第三章

千仭ガ岳中腹の岩山を覆う黒い針葉樹森のはずれに、クジャ族の集落としては最も大きな村ユンハンはあった。

数世紀前の気象変動により、魔流雲の影響を受けやすくなったこの千仭ガ岳一帯は、その当時からの魔流雲と、そこから生み出される妖獣による被害により、住みついていた種族のほとんどが絶滅するか、他の場所への移住を余儀なくされた。

今もなおクジャ族のみが、千仭ガ岳の山中で狩猟生活を営んでいる。

長老の屋敷で囲炉裏をかこんでいた面々は、家屋のなかに吹き込んできた風と雪に首をすくめた。

開いた戸口から土間に、勢いよく若者が飛び込んでくる。

「ようやっと戻ったか」

長老が囲炉裏ばたから立ち上がった。

「いったん出かけたとなると、なんぼ狼煙を上げても、とんと帰ってこん」
「これから一戦交えようって時に、いちいち呼びつけやがって」

雪を払い落としながら、キリエスが言い返した。

            そ ら

「…ったく、天雲がむちゃ荒れそうだってのに、あんなちっこい姉弟を、酷な使いに出すな

よ」

「姉弟?」

長老は首をかしげた。

「たしかに、リヒナを使いにやったが…なんじゃ、レンもついていきよったのか」

「リヒナにくっついて、狩り場まで登ってきたぞ。── もっとも、吹雪になってくれりゃ、リュンガ渓谷の化け雲も散るか」

「上で、なにかあったのか?」
「ああ、群がな」

短いキリエスの言葉に、長老ばかりか居合わせた二人の客人たちまでもが、腰を浮かしかけた。

「…出よったか?」

「そうなりそうな気配がすると、ジェグ爺がいってる。派手に吹雪くか、さもなきゃ、はやいところ夜になりゃいいんだが」

「他の者たちは、まだ狩り場におるのじゃな?」
「ああ」

だから気が急く、と言下にいいたげなキリエスだったが、

「手間はとらせん。とにかくこっちに来んか、キリエス」

長老に手招かれ、しぶしぶ土間から座敷に上がってきた。

囲炉裏ばたに座している二人の客人は、一人が壮年の男で、もう一方はキリエスと同じくらいの歳の頃とみえる若者だった。

「先だっての…マベ族の連中とは違うな、おめえら」

二人の前に、キリエスがどかりと胡座をかく。

「ちと黙っておれ。お待たせして、すまなんだ。こやつが我がクジャ族の若手頭のキリエスじゃ」

長老の言葉に、客人たちは居ずまいをあらためた。

「わしは白狼山の西麓サライから来た。山氷衆の副頭目をつとめるウネビと申す。これは碑水衆のアラオダ」

ウネビの傍らで、碑水衆の若者が軽く頭を下げた。

「お二人は大頭目スデクタ殿の使いで、この村まで来られたのじゃ」
「…豪族衆か」

ふーん、とキリエスは鼻を鳴らした。

「それにしちゃあ、俺たちの言葉をうまくしゃべるもんだ」
「そこもとが、キリエス殿か」

妖獣の爪痕の残るキリエスの浅黒い顔を、正面からウネビが見据えた。

「クジャ族で一番腕のいい狩人…というより、クジャ族二千の勇者を、そこもとの裁量ひとつで動かせる若人頭とか」

「さあ、どうかな」

「ご謙遜を申されるな。マベ族からも、そこもとの勇名は伝わっておる。その若さで、たいしたものだ」

「謙遜もなにも…」

キリエスが苦笑した。

「じっさい動かしてみたことがねえんだから、返事のしようがねえ」
「これで、ぞんがいな頑固者でしてな。わしらも手を焼いておりますじゃ」

長老のこぼした愚痴に、

「それくらいでなくば、若人頭などはつとまりますまい」

ウネビが笑いながらうなずいた。

