(1) (2) (3) (4) 一括







【1/21】

「名雪ーっ。さっさと起きなさいよーっ!」
「うーん」
 ああ、どうして朝なんて来るんだろう。夜が来て…ずっと夜だったらいいのに。
「あうー、全然起きない…。こうなったら…えいっ」
「ごふぅ!」
 いきなりボディアタックを敢行されて、口から胃が飛び出しかけた。
「ま、真琴…。お、女の子はもっと優しく扱わないとダメだよ…」
「だって全然起きないんだもん。もう一発いく?」
「起きるよっ。起きますっ」
 渋々と着替えて、真琴に引っ張られながらテーブルにつく。
「あら、今日はちゃんと起きたのね」
「起きたよ〜」
「これからは毎日真琴に頼もうかしら」
「うんっ。真琴にお任せよ」
「許してよ〜」
 騒がしい食卓。でも、真琴とお喋りしながら食べる朝ご飯は、いつもよりおいしかった。
 ただ、祐一は体調が良くないらしくて、元気がないのが心配だったけど。

 今日は部活はお休みで、でも掃除当番。
 早く終わらせて帰ろうと、モップを手に、渡り廊下を端から端まで拭く。
(真琴、ずっといてくれるといいなぁ…)
 真琴のおかげで、家の中が賑やかになる。
 それに…祐一はいつか出ていってしまう。根拠はないけど、今日も中庭に一人で出かけていくのを見ると、そんな気がした。
 なんてことを考えていると、窓の向こう、校門のそばに誰かの姿。
(真琴!?)
 校門から顔だけ出して、きょろきょろと誰かを探してる。迎えに来てくれたのかな。
 早く行こうと、モップの速度を上げるわたしだけど…
「あなたの…お知り合い…でしょうか」
 そう、誰かが声をかけてきた。
 振り向くと、女の子がじっと真琴の方を見ている。制服からすると一年生。どことなく物静かな感じ。
「校門のところにいる子? うん、そうだよ」
「…あれは、あなたを待ってるのでしょうか」
「う…うん。たぶん」
 よく考えたら、祐一を待っているのかもしれない。本人は絶対認めたがらないだろうけど。
 女の子は怪訝そうな顔で、わたしの方を向いた。
「たぶん?」
「うん、わたしのいとこも、この学校にいるから」
「いとこ…」
「あの子、いとこのこと好きみたいだから。最初に会った時も、いとこのこと許せないってことだけ覚えてて…あれ?」
 これじゃ仲悪そうだよ…。訂正しようとして、その前に、その子が愕然とした顔をしているのに気付く。
 うまく言えないけど、『そんなのは想定外だ』というような。
「そう…ですか。あなたは、巻き込まれただけなのですね」
「え? え?」
「…失礼します」
 行っちゃった…。何だったんだろう。
 あ、掃除掃除。
「真琴っ」
 靴に履き替えて、校門まで走っていく。
「あ、な、名雪」
「祐一はまだ教室にいたよ。呼んでくる?」
「あんなやつなんか待ってないってばっ」
「無理しなくていいよ。三人で帰ろうよ」
「うー…。じゃあ、一人で帰るっ!」
「わーっ」
 本当に素直じゃないんだから。仕方ないので、祐一のことは諦めた。体調良くないのに引っ張り回すのも悪いし。
「わかったよ。わたしと二人でいいから、商店街に寄っていこう?」
「ほんとっ? …う、うん、いいわよ」
 商店街に到着。ファンシーショップにでも行こうと思ってたけど、その前に、ゲームセンターの前で真琴の足が止まる。
「真琴?」
 固まったように、プリクラの写真機をじっと見ていた。そういえば最近撮ってないなぁ。
「真琴、一緒に撮ろうか?」
「…いい」
「そう言わないで」
「あ、あんな子供っぽいもの興味ないもん! 真琴はこう見えてもペナルティーなんだからぁ」
 アダルティーのことかなぁ…。深く突っ込むのはよそう。
「でも、わたしは久しぶりに撮りたいし、一緒に入ってくれると嬉しいなっ」
「そ、そう? 名雪がそこまで頼むなら仕方ないわね。真琴はこう見えてもミルクティーだし」
 もう突っ込みようがなく、わたしは真琴の手を引いてカメラの前に並んだ。
 お金を入れて、パシャリ。
「わあっ」
 半分こしたシールを、真琴は本当に嬉しそうに抱きしめた。そんなに撮りたかったのかな。
「ね、どこに貼る? どこに貼る?」
「うーん、わたしはとりあえずこれかな」
 鞄からプリクラ帳を出す。香里や、部のみんなと撮ったシールの数々。その隣に新しいシールを貼ると、真琴は複雑な顔だった。
「…名雪は、たくさん持ってるんだ」
「う、うん。真琴もプリクラ帳作る?」
「いらない。どうせ名雪しかいないもん」
「そんなことないよ。これから友達も作れるよ」
「いいってばっ」
 逃げるようにゲームセンターの中へ行ってしまった。難しい年頃だなぁ。
 その後モグラたたきで勝負して、全敗したわたしに、真琴の機嫌はあっさり治る。
「へっへーん。情けないわねっ」
「ううっ。反射神経を競うのは苦手なんだよ〜」
「いつもぼーっとしてるからそうなるのよ」
「ぼーっとしてないよ〜」
 だって真琴強いんだもん。獲物を狙う獣みたいな目で叩いてたし。
 通りすがりのお店の人に『数日前に来た女の子は一匹も叩けなかったから、それよりまし』って慰められたけど、あんまり嬉しくない…。
 そろそろ財布も厳しくなってきたので、今日は帰ることにした。
「ね、ねえ。明日も迎えに行っていい?」
「うーん、ごめんね。明日は部活があるんだよ」
「そうなんだ…」
「日曜日にまた来ようね」
「う、うんっ」
「イチゴサンデーを食べに行こうね」
「おいしいの?」
「とってもおいしいよっ」
 真琴は本当に嬉しそうで、もっともっと、楽しい時間をあげたかった。

