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ここは、日記に、スピリチュアル的な
内容を書かせていただいた部分だけを、
抜粋して集めてみたコーナーです。
題して、スピリチュアル別腹日記です。

面白くないかもですが、
スピリチュアルに興味のおありの方、
そうでない方も、
よろしければ、見ていただけたら、
うれしいです。

2013.11.04

〜 シャングリラ 〜

ちょっとだけ、人生について、考えてみちゃいました。

その結果、
「人生は、風で進む、帆船(はんせん)のようなもの」
という、ある一つの考えに至りました。

人生を帆船に見立てる考え方には、
ちょっと無理な部分もあるのですが、
大体において、筋が通っているように思えます。
また、自分で言うのもなんなんですが、
面白い考えでもあります。
ということで、勝手ながら、図を交えて、
その考えを、ここに書いてみました。
よろしければ、見てやってください。


“人生”を、帆船に、例えてみたいと思います。
この帆船は“現実世界”という大海原を航行しています。

この帆船は、弁才船(べざいせん)に
似ていますが、もちろん、空想上の船です。
実際に、こんな船があったら、航行するどころか、
すぐに沈んでしまうこと、請け合いです。

この帆船には1人しか乗れません。推進力は風だけです。
人それぞれの、帆船の大きさ、操作性はまちまちです。
また、航海を始めた(生まれた)場所の、海の状態(時化とか凪)なども、
人それぞれ違っています。

今、この帆船は↓理想の現実に向かって、航行しています。

帆船の、進行方向を変える時には、このように、マストを動かします。

この“現実世界”という大海原では、常に一定方向からしか、風がふいてきません。

なので、人生の帆船は、どうしたって、後には進めないようになっています。
帆船の進む方向は、前方180度の範囲に限ります(真横へは進めないかもしれません)。
ちなみに、常に一定方向にしか吹かない、この風のことを、
“進化の風”と呼びます(私が勝手に呼んでます)。

つまり、下の図のように、追い風に乗る形をとれば、
人生の帆船は、何処へでも自由に、進路をとれるということです。

理想の現実は、風が吹いていく先にいけば、必ずあります。
なので、通常、風任せで進めば、マストを動かす労力(努力)も必要なく、
帆船は、楽に、最速で、理想の現実につくように、なっています。

ただ、人生の帆船は、人それぞれ違うものだし、
乗っている海流(海流も風の方向に逆らって流れることはありません)も、
人それぞれ違うので、自分に合った、理想の現実に進むためには、
人によっては、マストを動かすことが、必要になる時も、あるかもしれません。

また、このように、
人生の帆船で航行している時に、得体のしれない、
障害物などが、目の前に現れることがあります↓(便宜上、マストを半透明にしました)


本来なら、理想の現実に向かって、最短最速で、前に進みたいところですが、
障害物にぶつかって、難破するぐらいなら、
このようにマストを動かし↓迂回する人がでてきます。

この場合、まっすぐ進んでいた時よりも、マストを動かす労力や時間が、
余計に、かかることになります。

でもたまに、

障害物など無いかのごとく、まっすぐ前に、進み続ける人もいます。

でも、この人は、障害物にぶつかることなく、障害物の中に入ってしまいました。

実はこの障害物、ただの幻だったんです。
この幻は、ある航行者達が、先にやってきて、ここに、設置しておいたものだったのです。

先にやってきて、幻の障害物を設置した、その航行者達は、

後から来る、他の航行者達の、進路を変えさせたり、
速度を遅くさせたりすることで、他の航行者達を、
コントロールしていたのです。
なぜ彼等が、そんなことをするかというと、
他の多くの航行者を、コントロールすることで、
広い海を独占したかったからです。
独占した広い海を、自由に使って、自分達だけ、
快適な航行をしようと、考えたからです。

この障害物のことを、常識とか、社会通念とか、マスメディアと呼ぶこともあります。
恐怖によって、作られているものが多いです。でも、結局、幻なので、実害はありません。

ちなみに、障害物を通過していった航行者は、
こんな感じで↓はなから、幻は見えていませんでした。

この航行者は、理想の現実だけが、本物の現実だと信じ込んでいる人でした。
このような人には、幻の障害物など、目に映らないのです。

ということで、人はみな、
幻の障害物を、時間をかけて作ったり、
幻の障害物を、時間をかけて避けたり、
幻の障害物を、気にしないで、進み続けたりしつつ、
結局は、それぞれの理想の現実に向かって、前進し続ける、
人生と云う帆船に、乗っているのではないかと、考えました。

誰もが平等に受けている、進化の風は、やがて、私達全員の帆船を、
誰もが等しく、理想と思える場所まで、運んでくれるのではないかとも、考えました。

ちなみに、帆船を、ただまっすぐ前にだけ進めていると、
目的地(理想の現実)の景色に、変化は生じません。
でも、目的地を変えずに、マストを操作して、帆船の進行方向に、
変化をつけることで、見える目的地の景色も変化し、
その違った景色を、楽しむことも、できるかもしれません
(労力や時間が、かかる行為かもしれませんが)。
人生の帆船は、そういう自由な楽しみ方も、できちゃうかと思います。

最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。

2013.09.26

☆ 『引き寄せの法則』 ☆


『引き寄せの法則』は、
「思った事が、引き寄せられ、実現する」という法則です。
もう少し詳しく書くと、
「過去に、思い続けた、1番強い思いは、実現される」という法則です。
もうちょっと詳しく書くと、
「継続された強固な思い、1番強く思ったこと、
 1番強く意識を向けた対象(たいしょう)を、
 現実として、引き寄せる」という法則です。


例えば、A′さんという人間がいるとします↓
A′さんは、いつも同じ毎日の繰り返しで、
毎日がつまらない、毎日が面白くない、と、
ずっと思い続けていました。



数日後

その結果、引き寄せの法則通りに、
A′さんの思いが、実現されます。

堂々巡(どうどうめぐ)りのようですが↑
いつも同じことを考えていたので、その考え通りの現実が、
実現されているだけのことです。
引き寄せの法則とは、こんな感じのものです。

ある日、A′さんは、同じ毎日が、いやになりました。
この、つまらなくて、面白くない毎日が、
なんとかならないか?何かいい方法があれば、
誰か教えてほしい!と、強く思うようになりました。
すると、しばらくして、友人から、『引き寄せの法則』の存在を、
教えてもらいます。
(これは、偶然ではなく、A′さんの思いが、引き寄せたものです)

A′さんは、同じ毎日のくりかえしから、抜け出せるならと思い、
早速、『引き寄せの法則(思った事が、引き寄せられ実現する)』を、
ためしてみることにしました。



数日後

A′さんは、『引き寄せの法則』をためし続けたのですが、
結局、思い通りの現実を、実現(引き寄せ)できませんでした↓

A′さんが、つまらない毎日、面白くない毎日から、
抜け出せなかったのは、『引き寄せの法則』が、
ウソだったからではありません。
『引き寄せの法則』は、ちゃんと働いていました。

この一連の流れを↑整理したいと思います↓

先に述べましたが、『引き寄せの法則』は、
継続された強固な思いの対象を、
現実として、引き寄せます。

A′さんが、改めて、思い直したことは、
「このつまらない毎日が、楽しくなると思うぞ!」
「この面白くない毎日が、面白くなると思うぞ!」
でした。

普通の人が、A′さんの思いを聞けば、
「ああ、A′さんは、毎日が楽しく、
 毎日が面白くなればいいと、思ってるんだな」
と、理解できます。

ところが、『引き寄せの法則』は、
融通(ゆうずう)がきかないというか、
人の気持ちを忖度(そんたく)できないというか、
とにかく、人が1番強く思っていること、
1番強く意識を向けている対象を、
純粋に、引き寄せちゃうのです。

実は、A′さんは、気付いていませんが、
A′さんが、1番強く思っていたこと、
1番意識を向けていたことは、
望む“現実”ではなく、
「つまらない毎日」や「面白くない毎日」という、
今、体験中の“現実”だったのです。

「楽しくなると思うぞ」や「面白くなると思うぞ」
という“思い”の根底(こんてい)には、
「つまらない毎日」や「面白くない毎日」という、
“現状”に対する、強い否定の思い、あるいは、
“現状”には、足りないものがある、といった、
強い思い(欠乏感=幻想)が、かくれていたのです。

その、かくれていた強い“思い”が、
今の“現状”、今体験中の“現実”である、
「つまらない毎日」や「面白くない毎日」
に向けられていたので、その“現実”が、
引き寄せられた、ということになるのです。

★ まとめ ★

『引き寄せの法則』では、
自分でも気付かなかった、
かくれた“思い”であったとしても、
その“思い”が、1番強いものであったら、
その対象となる“現実”を、引き寄せる。


ーーー< スピリチュマメ知識 >ーーー

A′さんに限らず、人はとかく、
否定するものや、避けたいもの、恐怖を感じるものに、
意識を向けてしまう、傾向があります。
また、「やりたくない!」のに、やってしまったり、
「近寄りたくない!」のに、近寄ってしまったり、
思いとは反対の、行動をとってしまうことも、あります。

例えば、車の運転中、道路脇(どうろわき)の、
側溝(そっこう)のフタが、はずれていたとします↓


運転に、なれているドライバーなら、
別に気にすることなく、普通にそこを通り過ぎて行きます↓


しかし、運転になれていないドライバーの場合、
フタのはずれた、側溝の方に、車が寄って行ってしまう
ことが、あります↓


運転に、なれているドライバー、なれていないドライバー、
ともに、側溝のフタがはずれていることには、気がつきました。
(運転中は、まわりを注意することが、ドライバーの義務なので、当然気付きます)

ただ、気付いた後の、両者には、違いが見られました。
運転になれているドライバー、は、
フタのない側溝が、運転に支障(ししょう)をきたすものではないと、
判断(安心)して、普通に、運転を続けました。
運転になれていないドライバーは、
側溝の方に、車が寄って行ってしまいました。
これは、初心者ゆえの、恐怖にかられた現象であり、
危険に対する、過剰反応(かじょうはんのう)が、
起こした現象だと、思われます。

初心者ドライバーとしては、運転経験があさいので、
未知の対象に出会うと、なにより先に、恐怖心が、わいてきがちです。
「もし、フタの空いた、側溝におちたら、大変だよな!うむうむ」
「よし!大変なことにならないように、側溝に落ちないようにしよう!」
と、危険と思われる対象、避けたいと思う対象に、必要以上に、
意識を集中させてしまいます。
なので、初心者ドライバーさんは、意に反して、側溝の方向に、
車が寄って行ってしまうのだと、思われます。

多分、この現象にも、『引き寄せの法則』が、働いているかと思われます。


ーーー< 以上です >ーーー


スピリチュアルの世界では、
A′さんのように、『引き寄せの法則』を知っていても、
望む現実を、うまく実現することが、難しい人のために、
様々なアドバイスが、様々な存在から、なされています。

その様々なアドバイスの中から、私が、なんとなく理解できた、
『引き寄せの法則』のヒント、みたいなものが、
いくつかあるので、それらを、A′さんを例にして、
A′さんが、望む現実を引き寄せるまでの過程を、おりまぜつつ、
以下の順番で↓私なりにまとめてみたいと思います。
『引き寄せの法則』ヒントその1=“今”
『引き寄せの法則』ヒントその2=“認める”
『引き寄せの法則』ヒントその3=“ゆるす”
『引き寄せの法則』ヒントその4=“感謝”
『引き寄せの法則』ヒントその5=“気付く”


『引き寄せの法則』ヒントその1=“今”

『引き寄せの法則』は、
「過去に、思い続けた、1番強い思いが、実現する」でした。
この、“過去”ということについて、少し詳しく、考えてみたいと思います。

私達は、“時間”というものを、「過去、現在、未来」
というふうに、常(つね)に連続して、変化し続ける存在として、
認識(にんしき)しています。
しかし、スピリチュアルの世界では、“時間”というものを、
人間が作り出した、“幻想(げんそう)”にすぎないと、考えています。