「クジャ族の長老殿は、よい跡とりをお持ちだ」
「おいおい」

話が長丁場の様相を呈してきたので、キリエスは慌てていった。

「いいから、手っ取り早く用件をいえ、用件を」

キリエスの催促に、二人の客人たちは互いの顔を見交わしてから、

「何度かマベ族を通じて、お話ししていたことだが…今一度、単刀直入に申そう」

あらたまってウネビが切り出した。

「我ら豪族衆と、組まぬか?」
「あんたらとか?」

キリエスが片眉をつり上げてみせた。

千仭ガ岳の西域につらなる白狼連山に勢力を広げる山氷、碑水、峰尾、石十瀬、岩夜、竜代の六衆を称して豪族衆と呼ぶ。

豪族衆の大頭目は六衆の頭目の中から代がわりで選ばれ、現在は山氷衆の頭目のスデクタが豪族衆を束ねていた。

蒼氷国の銀仙族とは過去数十年の長きに渡り、寒流山脈の覇権を賭けて相争う間柄である。

「そういう話なら、じいさまとしてくれ」
「長老殿はそこもとが承諾せねば、クジャ族は立たぬと申された」
「おい、じいさま」

居心地が悪そうにしているキリエスに、ウネビが言葉を継いだ。

「クジャ族ほどの優れたる狩猟の民を束縛するバデク・ラザンには、かねてより我らも同じ山の民として、憤りを覚えておったのだ」

かつてクジャ族は寒流山脈随一の狩猟の民と謳われ、天針山群一帯を彼らの自由で広大な住みかとしていた。

二十年前にクジャ族が銀仙族に屈したとき、バデク王は彼らの住みかを千仭ガ岳と城下都市バデクーリ周辺に限定し、魔流雲から生み出される妖獣狩りをクジャ族の生業と定めたのである。

「化け雲退治なら、金次第で請けおってもいいけどなあ」
「我らと共に闘う気はないと、申されるか」

ウネビの話に乗ろうとしないキリエスの態度に、それまで無言でキリエスたちのやりとりを聞いていたアラオダが、切りこんだ。

「バデク・ラザンに屈したままでよいという、それはクジャ族の総意なのか」
「総意なんて、そんな大層なモンかよ」

碑水衆の若者を見るキリエスの眼が、大袈裟な奴だなあ、と口ほどにものを言っている。

「あんたらは俺の考えを聞きたくて、わざわざここへ俺を呼びつけたんじゃねえのか」
「寒流山脈屈指の狩猟の民、勇猛果敢なるクジャ族の誇りは、どこにいったのだ」
「たしかに、俺たちは狩猟の民だ」

キリエスが、にやにやと笑う。

「その俺たちまでが、おめえらと一緒になって戦さなんぞに明け暮れだしたら、山で化け雲狩りをする奴がいなくなっちまうぜ。もっとも白狼山のほうじゃ、化け雲に襲われることも、こっち側ほど多くねえだろうがな」

「キリエス殿は…今のクジャ族のおかれた境遇を、なんとお考えか?」

アラオダの声が大きくなる。

「銀仙族に刃向かう気骨のあった種族は、ことごとくバデク・ラザンに根絶やしにされた。クジャ族は…千仭ガ岳で妖獣狩りをさせておくことが、銀仙族や城下都市バデクーリにとって好都合だったからこそ滅ぼされもせず、かろうじて居場所を与えられ、生きながらえているのではないか」

「それが、どうした」

じろり、とキリエスが一瞥をくれる。

「誇りだけで生きていける奴ばかりじゃねえ」

ずしりとした声音に、思わずアラオダは鼻白んだ。

「…すまぬ。こちらの言葉が過ぎた」

血の気の多いアラオダのかわりに、ウネビが詫びた。

「だが、いずれにせよ…クジャ族が我らと手を組まずとも、遠からず我々は蒼氷国と決着をつけるときがくる。そのときクジャ族を敵に回すのは惜しいと、我らが大頭目スデクタは仰せだ。それゆえ、共闘をこちらから申し出ているのだ」