「いつの間にか、随分仲良くなったのね」
 真琴はぴろとお風呂に行って、わたしは居間でココアを飲んでいると、お母さんがにこにこと言った。
「うんっ。話してみるといい子だったよ」
「そうね」
「ずっといてくれたらいいのに」
 そう言うと、お母さんの顔がわずかに曇る。
「名雪。お母さんはずっと、真琴の親御さんを探しているのよ」
「あ…」
「警察にも当たっているのだけど、捜索届けは出ていないの。見つかっても、記憶が戻るまではここに置こうと思っているけど…それでも、真琴にも家族がいることを忘れないでね」
「う、うん…」
 そうだよね…。真琴には本来の家族があって、帰るべき場所があるんだから。そっちが優先だよね。
 収まるべき場所に収まってから、あらためて友達になればいいんだし。祐一にもそう言っておこう。
(あ。そうだ)
 今日掃除している時に会った子。
 真琴のことを気にしていたし、何か知ってるのかもしれない。
 名前は聞けなかったけど、明日学校で探してみようかな。


【1/22】

 昼休み。空っぽの祐一の席に買ってきたパンを置いてから、一年生の教室を見て回る。
「あれ、部長」
「真田さん。女の子を探してるんだよ」
「最近人探しがブームなんですか?」
「あ、あはは。小柄で髪は短めで、物腰が上品そうな子なんだけど、知らない?」
「え、もしかして天野さんでしょうか。あそこにいますけど」
 真田さんが指し示す先では、昨日の女の子が本を読んでいた。お礼を言って、その席に近づく。
「天野さん、こんにちは」
 天野さんが顔を上げるのはともかく、教室にいた他の生徒まで一斉に驚いた顔を向けた。そんなに声をかけられない子なのかな。
 とはいえ女の子が訪ねてきたからって騒ぎになるわけもなく、すぐに元の昼休みに戻った。天野さんはぱたりと本を閉じる。
「何の御用でしょうか」
「き、急にごめんね。わたしは二年の水瀬名雪」
「天野美汐です」
「天野さん。昨日校門のところにいた子のこと、何か知らないかな」
「……」
「あの子、記憶喪失なんだよ。今はうちにいるけど、早く元の家に帰りたいだろうし…」
「…帰るところなど、ありませんよ」
 いきなり嫌なことを言われて、さすがにわたしも眉をひそめた。
 天野さんは無言で立ち上がり、ベランダに出るように促す。
 外に出る。風が吹きつけてくる中で、髪を押さえているわたしに、天野さんは表情のない眼で話し出した。
「最近、あの子に何か変わったことはありませんか。体の異状など」
「変わったこと? んー、特に…。あ、異状ってほどじゃないけど」
 朝ご飯のとき、真琴が上手く箸を持てなくて、スプーンで食べてたっけ。たぶん昨日遊びすぎて疲れたんだろうけど。
 それを話すと、天野さんはやっぱり、という顔をした。
「単刀直入に言いましょう」
「うん」
「あの子の正体は、狐です」
「はい?」
「……」
「…」
「すみません…忘れてください…」
「わあ、ちょっとっ!」