もし、“時間”があるとすれば、それは、“今”という時間だけだと、
スピリチュアルの世界では、考えています。
極端(きょくたん)な言い方をすれば、
“過去”のビッグバンから、“未来”のビッグクランチまで、
“今”という時の中に、すべて存在していると、考えられています。
なので、常に連続して、変化し続ける存在は、“時間”という幻想ではなく、
“存在する全て(私達人間を含む)”ということになると、思われます。

ということで、『引き寄せの法則』の、
「過去に、思い続けた、1番強い思いが、実現する」
というスピリチュアルの考えを、もっとスピリチュアル的に、言い換えると、
「今という時に、強く思ったことの、連続が、実現する」となります。

なんか、ややこしく、なってしまいましたが、
つまり、『引き寄せの法則』が働く場所は、
“過去”でもなく、“未来”でもない、
“今”ということになります。

『引き寄せの法則』が言っている、
「人の思い(力点)」と、「その対象の実現(作用点)」は、
ともに、“今”という場所にしか、存在しないということです。

そのことを、観覧車に例えて、説明させていただきたいと、思います。
これは“引き寄せの観覧車”です↓

この観覧車は、A′さん専用の観覧車で、A′さん以外の人は動かせません。
観覧車は、“今”という時の中に存在します。
観覧車に、たくさんぶら下がっているゴンドラは、
A′さんが体験する可能性のある、“現実”というゴンドラです。
1番下のゴンドラに、赤い玉がくっついていますが、
その赤い玉は、A′さんの“思い”であり、観覧車を動かすための
“重り(原動力)”でもあります。

A′さんは、全てのゴンドラ(現実)に、赤い玉(思い)を、つけることができます。

全てのゴンドラの中で、1番大きい赤い玉(思い=重り)がついたゴンドラが、
1番下に下がってきます(引き寄せられてきます)。
そして、1番下にきた(引き寄せられた)ゴンドラだけが、
A′さんの、実際に体験する(している)“現実”となります。

このように↓リモコンみたいなもので“思いを”ゴンドラ(現実)に、送ることで、

A′さんの“思い”=赤い玉が、そのゴンドラに、くっつく仕掛けです。

A′さんは、毎日が同じで「面白くない、つまらない」ゴンドラ(現実)に向かって、
“思い”を送り続けていたので、そこにくっついた、赤い玉が、巨大化しました。

その状態が続いたことで、A′さんは、「面白くない、つまらない」現実を、
体験し続けていたのです。ちなみに、左上にある、オレンジ色のゴンドラは、
A′さんにとって、「面白くて、楽しい」と思える対象の現実です。

では、A′さんは、いったい、どうしたら、
「面白くなくて、つまらない」現実から抜け出して、
「面白くて、楽しい」現実を、引き寄せられるのでしょうか。

それは、オレンジ色のゴンドラ、「面白くて、楽しい」現実に、
“思い”を向ければいいだけです↓
すると・・・

“思い”を向けられなくなった、黄色いゴンドラの、赤い玉がしぼんで小さくなり、
変わりに、オレンジ色のゴンドラに、赤い玉がくっついて、大きくなっていきます。
ここで大切なのは、オレンジ色のゴンドラ、「面白くて、楽しい」現実に、
“気付く”ことです。
気付かなければ、“思い”を向けることすら、できません。
そして、“気付く”ことができたら、
“思い”を、対象のゴンドラ(現実)だけに、“集中”させることです。
“思い”が、定(さだ)まらず、他のゴンドラに分散(ぶんさん)されると、
引き寄せたいゴンドラ(現実)の、赤い玉が、なかなか大きくならないのです。
(“気付く”ということに関しては、改めてふれます)

A′さんのように、対象のゴンドラ(現実)に、
“集中”して、“思い”を送り“続ける”ことで、

徐々にではありますが、赤い玉が大きくなっていきます。
逆に、黄色いゴンドラの赤い玉は、どんどん小さくなっていきます。

その結果、赤い玉は↓

オレンジ色のゴンドラ(現実)だけに、くっつきました。

とうとう、オレンジ色のゴンドラについた、
赤い玉の重さに耐(た)えきれず、引き寄せの観覧車が、動きだします↓


そんなこんなで、いつの間にか、オレンジ色のゴンドラが1番下にきています↓


かくして、A′さんは、「面白くなくて、つまらない」現実から、
「面白くて、楽しい」現実を、体験することになります↓

A′さんが、ゴンドラに“思い”を向けたこと=“力点”
A′さんの“思い”で、動かされた引き寄せの観覧車=“作用点”
ともに、“今”という時の中に、あったのです。

★ まとめ ★

“思い”の対象を選択できるのは、
“今”という時だけ。
“今の思い”の連続が、
その対象=“現実”を引き寄せる。


『引き寄せの法則』ヒントその2=“認める”

A′さんは、『引き寄せの法則』を知っていながらも、
なかなか望む現実を、引き寄せられませんでした。
それには、理由があります。

その理由は、
引き寄せに関する、ある重要なステップを、
踏(ふ)んでいなかったことにあります。
そのステップを踏んでいたら、
A′さんが気付かなかった、
かくれた“思い”、現状を否定する思いや、
現状には足りないものがある、といった思い(幻想)に、
気付くことも、できたはずなのです。


その重要なステップとは、“認める”ということです。


A′さんのように、望まない“現実”を、体験している人は、
大抵(たいてい)、その、望まない“現実”を、
『自分の“思い”の積み重ねが、引き寄せたもの』
ということを、認められないことが、多いようです。

そういう人は、周りの環境や、家族や友人、職場の仲間、
政治家、総理大臣、大統領、イルミナティ、マスメディア、
などなど、自分以外の存在によって、今の“現実”を、
しかたなく、体験させられていると、考えてしまう傾向があるようです。

本当は、誰もが、体験する“現実”を、引き寄せ、
創造するパワーを持っているのです。
体験する“現実”を、(他の誰でもなく)自分が引き寄せているのです。
そういった、自分の持つ“パワー”と、
自分が“現実”を引き寄せている、という事実を、
“認める”ことが、最初の、重要なステップになります。


A′さんは、
「なぜ、私は、望む現実を引き寄せられないんだ?
 『引き寄せの法則』は、ウソなのか?
 それとも、私のやり方に、間違いでもあったのか?
 誰か、いいアドバイスでもあったら、教えてくれ!
 ちょっとしたヒントでもいいから!」
と、心の底から、強く思うように、なっていました。

するとそこに、以前、『引き寄せの法則』を、
教えてくれた友人がやってきて、
引き寄せの法則に関する、ヒントを、
A′さんにしました。
「A′さん、望む現実が、なかなか引き寄せ
 られないようですね…
 もしかしたら、A′さんの思いの中に、
 自分でも気付かない、かくれた思いがあって、
 それが、悪さをしているのかもしれませんよ、
 まずは、そのかくれた思いを、見つけ出すことが、
 必要かもしれませんね…
 あ、そうだ、引き寄せの法則では、
 最初に、“認める”というステップを、
 踏むといいと、聞いたことがあります、
 そのステップを踏むことで、かくれた思いを、
 見つけ出せるかもしれませんよ」
みたいなことを、アドバイスしました。

A′さんは、
「ふむふむ、なるほどねぇ〜
 そんなステップがあったのか、
 ありがとうね、友人!
 早速やってみるよ」
と、与えられたアドバイスを、
試してみることにしました。
すると、A′さんは、“認める”ステップを
踏んだことで、自分の思いの、根底にあった、
自分でも気付かなかった、ある“思い”を、
知ることになります。

★ まとめ ★

体験している現実は、
自分の“思い”で引き寄せたもの、
という事実を、“認める”ことが、
引き寄せの、最初のステップになります。

望まない“現実”を、体験している人の場合、
望まない“現実”を、自分が引き寄せていることを、
“認める”ことで、自分の“思い”が、
どんなものだったか、知ることができます。
気付かなかった、かくれた“思い”も、
知ることができます。


ーーー< スピリチュマメ知識 >ーーー

引き寄せの法則と、魂の関係について、
少しふれておきたいことがあります。

人は、生まれる前、魂の状態の時、
あらかじめ、人生で、何を体験して、
何を学ぶのか?といった、
人生の“テーマ”のようなものを、
ある程度決めてから、生まれてくると、
スピリチュアルの世界では、考えられています。

A′さんの“引き寄せの観覧車”の例でいうと、
観覧車にぶらさがっている、各ゴンドラ=“現実”は、
A′さんの、人生のテーマを学ぶために用意された、
A′さん専用の、特注ゴンドラ、ということになります。
(どこの国で生まれるとか、両親は誰にするとか、
 どんな環境で育つかなど、特別仕様のゴンドラが、
 用意されることに、なります)

もし、
“タマネギの美味しさを学ぶ”
という、テーマを持って、
生まれてきた人がいると、
その人の、引き寄せの観覧車には、
タマネギの美味しさを学ぶための、
ゴンドラ=“現実”が、用意されるわけです。

たとえば、あるゴンドラ=“現実”には、
オニオンスープという、料理が入っていたり、
あるゴンドラには、
オニオンとトマトのマリネが入っていたり、
あるゴンドラには、
タマネギを入れた、すき焼きが入っていたり、
あるゴンドラには、
炒めたタマネギをまぜた、カレーが入っていたり、
その人の、学びのテーマに合った、
様々なゴンドラが、用意されることになります。

どの料理を食べても
(どのゴンドラ=“現実”を体験しても)、
タマネギの美味しさが、学べるように、
あらかじめ、その引き寄せの観覧車は、
設計されているのです。

ちなみに、もしその人が、
生のタマネギしか、
食べられない“現実”を、
体験し続けていたら、
いやになることだって、あります。
あきることだって、あります。
タマネギの美味しさを、学べるどころ
では、なくなります。
そんな時、自分の“思い”に気付いて、
その“思い”を“認める”ことができれば、
それは、別の料理=“現実”を引き寄せるための、
最初のステップを、踏んだことになります。

ではタマネギの美味しさを学べたら?
そこから先は、もっと自由に、
人生を楽しめるようになると、思われます。

学び終わった後は、
人生のテーマにそった範囲内なら、
他のもっと別な、望むべきゴンドラ=“現実”を、
体験し、楽しむこともできると、思われます。
もしかしたら、新たなゴンドラ=“現実”を、
増設することも、できちゃうのではないかと、
思われます。

想像しうる(心に描くことができる、“思う”ことができる)、
望むべき、最高の現実は、
誰もが、創造し、引き寄せ、体験できるものなのです。
その力を、誰もが持っているのです。
と、スピリチュアルの世界では、よく言われています。

ーーー< 以 上 で す >ーーー


『引き寄せの法則』ヒントその3=“ゆるす”

A′さんは、『引き寄せの法則』を知っていながらも、
なかなか望む現実を、引き寄せられませんでした。
しかし、再び現れた、A′さんの友人によって、
「引き寄せの最初のステップ“認める”」という
ヒントを得ました。

早速、ヒント通りのことを、試したA′さんは、
自分でも気付かなかった、“思い”の根底にあった、
かくれていた“思い”を、知ることになりました。

A′さんが、“認める”ことで知った、
かくれた“思い”には、
“現状”に対する、強い否定の思い、あるいは、
“現状”には、足りないものがある、といった、
強い思い(欠乏感=幻想)が、ありました。

さらに、その“思い”をたどっていくと、
「自分は価値のない、つまらない人間だ」
という、信念にも似た、凝り固まった思いが、
存在していることにも、気付きました。

引き寄せの観覧車の例えでいうと、
ちょうど、ここの場面でのことです↓


A′さんのように、
“認める”という重要なステップを
踏むことにより、自分でも気付かなかった、
信念にも似た、凝り固まった思いに、
遭遇することがあります。

もし、その凝り固まった思いが、
「自分は価値のない、つまらない人間だ」という、
A′さんのような、自分に対して否定的なものだった場合、
少し、やっかいなことが、起こる可能性があります。
       ↓
「あぁ、なんてこったぁ…
 今まで自分は、自分を否定する“思い”を
 持っていたのか…
 知ってショックだよ…
 …
 そんな自分が情けなくなったよ…
 自分は、なんて否定的なヤツだったんだ…
 こんの〜っ、自分のバカヤロー!!」
       ↓
と、否定的な“思い”を持っていた自分を、
更に“否定”してしまうことがあります。
すると今度は、“自分自身を否定する現実”を、
引き寄せることに、なっていってしまいます。
こうなると、否定的な引き寄せの連鎖から、
抜け出すのは、難しくなります。

