第二章

糧興長官の要職にあるガデスがバデク王の直命を受けて、北限の蒼氷国から遙か南方へ赴いたのは、今からおよそ数ヶ月前のことだった。

この国の糧興長官がどのようなものかといえば、民の暮らし向きを活性化させるための産業の考案や、そのための技術習得を促して人々に奨励していくという、いってみれば「地域産業の活性化」を促す司所の筆頭である。

ガデスに与えられた役目は、表向きは諸国の産業見聞ということになっていた。

だが当初から城内では、ガデスがバデク王じきじきの密命を受けて出国したのだという噂が、まことしやかに囁かれていた。

しかし、ガデスがどのような密命を、何のためにバデク王から受けたのか、という肝心な点を正確に知る者はいなかったし、ことの真偽を独裁的な王に問いただす、などという恐ろしい冒険を試みる者もいなかったのだ。

そして、ガデスは戻ってきた。

しかも、まるで人目を避けるかのように真夜中に帰城するなり、すぐさま王の私室に招じられたというという情報は、翌朝までには氷河城内のすみずみにまで伝わり、いたるところで人々の注視を集めることになる。

「おや、ガデス殿。しばらく姿を見かけなんだが」

氷牙城の上殿回廊で、すれ違いに声をかけてきたのは、ベレケ老宰相である。

「また日頃の激務がたたって、病にでも伏しておったかと思うていたが、いたって健勝のようじゃな」

今朝からこれで何度目かの、同じ質問の繰り返しに、

「…バデク王じきじきの御命令により、産業見聞のお役目で、南方の国々を巡ってまいりました」

日頃、けっして口数の多いほうとはいえないガデスではあったが、さすがに淀みのない口調で答えた。

「おお、そうであったか」

寝台から身を起こした女を直視しないように、近従はひざまづいたまま、低く頭を垂れた。

相手の言葉にうなづきつつも、ベレケは探るように、銀仙族特有の切れ長な青眼を相手に向けた。

「そのようなことは…王は何も我々に仰せにならなぬのでな。それにしても糧興長官自らが、わざわざ出向いての他国見聞とは、さぞ収穫も多かったであろう」

「まあ…いろいろと」
「我が国の毛皮、鉱石などを有効に活用できる算段は、つきそうかの」

「それは後ほど評議室にて、ご報告を申し上げます。…ただいまは少々急ぎますゆえ、これにて失礼を」

ガデスは軽く会釈をすると、なかばベレケから逃げ出すように、足早にその場から歩み去っていく。

「成り上がりものが…!」

細面の顔を不快そうに歪めるベレケに、

「やはり、老公でも聞き出せませんか」

こう、声をかけてきた者がいた。

「…ラディールか」

長い銀の髪を、ゆったりと後ろに束ねた官衣姿の若者が、老宰相の後ろで穏やかな笑みを浮かべている。

「相手があの真面目一徹なガデスでは、老公もお手上げのようですね」
「ほんに愛想のないやつよ」

ベレケは忌々しげに首をふった。

「きやつめの産業見聞とは名目上のことで、わが王の密使となって南方へ赴いたというのは、疑いのない事実ではないか」

「たしかに、そのようですが…」
「おぬしはまだ、王に尋ねてみてはおらんのか」
「いいえ」

ラディールは頭をふった。

「それほどお知りになりたいのでしたら、いっそ老公が直接王に、おたずねになったらいかがです」

「たずねてみたわい」

ベレケはむっとしたように、すらりとした上背のあるラディールを見上げた。

「わしとて王がまだご幼少の頃より、三十年の長きに渡り、お仕えしてきたのだ」
「で…?」
「王は何も…お話してくださらなんだ」

思わず失笑した銀仙族の若者を、ベレケはじろりと睨んだ。

「笑うな」

「…老公も無理を言われる。老公にさえお出来にならぬことを、他の者や、まして私のような若輩者がお尋ねしたところで、我が王がお話して下さりましょうか」

「今朝こそはと思うて、上殿のほうへ登ってみたが、王は私室にお籠もりのまま、誰ともお会いにならぬ。いったい何をお考えなのじゃ」

「さあ。ただ…我が蒼氷国はいまだ小国ですから」

機嫌の悪い老宰相の前で、ラディールのほうは慎重に言葉を選んでいる。

「このところ、いよいよもって豪族衆の動きも侮れなくなってきていますし、国内に従属させている少数部族が、いつ反旗を翻すやも知れぬという有様では…寒流山脈平定のために、王も思い切ったことを、お考えになられたやも…」