「まあ、おめえらの都合を、そう俺たちにごりごり押しつけられてもなあ」

顎を掻きながらぼやくキリエスを、ウネビは真っ向から見据えた。

先ほど、アラオダに対して見せたこの男の剣呑な雰囲気は、すでに微塵もない。

こちらの話から、のらりくらりと矛先をかわしているばかりの小心者かといえば、力におもねるようなこともない。

度量をはかりかねる、どこか胆底の知れぬ男だ、とウネビは思った。

「キリエス、口が過ぎるぞ」

長老がキリエスをいさめたが、キリエスにしても、これ以上話の折り合わない客人の相手をするのも限界だ。

「もう、いいだろう、じいさま」

キリエスは立ち上がった。

「上の狩り場にゃ、まだオクサムたちが残ってんだ。…どうやら風向きが、悪くなってきやがった。…あんたらも、とっとと帰るんだな」

外の物音に耳をすませながら、低い声でつけ加える。

「この村で呑気に夜明かしするつもりでいると、明日は朝から化け雲の群に、追いかけ回されることになるかもしれねえぞ」

普段は一定の狩り場 おもにリュンガ渓谷にわだかまっている魔流雲が、ときおり飽和状態になって、谷から溢れだすことがある。

この濃密度の「さまよえる魔流雲」から一度に大量発生した妖獣を、この地方では「群」と呼んで恐れた。

たった数匹ばかりの群に襲われた集落が、わずか一日で全滅したこともあるのだ。寒流山脈に生きる者ならば、群の脅威は骨身にしみている。

ていよく、二人の客人を追い返した後、

「マベ族の次は、豪族衆か。とうとう大もとが出てきやがったな」

憮然とするキリエスの傍らで、長老がため息をついた。

「この間のマベ族のときと同じに、いともあっさりと追い返しよって」

「クジャ族を束ねてるのは、じいさまだ。じいさまの考えが、ちゃんとあるってなら、俺の意見なんざ聞くことねえだろ。頼りになる知恵袋のカレルもいるじゃねえか」

「若手頭のおまえが納得しなくば、クジャ族の主力は動かん」

長老はうなった。

「まったく難儀なことじゃ。あの使者どもは、いちおう礼を取って我らに接しながらも、脅しをかけることも忘れなんだぞ」

「そうだったのか、あれ?」

目を丸くしてみせるキリエスに、

「…おまえという奴は」

長老は肩を落とした。

「我らの助力などなくとも、早晩この国に戦をしかけるつもりだと、連中は言うていたではないか!」

「まあな」

「あれは、それだけの支度を豪族衆は整えつつあるということじゃ。そして、ひとたび戦いになれば、スデクタはバデク王に従うものは容赦せぬ」

「いや、いつもながら勉強になるよ。さすが、じいさまだ」

長老の顔色が変わったのを見て、急いでキリエスは家屋を飛び出した。
その足で、裏手の炊事場に向かう。

「なんか、腹にいれるものはねえか?」

炊事場にいた媼女に頼みこんで、ざっと腹ごしらえをしていると、

「おや、キリエスじゃないか」
「また出かけるのかい?」

片づけものをしていた使用人たちが、かわるがわる声をかけてきた。

「ああ、うまいこと客も帰ったことだしな」
「帰ったんじゃなくて、どうせまた追い返したんだろ」

勢いよく飯をかきこむキリエスをとりまいて、笑い声が上がる。その中から、

「ねえ、群がでてくるって、ほんと?」

一人の少女が、今度は真顔で訊いてきた。

「なんだ、きいてやがったのか」

キリエスは笑って、心配そうな少女の額を軽くこづいた。

「まだ、はっきり出ると決まったわけじゃねえ。ちっと、連中をおどかしたのさ」
「じゃあ、ほんとに村を襲ってくるかもしれないってこと?」

「そうならないよう、俺が出かけるんじゃねえか。上の狩り場にまだ、ラグたちががんばってる。まあ、いざってときは、岩屋へ逃げ込んで、やりすごせるようにしておけや」

魔流雲から生み出された妖獣の寿命は短かく、通常は数日もすれば自然分解してしまうのだが、だからといって、妖獣に襲われる脅威が減るわけではない。

たった五日、六日の寿命であったとしても、寿命がつきるまで、妖獣は大きさも知能も成長を続ける。

つまり長生きした妖獣ほど、巨大で危険な存在なのだ。狡猾になった妖獣は、手当たり次第に人の裏をかいて集落を襲い、家屋を破壊して住人や家畜を食い殺す。

そのため、この地域の集落には、妖獣来襲に備えての村ぐるみの共同避難所として、頑丈な土壕や岩屋が設けられているのである。

「さて、腹具合もよくなったし…と」

飯をたいらげ、ぽんぽんと腹をたたいているキリエスに、

「キリエス。これ」

少女が食料の入った袋を手渡した。

「気がきくな。上の連中も喜ぶぜ」

相好を崩したキリエスの顔を、少女が可笑しそうに覗きこんだ。

「これをキリエスに持たせろって言ったのは、長老さまだよ」
「二人とも、顔を合わせればケンカばっかりして、どっちも素直じゃないんだから」
「ほんとに、頑固者どうしだよねえ」