こうならないために、どうすればいいかというと…

自分が、否定的な“思い”を持っていたことを、
知ったのなら、そういう自分を、
“否定”するのではなく、
“ゆるす”のです。
       ↓
「あぁ、なんてこったぁ…
 今まで自分は、自分を否定する“思い”を
 持っていたのか…
 知ってショックだよ…
 …
 でも、どんな“思い”も、
 自分は選択することができるし、
 どんな“現実”をも体験できることがわかった!
 そうか、自分ってすごいんだなぁ!
 自分を否定する“思い”を選択していたとしても、
 そのすごさは変わらないんだ!
 どんな“思い”を持っていても、それを“認めて”、
 どんな自分をも、“ゆるし”てあげよう!」
       ↓
こんな感じで、“ゆるす”ことをすれば、
自分を“否定”することなく、
引き寄せの最初のステップ、“認める”ことが、
とどこおりなく、できちゃうと、
スピリチュアルの世界は、アドバイスしています。


A′さんも、“認める”というステップを踏んで、
案の定(あんのじょう)落ち込みました。
「ああ、ショック…
 私は、心の底まで、否定的なヤツだったのか…
 私のバカヤロウ!
 この先、どうしたらいいんだ…
 だ、誰か、助けておくれよう!」
と、思った所に、みたび、A′さんの友人が現れました。

友人は、自分を否定していたA′さんに、
こんなアドバイスをしました。
「すごいよ、A′さん、
 “思い”の根底にある、
 信念とか、思いグセのような、
 そうとう深いところの“思い”に、
 気付けたなんて!
 なかなかできることじゃないよ、
 勇気のいることだからね。
 …でも、せっかく気付けた“思い”によって、
 自分を否定しても、何も始まらないよ…
 
 なぐさめには、ならないかもしれないけど、
 自分の価値を認められなかったり、
 自分を完全な存在だと認められなかったり、
 自分に対して、“否定的な思い”を、深いところで
 持っている人って、A′さんだけじゃないみたいだよ…
 けっこう、たくさんいるみたいだよ。
 
 それに、その“否定的な思い”は、誰もが、
 周りの人や、社会などによって、
 後天的(こうてんてき)に、
 与えられてきた、ものらしいんだよ…
 
 だから、そんなに、落ち込むことないよ、
 とにかく、どんな“思い”を持っていたか、
 分かっただけでも、すごいことだよ、
 後は、どんな“思い”を持っていたか、
 知った上で、自分を否定するのではなく、
 自分を、“ゆるし”てあげれば、
 いいだけだと思うよ」

そのアドバイスを聞いたA′さんは、
自分を否定しても、何も始まらないことに、
気付きました。
その結果、自分を否定する自分もひっくるめて、
…めんどくさいので、
いっさいがっさい、“全て”ひっくるめて、
“ゆるす”ことを、選択したようです。
そして、自分の持っていた、
深いところにあった“思い”を、しっかりと、
“認める”ことができました。

★ まとめ ★

引き寄せの最初のステップ“認める”ことが、
難しい時、自分自身を“否定”する変わりに、
自分自身を“ゆるす”ことで、“認める”ことが、
スムーズにいく。


ーーー< スピリチュマメ知識 >ーーー

自分を認めて、ゆるすことができれば、
他者がどんな思いを選択していようと、
それを認めて、ゆるすこともできるように、
なると思います。
その逆もまたしかりかと思います。

“認める”こと、“ゆるす”ことは、
自分を、ニュートラルな位置に、
戻す行為でもあると、
スピリチュアルの世界では、言っています。

ニュートラルな位置は、自分の中心にあり、
そこは、否定的でもなく、肯定的でもない、
中立な“愛”の位置だとも、言っています。

“認める”こと、“ゆるす”こと、
ともに難しいことかもしれませんが、
自分をニュートラルな位置、
中立な“愛”の位置に戻す行為は、
引き寄せの法則とか関係なくても、
自分にとっても、他者にとっても、
有意義な行為になるのかもしれません。

そうだ!
“認める”こと、“ゆるす”ことは、
自分の“思い”あるいは、“心”を、
リセットするための、いい機会でも、
あるかもしれませんね。

ーーー< 以 上 で す >ーーー


『引き寄せの法則』ヒントその4=“感謝”

A′さんは、『引き寄せの法則』を知っていながらも、
なかなか望む現実を、引き寄せられませんでした。
しかし、友人の、再三におよぶアドバイスにより、
“認める”ことや、“ゆるす”ことの大切さを知り、
ショックを受けながらも、自分を否定することなく、
思いの深いところにあった、信念にも似た“思い”に、
気付くことができました。

自分の持っていた、“思い”の深いところまで気付けた
A′さんは、ある意味、腹をくくれました。
別の言い方をすると、全てをありのままに受け入れる、
“覚悟”を決めました。

そのおかげで、
今まで目を向けなかったり、
今まで気付こうともしなかった、
自分が引き寄せている現実の、
細かい部分を含めた、“全て”を、
冷静になって、見つめることが、
できるようになりました。

引き寄せの観覧車の例えでいうと、
まだ、ここの場面でのことです↓


A′さんは、
現実の細かい部分まで、全て見つめたことで、
自分が引き寄せていた現実には、
悪いことばかりではなく、
感謝したくなるような、素晴らしいことも、
たくさんあることに、気付き始めました。
       ↓
「冷静になって、現実を、すみずみまで見つめてみると…
 自分が引き寄せたとは、思えないほど、
 素晴らしいこと、感謝したくなるようなことが、
 たくさんあることに、気付いたよ…
 なんで今まで、気付かなかったんだろう…
 こうして、身体を自由に動かせる幸せ…
 いろんなことに気付かせてくれた、友人の存在…
 他にももっと、私は多くの存在に助けられ、
 支えられて、この現実にいるんだろうな…
 そういえば、私は、大好きな絵をかくための、
 道具を持っていたっけ…
 大好きな絵をかいている時は、
 楽しくて、幸せを感じられるんだ、
 これも、ありがたいことだよ…
 全ての存在に、ありがとう!」
       ↓
A′さんは、こんな感じで、
「つまらない毎日、面白くない毎日」という、
現実の中にも、“感謝”する対象が、
たくさん存在していることに、
気付くことができました。

★ まとめ ★

スピリチュアルの世界では、
どんな“思い”を持っていようとも、
人が体験する、“現実”の中には、
必ず、“感謝”する対象や、
“良い感情”をいだく対象が、存在していて、
そのことに、気付こうとすれば、
いつでも、誰でも、気付くことができると、
考えられています。

また、“感謝”する対象や、
“幸せ”“喜び”“愛”などといった、
“良い感情”をいだく対象に、
心から“感謝”することで、その対象を、
今まで以上に、より強く、現実として、
引き寄せることができると、考えられています。

ーーー< スピリチュマメ知識 >ーーー

上の↑★まとめ★にもあるように、
スピリチュアルの世界では、
人は、どんな“思い”を持っていようとも、
体験する現実の中に、“感謝”する対象や、
“良い感情”をいだく対象を、見つけ出すことが
できると、考えられています。
ですが…、
ネガティブ(否定的)な“思い”を持っている人も、
現実の中に、“感謝”する対象や、
“良い感情”をいだく対象を、
見つけ出せるというのは、
少し理解しがたい、ことでもあります。

その理解しがたい考えを、スピリチュアルの、
様々な知識をつなぎ合わせて、私なりに、
解明(かいめい)したいと思います。

人は、根本的に“愛”の存在である。
 ↓
人が、ネガティブな“思い”を持っていたとしても、
ポジティブな“思い”を持っていたとしても、
どちらにしても、“思い”の1番深いところには、
ネガティブでもない、ポジティブでもない、
中立で、純粋な“愛”が存在している。
 ↓
どんな“思い”を持とうと、
その1番深いところに存在する、
“愛”も、現実の中に引き寄せられるため、
それが、“感謝”する対象となったり、
“良い感情”をいだく対象となって、現れる。

ということなんじゃないかと、思います。


ーーー< 以 上 で す >ーーー


『引き寄せの法則』ヒントその5=“気付く”

A′さんは、『引き寄せの法則』を知っていながらも、
なかなか望む現実を、引き寄せられませんでした。
しかし、友人からの様々なアドバイスのおかげで、
望む現実を引き寄せるための、ステップを、
着実(ちゃくじつ)に、踏むことができました。
更に、その過程の中で、自分が体験していた“現実”の中にも、
“感謝”する対象や、“良い感情”をいだく対象が、
たくさん存在していたことに、“気付く”ことも、
できました。

この“気付く”ということのおかげで、
A′さんは、望みの現実を引き寄せるための、
更なるステップを、踏むことになります。
というか、A′さんは、その更なるステップを、
自分でも気付かぬうちに、すでに、踏んでいました。

更なるステップとは、
A′さんが“気付く”ことができた、
“感謝”する対象の中に、
A′さんにとって、
ひときわ輝いて見える対象、
無条件に魅力を感じる対象、
ワクワクする対象、
面白そうで、楽しさを感じる対象を、
見つけ出したことです。

A′さんが見つけ出した、その対象は、
A′さんに、具体的で、明確な“思い”
を、抱かせることに、なります。

その具体的で、明確な“思い”が、
A′さんにとっての、魅力を感じる現実、
A′さんの、望む現実(=楽しく面白い毎日)を、
引き寄せるための“力”になります。

引き寄せの観覧車の例えでいうと、
この場面になった時の、出来事です↓

オレンジ色のゴンドラの中には、
A′さんにとって、
ひときわ輝いて見える対象、
無条件に魅力を感じる対象、
ワクワクする対象、
面白そうで、楽しさを感じる対象が、
含まれています。

ちなみに、A′さんが見つけ出した、
その対象とは、“絵をかくこと”です。

実はA′さん、小さい頃は、
絵をかくのが、大好きでした。
絵をかいていると、楽しくて、
夢中になれました。
しかし、
小学生時代、絵の授業中、先生に、
自分のかいた絵と、他の子のかいた絵とを、
比べられてしまい、クラスのみんなに、
笑われたことがありました。
それ以来、絵をかくことの楽しさを、徐々に、
忘れていってしまったA′さん。

そんな経緯があった、A′さんでしたが、
今回、ようやく、感謝する対象の中から、
絵をかくことの楽しさを、思い出す(気付く)、
ことができました。

「そういえば、私は小さい頃まで、
 絵をかくのが大好きだったんだよね…
 でも、みんなに、自分のかいた絵を、
 笑われたりして、それ以来、
 絵をかかなくなったんだよね…
 だけど、今また、絵をかく楽しさを、思い出したよ!
 今また、無性に絵をかきたくなったよ!
 ていうか、今から、大好きな絵をかくよ!
 人に笑われたって、そんなの関係ない!
 絵をかける幸せに、感謝感激!」

かくして、A′さんは、望みの現実を、
引き寄せることに、なります。

★ まとめ ★

「引き寄せの法則」は、
結局のところ、“気付く”ことが、
1番大切かと、私は思います。

様々な外的要因、社会通念や、常識、そういった、
後から植え付けられた、自分の“思い”に、
“気付く”こともそうですし、
感謝する対象や、良い感情をいだく対象、
自分にとって魅力ある対象を、
感じられる心=“思い”に、
“気付く”こともそうですし、
なんにせよ、“気付く”ことは、引き寄せる現実を、
大きく左右させるものだと、思います。

ーーー< スピリチュマメ知識 >ーーー

スピリチュアルの世界では、
“気付く”対象は、
自分の外ではなく、自分の中にあり、
“気付く”ことは、
自分でしかできないこと。
みたいなことも、言われています。

