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この作品は「CLANNAD」(c)Keyの世界及びキャラクターを借りて創作されています。
CLANNAD全体に関する重大なネタバレを含みます。


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§4




 親子が初めて抱き合っている。
 二人だけの旅を経て、ようやく現実と向き合った父親が、わんわんと泣く小さな娘を抱きしめている。
 それ自体は確かに良いことだった。そうならないよりは、ずっと救いのあることだった。
 でも…
(何もかも、遅すぎた…!)

 汐に残された時間は少ない。
 それを知るのはわたしだけ。絆を取り戻した家族の幸せな時間も、わたしには残酷なものとしか映らなかった。
<いつのまにか…やり終えていたのか…>
 岡崎君が父親と和解したのも。
<んーっ、可愛いですっ>
 かつて交通事故から助けた少女が、ようやく目を覚ましたのも。
 先に待つのが汐の死と知ったら、どうして喜ぶことができるだろう?
 せめて岡崎君の改心が半年早ければ、汐も十分な力を蓄えられて、次の発熱を乗り越えられたかもしれない。
 ううん、そもそもわたしが渚を止められていれば。
 今目の前で、呑気に汐を妹にしようとしている少女を、あのとき助けたりしなければ…。
 後悔ばかりが積み重なる中で、残された時間は刻一刻と消えていく。

 もう一度だけ、汐の前に姿を現したことがある。
 それで何ができるでもないのに、何もできないことに耐えられなかったのだ。
「あ…」
 汐は少し警戒気味だったけど、今の幸せな毎日のお陰か、拒絶したりはしなかった。
「こんにちは」
「こ、こんにちは…」
「…お父さんと仲直りできて、よかったね」
「う…うんっ! あのね、この前は一緒に野球をしてね…」
 何の屈託もない笑顏が、わたしの胸を切り刻む。
 ようやく幸せになれたのに。
「ど、どうしたの? なんで泣いてるの?」
「ごめんなさい、何でもないの」
 助けられなくてごめんなさい。
 渚は一体、何のために死んだんだろう。
 この子は一体、何のために生まれてきたんだろう。
「ねえ、汐…」
「?」
 あなたは、生まれてきて良かった?
 …そんなこと、聞いたってどうにもなりはしない。
「あの…運動会、楽しみだね」
「うんっ。パパもがんばってくれる」
「そう…じゃあ、わたしはそろそろ帰るね」
「あ、あのね」
「うん?」
「がんばってるからって…ママに教えてあげてね」
「―――」
 それ以上直視できず、わたしは姿を消した。
 渚だったら、何て言うんだろう。
 こんな状況でも、強くいられるんだろうか…。


 そして汐は発熱し、最後のカウントダウンが始まった。
 束の間の楽しかった時間は終わり、周囲から笑顔が消える。
 もう回復しないことを、岡崎君も薄々感じているのだろう。必死に汐を看病しながら、その表情は絶望そのものだった。
 また旅行をしたい。そう汐が言う。
 聞こえないはずの声が聞こえる。
 岡崎君の内心だった。わたしの存在を知らない彼が、わたしに向けて呪詛を吐いていた。

『俺は…』
『俺たち家族は…』
『この町にただ、弄ばれてるだけじゃないのか…』
『悪戯に幸せを与えられ…』
『それを簡単に奪い去られていく…』
『それで…あざ笑っているのだろうか』
『俺たちが悲しむ姿を見て…』
『許せない…』

 うるさい馬鹿! 誰のせいだ!
 お前のせいだ。お前が、もっとしっかりしてさえすれば、こんな事にはならなかったのに!
 ひとしきり罵ってから、ふっと我に帰る。
 わたしのせいだ。わたしがこの世界に来なければ、こんな事にはならなかった。
 何もしなければ良かった。役目を終えた時点で、従容と消えていれば良かった。かつて、隣町の意志がそうしたように。
 …ううん。
 この町の意志なんて、最初から生まれなければ良かったんだ…。


 最後の日は、わたしがこの世界に来た時と同じく、雪に覆われた街で迎えた。
 汐が旅行に行きたいと言う。
 岡崎君が汐を抱いて外へ飛び出す。
 それら一連の行動が、汐の中にいるわたしの前で、スローモーションのように過ぎていく。
(嫌だ…)
 降り続ける雪。
「パパ…だいすき…」
(嫌だ、こんなの…)
 そうして呆気なく、汐の心臓は停止する。
(嫌だぁっ…!)

