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炎熱の風が砂丘に吹きつけた。 陽炎をまといつかせ、淡金色の細砂がもの悲しげな音をたてて流れていく。 その単調なメロディーは未来永劫、時を忘れてしまったといわれる砂漠の女神の子守歌も似て、いつはてるともしれないこの砂漠世界をいっそう孤独なものにしていた。 <聖都>ドゥルーガは、決して地図に記されることはない。 だが、眼には見えぬ超感覚の道をたどり、灼熱のレグアノ砂漠の中を幻の黄金都市を求めて旅人はやってくる。 大砂海の彼方にかすかにゆらめいていた染みが、七頭の砂竜に乗ってさくりさくりと砂丘を渡ってくるキャラバンの姿をとるまでに、どれくらいの時が流れたか。 オアシス都市キルテナを出てすでに十日あまり。もどかしくなるほどの緩慢な歩みで、彼らはさまよい続けていた。 一行の先頭をいく砂竜が鼻を鳴らす。 「もうちょっとがんばれ。あとすこしだよ」 砂竜をいたわるように乗り手が声をかけた。猛暑と乾きでかすれてはいるが、それはまだ若い──少女のものだった。 褐色の肌に白い粗織りの短衣がよく似あう。飾り石で左肩のところをゆるやかに止めたマントは少女の年頃にふさわしい刺繍がほどこされ、それと同じ布地のターバンから黒髪がこぼれている。すらりとした手足と引き締まった腰に巻いている幅ひろのベルトは、橙黄トカゲの背皮だ。 少女の後方から砂竜を進めてきた、キャラバンの中で一番の年長者とみえる男が言った。 「今度こそ、そう願いたいものだな」 砂と垢に汚れた砂漠商人の衣服を身につけているが、彼の態度や尊大な物言いは商いを生業とするもののそれではない。声が押し殺したように低く、くぐもっているのは乾きや飢えのためだけではなくて、もっと別の何か危険なものを孕んでいたからであった。 「近いよ。あたしにはわかる」 男の不機嫌などまるきり気にしていないふうに、少女は陽気に言った。 「足下の砂の色が今までと違った輝きかたをしているのに気がついたかい? もっときれいな砂になってくるんだ、そのうちね。そう怖い顔しないでまかせておいてよ、お客さん」 「まかせておけだと? その結果がこの始末だ!」 男の声が大きくなる。押さえていたものが爆発しかけていた。 「この胸くそ悪い砂漠のおかげで、部下の半数以上を失った。きさまのドゥルーガへの案内役など造作もないという口車にのせられたおかげでな!」 「ちょい待って」 これ以上この男を怒らせたらどうなるか知れたものではない、というきわどい状態なのだが、少女のほうは落ち着いている。たいした度胸だ。 「ほかの案内人だったらさぁ、あんたら全部がとっくに死んでるよ。キルテナで一番腕のいい案内人を紹介しろって、あんた渡し場のヌナ婆さんにいったんだろ? あんたからみりゃ、オアシス都市の連中なんて強欲で抜け目のない蛮族にみえるだろうけど」 「そのとおりではないか!」 「砂漠を相手にしようとする、お客に対しては別なんだってば」 「ふん、おまえ達流のモラルというわけか」 「まあね」 ゆらめく大気の彼方を、目を細めて透かし見るようにしながら少女は言った。 「金で命が買えないようじゃ、オアシス都市なんかやっていけないよ。外の世界から見放されたらどうなるか、だれだって知っているもの」 突然、二人の背後で罵声があがった。 「もういい…もうたくさんだ!」 二、三日ほど前から無口になり、常に一行から遅れがちだった一人の男が、狂ったようにうちまたがった砂竜の腹を蹴りつけている。 「フェド! しっかりしろ」 「おいっ、だれか手をかせ!」 