第四章 |
ドゥルーガ |
「主人の望む能力を備え持つ存在を、具現化した生命体…それが 聖都 の使徒じゃ。使 |
徒の能力を十二分に発揮させ、持続させるためには、使徒の器は完全なものでなくてはならぬ」 |
氷牙城の最上殿にある、扉を閉ざしたバデク王の私室で、髑髏首の講釈は続く。 |
「しかるに、この棺の中身は器となるべき姿形や人格というものを、まだ備えておらぬ。いわば未完の使徒なのじゃ」 |
「使徒に人格などという大層なものが、あるとはな」 |
ジャルバが、鼻で笑う。 |
「人がましい言い方がおかしければ、個性とか感情とかいうてやっても、かまわんがの。もっとも王は、その未完の使徒を手に入れたいのであったな」 |
すい、と髑髏首が宙に浮かび上がる。 |
ドゥルーガ |
「 聖都 との契約により、器が壊れぬ限り、王は使徒の唯一の主人となる」 |
バデク王のもとへ浮遊した髑髏首の眼窩に、青白い炎がともった。 |
「…王はこの使徒を得て、寒流山脈の完全なる制覇を望んでおるのじゃな」 |
うなずくバデク王の眼前で、異形の首は謳うように続けた。 |
「この棺の中身はのう、使徒界で左手神シグ様にその資質を認められ、器を得る前にアロウ・ルウジャという大層な名前まで頂いたのじゃ」 |
「アロウ・ルウジャとは…『闇世界を統べる者』という意味にございます」 |
バデク王の背後に控えたジャルバを一瞥して、髑髏首が乱食い歯を鳴らす。 |
「まだ人間界にも、古代神話時代の言語を解するものがおったか。さすがは寒流山脈で最古参の銀仙族。闇導師の質も、存外悪くはなさそうじゃ」 |
「なにを…」 |
揶揄するような響きに、ジャルバは顔色を変えかけたが、 |
「使徒の名など、われには、どうでもよいことだ」 |
バデク王の冷ややかな一言で、沈黙した。 |
一万年以上も昔の、失われたはずの古代言語に関する知識や感慨など、バデク王には無縁のものだ。 |
ドゥルーガ |
「われの望んだとおりの使徒を、 聖都 が寄こしただけのことではないか。はやく棺を開け |
よ!」 |
「わしも好きこのんで、じらしておるわけではないのじゃがな ── まあ、よいかの、王よ」 |
髑髏首が言い聞かせるような口調になる。 |
「今説明したように、このまま棺から出したとて、実体を持たぬでは、使徒としての能力を完全に発揮させることはできんのじゃ。こやつをおさめるべき器が、どうしても必要なのじゃよ。だが王はその器を、どうやって造るおつもりかな?」 |
鈍色の長衣を纏った闇導師ジャルバのほうを、髑髏首は意味ありげに見やった。 |
「使徒界の支配者、左手神シグ様のように、この国にそのような術を施せるものが…さて、おるのかのう」 |
「器…か」 |
バデク王の顔が、にやりと歪んた。 |
「何ごとかっ?」 |
玉座から立ち上がったバデク王の眼の前で、棺をめがけて髑髏首が跳んだ。 |
「共鳴…じゃな」 |
髑髏首の制止により、漆黒の棺は再び飛び上がることはなかったが、あいかわらず小刻みに震え続け、唸りとも叫びともつかぬ怪音を発している。 |
「どうやら城の外で、なにか異変が起こったようじゃな、王よ」 |
千仭ガ岳の中腹から沸き上がり、外界に溢れだした魔流雲が、城下都市へと押し寄せてくる。 |
空中に広がった数十ほどの蠢く濁点に、城下都市バデクーリの人々は騒然となった。 |
「なんという…群だ!」 |
北限の寒風に吹き流され、渦を巻きながら、暗褐色の雲塊から吐き出されたものたちがバデクーリへと距離をつめるにつれて、次第にはっきりと、その奇怪な輪郭を顕わしはじめる。 |
近年にない大規模な群の来襲に、バデクーリの人々は安全な避難場所を求めて、我先にと逃げまどった。 |
氷牙城内も、恐慌状態に陥った。 |
「クジャ族は、何をしておったのだ?」 |
統率の乱れた兵士はおろか、非常事態にさいして、迅速に対策を講じてしかるべき高官たちまでもが、ただいたずらにうろたえ、騒いでいる。 |
だが、知らせを聞いて、部屋の窓から彼方を眺めやったバデク王は、 |
「これは、よい機会だ」 |
むしろ喜色を面に浮かべた。 |
「見せてもらうおうか、使徒の力を」 |
尊大な王の命を、あっさりと髑髏首が請け合う。 |
「あの程度の掃除ならば、この使徒にとっては器などなくとも、たやすきことじゃ、が…」 |
思わせぶりに言葉を切った髑髏首に、 |
「なんだ」 |
バデク王が顔をしかめる。 |
「その前に…約束の報酬について、伺いたいものじゃな」 |
髑髏首の乱食い歯が、リズミカルに鳴った。 |
「なにしろ右手神ルシェ様は、肝心の報酬の中身については、詳しく教えて下さらんでなあ」 |
嗄れ声までが、浮き立っている。 |
まるで、それを知りたいがために、遠路はるばる蒼氷国まで、この棺を届けに来たのだ、と言わんがばかりだ。 |
