第一章

  レウシス

世界の創世神話は伝える。

          レウシス

かつて、世界の彼方に広がる青の世界が終焉を迎えたとき、神が大いなる聖雲となって

レウシス世界を救った、と。

        レウシス                       レウシス

以来、世界の造化神は聖雲であり、世界の万物 天、地、光、水、生命、そして時

の流れさえもが聖雲によって創造され、育まれてきた。

  レウシス

世界で最も大きなリュディア大陸の北限は、別名限界境と呼ばれている。

限界境では聖雲の支配力が弱く、混沌とした雲海から発生した魔流雲が、物質の構成を不安定な状態に陥れて、さまざまな怪奇現象を生み出していく。

すなわち極寒の気象、時空の歪み、そして異形生命…妖獣の誕生。

リュディア大陸と限界境の間には「世界の盾」と呼ばれる寒流山脈が横たわり、限界境の超常現象から大陸を隔てている。

寒流山脈の中部地帯を支配する蒼氷国は、今から二十年前に銀仙族の族長バデク・
ラザンによって興された。

銀仙族を支配階級の頂点に置き、近隣の十数種族を隷属させた複合小王国である。

寒流山脈の中で最も雄大な天針山群の主峰、千仭ガ岳の裾野に広がる城下都市バデクーリは、建国王バデク・ラザンの名にちなんでつけられた。

バデクーリの都市の中心部には、バデク王の住まう氷牙城がある。

年間を通じて、ほとんど雪氷に覆われた氷牙城内の地下暖炉には、途絶えることなくふんだんに燃料がくべられ、城の出入り口や窓枠にはめこまれた硝子板が、外からの冷気を遮っていた。

が、この夜の氷牙城には、いくら暖をほどこしても拭い去ることの出来ぬ、薄ら寒い気配が漂っていた。

その知らせは夜半に、バデク王の近従の一人によって、彼女の休む寝室へともたらされた。

「なんと…ガデスが戻ったというか?」
「は…」

寝台から身を起こした女を直視しないように、近従はひざまづいたまま、低く頭を垂れた。

「帰城されたガデス卿は何やら…大きな長櫃のような荷物を、ひそかに城内に運びこまれたご様子でございます。このような夜更けにもかかわらず、すぐに王は御寝所のほうへ、
ガデス卿をお通しになられました」

「それで…ガデスは?」
「一刻ほどで、王の御寝所から退出されましてございます」
「おお…!」

夜着の上に紗の長衣を羽織るのさえもどかしく、女は近従にまろび寄った。

「そ、それでは…ついに、王は手に入れてしまわれたのか。なんという…!」
「ラヒス
王妃様、お声が高うございます」

気遣わしげに近従は声をひそめた。

「このような夜更けに、私がここへまかりこしましたのも、本来なら憚られることなれば」
「ああ…そうであったな」

取り乱した気を鎮めようと、ラヒスは大きく息をついた。

「夜分にご苦労であった。知らせてくれて、礼を言います。キナユ」

控えの間で不寝番をつとめる女官たちに気づかれぬよう、そっと近従を下がらせてから、ラヒスは再び寝台に横たわったが、とうてい眠ることなど出来なかった。

ガデスが無事に、この蒼氷国に帰ってきた 帰ってきてしまった。
とうとうあの男は、バデク王が求めていたものを、与えてしまうのか。
まだ、誰も気がついていない。

長年連れ添い、バデク王の気質を誰よりも知っている自分以外には、王の恐るべき思惑に気づいているものはいない。

だからひそかに、王の企みを止めようとした。
この国に、あの男が戻って来れぬよう、葬り去ってしまうつもりだったのだ。
それなのに…!