運命のカギ(気付き)は、
つねに自分の中にある。
という意味かと、思われます。

ーーー< 以 上 で す >ーーー




★★★ 『引き寄せの法則』のまとめ ★★★


『引き寄せの法則』は、
一般に知られている、自然界の法則のように、
常に、普通に、存在しているものです。

『引き寄せの法則』を一言で表すと、こうなります↓

この↑引き寄せの法則は、
法則を知っている人も、知らない人も、
法則を意識している人も、していない人も、誰にとっても、
万人(ばんにん)に等(ひと)しく働いていると、
スピリチュアルの世界では、考えられています。

「“思い”は実現する」という『引き寄せの法則』ですが、
その“思い”は、ある程度、継続されることが必要だそうです。
継続された“思い”(“信念”、“確信”、“思いグセ”など)が、
“現実”として、引き寄せられます。

チョピ3風に言い換えると、
今体験している“現実”は、
“思考”し続けた、強い思いが、
実現(“共振”)したもの、
ということになります。


ーーー< おまけ >ーーー

引き寄せの法則に関する、参考動画を、
ここに、いくつか貼らさせていただきます。
また、ここに書かせていただいた、いくつかの内容と、
関係していると思われる動画も、貼らせていただきました。


望むものが実現しないのはなぜか?宇宙にNOはない(引き寄せの法則)
エイブラハム・ヒックス

バシャールが語る「引き寄せの法則」望みを現実化させる方法bashar manifest

バシャール- 全く新しい自分を創造する「いまここ」の法則

間違った選択は無い  バシャール  No mistake on Your Choices, Bashar


更にもっと、引き寄せの法則をお知りになりたい方は、
引き寄せの法則に関する書籍をお勧めします。
私のお勧めは、
ロンダ・バーン著『ザ・シークレット』と、『ザ・パワー』です。
『ザ・シークレット』は、DVD化もされています。

2013.07.29

☆ 『誰もが、完全無欠の存在』 ☆


スピリチュアルの世界では、
「人は誰もが、
 完全無欠(かんぜんむけつ)の
 存在(そんざい)である」
と、言われています。

私は、最初、この言葉の意味が、
よく理解できませんでした。

私は、昔から、読む事、書く事、
話をする事、計算をする事、
記憶する事、などなど、
他の人と比べると、
劣(おと)る事が、たくさんあって、
それらは全部、自分の欠点、
足りない所なんだと、思っていました。
なので、自分が、“完全”であり、
欠けている所のない、“無欠”の存在
だとは、思えなかったのです。

でも、スピリチュアル世界で語られている、
「人は誰もが、完全無欠な存在である」という、
考えを、注意深く、読み進めていくうちに、
私は、あることに気付きました。

スピリチュアルの考えでは、
人と人とを、比(くら)べるような所が、
一切(いっさい)、出てこなかったのです。
スピリチュアルの考えでは、
人は、それぞれが、
宇宙の中で、唯一無二(ゆいつむに)の、
かけがえのない存在であり、みんな、
固有の個性を持っている。
その固有の個性において、人は誰もが、
絶対的(ぜったいてき)な存在であり、
完全無欠の存在である。
みたいな事を、言っていたのでした。

私は、せちがらい、競争(きょうそう)社会、
弱肉強食(じゃくにくきょうしょく)の
世界に、なれていたせいで、ついつい、
自分と、他者(たしゃ)とを比べてしまい、
その結果、他者より、劣っている事を
見つけ出し、自分が完全無欠だと、
思うことが、できなかったのです。

このように、自分が、
完全無欠の存在だという事を、
信じられない人は、多いのでは
ないでしょうか。
むしろ、競争社会の中で、
生きている人にとっては、
他と比べあい、その相対(そうたい)の差(さ)で、
それぞれの価値(かち)を判断(はんだん)するという、
習慣(しゅうかん)が、身に付いているので、
信じられなくて、当然(とうぜん)だと思います。






でも、スピリチュアルの考えは、
個々の存在を、
“相対”の観点で、語っているのではなく、
“絶対”の観点で、語っているのです。
“絶対”の観点から、個々の存在を見ると、
「人は誰もが、完全無欠の存在である」
ということが、理解できるのです。




なんか、ややこしくて、分かりづらい、
書き方に、なってしまいましたが、
この考え方を、簡単(かんたん)に、しかも、
美しく、表現(ひょうげん)されたと思われる、
一編(いっぺん)の詩があります。

童謡詩人(どうようしじん)の、金子みすず様の、
「わたしと小鳥と鈴(すず)と」という詩です。

  〜 わたしと小鳥と鈴と 〜

 わたしが両手(りょうて)をひろげても
 お空はちっとも飛べないが

 飛べる小鳥はわたしのように
 地べたを早くは走れない

 わたしが体をゆすっても
 きれいな音は出ないけれど

 あの鳴る鈴はわたしのように
 たくさんな歌は知らないよ

 鈴と小鳥と それからわたし
 みんな違って みんないい


私は、この詩を、読ませていただくたびに、
そうか、みんな違って、みんないいんだ!
自分も、みんなと違っているけど、
それでいいんだ!、と、
自分という存在を、全肯定(ぜんこうてい)
してくれたような気持ちになり、
安心します。大好きな詩です。

「わたしと小鳥と鈴と」という詩を、
スピリチュアル的に、勝手に意訳(いやく)させて
いただくと、、、
「この世に存在する、全てのものは、
 みんな、個性を持っているんだよ、
 わたしだって、小鳥だって、鈴だって、、、
 個性の違いは、比較(ひかく)して、
 優劣(ゆうれつ)を、競(きそ)いあう
 ものじゃないよ、
 個性の違(ちが)いは、それぞれがもつ、
 かけがえのない、素晴らしさなんだよ!
 この世界は、バラエティに富んだ、
 素晴らしい個性で、満ちあふれているんだよ!
 みんなだって、そうなんだよ!
 この世界って、素晴らしいね!」
と、なるように、私は思います。
これはまさに、
スピリチュアルの世界で言われている、
「人は誰もが、完全無欠な存在である」
という考え方と、同じ事を、言っているように、
私には思えるのです。
(ちがうかな?)


★ まとめ ★

競争社会の中で、自分と他者を、
比較する習慣が、身に付いてしまった人は、
信じられないかもしれませんが、
スピリチュアルの世界では、
『人は誰でも、欠けている所のない、
 完全無欠の存在である』
という考えが、あります。
人は誰もが、宇宙で唯一無二の、存在であり、
それぞれ、固有の個性を持っている。
その固有の個性において、人は誰でも、
絶対的存在であり、
“完全無欠の存在である”
と、スピリチュアルの世界では、いわれています。


(後で、読み返して、おかしな文章があったので、
 直しました)



☆ 『誰もが、パワフルな創造者(そうぞうしゃ)』 ☆



〜   もくじ   〜


★  前 置  ★

<“共振”と“人間”>

★  本 題  ★

< 一般的“共振” >
共振その1・音 叉
共振その2・ラジオ
共振その3・ビ ル

< スピリチュアル的“共振” >
人間という振動体について 
人間の共振『振動体どうし』
人間の共振『思考と現実』 

★  まとめ  ★

= おまけ =



★  前 置  ★

< “共振”と“人間” >

今回の『誰もが、パワフルな創造者』は、
チョピ1 で書かせていただいた、
『全ては波であり、全ては1つ』という、
スピリチュアルの基本(きほん)となる考えを、
少し発展(はってん)させた、考えになります。
どこらへんを、発展させるかというと、
『全ては波であり〜』の、
“波”という部分です。

この“波”とか、“波動”のような、
ゆれ動いたり、振動するものには、
一般(いっぱん)に、
“共振”(*1)という現象を起こす
性質があることが、知られています。

「誰もが、パワフルな創造者」
という、スピリチュアルの考えは、
その、“波”、“波動”が持つ性質の、
“共振”と、
私達“人間”との、関係(かんけい)に、
関(かん)するものになります。


(*1)“共振(共鳴)”とは、
物理系(振動体)が、外部からの刺激(振動)で、
固有振動を始めること。特に、刺激(振動)が、
固有振動数に近い振動数を持つ場合を指す。
ということだそうです(そんな感じのことが、
辞書に書かれていました)。



★  本 題  ★

< 一般的“共振” >

まずは、一般に知られている、“共振”の、
代表的な例を、いくつか、あげてみたいと思います。
そのことで、“共振”というのが、どんなものなのか、
わかっていただけるかと思います。


* 共振その1・音叉(おんさ) *

下の図のようにA、B、C、3つの音叉があるとします↓

A、B2つの音叉は、同じ固有振動数を、持っています。
Cだけ、違う固有振動数を、持っています。

Bの音叉をたたくと、その振動が、
Bと同じ固有振動数で、周(まわ)りの空気を振動させます↓

この空気の振動は、Bと同じ固有振動数を
もつ、Aの音叉を、振動させます↓

これが、“共振”現象です。
この音叉の例は、
同じ固有振動数を持つ、振動体どうしの、
“共振”を、示(しめ)したものになります。


* 共振その2・ラジオ *

下の図のように、A、B、2つのラジオ局と、
ラジオがあります↓

AとB2つのラジオ局↑
それぞれ違う、周波数(固有振動数)の、
電波を放送(送信)しています。

ラジオの周りには、A局、B局、ともに電波が、
届いています。
A局のラジオ放送を、聞きたいと、
思ったら、ラジオの中の、電気回路を、
A局の電波と同じ周波数に、同調させる(選局する)ことで↓


A局のラジオ放送が、聞こえてきます↓

これも、“共振”現象の1つです。
この、ラジオの例では、
変更可能(へんこうかのう)な振動体の、
振動数を変えることで、“共振”する対象が、
変わるということを、示しています。


* 共振その3・ビ ル *

下の図のように、高層ビルがあります↓

この中で、ダンスをしている人達がいます↓

ダンスをしている人達の動き、揺れ、“振動”が、
高層ビルの持つ、固有振動数と、しばらく同じでいると↓

このように、高層ビル全体が、揺れ動いてしまう
ことがあります↓(おおげさすぎる図ですが)

この高層ビルの例では、
小さな振動体の振動でも、
大きな振動体の、固有振動数と、同じであれば、
その大きな振動体を、“共振”させ、
ゆれ動かすことも、可能だということを、
示したものです。
(実際に、これに似た共振現象があり、ニュースにもなりました)

※ 小さなまとめ ※
以上、3つの例のように、“共振”現象は、自然界の、
いたるところで、起きることが、一般に知られています。



========================================



< スピリチュアル的“共振” >

次に、スピリチュアルの世界で、考えられている、
  “共振”現象についてです。


スピリチュアルの世界では、
私達“人間”を含めた、全ての存在が、
“波”と考えられています。
なので、私達“人間”という“波”にも、
振動体として、“共振”現象が起こると、
考えられています。


そこでまず、
人間という振動体(“波”)が、
スピリチュアルの世界で、具体的に、
どのように考えられているのか、
例をまじえて、紹介させていただきます。




* 人間という振動体について *

下の図のように、Aさんという人間がいるとします↓


Aさんは、固有の存在として、固有振動数を、
持った振動体(波)です↓


Aさんは、固有振動数をもった、振動体ですが、
その振動体は、肉体、感情、思考、意識、潜在意識、
気、チャクラ、精神、別次元の体、などなど、
意味のわかるものから、わからないものまで、
あるいは、未知のものまで、様々な、
いくつもの振動体が、寄り集まって、できています。
つまり、Aさんという、固有振動数をもった、
振動体は、いくつもの振動体が、1つにまとまった、
“集合体(しゅうごうたい)”的、存在(波)なのです↓


この、いくつもの振動体の中で、Aさんが、
現実世界において、自分の意志(意図)で、
自由に振動数を、変えられる、特別な振動体があります。

それはちょうど、ラジオの中にある
“電気回路”のようなものです。
その特別な振動体の、代表選手的なものは、
“感情”“思考”“肉体”などです。

中でも、“感情”“思考”という振動体は、
私達“人間”にとって、とても重要な振動体です。
なぜなら、それらの振動体は、
“現実”という振動体に対して、
“共振”現象を引き起こす働(はたらき)が、あるからです。