「そのようなことは、わかっておる」

ラディールの推量を、ベレケ老宰相が遮った。

「寒流山脈の制覇は、われら銀仙族の悲願ぞ。それならばこそ、なぜ王は、あのような異種族の成り上がりに、秘密の任務を与えられたのだ。我々直参の家臣にはお打ちあけも下さらず…」

ラディールは端麗な顔を傾げた。

「それが一番、お気に召さぬというわけですか」
「あたり前だ」

あくまでも冷静なラディールを相手にしていると、老宰相の機嫌はますます悪くなる一方のようである。

この日の朝のベレケ老宰相のように、謎めいたバデク王の一連の行動に対して、己の不満をここまではっきりと口に出す者は、実のところ城内には、まだほとんどいなかった。

もともと感情の起伏をあまり他人に対してあらわそうとしない、銀仙族の気質ゆえであろうか。

だが、自分たちの王が同族にさえ打ち明けずに、何ごとかを画策しようとしているのではないか、という漠とした不安は、ベレケならずとも他の銀仙族たちの、共通した懸念であったろう。

老宰相のベレケが憤慨していたとおり、氷牙城の最上殿にあるバデク王の私室の前には、近従兵が立ち並んで、王への取り次ぎを阻んでいる。

重苦しい雰囲気が張りつめた室内の窓はすべて締めきられ、もう朝だというのに、厚手の紗幕さえ引かれていた。

燭台に灯された炎が、室内の薄闇を揺らしている。

「なんとまあ、城中の騒がしきことよ」

殷々とした声が、静寂を破った。

「おのが国主より、いまだ告げられぬ真実の在処に不安をかき立てられ、千々に乱れざわめく人の思惑の面白きさまかな」

脂気のない灰色の髪をまとわりつかせた異形の髑髏首が、漆黒の棺の上で乾いた笑い声をたてた。

                                                                              ドゥルーガ

この漆黒の棺こそが、バデク王の密命により、ガデスが遙か南方レグアノ砂漠の 聖都 

より、持ち帰ってきたものだった。

髑髏首の笑いがかたかたと響く中、室内に集うた残りの三つの人影は、沈黙したままである。

まっすぐな銀髪からのぞいた優美な尖耳、切れ長の白い部分のまったくない青い眼──その特徴のある彫りの深い細面の容貌で、いずれもが銀仙族と知れる。

部屋の隅にうずくまるようにして控えているのは薄闇に溶け込んでしまいそうな鈍色の長衣に身を包んだ、初老の男だった。彼は玉座の御前に据えられた漆黒の棺を、沈んだ双眸で凝視している。

天井に届くほどの巨大な玉座の傍らには、そこに寄り添うようにして、幼い少女が立っていた。

暗がりの中でさえ際だつ、少女の玉石のような美貌が灯火に映えている。

「ようやっと、望みの使徒を手に入れられたというに。いずれも浮かぬ顔じゃな」

ぐるりと室内を一瞥して、髑髏首が洩らした感想に応えたのは、うずくまった長衣姿の初老の男だった。

「…我らはおまえのような化け物まで、呼び寄せたわけではない」
「はてさて。なにが、さほどにお気に召さぬのかのう」

神経を逆なでするような声音が、室内を這う。

「だいたいが、おぬしのような生業の者こそ、化け物と呼ぶわしらとの縁が深かろうに」
「無礼な! たかが異形の生き物の分際で、わしを愚弄するか」

長衣の男が青筋を立てた。

「きさまのような化け物など、この目にするのも汚らわしいわ!」

吐き捨てた男の表情が、眼前の変化に固まった。

「わしの、この姿がお気に召さぬか?」

骨と皮ばかりの顔面に穿たれた三つの眼窩に赤光が瞬くや、異形の髑髏首がくるりと反転すると、その場に精悍きわまりない戦衣姿の偉丈夫が出現する。

「これでどうじゃ? …それとも、こちらのほうが落ち着いて話しやすいかの」

今度は、いかにも道理をわきまえたような壮年の紳士へと変じ、うやうやしく会釈をしてみせた。

「そちらの姫君には、このほうがお好みかな?」

たちまちにして、柔らかな金色の巻き毛をたらした美少年が、玉座の傍らに立つ少女に甘く微笑みかけてくる。

だが、少女はその冷美なおもてを無表情に凍りつかせたまま、嫌悪のまなざしを眼前の光景に注いでいるばかりであった。

「おやおや」

いっこうに悪びれたふうもなく、ぺろりと舌を出した白の美少年は、再び元の異形の姿に戻った。

                     ドゥルーガ

「本来ならば、決して 聖都 の外界には渡せぬ使徒を、奇跡的にも王は手に入れられた

のじゃ」

ことん、と棺の上に飛び乗った髑髏首は、玉座に向かって乱食い歯を鳴らした。

「いささか、その使徒にくっついてきたおまけが気にいらんでも、ちと我慢してくださらんかの」

「きさま、王に対してなんという…」
「もうよい、ジャルバ」

玉座の主が、はじめて口を開いた。

「は…っ」

身体をこわばらせた長衣の男が、平伏する。

巨大な紫檀の玉座に深く身を沈めた、一見神経質そうな険しい風貌を持つこの男が、その実、思いもよらぬ大胆な奇策と行動で敵を欺き、打ち負かしてきたことを、人々は知っている。