「お、俺は帰る。吹雪と氷につつまれた故郷へ…!」 最後まで言い終えることはできなかった。力まかせに鞭をあてられた砂竜が灼熱の大地へ男を振り落とし、踏みにじる。 暴れる砂竜の下から男を助け出した同僚たちは、ため息を絞り出した。 「ガデス様…駄目です」 乗り手を失った砂竜を少女が連れ戻し、自分の砂竜の後ろにつないでいる間、誰も口をきかず、動こうともしない。異国の炎国の地に行き倒れた仲間を弔ってやる気力も体力も、もはや彼らにはほとんど残されていないようだった。 さらさらさら… 砂漠の風は単調な砂の歌を、どこまでも鳴らし続ける。 風と砂の音。くる日もくる日も、ただそれだけを耳にしてきた。 その音は目的地にいまだたどり着くことのできぬ、彼らのやりきれない気持ちをいっそうみじめなものにしていた。 ここはなんと広大で無慈悲な世界だろう。 俺達は弱い。もろい。この砂粒みたいにちっぽけだ。 「生命」の存在など、この世界の中で特別な意味も価値もありはしない。大自然に「生命」がすがりつくことが許されてこそ自分たちの日々の営みがありえたのだ──そう、思い知らされる。 それでも、ここまで来て引き返すことは許されない。 我が主君、バデク王の御命令は絶対だ。 しかし──、 立ち上る陽炎のように朦朧としてくる意識に逆らいながら、ガデスは思った。 (我が王は、いったい何のために?) 再び一行は前進を開始する。 はてしなく続く砂丘また砂丘の連なりに何をみているのか、先ほどから少女は砂竜の速度や進路を微妙な手綱さばきで変えはじめている。 「ねえ、あんたたち、いったいなにを注文しにきたんだい?」 少女がガデスに尋ねた。 「きさまの知ったことではあるまい」 「そりゃまあ、そうだけどさ。でもね」 無愛想この上もない雇い主の態度に別段気を悪くしたふうもなく、くだけた調子で少女は続けた。 |
「ドゥルーガにこんなに嫌われるお客って、あたし初めてなんだよ」 「嫌われる?」 「なんとなく、ドゥルーガがあんたらをよせつけたがっていないような気がしてさぁ。そんなお客の求める『作品』って、ふふん、興味あるじゃん」 傾斜の急な砂丘を一気に砂竜を駆け下らせていきながら、悪戯っぽく少女が笑った。この過酷な炎熱地獄の中で、生死の境を行き来しながら好奇心がなおも健在というのは驚きである。案内人の実力のほども、まんざら嘘ではなさそうだ。 「………」 ガデスは無言である。 「千人力の兵士、それとも世界中の男たちを恋の虜にできる美姫? 万物の真理をきわめた賢者に魔道師。金さえ出せば<聖都>ドゥルーガで手に入らない『作品』なんてありっこない。お客はいつだって歓迎されるはずなのに、今回に限ってこんなに手こずってる」 「おまえの力不足の言いわけのつもりか」 「やだなあ」 そんなんじゃないと言い返そうとして、少女は急に黙りこんだ。 砂漠を渡りだしてから、これまで見せたことのない少女の不安そうな顔つきをガデスが見とがめる。 「おい、どうしたユスラ」 じっと遠い目をしたまま、聞き耳を立てているのだとガデスたちが気づく前に、とまどいと恐怖の入り混じった声で少女は呟いた。 「やっぱり…、でもどうして? この人たちは…」 ごおっ、という大気の唸りが響いたと思うや、淡く輝く熱砂が渦を巻いて舞い上がり、たちまち激しい砂嵐となってキャラバンを包んだ。 「あちっ!」 灼けるような感覚が旅人たちの肌を襲った。 熱い! 黄金色の砂は、その輝きにふさわしい熱を放出していた。 風の巻きおこす砂煙で視界を閉ざされ、口や鼻に砂をつまらせた砂竜は恐慌状態に陥っている。 