みんなから口々に笑われて、

「まったくだ」

頭をかきながら、キリエスは袋をかついで外に出た。

さっきより、冷え込みがきつくなってきているが、雪は小降りになっている。

外の寒さをものともせず、手作りの木槍や弓を遊び道具にして、木にぶら下げた標的を狙う遊びに夢中になっていた子供たちが、

「あっ、キリエスの兄ちゃんだ」

キリエスに気づいて、まとわりついてきた。

「おいらも上の谷に、いきたいな!」
「大きくなったら、キリエスの兄ちゃんみたいに、かっこいい狩りをするんだ!」
「おお、待ってるからよ、はやいとこ大きくなれ」

頬を真っ赤にした子供たちに、うなずいてやってから、キリエスは櫓を見上げた。

「山上の方の、様子はどうだ?」
「まだ、これといった動きはないが…渓谷に行くなら、急いだほうがいいぜ」

キリエスに呼びかけられた男が、村で一番高い櫓台の上から答えた。

「さっきから、なんとなく雲の流れが…変わってきたみてえだ」
「わかった。そっちも、見張りをしっかり頼むぜ」

男に片手を上げて、キリエスは走り出した。
針葉樹の森をぬって続く雪の岩道を、馴れた足取りで軽々と駆け登っていく。
キリエスを迎えにいったリヒナとレンの姉弟は、まだ村へ戻ってきていなかった。
(この天候じゃ、そのまま渓谷の狩り場に残っているとも思えねえが…)
途中の山道で、渓谷から降りてくる二人と顔を合わせることになるかも知れない。
(豪族衆ってのも、しつこい連中だぜ。…ったくよ)
キリエスはひとりごちた。

このところ豪族衆が、クジャ族と近しいマベ族を通じて、しきりに自分たちと手を結ぶようにと誘いをかけてきていた。

豪族衆からの使いが村を訪れる度に、狩り場からキリエスは呼び戻されるので、近ごろではいい加減放っておくことにしているのだが、迎えにやって来たのがリヒナでは、いささか勝手が違った。

戻ってくれないと長老に叱られる、と年端もないリヒナに困られては、いい年をした自分が連中の堅苦しい話は嫌だ、面倒くさいで押し通すわけにもいかないではないか。

「…じいさまも、悪知恵が回るぜ」

スデクタが大頭目となって数年、急速に力をつけてきた豪族衆の存在は、蒼氷国の脅威になりつつある。

豪族衆に対抗するべく、銀仙族たちは領土内の鉱山の採掘権を占有し、毛皮の商いを城下都市内に集中させて資金を蓄え、戦力を強化していた。

「この国のために、かろうじて生かされた種族…か」

山道を急ぐキリエスの面に、自嘲めいた笑いが浮かんだ。

銀仙族と豪族衆の覇権争いは、確実に銀仙族に従属させられた種族をも巻き込んでいくだろう。

魔流雲から生まれる妖獣を、凍えるような寒流山脈の風雪と冷気の中で相手にすることが出来るのは、クジャ族だけだ。

アラオダのいうとおり、それを誇りに思う気持ちは、確かにキリエスにもある。

だが、バデク王からかろうじて居場所を与えられた境遇であったとしても、この千仭ガ岳で自分は仲間とともにそれなりに狩猟生活を営み、そして生き続けている。

それだけでは、いけないのか。

!」

山から吹きつけてくる雪と風に、何を感じたのか キリエスの顔が、上がった。

                                          そ ら

リュンガ渓谷の方角から、低く垂れ込めた天雲に滲み出した暗褐色の塊が、広がってい

く。

不吉な色合いの雲塊は、まるで生き物のように伸縮を続けながら、黒々とした森を舐めるようにして、麓を目指して流れ降りてきつつあった。

「群が…!」

村の方角から、半鐘がうち鳴らされ始める。

「畜生、やっぱりきやがったか!」

キリエスが叫んだ。
恐れていたことが、ついに起こったのだ。

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