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この作品はPCゲーム「Kanon」(Key)の世界及びキャラクターを借りた二次創作です。
真琴シナリオ、名雪シナリオ、栞シナリオのネタバレを含みます。













 
 
 
 
 
 
 
少女と不思議の変奏曲













【1/19】

 祐一はまだ帰らない。
 今日の午後は舞踏会の準備で休み。商店街に寄ってから帰宅したけど、いとこは家にいなかった。何か大事な用事があるんだと思う。誰か、かもしれないけど。
 それはいいんだけど…
「あぅ…」
 一瞬だけ目が合うと、その子は逃げるように居間を出ていった。
 真琴。
 少し前からうちにいる、記憶喪失の女の子。仲良くなろうとはしたんだけど、今みたいに避けられてばかりで果たせずにいた。
(…わたしも、かな)
 最近は、少し避け気味だったかもしれない。あの子が興味あるのは祐一だけだって、何となく気づいていたから。
 でも、今は祐一は家にいない。手持ちぶさたで、何をしていいか分からない。
(…わたしも)
 …ううん、そんなことないんだけどね。
「名雪」
 と、お母さんが部屋から出てきた。
「悪いんだけど、お買い物頼まれてくれるかしら」
「うん、いいよ」
「袋の中にメモが入ってるから。それじゃ、お願いね」
 財布とメモの入った買い物袋を手渡される。じゃあ行ってきます…と言おうとしたところで、はたと頭にそれが浮かんだ。
 誘ってみよう。同じ家に住んでるのに、このままじゃ寂しいしね。
「ねえ」
「わあっ! …な、何よぅ」
 廊下でぼんやりと外を見ていたその子は、飛び上がってから警戒気味に後ずさった。人見知りする子だなぁ…。笑顔笑顔。
「これから買い物に行くの。手伝ってくれないかな?」
「え…。えと、その…あうぅ…」
 しばらくもごもごと口ごもってから、いきなり廊下の端まで走っていって、くるりとこちらに振り返る。
「ふ、ふんだっ。何であんたなんか手伝ってやんなきゃいけないのよぅ。やーいばーか」
 あっかんべーと舌を出されて、わたしは笑顔のまま、額に青筋を浮かべてたと思う。
「おかーさーん。今日の夕ご飯はわたしが作るよー」
「あらそう? 悪いわねぇ」
「うん。紅しょうがまんを食べたいって子が一人いるからー」
「………。ええっ!?」
 自分のことだって気付いたらしく、大慌てで近づいてきた。
「ちちちょっと待ちなさいよっ! なによ紅しょうがまんって!」
「そりゃあ名前からして、肉まんの肉のかわりに紅しょうがが詰まってるんじゃないかな」
「冷静に答えないでよっ! そんなもの食べられるわけないでしょーっ!」
「そんなことないよ、おいしいかもしれないよ。食べたことないけど」
「あう…。分かったわよ、手伝うわよぅ…」
「うんうん。それじゃ行こっ」
 渋々頷く女の子の背中を押すようにして、わたしは晴れた冬空の下に出た。