 硬い表情で帰ろうとする天野さんを、慌てて引き留める。
「あ、わ、わかったよ。木津根さんちに住んでたんだね?」
「動物の狐です。フォックスです」
 目が本気だよ…。どうしよう。選択肢は3つ。
1.「うわぁ! サイコさんだぁ!」と言って逃げる
2.「そうなんだ、ステキだね」と適当に話を合わせる
3.「どういう原理で狐が人間になるの? 質量保存の法則は?」と突っ込む
 うーん、1はさすがに失礼なような。2は不誠実なような。3はイヤミなような。
「うーんうーん」
「悩まれても困るのですが…」
「も、もう少し詳しく話して」
「残念ながら、時間のようです」
 昼休み終了五分前のチャイムが鳴った。
 慌ててているわたしをよそに、さっさと教室に戻る天野さんは、戸を開けながら横目を向ける。
「信じる信じないは自由ですが…。いずれ分かりますよ」
 またまた冗談を、って笑いたかったけど、そんな雰囲気じゃなかった。


 夜。
 しばらく悩んでから、真琴の部屋をノックする。馬鹿馬鹿しい話だとは思うけど、記憶が戻るヒントになるのかもしれないし…。
「真琴、いい?」
「あ、ちょっと待って。ぴろがいるから」
 中からの声に、廊下の端まで離れた。扉が開いてぴろが階段を降りていく。ああっ悲しい。
「ちょっと話がっくしゅん!」
「平気? やっぱりこの部屋入らない方がいいんじゃない?」
「へ、平気だよ。ええと…肉まんおいしい?」
「あぅ、欲しいの? しょうがないなぁ…」
「そ、そうじゃないよ。その…マンガ面白そうだね」
「…名雪、何かあった?」
「うっ」
 あからさまに不自然だったらしく、真琴は疑いの目でこちらを見ていた。
「な、ないないない、何にもないよ〜」
「無茶苦茶怪しいわよっ! 白状しなさいよーっ」
 はぁ…。そうだよね、言わなきゃ始まらないよね。
「あのね。学校で会った女の子が言ってたんだけどね」
「うん」
「その……真琴は、狐なんだって」
 口に出してみると、ものすごくまぬけなような気がした。
 ほら、真琴も目をぱちくりさせてる。
「え、ええと、そんな事あるわけないよね。あ、あはは…」
「そ、そうようっ。何を言い出すのよ。変なの。あはははは」
「あっはっは」
「…名雪。あんた真琴をバカだと思ってるでしょ」
「ごご誤解だよっ! そんなことないよ〜」
「じゃあ何よぅ狐って! なんで真琴が獣畜生なわけっ!」
 そりゃ怒るよね。ぱふぱふ、とクッションで叩かれながら、それでもわたしは安堵していた。
「でもよかったよ〜。『バレたか、実は狐です』なんて言い出したらどうしようかと思ってたよ」
「やっぱりバカにしてるーっ! 真琴が狐なら名雪の正体は猫よ! 猫!」
「猫さんかぁ…。それもいいなぁ…」
「あのね、悪口のつもりなんだけど」
「………」(パァァァァ)
「わーっ! どっか行っちゃったーっ!」
 それにしてもびっくりしたよ。天野さんにからかわれたのかな。冗談言う子には見えなかったけど…。