「愚か者が…」

怒りも露わに、ラヒス王妃は声を震わせた。

「なぜに生きて戻った、ガデス!」

岩だらけの山道を急いでいたリヒナは、立ち止まった。

「ねえ…ねえ、まってよ!」

雪風に吹き散らされた幼い声が、切れ切れに届く。

村を出てからずっと、自分を追いかけてくる相手は、どうしてもあきらめて引き返してはくれないらしい。

「もう、レンったら」

振り返ったリヒナのもとに、小さな身体が精一杯のはやさで、雪に埋もれた道を登ってきた。

「…まってよ、ねえちゃん!」
「きちゃダメだって、言ってるのに」

息を弾ませている小さな弟を、リヒナはにらみつけた。

「なんでいうことがきけないのよ、レン」

叱りつける息が白い。

寒さ知らずのクジャ族だとはいえ、こうして山中に立ち止まっていると、厳しい朝の冷え込みに、さすがに身体がかじかんでくる。

「長老さまのいいつけで、キリエスを呼びに行かなきゃならないんだから。すっごく急いでんのよ」

「いっしょに、いきたい」
「だめ」

リヒナはきっぱりと首をふった。

「だって…」
「レンを連れていったら、狩り場に行くのに時間がかかっちゃうじゃない」

そういうリヒナも、十二歳になったばかりだ。

それでも、街の連中ならば半日はかかるリュンガ渓谷への雪に埋もれた岩道を、三刻で往復してみせる自信はある。

「いいからあんたは、村へ戻んなさい」

大人びた口調で姉から決めつけられ、口をへの字に曲げていたレンは、とうとうしゃくり上げた。

「こら、レン。男の子がかっこわるいぞ」
「だって…」

リヒナはため息をついた。
レンに泣かれると、リヒナもつらい。

三年前に父母をあいついで亡くし、朝早くから一日中村長の家で手伝いをしているリヒナは、いつも弟のレンをかまってやる時間がない。

たまたま家の外に出てきた自分を見かけたレンが、一緒についていきたがるのも無理はない、とも思う。レンはまだ七歳なのだ。

このままレンをおいてきぼりにしても、自分は狩り場へ急ぐべきなのだ。

村を訪れた客人たちや、彼らと応対していた長老の様子のことを思えば、そうしなければならないのは、わかっている。

「おいで、レン」

リヒナはレンの手を引いて、雪の舞う山中を歩き出した。

「寒くない?」
「ううん、平気だよ」

さっきまでの泣き顔はどこへやら、リヒナと一緒に山道を登りながら、レンはうれしそうに姉を見上げた。

「だって、ねえちゃんがいるもん」
「そっか…」
「ねえちゃんは寒くないの?」
「平気だよ」

リヒナは微笑んだ。

「レンと一緒だからね、寒くないよ」

つないだ手を、ぎゅっと握り返してくる感触に、凍てつく寒さが淡くとけた。

 レウシス

世界の北限「世界の盾」と呼ばれる寒流山脈の中でも、最も険しいといわれる千仭ガ

岳。

その峰の中腹を深く割りこんだリュンガ渓谷には、今日もどんよりとした雲が垂れこめている。

大量の水分を含んだ暗褐色の重い雲は、リュンガの谷間をゆっくりとわだかまりながら流れていく。

おりからの強風に煽られたかのように、渦巻く雲の一端が千切れ、谷間から吹き上がった。

その瞬間、渓谷の切り出した岩棚に這いつくばり、谷底を食い入るように見つめていた数個の人影に、緊張感が伝わった。

「先触れ…か」
「今度のは…でかいぜ」

降りしきる雪が吸い込まれていく生き物の気配などないはずの谷間から、彼らの狙う獲物は生み出されつつあった。

「くそ…っ」

痺れを切らしたように、一人の少年が立ち上がろうとするのを、

「まだだ。あわてんな、ロアン」

隣で伏せていた、顔に傷跡の残る若者が制した。

「もう少し辛抱しろ。もっと奴の身体が固まらんと、仕とめられんだろうが」