ラジオが、電気回路の、振動数を変ることで、
“共振”する対象(=放送局の電波)を、自由に
選択(選局)できるように、
人の、“感情”“思考”といった振動体は、振動数を変ることで、
“共振”する対象の1つである“現実”を、自由に
選択できてしまう存在なのです↓


なので、振動数を変えられる、この“感情”や“思考”
といった振動体は、人生を左右させるほどの、
体験する現実を、選択できてしまうほどの、
重要な振動体なのです。
(最後の方で、“思考”と“現実”の“共振”について、ふれさせていただきます)

ちなみに、
固有振動数をもつ、振動体の“集合体”のことを、
スピリチュアルの世界では、“魂”あるいは“愛”と呼んでいます↓

ちょと話がそれますが、この“魂”という存在は、
人間1人1人、固有の振動数を持ちますが、
もともとは、1つの振動体、1つの存在から、
振動数を変えて、派生してきた存在、進化してきた
存在のようです。
そして、これから先も、私達1人1人、
魂1つ1つ、進化し続ける存在だと、
スピリチュアルの世界では、考えられています。
(魂が、様々な振動数を経験することが、
 進化することだと、考えてもいいかと思われます)

※ 小さなまとめ ※
以上のように、スピリチュアルの世界では、
人間は、“波”であり、振動体の“集合体”的存在として、
考えられており、更に、その振動体の中には、
ラジオの電気回路のように、自由に、振動数を変えられる、
“感情”“思考”“肉体”などといった、振動体があると、
考えられています。


ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー


ということで、
その、人間という振動体が、引き起こす、
“共振”現象について、スピリチュアルの世界で、
どのように考えられているのか、いくつかの例を、
交えて、紹介させていただきます。


* 人間の共振 『振動体どうし』 *

人間のもつ、振動数を変えられる、振動体(“感情”など)は、
振動体どうしが、互いに、“共振”しあう性質を持っています。
なぜなら、それぞれの振動体は、固有の振動数をもつ、1つの
振動体(集合体)を、構成(こうせい)する存在であり、
みんな、そこで1つに、つながっているからです。
(このつながりの関係は、究極(きゅうきょく)的に、
 全宇宙、存在するすべてにまで、及(およ)びます。
 だって、全ては1つなのですから→チョピ1

ということで、『振動体どうし』の“共振”を、
“感情”と“思考”と“肉体”の例で、みてみたいと思います。


たとえば、Aさんが、仕事で大失敗したとします。
Aさんの“感情”は、それまでと大きく変わり、
暗くて、重い、ネガティブな振動を始めます。
それにともない、Aさんの“思考”も、
暗くて、重い、ネガティブな振動を始めます。
     ↓
「マジでやばいよ!取引先に多大な損害(そんがい)を負わせてしまった…」
     ↓
「上司は、クビじゃすまないと言っていた…」
     ↓
「おれの責任だ、一生つぐなっていこう…」
     ↓
「こんな情けないおれに、彼女は愛想をつかすだろう…」
     ↓
「おれの人生オワタ…」→ ネガティブ思考が続く…


              このように↑
Aさんの“感情”や“思考”の振動数が、大きく変化することで、今度は、
Aさんの“肉体”の振動数も、大きく変化(“共振”)しはじめます
                   ↓

昔から、「病は気から」という、ことわざがあるように、
このような“共振”現象は、誰にでも、心当たりのある、
ことだと思います。

また、逆に、、、

たとえば、Aさんが、大自然の中に、遊びに行くとします。
Aさんの“肉体”は、自然に触れたり、体を動かしたり、
あるいは、そこで、お気に入りの音楽を聴いたり、
その音楽にのって、踊ったりすることで ↓

その“肉体”の振動が、今度は、“感情”や“思考”に、
伝わっていく(“共振”する)こともあります↓

このことも、スピリチュアルの世界とか、関係なく、
普通によくある現象かと、思います。

※ 小さなまとめ ※
以上のように、振動数を変えられる、振動体は、
互いに、“共振”しあう性質があります。

この“共振”と、似たような現象を示した、
動画があります。

共振の研究をしてくださり、そして、
動画をUPしてくださった皆様方、
ありがとうございます。
このように、バラバラな動きを見せていた、
複数のメトロノーム(振動体)は、やがて、
同じ台(1つのつながりのある振動体)の中で、
同じリズムをとるように、なっていきます。

ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー


* 人間の共振 『思考と現実』 *

ちょっと前に、“感情”と“現実”が、
“共振”する例を、少しあげましたが、
今度は、“思考”と“現実”が、
“共振”する例を、あげたいと思います。



人間は、1日に、約6万回以上“思考”すると、言われています。


もしかしたら、プロ棋士の方なんかは、一局(いっきょく)で、
6万回どころか、数10万回以上、“思考”されているのでは、ないでしょうか。
(ただの憶測(おくそく)ですが)


プロ棋士が、最善の一手を“思考”するように、
私達も、過去(かこ)の出来事を、分析(ぶんせき)したり、
現状(げんじょう)を、理解(りかい)したり、
未来(みらい)を予測(よそく)したりと、
あらゆることに、考えを巡らせて、生きるための最善を、
“思考”し続けているのかもしれません。

また、私達の“思考”には、将棋や囲碁でいう、
“定石”(*2)のようなものもあります。
その“定石”のような“思考”は、過去の先人達、
親、教師、友人、マスメディア、本、社会などによって、
身につけさせられて、きたものです。

定石的な“思考”の中には、『一般常識』『社会通念
(しゃかいつうねん)』『教訓』『家訓』『ことわざ』
などと、呼ばれているものも、含まれています。
それらは、人生のいろいろな場面において、
頻繁(ひんぱん)に活用(かつよう)されています。

  (*2)将棋や囲碁の“定石”とは、過去の膨大な対戦データ
  から得(え)られた、いろいろな局面における、決まった手の、打ち方のことです。



たとえば、Aさんが、子供の頃から、
「社会というものは、甘くない」というような、
『家訓』とか、『教訓』とか、『常識』みたいな、
考え方を、親から与えられたとします。

Aさんは、その考え方を、大人になるまで、ことあるごとに、
利用してきたので、「社会というものは、甘くない」という考えを、
“定石”のように、当たり前に、使うようになっていました。

その“思考”の積み重ねの結果、
Aさんは、甘くない社会の“現実”を、
体験することになります。


このように、人は、“思考”した、振動数にふさわしい、
“現実”を、体験(“共振”)すると、スピリチュアルの
世界では、考えられています。
たとえ、その“思考”が、人から、与えられた“思考”
であっても、そうでなくてもです。
“定石”のような“思考”であっても、そうでなくてもです。
望む望まない、好む好まざるに、かかわらずです。
人は、“思考”した通りの、“現実”を、体験すると、考えられています。

この、『思考と現実』の、共振の起こり方は、
先に述(の)べました、『振動体どうし』の共振の起こり方とは、
少しだけ違(ちが)っている、ところがあります。

『振動体どうし』の共振では、
“感情”や“思考”が変化することで、“肉体”が変わったり、、、
“肉体”が変化することで、“感情”や“思考”が変わったりと、
固有の振動数をもつ、1つの振動体(集合体)に含まれる、
“感情”、“思考”、“肉体”という振動体が、
相互(そうご)に、“共振”しあっていました。

『思考と現実』の“共振”の場合は、
“思考”の変化で、“現実”が変わりますが、
“現実”の変化で、“思考”が変わるということは、ありません。
(追記…上記の文↑分かり辛いので、補足させていただきます
 “思考”は主体的存在なので、変化することが可能なのですが、
 “現実”は客体的存在なので、自らが変化することはありません、
 そういう意味で、“現実”の変化で、“思考”が変わることがないのです)

つまり、“思考”と“現実”の間に起こる、“共振”は、
常に、“思考”によって、起こされるのです。その逆はないのです。

なので、誰であっても、今、体験している“現実”は、
その人の“思考”によって、“ 創 造 ”されたもの、
ということでも、あるのです。

もし今、体験している“現実”が、望む“現実”でなければ、
望む“現実”にふさわしい振動数の、“思考”あるいは“感情”あるいは
“信念”に、変えればいい、ということになります。

「え〜、そんなの信じらんな〜い!」
と、“思考”する人は、そのとうりの、“現実”を、
体験することになります。
「考え方とか、信念って、そう簡単に、変えられないでしょ!」
と、“思考”する人は、そのとうりの、“現実”を、
体験することになります。
「そうか、望む“現実”にあう、“思考”をすればいいだけなんだ!」
と、“思考”する人は、そのとうりの、“現実”を、
体験することになります。

と、そんな感じのことを、スピリチュアルの世界では、
考えられています。


※ 小さなまとめ ※

人は、1日に、約6万回以上も、
“思考”すると言われています。

その“思考”は、子供の頃から、
周りの人達によって、教えられたり、
覚えさせられたりすることが多く、
大人になるにつれ、その人の“思考”は、
定石的な“思考”として、
確立(かくりつ)されていきます。
その中には、
“一般常識”とか、“社会通念”とか、
呼ばれるものも、含まれます。

“思考”は、
“感情”などと同じで、
人が自由に振動数を変えられる、
振動体の1つであり、
また、“感情”などと同じく、
“現実”という振動体に、
“共振”現象を
起こすことができます。

体験する“現実”の、
振動数を決めるのは、
常に、
“思考”や、“感情”などの、
振動数によります。

“思考”という振動体は、
“感情”という振動体の、
性質と違って、
自分が体験する、
“現実”というものを、
具体的(ぐたいてき)に、
分析(ぶんせき)し、
認識(にんしき)し、
予測(よそく)する、
性質(せいしつ)があります。

なので、
“思考”のありかた(振動数)の、
変化によっては、
体験する、“現実”も、
それ相応(そうおう)に、
具体的な変化(“共振”)を、
起こすことができます。

つまり、

人の“思考”は、
“現実”を変える可能性を
もった存在であり、
体験する“現実を”
創 造
する存在とも、言えるのです。

このことを、バシャールという宇宙人の方が、
分かりやすく説明されている、動画があります。


★  まとめ  ★

一般的に、よく知られている“共振”現象は、
“人間”と“現実”の間においても、
起きていることだと、スピリチュアルの世界では、
考えられています。


“人間”と“現実”との間で起こる、
“共振”のカギは、
人が持っている、自由に振動数を変えられる、
振動体、“思考”や“感情”といったものになります。

人は、“思考”や“感情”の在り方(振動数)を
変えることで、その在り方に見合う、
“現実”を、体験する(共振する)
ことになります。

人という、小さな振動体が、
時に、大きなビルという振動体を
揺れ動かしてしまうように、
人の持つ、振動体、
“思考”や“感情”は、
体験する“現実”を、
変えてしまうほどの、
創造してしまうほどの、
パワーを、持っているのです。

すなわち、
人は、
『誰もが、パワフルな創造者』
なのです。

と、スピリチュアルの世界では、
考えられています。



= おまけ =



ちなみに、
宇宙人のバシャールさんは、
自分が望まない“現実”を、
体験している人に対して、
よく、
「ワクワクすることをすればいい」
というような、アドバイスされます。

この、
「ワクワクする」というのは、
ここでいう、“感情”という振動体の、
振動数(在り方)を現したものだと、思います。

また、
「ワクワクする」という“感情”は、
人それぞれが持っている、
本来のバイブレーション
(固有の振動数)
から来ている。
というようなことも、
バシャールさんは、言っておられます。

なので、
「ワクワクすることをすればいい」
というのは、

「自分本来のバイブレーション
(自分の固有の振動数)
に合ったことをすればいい」
ということであり、
そうすることで、
自分にピッタリの、
自分が望む“現実”を、
体験することになると、
言っているんだと、思われます。

参考までに、ワクワクに関する、
バシャールさんの、動画を見つけましたので、
ここに、いくつか貼らせていただきました。







☆ 『この世は鏡』 ☆


『この世は鏡』という考えは、 チョピ3の、
『誰もが、パワフルな創造者』という考えと、
基本的には、同じものです。

『誰もが、パワフルな創造者』でふれましたが、
スピリチュアルの世界では、人は、“思考”や“感情”の
あり方に見合った、“現実”を体験すると、
考えられています。その、人と“現実”の関係を、
別の角度から考えたものが、『この世は鏡』になります。