「はやくっ…砂竜からおりて、地面にふせて!」 マントでむき出しの手足を器用にカバーしながら、ユスラが叫んだ。 砂竜にはね飛ばされる寸前のガデスのほうへ駆けよると、少々乱暴に助け下ろし、うずくまる自分の砂竜の陰に引っぱりこむ。さらにほかの男たちに手を貸そうと飛び出した彼女の足下から、異様な振動が伝わってきた。 ZAZAZAZAZA 黄金色の壁だ。四方周囲の砂が天に向かって垂直に伸びていく。砂の飛沫を下方の囚人たちに浴びせかけながら、ぐんぐんとそれは高さを増し─とみる間に、その砂壁は本来の性質を取り戻し、恐るべき質量と非情さで頭上に崩れ落ちてきた! その刹那、さらなる変化がおこった。 落下する砂は彼らを呑みこむ寸前、再び天高く吹き上げられたのである。 光が弾ける。 風にたわむれる無数の光粒。 その幻想的な美しさの中で、ユスラはたった今まで周囲に渦巻いていた殺意が消失したの感じていた。 「あ…」 ユスラたちの視界を覆っていた、きらめく砂壁の紗幕が左右に開かれていく。その中央に荒れ狂っていた砂漠の鎮め手がたたずんでいた。 純白の長衣をひるがえし、荒ぶる砂漠の精霊たちを優しく包むかのように広げられていた腕がゆっくりと下ろされた。透きとおるような美貌を白く輝かせて、いく筋もの黄金色の長い髪が風になびく。 だれもが一度でいい、自分を見つめてほしいと願わずにいられないその瞳を閉じたまま、その黄金髪の麗人は思いもかけない事のなりゆきにぼんやりと立ちつくすガデスたちの前へと、静かに歩を進めてくる。 (眼が見えぬのか、この御仁は?) いぶかしげに、だが恍惚とガデスは呟いた。 (しかし──何という美しさだ… ) 彼らの視線は男にしてはあまりにもなまめかしく、女とみるにはまた端麗にすぎる麗姿の一挙一動に魅せられ、吸い寄せられたように離れない。 「よく参られた。<聖都>ドゥルーガへ 」 われ知らず、旅人たちはここが炎熱の砂漠だということを忘れた。 その麗姿にふさわしい澄んだ声──限りなく優しく穏やかでありながら、絶対的な威厳と力をも秘めた一国に君臨するものの声──は、その一言だけで彼らのはるかな道のりと苦難を重ねてきた旅の代償に、値するとさえ思われたのである。 「…ルシェさま…!」 他の男たちと感動を共にしながら、また別の理由でユスラは呆然としていた。 「こたびの案内人は…ユスラか」 「あ…は、はい」 「そなたでなかったら私は間にあわなかったかもしれぬ。よく持ちこたえてくれた」 黄金髪の麗人は、瞳を閉じたままユスラの方へと頭を巡らして、涼やかに笑いかけた。 「い、いえ、そんな。やだ、どうしよう」 ユスラは耳まで真っ赤になりながら、あわてて砂まみれの自分の体をはたきはじめる。 いきなり灼熱の暑さがぶり返してきたのは砂漠の熱砂か、ドキドキ脈打つ自分の心臓か、どちらのせいだったろうか。 「ルシェさまが、そんな信じられない…わざわざお出迎えを?」 「聖都の使徒をお望みの客人に失礼があってはならぬ。寒流山脈からの長旅で、さぞお疲れになられたであろう。さあ、こちらへ」 優雅な仕草でまねかれたガデスがどうしたものかと戸惑っていると、ユスラがぐいと彼の腕を引っぱった。 「何ぼーっとしてんのさ、ほら、はやくっ」 こんなぐずぐずしている連中などほったらかしにして、今すぐ自分だけでもルシェのほうへ駆けよりたいのを、そこは商売、ぐっと我慢しながら彼女は小声で囁いた。 「ちょっと! ルシェさまがドゥルーガから出向いてこられるなんてめったに、ううん、おまけに命まで助けてくださるなんてこと、万に一つもあり得ないことなんだから。