緊張感を楽しんでいるかのような、むしろ穏やかとさえいえる若者の言葉に、少年は肩の力を抜いた。

「す、すんません、キリエス」
「いいさ。おめえはまだ、これで二度目の狩り場だろ」

そう、キリエスが軽くなだめてやると、

「まあ、無理もねえさ」
「お互い待つのは、しんどいもんだ」

近くにいた他の仲間も、苦笑してよこす。

寒さよけの毛皮にくるまり、それぞれが大型のボウガンや銛を手にした彼らは、明け方からずっと かれこれ数刻もの間、こうして岩棚の上で辛抱強く獲物を待ち続けている。

白い静寂の中を、さらに待つこと半刻 ──

谷底から、異様な妖気が這い上がってきた。

先刻からリュンガ渓谷に渦巻く暗褐色の雲 ── 魔流雲から生み出されたものの蠢く影が、雲のおもてに浮かび上がりつつあった。

すでに肉眼でも、その生き物が大蛇のような胴体と、鋭い鉤爪のある四本の腕を持っているのが見て取れる。

長い胴体の両脇に生えそろった無数の細かな足が、はじめのうちの支離滅裂な動きから、次第に本体の意思どおりに、ぞわりぞわりと波うちだした。

軋むような異音が、辺りに響きわたる。

十数デールもの長い体をくねらせ、実体を得たばかりの妖獣は、ゆるやかに上昇を開始した。

いったんリュンガ渓谷から高く舞い上がった妖獣は、真下に点在する生き物の生気を感じ取ると、たちまち岩棚をめがけて、空を泳ぎ渡ってくる。

「いけっ!」

キリエスの号令で、岩棚に伏せていた狩人たちが弾かれたように立ち上がり、いっせいに散開する。

長い体に比べて、異様なほど不釣り合いな大口を噛み鳴らし、地上の狩人たちに襲いかかってきた妖獣に鉄矢が放たれた。

狙いどおりに突き刺さるはずの鉄矢が、まるで素通りするかのように、ほとんど抵抗感なく妖獣の体を射抜いたのを見て、

「ちっ」

狩人の一人が舌打ちした。

「まだ、完全に体が固まってねえっ」
「大丈夫だ!」

キリエスが怒鳴る。

「実体化した頭部を狙え! シェリマ、そっちに回って、平地に追い立てろ!」

岩棚の上に広がる平地帯へ妖獣を追いこむよう、仲間に指示を出しながら、キリエスは銛を片手に岩棚を駆け上がった。

「ラグ、オクサム、後備の矢だ。どんどん撃ちこめ!」
「おうっ!」

分厚い毛皮を着こんでいても、彼らの動きは俊敏だ。

ボウガンや狩猟刀で妖獣の攻撃を巧みに牽制しつつ、また囮と見せかけた者が隙をついて、妖獣の頭部を狙って鉄矢を射かける。

だが、思いのほかすばやく飛び回る上に、まだ完全に体が固まりきっていない妖獣に対しては、期待どおりの損傷を与えられない。

攻めあぐねた仲間の一人が、襲いかかってきた手負いの妖獣をよけそこねた。

鋭い鉤爪にひっかけられた狩人は、あっという間に後方へ引きずられ、大木の根本へ叩きつけられる。

動かなくなった獲物をかみ砕こうと、妖獣が大口を開いて頭を下げたところへ、キリエスが飛びかかった。

「この野郎!」

振りかぶった銛で、妖獣の頭部を背後から一突きにする。

骨肉を貫く確かな手応えを感じつつ、キリエスは十数デールもある妖獣を勢いをつけた反動で、自分の体ごと、力まかせに地面に引き倒した。

飛び散る緑色の体液に、白い雪上が染まる。

なおも空へと逃れようとする妖獣の首筋に、狩猟刀を突き立ててキリエスがしがみつくと、反対側から必死の表情で、ロアンが飛びついた。

少年に続けとばかりに、四方から他の仲間も切りかかる。

雪の上をいっとき激しくのたうち、狩人たちを振り落とそうと暴れ狂った妖獣は、首の半ばまでを切断され、ついに力つきて動かなくなった。

「やった…ぜ」
「大丈夫か、サンファ?」
「ああ」

胸をさすりつつ、顔をしかめて大木の根元から立ち上がった仲間に、集まってきた狩人たちはほっとした様子で、うなづきあった。