人が体験する“現実”は、予期せぬ出来事であれ、何であれ、
その人の持つ“思考”や“感情”が、そっくりそのまま、
反映されるので、そういった意味で、この世は鏡のようなものと、
スピリチュアルの世界では、考えられています。


例えば、A子さんという人間がいるとします。


A子さんは、最近、会う人会う人、おだやかで、
ニコやかな人が、多いことに気が付きました。

A子さんは、「世の中には、不思議なこともあるもんだ」と、思いました。

でも、このことは、不思議なことでもなんでもなく、
A子さんの“感情”や“思考”が、そのまま、
“現実”に、反映されていただけのことなのです。
A子さんは、最近、いつもこんなことを思っていたのです↓


つまり、A子さんが、おだやかで、ニコやかな人達に出会っていたのは、
A子さんが、“現実”という鏡を通して、自分自身の内面を、
見ていた(体験していた)ということになるのです。



★ まとめ ★

人は、意識的であっても、そうでなくても、
内面(“思考”や“感情”)にあるものが、
“現実”に、反映されます。
その“現実”が、まるで人の内面を
映し出す鏡のようにみえるので、
スピリチュアルの世界では、
『この世は鏡』と、考えられています。

スピリチュアルの事など、知らなくても、
昔から、「笑う門には福来る」ということわざが
あるように、人と“現実”の関係を理解していた人は、
昔から、たくさんおられたのではないでしょうか。



 ちなみに、

私が今まで読んできた、スピリチュアル関連の書籍によると、
“感情”や“思考”といった、人の内面が、“現実”に影響を与えるまでには、
タイムラグがあるそうです。
今思ったことが、すぐに“現実”として現れたら、
ビックリしちゃうので、タイムラグがあって、良かったです。

だけど、今、地球は、アセンションをしているそうです。
アセンションとは、次元上昇という意味があるようです。
地球の住人である、私達人間も、アセンションしているそうです。
アセンションすると、人の内面が、“現実”に影響を与えるまでの時間が、
短くなると、スピリチュアルの世界では、考えられています。

そうなると、愛にもとづいた“感情”や“思考”をしている人は、
それ相応の、“現実”を、早く体験できることに、なります。
恐れにもとづいた“感情”や“思考”をしている人も、当然、
それ相応の、“現実”を、早く体験できることに、なります。

もしかすると、あるパラレルワールド(現実)を体験している
人は、すでに、なにかすんごい天変地異があって、大変な目にあって
しまわれている方も、いるかもしれません。あるパラレルワールドを体験
している人は、すでに、愛にあふれる夢のような体験をしている方も、
いるかもしれません。

人の内面が、“現実”に影響を与えるまでの時間が、
どうであれ、とにかく、この世は鏡のようなものと、
スピリチュアルの世界では、考えられています。

ということは、逆に、
今、自分が体験している“現実”をみれば自分の内面、
“感情”や“思考”が、どういうものか、理解できるのかもしれません。


2013.05.22

 ☆ 『全ては波であり、全ては1つ』 ☆ 


「宇宙に存在する、全ての物は、
 実体のない、“波(エネルギー)”
 から出来ている」
という考えがあります。
この考えは、スピリチュアルの世界で、
考えられていることです。
また、科学(物理学(ぶつりがく))の世界でも、
ほぼ似たような事が、考えられています。

最新の科学(物理学)では、
物質(ぶっしつ)を構成(こうせい)する、
もっとも小さいもの、『量子(りょうし)』を、
調べた結果、『量子』は、
“実体のある”→“粒子(りゅうし)”でもあり、
“実体のない”→エネルギーの“波”でもある、
という、2つの異(こと)なる性質を、合わせ持った、
存在だという事が、分かってきたそうです
(ある時は、実体があって、ある時は、実体がない、
 という、不思議な存在みたいです…
 私は、詳しいことは、さっぱりわからないのですが^^)

科学者さんの中には、『量子』は、単なる、
エネルギーの波である。
と、単純明快(たんじゅんめいかい)に、
結論づけられている方も、おられるようです。
(私は、『量子』が、2つの異(こと)なる性質を、
 合わせもってしまうという問題は、
 次元を1つ超えることで、
 解決されるように、思います。
 例えば、アリンコさんが、「この地球は、
 平らであると同時に、球体でもある」と、
 不思議な考えに、至(いた)ったとします。
 アリンコさんの住む、小さな世界(次元)では、
 その考えに、矛盾がないようにも思われます。
 でも、人間の住む、大きな世界(次元)では、
 地球が、球体であることは、
 分かっているので、アリンコさんの考えが、
 半分当たっているけど、半分間違っていることが、
 分かります。
 このような、ことが、
 人間が、持ってしまった、
 量子に対する、矛盾した考えにも、
 当てはまるような気がするのです。
 大きな世界、1つ先の次元に、私達が進む事で、
 量子が、波だと、認識される日が来ると、
 私は思うのです)

どちらにしても、
最新の科学では、
物質の最小単位(さいしょうたんい)と、
考えられている、
『量子』とか、『電子(でんし)』が、
実体のない、“波”であることを、
半分ぐらい、認めているのです。
(少なくとも、『量子』は、“波”ではない!
 と、証明(しょうめい)できた科学者は、
 いないようです)


スピリチュアルの世界では、
物の本質は、波であり、この世は、
実体のない、幻のようなものだ。
みたいに、考えられています。

そのような考えは、昔から、
仏教の世界にありました。
「色即是空(しきそくぜくう)空即是色(くうそくぜしき)」
という言葉がそれに当たると思います。
この言葉は、
「この世の全ては、固定的な実体で、
 出来ているのではない。
 全ての本質は、流動的な空であり、
 その空によって、この世は作られている」
という考えを、言っているものです。
(…多分、そんな感じだと思います)

この世は、実体のない、エネルギーの波で
できているという考え方は、仏教の世界だけでなく、
宇宙の意識体とか、別の次元の親切な方とか、
様々な方達が、おっしゃられていることでもあります。

ということで、スピリチュアルの世界では、
昔から、今にいたるまで、
この世界の本当の姿は、
実体のない、空、エネルギーの波、が、
形をとることで、成り立っているもの。
と、考えられています。
エネルギーの波の1つ1つが、
“石ころ”になったり、
“川”になったり、
“豚”になったり、
“木”になったり、
“人”になったり、
“音楽”になったり、
“太陽光”になったり、
“感情”になったり、、、
ありとあらゆる存在になっていると、
考えられているのです。

イメージ画像1

      ↓
イメージ画像2


まとめると(ひつこいですが^^)、
この世界で、実体=物質(ぶっしつ)として、
認識(にんしき)されているものも、ふくめて、
全ての存在は、
実体のないもの=波(エネルギー)で、
作られていると、
科学の世界でも(半分ぐらい)、
スピリチュアルの世界でも、
考えられているのです。


そうは言っても、
石ころや、木や、私達人間が、
実は、実体のない存在で、
実体をもたない、「波」から、
できているという考えは、
信じがたい話です。

その点、
“音とか光とか電波”などが、
「波」で、できているというのは、
信じやすいというか、
多くの人が、信じていることですし、
それもまた、本当の話だと思われます。

存在(そんざい)の本質(ほんしつ)が、
“波”でできているという事に、
信じやすいものと、
信じにくいものと、
2つに分かれてしまうのは、
「形があって、手でさわれるもの」と、
「そうでないもの」との、
違いがあるからだと、思います。

でも結局(けっきょく)、
「形があって、手でさわれるもの」と、
「そうでないもの」との違いは、
それぞれの持つ、“波”の違いでしか、
ないと思うのです。

“波”の違いとは、
“波の個性(こせい)”の違いだと思います。
“波の個性”を、“固有の波”と、言いかえても
良いかと思います。

例えば、音の事を考えてみます。
音は、“波の個性”の違いの分だけ、
様々な音として、存在する事になります。
人が聞くことができない種類の音から、
人が聞くことができる音まで、
多種様々(たしゅたよう)な音が、
存在します。

人が聞くことができない種類の音と、
人が聞くことができる音の違いは、
音の波の、振幅(しんぷく)の、長さ、早さ、
強さなどの、違いになると思います。
その違いが、それぞれの音の持つ、
“波の個性”=“固有の波”です。

ド♪の音が、ド♪なのは、
ド♪“固有の波”を持っているからです。
そして、ド♪の音は、
1つだけではなく、
低いド♪の音があったり、
高いド♪の音があったりもします。
つまり、
同じ“固有の波”を持った、ド♪の音が、
更に、“固有性”を深めることで、
様々な(低いものから高いものまで)、
バラエティ(多様性)ゆたかな、
ド♪という存在に、なっていきます。

石ころが、石ころなのも、
ド♪の音が、ド♪であるように、
石ころが、石ころ“固有の波”で、
できているから、石ころなのです。

石ころの波は、
音の波と違って、手でふれられたり、
形をなしている、という個性、性質(せいしつ)、
特徴(とくちょう)があります。

また、石ころは、1つだけではありません。
世の中には、たくさん石ころが、存在します。
それぞれの石ころは、石ころ“固有の波”を、
基本的(きほんてき)に持っていて、
更に、石ころ1つ1つが、
それぞれ“固有の波”を持っています。
そのことにより、世の中には、
たくさんの、バラエティゆたかな、
石ころ達が、存在することになります。

そういった事は、
人に対しても、花に対しても、
どんな存在に対しても、
同じ事が言えると思います。


※ 小さなまとめ ※

万物(ばんぶつ)には、
それぞれ“固有の波”がある。
“固有の波”を持った存在が、
さらに、“固有性”を深めることで、
その存在は、増えて行き、
バラエティーに富(と)んだ存在に、
なっていきます。

逆に考えると、
無限(むげん)に存在するかと思われる、
たくさんの、バラエティーに富んだ、
“固有の波”は、元々、同じ“固有の波”から、
派生(はせい)して、できたものと、
考えられます。
派生する前の波、その前の波、と、
大本(おおもと)まで、波をたどっていくと、
そこには、1つの波が存在することになると、
思われます。
なので、その大本となる、
1つの波の個性は、
全ての波の個性と、
通底(つうてい)している
存在だと、思われます。

★ 大きなまとめ ★

万物は、波でできている。
この世界は、バラエティーに富んだ、
波の集合体(しゅうごうたい)である。
波の集合体は、もともと、
1つの波からできている。

ということで↓

『全ては波であり、全ては1つ』

と、なるんじゃないかと、
今まで、頭の中に入っていた、様々な情報を、
整理しながら、まとめてみました。
…まとまってないかもしれませんが。
(話が、飛躍(ひやく)しすぎたところが、
 あったかもしれませんし…ごめんなさい)

以上のように、私のまとめたものは、
よくわからないもの、だったかもしれませんが、
「全ては1つ」という考えと、
「全ては波(エネルギー)でできている」
という考え方を、頭の片隅においておくと、
生きていく上で、面白いかと思います。
テレビのニュースショーを見て、得られる知識より、
ためになる知識かもしれません。

この、単純な考え方が、
スピリチュアルで語られている、
大本の考えになると思います。

この後に書こうと思っている、
他の、チョピリチュアルのすすめも、
この大本の考えから派生した
考えになると思います。
(↑後でちょっと修正しました)

補足です。
“波のエネルギー”を、
“愛”と表現する、方もおられます。
『この世の全ては、“愛”からできている』
美しくて素敵な、世界の現し方ですね。
私も、その表現の仕方の方が、好きです。

最後まで、読んで下さり、
ありがとうございました。


2013.04.20

〜 スピリチュアルの華 〜

<省略>


ということで、今回、「悪の華」について、
ネタバレにならない程度に、スピリチュアルな
観点から、感想をかかせていただこうかと、
思ったです。

この「悪の華」の作品にでてくる、
主人公の男の子と、もう1人の主人公?
メガネをかけた女の子、中村さんの間には、
ある事がきっかけで、特殊な人間関係が、
生まれます。