【1/23】

 土曜の放課後。休んだ香里を心配しつつ、わたしは天野さんに報告に行った。
「真琴に聞いたけど、狐じゃなかったよ」
「…水瀬さんは天然ですか」
「え? と、とりあえず養殖じゃないよ」
「もういいです…」
 がっくりと肩を落とされる。何か変なこと言ったかなぁ…。
「詳しく話します。聞きたければついてきてください」
 天野さんは少し辛そうな顔で、ベランダに出ていった。わたしは一瞬躊躇したけど…結局その後に従った。

 昨日と同じ場所で、話は少し長く続いた。
 話が進むにつれ、わたしは俯き気味に手すりをぎゅっと握る。
「…ごめんね。やっぱり信じられないよ」
「そうですか。…そうでしょうね」
「ごめんなさい…」
 話の真偽はともかく、それが天野さんにとって身を切るようなことなのは、見ていて分かった。
 それを押し殺して話してくれたのに、こんな返事しかできないのが申し訳なかった。
「真琴が狐だってだけなら、百歩譲れば受け入れられなくもないよ」
 確かに、一部は事実と合致する。祐一が昔狐を飼っていたこと。真琴が祐一への想い以外覚えていないこと。
 本人は嫌かもしれないけど、家出したのに捜索届けも出してもらえないような家の子だというよりは、狐さんって考えた方がまだ夢があるかもしれない。
「でも…」
 けれどそれも、ずっと今のままでいてくれるならの話だ。
『その奇跡とは、一瞬の煌めきです』
 …そんなこと、信じるわけにはいかなかった。
「ごめんね、せっかく話してくれたのに」
「いいんです。巻き込まれただけだなんて、あまりにもあんまりですから、柄にもないことをしてしまいました。信じてもらえたところで、結局何もできはしませんし」
 自嘲気味に言ってから、天野さんの目が険しくなる。
「あなたのいとこは、一体何をしているのですか」
「え、あ。祐一も、今ちょっと大変なんだよ…」
「そうですか…。上手くいかないものですね」
 上手くいかない。何となくその言葉が重石みたいに心に残る。
 天野さんはくるりと背を向け、扉を開けた。
「私は、これ以上はもう関わりません。私の頭がおかしいだけで、今話したことも全て単なる妄想だといいですね」
 少し間をおいてから、わたしも教室に入る。既に天野さんの姿はない。
 真琴はちょっと記憶喪失なだけの、普通の女の子だ。
 そんなことより、早くお昼を食べて部活に行かなきゃ。
 そう決めて、この件については思考を閉ざした。

 なので…
 夕ご飯の時も真琴が箸を持てなかったのも。
 なんだか足下がふらつき気味なのも。
 洗面所に歯磨き粉がついたままの真琴のハブラシが落ちていたのも、全て偶然と思うことにした。「人間じゃなくなりつつある」なんて一瞬思ってしまったのは、白い布がお化けに見えたりする、あれと同じだと思う。

 そうしてテレビを見ていると、香里から電話がかかってきて、祐一は出かけていった。
「力になってあげてね」
 そう言って送り出すくらいしかできず、テレビを見る気にもなれず、わたしはとぼとぼと部屋に戻る。
「…なんか元気ない」
「ちょっとね」
「ふぅん…。真琴に話せないならいいわよ」
「拗ねないの。友達がね、祐一に相談事があったみたいなんだよ」
「祐一に? あんなのに相談したってしょうがないじゃない」
「そんなことないよ。祐一はあれで頼りがいがあるんだよ」
 だから香里を助けられるのがわたしじゃなくて祐一なのも、仕方ないんだと思う。
 そんなことを考えていると、真琴は納得いかなそうにそっぽを向いた。
「で、でも真琴だったら、祐一じゃなくて名雪に相談するわよ」
「え…」
「覚悟しときなさいよねっ。嫌だって言っても相談するから」
「…うん。どんとこいだよ」
「ほんとにバンバン相談してやるんだからぁ」
 おやすみを言って、わたしは軽い心でベッドに入ることができた。
 人間だよ。
 だって、こんなにわたしのこと分かってくれてるもん。










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