はやく行って!」 ユスラに押されてガデスたちがルシェの側へ寄ると、淡金色に輝く砂が足にまとわりついてきた。 「うわっ! う、動くぞ?」 叫び声が上がった。 「か、体が、どうなっているんだ?」 周囲の景色が、みるみるうちに変わっていく。足下の砂が流砂となって彼らを運び始めたのであった。それはさながら大海を渡る黄金色の小舟のように、滑るような速さで砂丘の上を流れていく。 「これは…なんと不思議な」 唖然としたままのガデスの傍らに立ち、吹きつけられる風を自らの髪の色に染めて進むルシェの麗姿を、憧れと賞賛のまなざしで、うっとりとユスラはみとれ続けている。 「そうか、思い出した」 ようやく落ち着きを取り戻してきたガデスが言った。 「たしか、ルシェ殿と申せば<聖都>ドゥルーガの頭脳、智を司る右手神として崇められる御方とキルテナで聞き及んだ。だが、それにしても、我々の素性や目的まですでにご存知とは」 「砂漠は彼方より客人の心を我々に伝える」 ルシェは微かな笑みを浮かべた。 「あなたが寒流山脈の雄、バデク王の直属の重臣であられることも存じ上げている。先ほどの砂漠の非礼は、私に免じてどうかお許し願いたい」 聞くものの心をなごませる穏やかな口調でルシェはガデスに詫びた。物腰といい、そのたおやかで典雅な挙措といい、自分よりはるかに高貴で気品溢れる麗人に頭を下げられたガデスは、思わずうろたえて手をふった。 「い、いや、我々はバデク王の命によりこの地へ訪れたのだ。無事にドゥルーガで我が王の望みを手に入れることが出来ればそれでよい」 「寛容なお言葉、いたみいる」 「それでどうなのだ? 肝心の使徒はドゥルーガにおるのか?」 「これはまた、たった今お着きになられたというのになんと性急な。そのお話ならばドゥルーガにて、まずは旅の疲れを癒やされてからゆっくりと」 「時間がないのだ!」 目的地が近いことを知り、もはや焦る気持ちを抑えることが出来なくなっていたガデスは、 ルシェにつめよった。 「もしバデク王の望まれる聖都の使徒が得られぬとなれば、我々の旅は全く無意味なものになってしまう」 白い美貌が彼のほうへと向けられる。 「どのような理由で、どのような使徒を王は望まれた?」 「それは…」 ルシェの静かな問いに、ガデスが口ごもる。 「ガデス殿にそれがわからなければ、今ここでお答えする術を私は持たぬ」 今度は何も言い返せないガデスに、ルシェは言い継いだ。 「おかしなことだ。なぜ砂漠はバデク王から何も知らされていないあなた方を拒もうとしたのか。…あるいは左手神シグならばその理由を──」 終わりのほうのルシェの言葉は、背後から上がった叫び声のため、ガデスの耳には届かなかった。 「ガデス様! あれを!」 「おお…!」 炎熱の大地に陽炎に包まれて── まるで蜃気楼のように、<聖都>ドゥルーガは揺らめいていた。 絶妙な曲線が描き出す、繊細で壮大な街並み。 数え切れないほどの尖塔をまとった絢爛たる宮殿が、眩い五彩のきらめきを帯びて妖しく輝いている。言い伝えどおり、その輝きは憂いを含んだ翳をどこかに漂わせながら、いつまでも旅人たちを魅了した。 広大なレグアノ砂漠のほぼ中央に位置するといわれながら、いまだ何者にもその場所を地図に記すことを許さず、砂漠に守られ、この地に君臨する<聖都>ドゥルーガ。 数々の伝説を生み出した幻の都は今、現実のものとなって新たな異邦人を迎え入れようとしていた。 |
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