「こりゃあ、ホントに…でかいな」

倒した妖獣の大きさに、誰かが感嘆の声を上げる。

「ロアンも、よくやったな」
「二番手の切り込みとは、上出来だぜ」
「なんか、おれ…夢中で」

先輩たちから誉められて、少年は頬を紅潮させている。

「こいつは下まで運ぶのが手間だぜ。崩れちまう前に、はやいとこ持っていかねえと」
「それくらいまでなら、もつさ」

狩猟刀をふるって、妖獣の長い胴体を分断する作業に専念しながら、久しぶりの大きな獲物に狩人たちの声は弾んでいる。

「貢収役場でも、いい値をつけてくれるだろうよ」

リュンガ渓谷に渦巻く魔流雲から生み出される異形生命のほとんどは、生を得たと同時に実体化した身体を維持していることが出来ず、自然分解してしまう。

だが、いくつかの条件が重なった結果、強い生命力を宿すことの出来た異形生命は、分解することなく凶暴な妖獣へと変容をとげ、国中の麓村や城下都市を襲うことになる。

キリエスたちクジャ族は、その妖獣を狩りたてて生活の糧にしていた。

仕とめた妖獣を山麓の貢収役場に持ち込めば、国内の被害を未然に防いだ報償として、年貢や使役が免除されるのである。

「おい、キリエス。村から狼煙が上がってるぜ」

下方へ目をやったオクサムが、彼らのリーダーに呼びかけた。

「ちっと、おめえに戻ってこいってよ。どうする?」
「まあ、ほっとけ」

仲間と一緒になって解体作業を進めながら、興味のなさそうな声でキリエスは応えた。

「どうせまた、らちもねえ話のくり返しだ」
「いいんかよ、ほっといて」

無視を決めこんだキリエスに、ラグが念を押した。

「この前みたいに、しびれを切らしたカレルに上ってこられて、ずーっと愚痴をこかれたんじゃなあ」

「そりゃあいい」

額から頬へ傷跡の残る相好を崩し、キリエスは太い笑い声を上げた。

「ここまできてくれりゃ、その分人手が増えるってもんだ」
「よくいうよ、キリエス」

一行の中でただ一人、女狩人として妖獣狩りに加わっているシェリマが口を尖らせた。

「あんなやつ、助かるどころか、足手まといだよ」
「そうだよなあ」

シェリマの近くにいた男たちが、もっともらしくうなづいた。

「この間みたいに、ちょろっと妖獣のやつが谷から顔を出しただけで、カレルの奴、腰抜かしてよ」

「そうそう。おめえにしがみついて離れないんじゃなあ」
「その話は、もうやめなってば!」

鼻をふくらませて抗議するシェリマに、その場に居合わせた仲間たちは、げらげら笑い出した。

賑やかな笑い声を聞きながら、キリエスは谷間を見下ろしている老人に声をかけた。

「どうだ、ジェグ爺?」
「そうさなあ」

リュンガ渓谷にわだかまる、低く垂れこめた魔流雲を眺めていた老狩人は、赤く凍傷やけした鼻をうごめかした。

「この風と雲の具合じゃあ、もうひと荒れきそうじゃがの、大将よ」
「ふん、そうか?」
「ことによると、『群』が出てきよるかもしれんで」

                              そ ら

老狩人の言葉に、キリエスは天雲を仰いだ。

「…『群』か」

フードをはねのけた頭の後ろで一つに束ねた黒髪が、雪混じりの風になびいた。
分厚い防寒毛皮の狩猟着の上からでも、この若者の俊敏そうな体躯がうかがえる。

千仭ガ岳を覆いつくした灰色の雲は、今日も終日このリュンガ渓谷に、狩りには不向きな雪を降らせ続けるだろう。

それでも、魔流雲の活性化が衰える夕暮れにまでには、まだ半日以上も時間がある。

「まあ、いいさ」

キリエスは手にした武器を握りしめ、視線を谷底へ戻した。

「やれるとこまで、片づけとこうや」

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