 並んで歩く予定だったんだけど…
 相手は数メートルの距離を保ったまま、びくびくとこちらを窺っている。
「そ、そんなに脅えないでよ〜」
 ちょっと意地悪すぎたかなぁ…。
「肉まん買ってあげるから。ね?」
「ほんとっ!?」
 少しだけ距離が縮まる。こういうところは素直みたい。
「そういえば、熱は下がった?」
「うん…平気。秋子さんが看病してくれたから」
「そう」
 先週末に熱っぽい顔で窓の外を見ていたのを、わたしが気付いて、お母さんに頼んだんだった。
 何で自分で看病しなかったんだろうって、少し罪悪感。
「いつまでも居ていいからね」
「う…うん…」
「きっと祐一もそう思ってるよ」
「べ、別に祐一なんてどうでもいいわよっ!」
 ぷんと顔を背けて早足で行ってしまう後を、わたしは苦笑してついていく。
 商店街に到着。一人で買い物するより、二人の方が当然楽しかった。
「あ! これ何!?」
「えーっとね…」
「わーっ! お菓子がいっぱいあるーっ!」
 ち、ちょっと恥ずかしいけど…。
 約束通り肉まんを買って、一緒に食べてから帰途につく。荷物は二人で半分ずつ。
「また来ようね」
「う…。ま、まあどうしてもって言うなら手伝ってやるわよっ」
 ありがとね、って笑おうとした。
 …けど、そこでわたしの足が止まる。
「? どしたの?」
「ねこー…ねこー…」
 ねねね猫さんがいるよぉ…。
 道端で、あくびをしながらこっちを見てる。白くて、手足と尻尾、耳と鼻だけが黒い。可愛すぎるよぉ…。
「ち、ちょっとあんた顔がヘンよぅっ! なんか目がうつろだし!」
「ねこーねこー」
 引き寄せられるように、わたしの足は勝手に動く。猫さんは逃げずにちょこんと首を傾げた。もう卒倒しそう。
「ね、ねえ、抱いてもいいかなぁ?」
「え…。そりゃ、好きにすれば?」
「そうするよっ!」
 許しが出たので、思わず抱きしめてしまった。
「くしゅんくしゅんくしゅんくしゅん!!」
「わああっ! だだだ大丈夫っ!?」
「ううぅ。実はわたし、猫さんに近づくとくしゃみが出る病気でっくしゅん!」
「じゃあ何で抱くのよっ。あ、逃げた」
 くしゃみを連発されて仰天した猫さんは、目の前のもう一人の足元に逃げ込んだ。
「あうぅーっ。なんで真琴の方に来るのよぉ」
「あー、いいなぁ。懐かれて…っくしゅん!」
「べ、別に嬉しくないわよ! もう、ねこ、じゃま!」
 足にまとわりつかれて転びそうになり、文句を言いながら歩き出す。
 その様子をわたしは恨めしそうに見ながら、少し距離を置いてついていった。
 歩道橋にさしかかり、猫さんは器用に手すりを登って、女の子の頭に乗った。乗られた方はこらあっと怒って、両手で頭から引き剥がす。ぶつぶつ言いながらも抱いてる。羨ましすぎるよぉ…。
「やっぱりその猫さん飼おうよ…」
 歩道橋の上で、我慢できなくなったわたしはそう口にする。
「あのさぁ。あんた病気なんでしょ?」
「我慢するよっ! それに、このまま放すのは可哀想だよ」
「可哀想…」
 彼女の顔色が、微妙に変わった。
 でもわたしは鼻をすするのに精一杯で、深い意味なんて考えられなかった。
「うん、人に飼われてたみたいだし。飼い主がいるなら仕方ないけど、そうじゃないなら誰かが面倒を見るべきだよ」
「……。それで、飽きたら捨てるんだ」
「ええ!? そ、そんなことしないよっ」
「…あんたも、祐一と同じよね」
 意味の分からないことを言われて――
 そして、猫さんの姿が消えた。

「いっちゃった」
 歩道橋の下の、走っていくトラックの荷台から聞こえる猫さんの悲鳴と、呟く声。
 わたしの頭は、眼前で起きたことを理解できないでいた。
「えっと…何、したの?」
「何って…」
 たぶん蝋人形みたいになってるわたしの顔を前に、その子は一歩後ずさる。
「な、何よぅ…」
「何、したの!?」
 荷物を放り出して、胸ぐらを掴んでいた。
「い、いいじゃない別にっ! 中途半端に優しくするくらいなら、最初から突き放した方がましよっ!」
「どうしてそんな寂しいこと言うの!? 猫さんを投げ捨てるなんて、何でそんな事できるの!? ひどすぎるよっ!」
「もう…いい」
 女の子は反省するどころか、拗ねたようにそっぽを向いた。
「いいわよ、出てくわよっ! 真琴なんかいない方がいいんでしょ!」
 何でそんな話になるのっ…!
 わたしもさすがに頭に来て、突き放すように手を離す。
「ああーそう。なら勝手にすればっ!」
「ううぅ…。あ…あんたなんか大っ嫌いっ!」
 捨て台詞を残して、女の子は走り去っていった。
 わたしは虚ろな気持ちで顔を上げ、猫さんが消えた車列の、その行く先をぼんやり眺める。
 …馬鹿みたい。仲良くなれるかも、なんて。