「あの御方は、道中わしが棺の守り役に飽きて、使徒界に引き返してしまうかもしれぬということを、よくせきご存知だったのかもしれんの」 |
かたかたと笑い声を上げた髑髏首の三つの眼窩が、一変して青白い妖気を帯びた。 |
ドゥルーガ |
「ひとたび 聖都 と言霊の契約を交わした以上、わしを欺くことは出来ぬぞ。申されよ」 |
はじめて牙を剥いてみせた、異形の髑髏首の禍々しさに気圧されたように、 |
「…『時』と引き替えに…と」 |
バデク王のかわりに、ジャルバが答えた。 |
ドゥルーガ |
「我が蒼氷国の至宝、古代文献『青神雲界』の…原本と引き替えに、バデク王は 聖都 |
に、未完の使徒を所望されたのだ」 |
「なんと…!」 |
ザルウキリア |
世界規模での『時の流れ』に関する知識研究については、リュディア大陸ではサイザル |
王国のレウシスの塔において、現在もっともその研究が進んでいるといわれている。 |
ザルウキリア |
そのレウシスの塔の地下庫に眠る膨大な書簡の中にさえ、世界の創世を綴り、時の流 |
れの法則が記されているという古代の文献『青神雲界』は存在しない。 |
神の手になるといわれるこの書簡は、これまで他の古文書の文中にみられるわずかな引用句などにより、多くの神官や高僧、研究者たちの間で、その存在が信じられてきた。 |
その幻の書物の、しかも原本が、まさかこのような北限の小国に現存していようとは。 |
ドゥルーガ |
「 聖都 の最高位の闇生命を、一冊の古代書物と交換されようとは…いかにも右手神ル |
シェ様らしい、なさりようじゃて。左手神シグ様が知ったら、はてさて、どうなさるか」 |
髑髏首が苦笑を漏らす。 |
「まあ、よかろうよ。報酬の真偽については、あとで確認いたすとして ── それでは、小手調べを御覧にいれるかの」 |
棺から髑髏首が、ひょいと浮き上がった。 |
「アロウ・ルウジャ ── いでよ」 |
漆黒の棺の全面を覆っていた呪文字がゆらぎ、消滅していく。 |
このまま氷牙城が倒壊するかと思えるような揺れは、だが、実際には使徒の波動が人々に与えた錯覚だった。 |
室内の締め切られた窓を、なんの衝撃もなく、棺の中身は突き抜けていた。 |
今はじめて、この世界へ解き放たれた黒曜の使徒の気塊が、バデクーリの上空に飛来しつつある妖獣の群めがけて、凄まじい勢いで空を駆けていく。 |
空中に漂う大羽虫どもが、ばらばらに蹴散らされた。 |
硬質の鱗に覆われていた飛行蛇の胴体が、黒曜の力に引き裂かれて、青い血飛沫を上げる。 |
その間にも次々と妖獣たちが、空に瞬く使徒の気塊の周囲に集まりはじめていた。 |
地上の見物人にとって、目に見えぬ使徒の動きはまるで、妖獣を攻撃しているというよりも、はじめて触れることのできた生き物の体を、まるで玩具かなにかのように、愉しんでいじりまわしているように映った。 |
髑髏首が喉を鳴らした。 |
「…あやつめ、遊んでおるわ」 |
うらやましげな口調ではあったが、その一方で封印を解いて棺から解き放った使徒の扱いに、髑髏首は思いのほか苦心していた。 |
バデクーリ上空を縦横無尽に駆け巡り、妖獣を殺戮していく使徒の動きを制御するために、かなりの超力を使わねばなかったのである。 |
(さすがは…左手神シグ様が、秘蔵されてきた使徒というべきか) |
城の物見の塔へと場所を移したバデク王は、髑髏首の横で欄干から身を乗り出さんばかりにしていた。 |
「すばらしい…すばらしいぞ!」 |
使徒の気塊が上空の妖獣を次々と引き裂き、殺戮していくさまを、夢中で追っている。 |
「われのものになる…これが使徒の力か!」 |
バデク王の言葉に、髑髏首の眼窩が瞬いた。 |
「それでは…」 |
青い双眸をぎらつかせ、おのれの野望と狂喜に駆られるままに、バデク王は叫んだ。 |
ドゥルーガ |
「われが…このバデク王が、 聖都 の使徒の能力を、すべてもらい受ける!」 |
使徒の能力を、己がものに…! |
使徒の気塊を、地上へ下降させぬように髑髏首は超力を集中していたため、気塊が別方向に転じた動きを一瞬遅く、捉えそこなった。 |
あまりにもたやすく壊れ散るだけの獲物に飽いたかのように、使徒の気塊はそのまま一直線に、千仭ガ岳の方向へと流れていく。 |
予想外の暴走に、 |
「いかん!」 |
髑髏首が叫んだ。 |
自己の制御というものを知らぬ未完の使徒が、この世で遭遇する未知の生命に接したとき…! |
「まだ、あやつに…まともな生き物と、魔流雲から生み出された妖獣との区別など、つきはせぬ」 |
氷牙城の物見の塔から宙に躍りだした髑髏首は、千仭ガ岳の山中へ消えた使徒の気塊を追って、飛翔していった。 |
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