この作品の、主人公の男の子は、ある事が
きっかけで、“弱み”を握られる立場になります。
女の子の中村さんは、男の子の、“弱み”を
握る立場になります。ということで、
2人の間には、いわゆる、“主従関係”が、
発生することになります。

“主従関係”について、スピリチュアル的に
考えると、そういった関係というのは、
ただの、“幻想”でしかなく、真理的に、存在し
得ない、関係とされています。

また、人間社会では、“弱み”を起点にした、
“主従関係”だけではなく、
“暴力”や“権力”、“お金”など、
様々なものを起点にした、
様々な“主従関係”が、存在します。
それら全ての“主従関係”も、スピリチュアル的には、
幻想にすぎないと、考えられているです。

でもって、“主従関係”の、
“主”のほうにも、“従”のほうにも、
“自分は不完全な存在なんだ”という、
共通した幻想(思い込み)を持っているとも、
考えられています。

「悪の華」では、
メガネの女の子、中島さんが、
主人公の男の子の“弱み”を握ったことで、
主従関係が発生しました。
メガネの女の子が、“主”で、
主人公の男の子が、“従”になります。

“主”の立場である、メガネッ子中村さんは、
(今の所、具体的には、ふれられていませんが)
多分、何かに対して、不満をいだいていて、
その不満が、自分の存在を、不完全だと認識
(幻想)させているように、考えられるです。

自分を、不完全だと思ってしまった、彼女は、
自分を、完全なものとするために、
主人公の男の子の、“弱み”をにぎり、
それを利用して、自分の不完全性を、
補おうとしているように、考えられるです。

“従”の立場である、男の子は、
自分が、不完全なものだと、
ある出来事をきっかけに、強く思い始めます。
愛読書である、ボードレールの、
「悪の華」の文をそらんじたり、
様々な形で、不完全なものと思う自分を、
補おうと、試みるのですが、無理でした。

自分の、完全性を失う事になった出来事は、
彼の隠しておきたい秘め事、弱みに変容し、
そのまま、メガネッ子中村さんの手の中に、
納められしまいます。そして、彼は、彼女に、
逆らえなくなってしまいます。

このように、
メガネの女の子も、主人公の男の子も、
自分が不完全なものだという、
思い(幻想)に端を発して、
それぞれが、それぞれを補い合う形で、
主従関係が、結ばれたと、スピリチュアルの
観点から見ても、考えられると、思ったです。


スピリチュアル的には、
人は、生まれた時から、
「完全無欠」の存在だと、
考えられています。

でも、大抵の人は、人間というものは、
不完全な存在だと、様々な機会に、
教え込まれてしまいます(親きょうだい、
学校、社会、マスメディア等によって)。

自分が不完全な存在なら、
完全な存在になるために、
何かを、補完し続けなければならない。
という、幻想を、人はいだくように、
なるそうです。

そこで、人は、自分には欠けていると
思う要素(性、力、愛、お金などなど)を、
自分以外の存在から、奪ったり、要求するように
なるそうです。

ある人は、恐怖によって、
暴力によって、お金によって、
権力によって、人を従わせ、
人を支配ることで、
自分の不完全さ(幻想)を補おうとします。

ある人は、恐怖を感じる存在に、
暴力をふるう者に、お金を持っている人に、
権力を持っている人に、従い、従属することで、
自分の不完全さ(幻想)を、補ってもらおうとします。

でも、どんな“主従関係”を結ぼうと、
自分が不完全だという幻想からは、
逃れられません。幻想は、どこまで行っても、
幻想だからです。

スピリチュアルの世界では、
幻想を打ち破り、幻想の“主従関係”を解消する
方法が、提言されています。
それは、とても簡単な方法で、
ーーー
人は誰しも完全な存在であり、
人には不足しているものはない。
ーーー
という、真実を知る(思い出す)という事です。


完全な存在である私達は、 人を支配したり、
人から何かを奪ったり、
人と主従関係を結ぶ必要がありません。
人は愛の存在であり、
その愛を共有し、
その愛をシェアし、
その愛を与え合うことができる、
完全無欠で、パワフルな存在です。

動物でも、植物でも、
赤ちゃんは、完全な状態、
純粋な愛の存在で、生まれてきます。

人の赤ちゃんも、完全な状態、
純粋な愛の存在として、この世に
生まれてきます。

赤ちゃんを産んだばかりの、
お母さんは、自分の身体から生まれた、
その純粋な愛の存在、完全なる愛の存在を、
完全な状態、純粋な愛の状態で、
無償の愛をもって向かえ入れます。

その時の親子の関係に、
幻想である、主従関係は存在しません。
そこには、お互いの愛を、
与え合い、共振し合う、
純粋で、完全なる、
愛の関係しか存在しません。

でも、不完全幻想に、強く
とらわれてしまった、親の場合、
いつの頃からか、
お世話をする、赤ちゃんを見て、
この子は、食事を与えないと、
生きていけないし、下の世話も
してあげないといけないし、、、
ああ、この子は、私が何かして
あげないといけない、
不完全な存在なんだわ!
と、考えるようになり、
もともと存在していた、純粋で、
完全なる愛の関係を、忘れてしまうことも、
あるかと思うです。

赤ちゃんが大きくなって、
立場が変わり、
子が親のお世話をする時、同じような幻想に、
とらわれている場合も、なきしもあらずかと、
思われるです。

親と子の関係だけでなく、
世界に数多ある、人と人との
関係性は、、、
自分の完全性を自覚しているか、
自分が不完全だという、
幻想をいだいているかによって、
変わったものに、なるんじゃないかと、
スピリチュアルの世界では、言われています。
と、そんなことを、思い出させてくださった、
悪の華に、感謝です。


ということで、昨夜から、ちびちびと、
書いてきた、悪の華の、スピリチュアル的、
感想を書かせていただきました。

最後まで、読んでいただき、
ありがとうございました。

             ( 'ー'

2013.04.14

〜 オーケストラがやってきた 〜


ということで、
昨日に引き続き、
“宇宙は壮大なオーケストラかも”
という、スピリチュアル的な話を、
させていただきたく思うです。




スピリチュアル的に、
宇宙は、壮大なオーケストラだと、
表現されることがあります。

そのオーケストラに所属している学団員は、
この世に存在する全てだそうです。
私達人間も、1人1人、演奏者であり、
いつも曲を奏でているとのことです。

1人1人が奏でる曲は、
固有で、、、
自分以外の人が奏でる曲と、
共鳴することがあるそうです。

共鳴しあう曲は、演奏者達の人生であり、
現実そのものだそうです。

例えば、Aさんが、曲を奏でていたとします。
すると、その旋律と、共鳴(同調)する、
舞台(世界)と、楽団員(共演者)が、
引き寄せら(用意さ)れることになるそうです。

互いに引き寄せられた、楽団員が、
同じ舞台で、共鳴した曲(現実)を、
共に演奏(創造)することに、なるそうです。

(ここらへんから↓私の考えも含まれてきます)

Aさんは、ピアノを弾くのが得意です。
Aさんは、産まれた時、ピアノが側に
ありました。そしてピアノと共に成長し、
そのピアノでしか、自分を表現できませんでした。
そんなことから、Aさんは、ピアノが得意に
なりました。
Aさんは、得意なピアノで、周りの人達
から与えられた楽譜の曲を、
毎日弾いていました。
でも、楽しくありませんでした。

Aさんが、楽しくないながらも、
ピアノを弾いていると、必ず周りに、
共演者達が現れます。
Bさん、Cさん、Dさん、Eさんなどです。

共演者も、Aさんと同じような理由で、
それぞれ得意の楽器を持っています。
バイオリンとか、チェロとか、いろいろ。

Aさんは、その共演者達と、同じ舞台の中で、
いつもと同じ曲を、演奏することになります。
なぜだか、共演者達も、Aさんと同じで、
演奏を楽しんでいない感じでした。

ある時、Aさんは、曲にほとほと嫌気が
さします。なんでこんな楽しくない曲を、
いつまでも繰り返し、演奏しなくちゃ
いけないんだ?そんな気持ちが、最高潮に
達したようです。

もっと、楽しくなれる曲があるはずだ。
理想の旋律があるはずだ!そういう曲を、
自由に演奏したいなぁ…。と、
思い始めます。

そこでAさんは、与えられた楽譜を
一旦閉じて、自分の理想とする旋律を、
探り当てるように、弾き始めます。
なぜだか分からないけど、ピアノを
弾くのが、楽しくなってきました。

もっともっと、楽しくなりたい。
もっともっと、自由に弾きたい…。
そんな気持ちが更に、広がります。

するとどうでしょう、
いつのまにか、その演奏に合わせた、
新たな舞台が、目の前に出現していました。
共演者達も、みんな楽しそうに、演奏
しています。Bさんも、Cさんも、
そして…
あれ?Dさんと、Eさんがいません。

実は、Aさんには、分からないかも
しれませんが、
いなくなったと思った、Dさんは、
今も、元の舞台で、今までと同じ曲を、
つまらなそうに、演奏し続けていたのです。

Eさんの場合は、
Aさんのいる舞台ではなく、
Eさんの理想とする旋律を奏でる、
別の新たな舞台、別の共演者達と、
楽しく演奏していました。

そして、実は、Bさんも、Cさんも、
以前共演していた、Bさん、Cさんでは、
なくなっています。Aさんの楽しい曲と、
同調した、別の、Bさん、Cさんが、
Aさんの新たな楽団員と、
なっているのです。
(ちょっと分かりづらいですが。。。
 こちらの動画を見ると、その意味が、
 わかるかと思うです)

なんか、例え話が、物語のように、
なってしまいました。

この、Aさんの物語は、
スピリチュアルでよく使われる、
“波長”とか“波動”、引き寄せの法則、
などの話をもとに、創作したものです。

Aさんが、ピアノを得意とするように、
人はだれしも、得意な楽器、
自分だけの、自分を表現するものを、
生まれもって備えています。
それは、楽しい現実を探るための、
自分専用の、探知機のようなものでも、
あります。

それは、“自己固有の波動”です。
“本来の自分”と、言い換えても、
いいかと、思われるです。
それは、唯一無二の存在です。

“自己固有の波動”は、当然、
自己の数だけ存在します。
それは、それぞれだけにしか、
表現しえない、
“愛”を表現することができます。
スピリチュアルの世界では、そう、
考えられています。

Aさんが、人から与えられた楽譜で、
楽しくピアノが弾けなかったというのは、
自分本来が表現したい、
自分しか奏でられない、
自分の“愛”の曲を、
自分のピアノで、弾けなかったからです。

Aさんが、楽しくピアノを弾けるように
なったのは、自分の理想とする旋律を、
弾き始めたからです。
理想とする旋律とは、
自分本来が表現したい、
自分しか奏でられない、
自分の“愛”の曲のことなのです。

Aさんが、楽しくピアノを弾いた事で、
新しい舞台が現れ、新しい団員と、
共演する事になったのは、
Aさんの、奏でた旋律に同調した、
新しい現実が、引き寄せられた。
あるいは、新しい現実に、Aさんが、
推移した。ということに、なります。


こんな感じで、人は誰しも、
自分本来の曲(波動)であっても、
自分本来の曲(波動)でなくても、
その時に奏でた(波動)で、
それに相応しい(同調する)、
舞台や共演者(現実)を創造する、
宇宙の壮大なオーケストラの
団員かと思うです。

私は、自分本来の旋律、
理想とする旋律で、
いつか、理想の舞台に立ち、
理想の共演者と、
“愛”の曲を、
奏でて生きたいし、
奏で続けたく
思うです('ν')


そんなこんなでですま('ν')



             ( 'ー'

2013.04.13

〜 スピバラ 〜

前回、“ものさし”について、
私なりの、スピリチュアル的な考えを、
日記に書かせていただきました。

今回は、“波長・波動”をテーマに、
“宇宙は壮大なオーケストラかも!?”
という、スピリチュアル的な話を、
私なりに、させていただきたいと思うです。

この考えは、似たようなことを、前にも、
日記に、書いたかもしれません。
スピ系の本や、スピ系サイト等で得た知識、
私の体験から、頭の中で少しずつ形に、
なっていったものです。