 お母さんは何も聞かなかったけど、祐一はさすがに気になったみたいだった。
「何かあったのか?」
 むかむかしていたわたしは、あの子のしたことを口早に訴える。
「そりゃあ確かにひどいな」
「でしょ!?」
 詰め寄るわたしに、祐一は少し引き気味だった。
「ま、まあその猫だって死んだわけじゃないんだし、そう怒らなくても…」
「そういう問題じゃないよ! 猫さんをいじめる人類は滅ぶべきだよ!」
「おい…。なんか危険思想を口走ってるぞ」
「地球を猫さんに明け渡すべきなんだよ!」
「秋子さん! 名雪がもうダメです!!」
 う〜! だってだって、あんなのひどすぎるよ。こんなとき徳川綱吉がいてくれたら…。
(どうせお母さんに泣きついて居座るんだろうけど、反省するまで口きいてやらない!)
 そう心に決めて、その日の夜は眠りについた。


【1/20】

 でも、次の日の朝になっても、あの子は帰っていなかった。
 空っぽの部屋を前に、寝ぼけてた頭が一気に冷める。
 わたしのせいで家に帰れない
  →行くところがない
   →野宿
    →凍死
 ど、どどどどうしよう〜!
「お、お母さん〜!」
「ねえ名雪。正しいことでも、その子にとっては触れられたくない傷であったりすることも…って言わなくてもいいみたいね」
「わ、わたしのせいで…」
「大丈夫だから。警察に連絡しておくから、名雪は学校へ行きなさい。ね?」
「うん…」
 うなだれて登校する途中、祐一が慰めてくれる。
「記憶が戻って、家に帰ったのかもしれないだろ」
「それならいいんだけど…」
「怒りの持続しない奴だなぁ…」
 学校でもそわそわしていて、香里にどうしたのか聞かれた。
「なんだ、別に名雪は悪くないじゃない。その子が勝手に出てったんでしょ」
「で、でもさすがに言い過ぎたんじゃないかって」
「あなたって本当にお人好しねぇ。いい人間は長生きしないって言うわよ」
 微妙に刺々しい言葉を残して、香里は席に戻っていった。
 放課後になって探しに行きたかったけど、部長が部活をさぼるわけにもいかない。必死で走って、部活が終わるとまた走る。昨日別れた場所へ向けて。
(どっちへ行ったんだろう…)
 もしかして、猫さんを助けに行ってくれたのかもしれない。
 希望的観測すぎると思うけど、歩道橋を降りて、トラックの走り去った方へ行ってみる。
 途中の公園なんかを探してみたけど、影も形もなかった。昨日まで居て当然だったのに、今は居場所の見当もつかない。
「あれ、部長?」
「あ、真田さんっ!」
 陸上部の後輩が、鞄を手に歩いてくる。
「ねえ、女の子見なかった? こんな風に髪をリボンで留めた子」
 わたしが後ろ髪を両手で掴んで横に垂らすと、真田さんはぽんと手を叩いた。
「ああ、さっきそんな子が猫を抱えて…」
「どこでっ!?」
「あ、あっちの住宅街の方でした」
「ありがとっ!」
 坂道にある閑静な住宅街。走り回ってみたけど見つからない。
 名前を呼べばいいんだけど…
 名前で呼ぶほど親しくないと思う。少なくとも、向こうはきっとそう思ってる。
 だから苗字を呼ぼうとしたんだけど、わたしの額を汗が垂れる。
(み、苗字なんだっけ…)
 そういえば一回しか聞いてなかったよ…。猿渡さんだっけ? 違ったような…。
「えっと…。ねえ…」
 そんなこと言ってたって見つかるわけない。空はどんどん暗くなっていく。
 もう会えないのかもって思ったら、急に胸が詰まって――
 ようやく、わたしはそれを口にした。
「ま… 真琴っ…!」