群雄割拠する寒流山脈の覇権争いの中にあって、それまで抗争状態にあった同族をとりまとめるや、近隣の山々の主要な鉱脈と物流手段を手中に収めて、急速に勢力を拡大していった銀仙族の長。

難攻不落といわれたランガ城塞への一夜奇襲による、オルデル族の平定。

寒流山脈随一の勇猛さを誇ったクジャ族でさえ、ついにその傘下におさめ、おのが戦力の手駒とした。

バデク・ラザン蒼氷国の覇王。

「これ以上きさまのくだらぬ茶番に、つきあう暇など、われにはない」

対峙した相手を威圧せずにはおかない、厳しく冷たい声音が髑髏首に放たれる。

「われの前に、すみやかに棺の中身をあらわし、この蒼氷国より、とく立ち去れ!」
「まあ、そうもいくまいて」

険しい表情のバデク王を、髑髏首は愉しげに眺めやった。

「わしは右手神ルシェ様より、王が使徒を得るための代償を、きちんと受け取ってくるようにと申しつかっておるでな」

「まさかこのような悪趣味なしろものが、取り立てにやってくるとは思わなんだわ」

苦々しく呟いた長衣の男ジャルバに、会釈のない笑い声が浴びせられた。

「じゃによって、さほどに人の姿でなくば相手に出来ぬという了見ならば、いくらでも望みの姿に変じてやろうというに」

髑髏首の眼窩に、狡猾そうな光が浮かぶ。

「それに、わしはこの棺の中身の目付役でもあってなあ。こやつを棺から出すにせよ、閉じこめておくにせよ、わしがおらねば、ちと困ることになるだろうよ。それもこれも、王が

ドゥルーガ

聖都 に、わざわざ未完の…」

「待て」

髑髏首の言葉を、バデク王がさえぎった。

「そなたはもう、下がっておれ、ラジュリ」
「お父様」

玉座の傍らに佇んでいた少女は、バデク王を見上げた。

「案ずるな」

心配そうにおのれを見つめる愛娘に、バデク王の鋭いまなざしが、ふとなごんだ。

「この国のためにも、おまえのためにも、父は…手に入れてみせる」
「でも…」
「行くがよい、ラジュリ」

それは、これ以上この部屋に留まることを許さぬ、王の退出の命でもあった。

詮方なくバデク王の私室から出てきた少女は、朝の上殿回廊の明るさに、思わず目を細めて佇んだ。

上殿回廊の天井に幾層にも重ねられた薄い白晶石が、北限を照らす弱い光雲のわずかな恵みを反射させて、きらきらと輝いている。

ふりそそぐ光の中で、この少女をあらためて見てみれば…まだほんの十歳ばかりか。

襟が高く、袖口の広がった青い緞子織りの王族衣装の裳裾が、幾重にも重なって少女の冷美な容姿を包んでいる。

紅玉を飾り、艶やかに結い上げられた銀の髪の先が、白雪のように輝いて背中に流れ落ちているさまは、まるで氷中に封じられた妖精を思わせた。

「おお、ラジュリ…! 無事でしたか」

入室を許されなかったラヒス王妃が、居並ぶ近従兵たちをかき分けるようにして、ラジュリのもとへ駆けよってくる。

「お母様…」 

「狂われておいでじゃ…王はあのような恐ろしいことを、本気でなされようとしておられるのか」

娘を抱きしめて、ラヒス王妃は嘆いた。

「ラジュリ、ああ…いま一度王をおいさめしておくれ。王を思いとどまらせることが出来るのは、もはやそなたしか…」

「いいえ」

ラヒス王妃の懇願に、ラジュリはかぶりをふった。

「いいえ、お母様…。ラジュリにも、もうお父様をお止めすることはかないませぬ」

きたるべき結末への ── それは予感ゆえか。
少女の声は、哀しいほどに澄んでいた。

第一章 第二章 第三章 第四章 第五章

copyright MITSUGU Motoka - all rights reserved


 

●あそびのぺえじのトップへ

●連載小説トップページへ

●三次元夏さんへのメッセージ

推奨ブラウザ:Internet Explorer 4.0 以降
他ブラウザによる表示の不具合は,ご容赦下さい.