そのことを書かせていただく前に、
前回の、“ものさし”の話について、
補足説明をさせていただきたいと、
思うです。
 ↓
ーーー
スピリチュアルに目覚めた世界では、
“ものさし”は、必要ないし、存在しない。
あったとしても、1つ。

“ものさし”は、1人1人がもつ、
社会的規範、常識、善悪の判断基準のこと。
その“ものさし”は、誰もが同じものを、
持っていると、私達は思いがち。

今、私達が1人1人持っている
(持たされている)、その“ものさし”を
考えてみた場合、それらが、千差万別で、
1人1人、時代、環境によって、違う
もののように思える。

スピリチュアル的な考えでは、
私達は、1つであり、愛であり、
神であり、創造主であるという、
基本的な考えがある。

その観点で、“ものさし”を考えると、
私達の持つ(持たされている)、
千差万別の“ものさし”なんて、
意味が無い。。。。

みたいなことを、前回書かせていただきました。

で、
“ものさし”が存在するとすれば、
時代や環境の違いにかかわらず、
全ての存在に、共通にして唯一無二の
もの→“愛”が、その“ものさし”に
なるのではないかと、前回のまとめと、
させていただきました。
(ちょっと違うかもだけど、
 そういうニュアンスで、書かせて
 いただきました)

“愛”が、万物共通の“ものさし”に
なりうる。という、その点を、
もう少し説明させて
いただきたく思うです。

この説明は、
なんで私達は、1つの存在なのに、
こんなにもたくさん、“私達”が存在するのか?
という説明にも、関係してくるかと思うです。

“愛”が、万物共通の“ものさし”になる、
という考えは、つまり、、、
“愛”が、最小公倍数(“1”)的な、
存在だからです。
“愛”は、私達をも含む、
全ての根幹をなす、基本単位に、
なっていると、思うからです。

ゆえに、基本単位の“愛”を基準とすれば、
あらゆる存在を推し量る、“ものさし”
にもなりうると、思ったのです。
(↑自分でも何を書いてるのか、
 よくわかんないです^^)。

そのことを、分かりやすく、式にしてみると、
“愛”=“1(最小公倍数)”となり、
“私”=“1×X(固有の存在)”となり、
“私達”=“1×X×Y(存在の全て)”
と、なるということです。
(“私”=“1×X”の、“X”は、個々の持つ、
 “固有の愛の形”を意味します)

そのことから、“私達”は、すでに“ものさし”
たりうる、“愛”を内包した存在であると、
考えられると思うです。
また、私達は、“愛”から派生した存在であり、
それぞれが、固有の、唯一無二の、
“愛”の形を体現(表現)する存在だとも、
言えるかと思われるです。

ーーー以上です。

ということで、自分でもよくわからない、
補足説明になってしまいました。
ごめんなさい。
でも、これから書かせていただく、
“宇宙は壮大なオーケストラかも!?”
という話と、重なる部分があると思ったので、
書かせていただきました。


本題です↓


“宇宙は壮大なオーケストラ”

スピリチュアル的に、
宇宙は、壮大なオーケストラだと、
表現されることがあります。

そのオーケストラに所属している学団員は、
この世に存在する全てだそうです。
私達人間も、1人1人、演奏者であり、
いつも曲を奏でているとのことです。

1人1人が奏でる曲は、
固有で、、、

あ!長くなりすぎたので、
ごめんなさいですが、
改めて、また書かせていただこうかと、
思うです。


             ( 'ー'

2013.04.11

〜 コ メ 〜

<省略>

先日に引き続き、スピリチュアル的な、
お話をさせていただきたいと、
思うです。

前回は、“ものさし”について、
スピリチュアル的な考えを、
私なりにさせていただきました。

今回は、“波長・波動”をテーマに、
“宇宙は壮大なオーケストラかも!?”
という、スピ的な話を、私なりに、
させていただきたいと思うです。

と、思ったですが、長くなりそうなので、
またの機会に、そのことを、書かせて
いただきたいと、思です。

ちなみに、→こちらのサイト記事←を拝見
させていただいたことも、書こうと思った
動機の1つになっています。
(本当は↑オリオンの高等評議会3月29日、
 の記事にリンクしたかったのですが、
 出来なかったので、同じような記事が
 書かれた、オリオンの高等評議会3月22日
 の記事に、リンクし直しました。なお、
 ここから、過去のオリオンの高等評議会の記事を、
 見る事が可能です…4/15追記)



<('ν')>



             ( 'ー'

2013.04.07

〜 モロモロ 〜


<省略です>


“ものさし“について、書かせていただこう
かと、思うです。

“ものさし”は、物の大きさ、長さなどを
計る道具の、あの“モノサシ”の事ではなく、
社会規範、常識、善悪の判断基準などを、
比喩として表現する際に、よく使われる、
あの“ものさし”の事です。

人はみな、その“ものさし”を利用して、
自分や、現実というものを推し量り、
認識し、それを基準に、考え、行動し、
生きていると、思われるです。

私も含め、ほとんどの人は、人生の中で、
様々な機会に、そういった“ものさし”を、
持つ事になると、思います。

例えば、学校で、社会で、
親きょうだいによって、出会った
人達によって、マスメディアからの情報によって、
物心ついた時から、大人になるまで、
様々なものから、様々な機会に、
“ものさし”を持つ(持たされる)事に、
なるかと思います。

その“ものさし”は、個人個人、微妙に
違っていると、私は思うです。
時代、人種、国籍、生きて来た環境、
宗教、年齢、性別、あらゆる違いが、
それぞれの“ものさし”に、違いを
もたらしていると、考えるです。

でもって、その“ものさし”に疑いを持たず、
“ものさし”を、唯一無二のものだと信じ、
後生大事にし、生きている人が、
たくさんおられると、思うです。

私もそう信じて(信じ込まされて)
いつのまにか持っていた“ものさし”を、
利用して生きていました。
スピリチュアル的な、考えに出会うまでは。

スピリチュアルな考え方と出会った事で、
与えられた“ものさし”で、認識してきた、
自分や世界が、まったく別のもののように、
感じられるように、なりました。
ちょうど、映画「マトリックス」の、
主人公達のように。


では、スピリチュアル的な考えとは、
一体どんなもんなのか?
ということに、なると思うです。

スピリチュアル的な考えは、様々あって、
一言では語れないですが、その基本的考え
(真理)は、一言で言える、単純なものです。
それは、、、


“全ては1つ”


というものです。
別の言い方をすると、
森羅万象、全てのものは、
全て1つに繋がっている。
という考えです。

更に別の言い方をすると、


“全ては愛”である。


になると思うです。
また、“愛”を、別の言い方で表現する
こともあるです。それは、
“神”とか“創造主”などです。

すなわち、森羅万象全てのものが、
1つであり、愛であり、神であり、創造主
だという、考えが、スピリチュアルの
根幹を成しているです。

人も、“愛”であり、
“神”であり、“創造主”であるという事です。
となりのおじさんも、近所の子供も、
アベ首相も、イルミナティの方も、
チベットの山奥におられる仙人も、
スペインでフラメンコを踊っておられる方も、
カリフォルニアのサーファーも、新聞記者も、
あなたも私も、誰もが、
1人1人、1つに繋がっていて、
1人1人、“愛”であり、
1人1人、“神”であり、
1人1人、“創造主”だということになるです。

ん?“ものさし”について、
話をもどそうと思っているのですが、
うまく戻れないです。

ん〜(´・ω・`)何を書いているのか、
だんだん自分でもわからなくなってきたし…。


私はバカなんでしょうか(´・ω・`)
いや、スピリチュアル的には、
私はただのバカではなく、
愛のバカということになるです!
(`へ´)エッヘン(なんのこっちゃ^^)

もとい、、、
私は、愛であり、神であり、創造主なのです。


そう、スピリチュアル的な考えに基づけば、
私達は、愛であり、神であり、創造主という、
力強い存在なのです。

“愛”の存在である私達は、“ものさし”をもって、
自分や世界を推し量る必要がないのです。

“神”であり、“創造主”の存在でる私達は、
たとえどんな世界であっても、思い描いた
世界を、創造することが出来るので、
“ものさし”を利用して、自分の意志や、
行動に、わざわざ制限をかける必要も、
ないのです。

愛の存在である私達、神である私達、
創造主である私達そのものが、
“ものさし”だと、考えてもいいかと
思うです。

その“ものさし”は、1つです。
時代や国籍、宗教や性別、あらゆる違いを
超えて、たった1つです。
私達が、1つに繋がっているという、
真理と同じなように、1つなのです。

スピリチュアルに目覚めた世界では、
自他を比較し、相対化させる“ものさし”という
古いツールは、必要なくなっていくと、
思うです。そこには、愛という絶対的な
存在である、私達がいるのですから。

なんかちょっと、強引にかっこ良く
終わらせてみましたが、意味がよくわからない
まとめ方になってしまいました。
ごめんなさい。

長い文を、最後まで読んで下さり、
ありがとうございました。

ちなみに、最近拝見させていただいた、
目からウロコのスピリチュアルメッセージが、
あります。
こちらです
(この中↑で語られている、思考ウイルスが、
 今書かせていただいた、“ものさし”と、
 同じものかもしれません)

<('ν')>



             ( 'ー'

2013.03.31

〜 縮小拡大 〜


<省略です>



最近、私がよく拝見させていただいている、
スピ系に分類されるブログで、
富士山が噴火するかも〜!!?
的な、警告をされる方を、よくお見かけ
するです。

その方々は、誰々の予言では、
近々、富士山が噴火するとのことです!
とか、この御方の御発言は、富士山の
噴火のことを言い当てているんじゃまいか?
みたいな、予想をされておられる方も、
おられるです。
しかも、具体的な時期を上げられていたり。
(きっと、良かれと思われて、あえて、
 そのようなことを書かれていると思われるです)


スピ系的には、それぞれの人が、
それぞれの波長に合った、
それぞれの現実世界を、
創造(似合った世界に移行)している
ことに、なっておるです。

例えば、誰かが、
ドレミファソラシドの、
“ド”の音を出しているとすると、
その“ド”と同じ波長の世界を、
その方が、体験することになる。
みたいな考え方です。

ちなみに、“ド”が、崇高な音で、“レ”が、
劣悪な音、ということが、ないのと同じで、
それぞれが体験する現実世界に、
善悪の区別は、ないと、考えられています。

そんなこんなで、今、私は、富士山が爆発する
かもしれないと予想する、恐怖をともなう、
現実世界と、波長が合っていることに、
なっているかと、思われるです。

もしかしたら、この先、私は、
富士山が噴火して、たくさんの
尊い命が、失われる世界に同調し、
その事で、私自身の命が失われる世界を、
体験するかもしれません。

だとしても、その世界が、悪い世界だとは、
言えないと思うです。
それは、魂の観点から見る場合です。

人は、恐怖に基づく波長(思考)と、
愛に基づく波長(思考)が、
存在すると思うです。
愛に基づいた波長で、生きていると、
それに合った、波長の世界を体験できると、
思います。
恐怖に基づいた波長で生きていると、
それに合った、波長の世界を体験できると、
思います。

どのような波長世界であっても、
(“ド”でも“レ”の波長世界であっても)
“魂の観点”からすると、
体験することによって得られる、
“学び”は、結果的に、同じかと思われるです。

私は、富士山の噴火に言及された、
多くのブログを拝見することで、
私自身の今の波長、
恐怖に基づいた波長に、
少々傾いていたのだと、
気づかせていただいたと、感じました。

ゆえに、今まで以上に、愛に基づいた波長に、
意識を向けて行きたいと、思ったです。
意識の方向性に、気をつけたいと、
思ったです。
愛に基づいた世界が、
私は好きだからです。

様々な気付きを与えてくださる、
様々な存在の方々に、感謝の念です。

もっともっと、愛にあふれる世界を、
想像(創造)していきたいと、思ったりした、
今日この頃です。



歯を磨いてきました。



そして、
もっともっと、自分を許そうと思ったです。
もっともっと、自分を愛そうと思ったです。



<('ν')>



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