 強烈な風が巻き起こり、わたしという存在が吹き飛ばされる。
 この世界との繋がりが消えたことで、元の世界に押し戻されるのだ。
 十年以上を過ごし、それなりに馴れ親しんだ世界が、眼下に遠ざかっていく。
(嫌っ…! やめて、こんな終わりなんて嫌!)
 泣き叫ぶのを止められない。全ては既に終わっていて、無駄と分かっていることなのに。
 その時だった。何か人魂のようなものが、眼前を横切っていく。
(あれは…!)
 岡崎君の意識の一部だ。偶然巻き込まれたのか、それとも彼の魂まで死んでしまったのか、考える暇もなく、わたしはそれに手を伸ばしていた。
 その行動自体は、藁にもすがるという意味だけだった。
 だが、掴んだ途端に、藁が一つの可能性に変わる。
(――方法があるかもしれない)
 彼を上手く使えば。『可能性』。その言葉から閃いた何かが、少しずつ形を成していく。
 荒唐無稽な計画だけど、試す価値はある。どうせもう、失うものなんて何もないのだ。
 自分の世界が近づくのを感じながら、掴んだ手に力を込める。
「認めない。こんな結末なんて認めない。
 ――手伝ってもらうわ。あなたにも責任があるんだから」
 その声の響きが酷く冷たかったことに、思いを至す余裕なんてなかった。


 久しぶりに、本当に久しぶりに戻ってきた世界は、一見すると何も変わっていなかった。
 間もなく死に絶えるのが確定しているのも、以前と同じだった。
 そのただ中に、岡崎君の意識を放り出す。
 あなたにも選択の余地はあげる。この世界を選ばないなら、どのみち光は扱えない。でも、もしこの世界に生まれることを望んでくれたら…。

 そう。頼りはやはり光たちの力だ。
 一つの力は小さくても、無数に集まれば汐の死を――いいや、渚の死だって回避できる。
 もちろん町に残っていた分は、風子という少女のために使い果たしてしまった。
 でも、あれはあくまで漂っていた分だ。本来光たちは幸せの後追しのため、町の住人たちに宿っている。
 それをすべて回収する。
 光が放出されるのは、町の住人たちが幸せになった時。普通にやっていたのでは、何年かかるか分からない。
(でも、時間が曖昧なこの世界なら…)
 世界の寿命は残り少ない。わたしはわたしで、計画の準備を進めることにした。

 建物をイメージすると、目の前に小屋が浮かび上がる。
 自分の世界だというのに、今の力を反映してか、出来たのはみすぼらしい堀立て小屋だった。まあ、今は気にする状況じゃない。
 小屋に入り、机の前で考えをまとめる。
 一番の問題は、わたしの声が岡崎君に届かないことだ。

 光があちらの世界にある以上、集めるのは彼の仕事。
 ここから北北東にしばらく歩けば、少しだけ時間を遡れる。岡崎君が渚と会う前に。
 そこで彼を元の世界に戻せば、渚と結ばれない未来もあるだろう。
 誰かを幸せにしたり、幸せになる現場に居合わせることもあるだろう。可能性だけなら無限にある。
 その先で光を回収して、この世界に戻してくれればいい。
 それを、岡崎君にどうやって伝えよう。
 わたしと彼は別世界の存在。この世界に来たところで、声も姿も彼に認識できないのは変わらない。
 しばらく悩んだ後、わたしは代理を立てることにした。