「あう…?」
 魔法みたいだった。
 ひょい、と曲がり角から顔を出す。その胸には、昨日の猫さんが抱かれていた。
 滲む視界の中で、相手は気まずそうに後ずさる。
「な、何よっ! こんなところまで怒りに来たの!?」
 そう言って逃げ出そうとするのを、ダッシュで距離を詰めて抱きついた。
「わああっ!?」
「ごめんねっ…」
「え…。ええ!? な、何であんたが謝るのよっ!」
 仰天している女の子の胸で、猫さんが小さくなあと鳴く。
 体を離して、ごしごしと目をこする。
「猫さん、探してくれたんだね」
「あぅ…。だ、だって真琴のせいだし…」
「帰ろう」
 必死でくしゃみを押さえながら、わたしはその両手を取った。
 すっかり暗くなった空の下。真琴という名前の女の子は、困ったように目を逸らす。
「でも、真琴は…」
「帰ってきてくれなきゃっくしゅんくしゅん!」
「わーっ! 鼻水飛ばさないでよっ!」
「帰ってきてくれる?」
「うぅ…。し、しょうがないわねぇっ!」
 背を向けて、すたすたと歩き出す。素っ気ないけど、距離が縮まったのを感じながら、わたしは真琴の耳に口を寄せた。
「真琴、あらためてよろしっくしゅん!」
「わあああ!?」
「ご、ごめんね〜!」

 お風呂に入ってから、自分の部屋に戻った。
 激動の一日だったなぁ。ああ…それにしても…
「同じ家の中に猫さんがいるのに〜!」
 もどかしさにベッドの上で暴れていると、真琴が呆れた顔で入ってきた。
「何やってんのよ…」
「あ。あははは、猫さんは?」
「下にいるわよ。名前は『ぴろ』になったから、よろしくねっ」
「わ。可愛い名前だね」
「ま、まあ祐一にしてはそれなりよね」
 祐一がつけたんだ。どういう由来なんだろ。ぴろ…ピロートーク? わーっ、わたしったら何を考えてるんだよっ。
「ね、ねえ…」
 おずおずと近づいてから、真琴はベッドの上、わたしの隣に座った。
「もう怒ってないの?」
「うーん、そうだね。真琴はもうあんなことしないって思うから」
「し、しないわよ…」
「よしよし」
「子供扱いしないでよっ」
 頭を撫でてあげると、ぷんすかと手を振り回して、悪いけど子供っぽくて可愛い。
「そ、それから。あんたのこと大嫌いって言ったのは、取り消してあげる」
「うんっ。でも、名雪だよ」
「え」
「あんたじゃなくて、名雪」
 真琴は少し口ごもってから、上目遣いで小さく言った。
「な、なゆき…」
「うん、真琴」
「…もう一回言って」
「真琴?」
「もう一回」
「真琴っ」
 嬉しそうにはにかむ真琴。もっと早く呼んであげるんだった。
 わたしたちは今までの時間を取り返すように、色んな話をした。今日の夕ご飯のこと、お母さんのこと、祐一のこと。
「そういえば、祐一なんだか元気なくなかった?」
「そう? そうだったかも。女の子にでも振られたんじゃないの?」
 まさかあ、と笑おうとしたけど、微妙に表情が強ばったのかもしれない。
 真琴は少し驚いて、窺うように言った。
「え? も、もしかして名雪は祐一が好きなの?」
「なっ…」
 そんなストレートに聞かないでよ…。
 ごまかし笑いを浮かべるしかない。七年も前に、もう振られてるんだから。
「そんなこと、ないよ」
「そうよねぇっ。あんな甲斐性なし、名雪とは全然釣り合わないわよ」
 ひどい言われようだったけど、素直じゃないだけなのが分かってるので、笑って受け止めた。
「でも、祐一にもいいところはあるんだよ」
「ないない、全然なーいっ。名雪にはもっといい相手がいるわよ。えーとほら、池でラーメンが何とか」
「…イケメン?」
「そう、それ! 名雪にはそーゆーのが似合うのっ!」
 それじゃわたしが面食いみたいだよ…。でも真琴としては誉めてるつもりなんだろうから、素直にお礼を言っておく。
「ありがとね、真琴」
「え…あ…う…。ぴ、ぴろと遊んでこよーっと!」
 真琴は真っ赤になって、ぱたぱたと出ていってしまった。妹がいるのってこんな感じなのかな。
 ああ…それにしても…。
「わたしもぴろと遊びたいよぉ〜!」
 ベッドの上で暴れすぎたせいで、後で祐一とお母さんに怒られた。








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