えになると思います。 この後に書こうと思っている、 他の、チョピリチュアルのすすめも、 この大本の考えから派生した 考えになると思います。 補足です。 “波のエネルギー”を、 “愛”と表現する、方もおられます。 最後まで、読んで下さり、 ありがとうございました。 |