 外から集めてきた土で、人の形を作る。
 形だけではすぐに崩れていく。芯を入れないと駄目みたいだ。
 自分の胸に手を当て、人としての記憶を取り出した。渚と汐の中で、曲がりなりにも十年以上生きてきたのだ。それなりの質量になっていた。
 取り出した途端、胸はやけに虚ろになってしまう。変なの。どうせわたしなんて人間じゃないのに。彼らの幸せを願うだけの、単なる傍観者なのに。内心で独りごちながら、それを土の中に埋め込む。
 出来た人形は、芯材のせいか、どことなく渚と汐を足して二で割ったようだった。
 目を閉じたままの少女を、壁にもたれさせる。当然ながらぴくりとも動かない。この世界で、もう新しい命なんて生まれない。
 わたしの分身なのだから、使うのはわたしの命だ。
 少女の頬に両手を添えて、自分の存在を移していく。自分の事ながら、この子が少し不憫になる。目覚めたとき、この子は何も覚えていない。彼と同じ側の存在として作った以上、わたしからは何も伝えられないから。
 それでも、一番奥の無意識下に、わたしの存在は薄ぼんやりと残るはずだ。それが良い方向へ誘ってくれますように。岡崎君を導けるのは、あなただけなんだから。
(本当に、穴だらけの計画だよね…)
 世界が消えるまで、時間の猶予もあまりない。上手くいくなんて思ってるの? どうしてこんな事してるんだっけ?
 ああ、でも、あんな悲しい結末を無くせるなら、何だってしてみせるから…
 意識が遠ざかっていく。少女の指がぴくん、と震え、同時にわたしは完全に消えた。


 厚いカーテンが何百枚も重なった向こうで、物語が始まっている。
 それは夢よりもなお遠く。何が起きているかなんて、わたしという形すらなくなったわたしに、分かるはずもない。
 あ……でも、誰の言葉だったっけ。
 いつか聞いたそれが、微かだけど今の世界をイメージさせる…。


「それはとてもとても悲しい…」

「冬の日の、幻想物語なんです」


*         *         *





*         *         *



『…いろいろなことがわかったの』
『…知らなかったこと、たくさん』

『雪の中で、彼にそう伝える』
『もう駄目なんだと思ってた。このまま力尽きるだけかと思ってた』
『でも、違う…』
『わたしたちは、到達したんだ…』


『…わたしはね…』
『…この世界だった』

『そう伝える』
『徐々に、世界の輪郭がはっきりしてくる』

 うん……そう。
 あなたは、わたしだった。

『最後の力を振り絞って、彼に伝える』
『わたしは、この世界の意志になること』
『今まで、あなたがいてくれたおかげで、寂しくなかったこと』
『きみは、向こうの世界で光を探さなければいけないこと…』

 お疲れ様。
 本当に、大変だったんだね。
 でも、もう大丈夫。
 ここまで来られたなら、わたしたちの目的は達せられる。

『うん…大丈夫』
『ほら、歌おう。お別れの言葉の代わりに…』
『だんごっ… だんごっ…』


 風が吹いた。


『さようなら…パパっ…!』


 ――光景が広がる。
 いつか予測した末来と同じ。世界が雪に覆われている。
 雪は死の象徴。息も絶え絶えの、頻死の世界が目の前にあった。
(でも…)
 成功、したんだ…。
 ここは始まりの日に、渚と岡崎君が初めて出会った日に繋がる場所。迂余曲折はあったみたいだけど、最後には到達したんだ。
 ありがとう。
 分身の体から雪を払う。その体は急速に透けていく。役目を終え、わたしの中へ戻るのだ。
『…あの子は、大丈夫かな』
 大丈夫だよ。ここまで成功したんだもの、後は大したことない。無数に分岐する未来の先で、きっと光を見つけだす。
『…うまく見つけられるかな』
 それも大丈夫。旅立つまでが思った以上に長かったけど、その分この世界に馴染んだと思うよ。たぶん光の方から寄ってくる。
 …ほら!
 降り注ぐ雪の中で、一つだけ心を感じられるもの。
 大昔に放ったわたしの祈りが、誰かの幸せを見届けた後、岡崎君を通じて戻ってきたのだ。
<朋也。好きだからね>
 手に触れた途端、そんな光景が浮かんで消える。
 渚以外の誰かと結ばれた未来のようだった。
『………』
 そんな複雑そうな顔をしないの。可能性の一つでしかないんだから。
 雪に紛れて、次々と光たちが戻ってくる。

<だいじょうぶなの。私のお庭は、広いから>

<わたしは今、たくさんの仲間に支えられているんです>

<学生時代、一緒に馬鹿やった奴らは、一生縁が切れねぇから>

<やあ、久しぶり――…>

<笑ってくれるだろうか…長い、旅の終わりに>

<でも、まぁ…今日は遊んでやるか>


<私はおまえと一緒の春がいい>
 分身の瞳が少し曇る。この幸せは一時だけ。その先に過酷な道が待つことを、どことなく感じたのだろう。
 でも、その時のわたしの目は、一つのこと以外には冷淡だった。
 岡崎君が誰と結ばれようが構わない。その先にあるのが幸福でも不幸でも知らない。
 ただ一つ、あの悲しい未来さえ消え去ってくれるなら!

<俺は…居なくなったりはしない>
<わたしは…この子たちを教え続けたいですっ>

 これは、渚と結ばれる未来から消た光だ…。でも、その先に待つものだって、光の力があれば変えられる。
 やがて光の帰還は途絶え、空は元の灰色に変わる。
 代わりに地上は壮観だった。わたしの数百年間の祈りの結晶……全ての光が集まり、世界はまるで天の川のようだった。それが、滅びる前の最後の輝きだったとしても。
 さあ、とうとう願いの叶う時がきたよ。準備はいい?
『…うん…』
 人形は既に土に戻って、想いの残滓だけが浮かんでいた。
 お陰で、この子が苦労して進んできた道も、簡単に戻ることができる。
 道程の半分あたり、不幸が決定づけられた日――渚の出産日に繋がる場所へ。そこも既に雪で埋もれていたけど、それすらも突き抜けて、懐かしい声が聞こえてきた。

「…渚っ!」
「俺は、ここにいるぞっ!」

 うん。その選択はきっと正しい。
 君は知らないだろうけど、これは君が頑張った結果なんだよ。
 光たちが姿を消していく。元の位置に、あちらの世界への投影として、町の中に戻るのだ。
 町中の力を集めて、渚を助けてくれる。汐の誕生を祝福してくれる。見られないのが残念だけど。

 周囲は静かになった。
 岡崎君が集めたのとは別の光…元々あった光、住民たちの、町を想う心の投影が、ちらほらと残っている。
 その光景は前と変わらない。町を想う人が少なくなって、この世界を維持できなくなって。
 そして今、最後の力を使い果たした世界は、周辺から消えていく。
 隣町の意志が消えたときのように、何もかもがなくなっていく。
 でも、それまで小さかった光の一つが、少し大きく輝き始めた。
 町を嫌っていた誰かが、町を好きになってくれたのだ。
 わたしには、それだけで十分だった。

「だんごっ、だんごっ…」

 町を想う歌を聞きながら、世界の終焉は進んでいく。
 …ね、でも、良かったよね。

『うん…』

 渚と岡崎君は、出会って良かったって思ってくれてた。
 きっとわたしだって、渚を助けて良かったんだよね。
 これでみんな、幸せになるんだよね。

『うん、でも…』

 え…。
 何か、まずいことでもあった?

『わたしは、どうなるのかな…』

 え? あなたは、わたしだよ?
 わたしと一緒に消えちゃうけど、最後に町に住む人の役に立てて良かったよね?

『ううん、そうじゃなくて…』
『わたし、は、どうなるのかな…』

 ざわ、と胸騒ぎが巻き起こる。
 わたし…また何か、失敗した…?

『………』

 分身は完全に消滅し、答えてくれる者は何もない。
『わたし』?
 それがわたしじゃないとしたら、誰だろう? 渚は光の力で元気になり、岡崎君が悲しむこともない。生まれたばかりの汐は、両親が揃って…。

(あ……!)
(あ……あああ!)

 あの子は、どうなるの…!?
 悲しい未来を無かったことにする。それだけを考えて…
 大事なものまで、巻き添えで無くしてしまったんじゃないの!?

 世界は縮小し、あの小屋も消え去った。
 待って、まだ終わらないで!
 どうしよう、取り返しのつかないことをした。まだ消えられない。こんな罪を犯したまま、終焉を迎えるわけにはいかない。
 誰か、わたしをもう一度、向こうの世界へ――!

<いますか>

 !!
 呼応するように声がする。そうだ、岡崎家の人以外で唯一、私と関わった…

<風子です>
<あなたのお名前はなんていうのですか>
<風子とお友達になって、一緒に遊びましょう>
<楽しいことは……ここから始まりますよ>

 手を伸ばす。
 ごめんね、楽しいことをするためじゃないの。わたしにそんな資格はないの。
 でも、今はあなたしか頼れないから…!


 足下に漆黒が開き、それと同時に手を引かれる。
 世界が終わる前に、もう一度だけ…

 今度こそ本当に、最後の旅路だ。








<つづく>




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