2−Aの出し物はお化け屋敷である。
暗幕が張られた教室の出入口で、主人公(ぬしびと こう)は鬼太郎の格好で受付をしていた。
「あの…」
「あっ、美樹原さん。どう、恐かった?」
「は、はい。あの、ええと…」
「めぐー、先行ってるよ」
「あんたそろそろ動物園の当番でしょ? 早くしなさいよ」
「う、うん…」
中から出てきた小柄な少女――美樹原愛は同行した友人たちに急かされつつも、お化け屋敷の感想を公に伝えようとするが…
「よー、公。大ニュース大ニュース」
そう言って戻ってきた好雄によって、試みは中断されてしまう。
「あ、悪い悪い美樹原さん。公と話し中だった?」
「い、いえ…。いいです…」
「そうかい? それより公、大ニュースだぜ。実はモデルの葉月珪がうちに来たんだよ」
それで大ニュースと言われてもピンと来ず、怪訝な顔の公。
「葉月珪…ってこの前朝日奈さんが騒いでたモデルだっけ? 俺にとってはどうでもいいなぁ」
「いや続きを聞けって。実は藤崎さんがな」
「し、詩織が?」
「…そいつに一目惚れらしい」
「なにぃっ!?」
飛び上がった公の頭から、目玉親父の模型が落ちる。
しかし愛の視線に気づくと、こほんと咳払いして無理矢理平静を装った。
「は、ははは。冗談だろ、まさか詩織がそんな」
「まー俺だって本人に聞いたわけじゃないけどな。けど葉月っていったら顔がいいだけじゃなくて、勉強もスポーツも完璧だって話だぜ。世の中って不公平にできてるよなぁ」
「な、な…」
「藤崎さんもまんざらじゃなかったらしいしなぁ」
「なんだってぇぇぇっ!」
見せかけの平静さはあっさり消え、思わず声を上げる公。
入学以来、詩織に相応しい男になろうと必死で努力し、前よりはかなり向上したと周りからは言われるが、まだ中の上レベルである。
それでもこれからだと思っていたのに、あっさり横からさらわれるとは…。
「くそーっ、そんなに高パラメーター男がいいのかー! 詩織のアホー!」
受付の机に片足を載せ、両手をメガホンにして叫んでみる。
「あのっ…!」
しかし、小さいけれど厳しい声に、はっと我に返った。
「あ、あの…、早乙女さん、それって詩織ちゃんがそう言ったんですか?」
「え? いや、別にそーゆーわけじゃないけど…」
「そ、それならただの噂じゃないですかっ。早乙女さんはともかく…」
普段のいい加減さがたたってともかく呼ばわりされる好雄だが、それよりも、涙目になった愛の目はまっすぐ公へ向く。
「主人さんは、詩織ちゃんのたった一人の幼馴染みじゃないですかっ。それなのにそんなこと言うなんて…。あ、あの、ひどすぎますっ…!」
それだけ言って、愛は顔を伏せて走り去ってしまった。
「‥‥‥」
しばらくの沈黙の後、がっくりと床に膝を落とす公。
そうなのだ。
藤崎詩織は公の幼なじみなのだ。それなのに、下らない噂に踊らされる側になってしまうなんて…。
「俺ってやつは…。俺ってやつは…」
「い、いや適当なこと言って悪かったって。そう落ち込むなよ、な?」
* * *
鈴鹿和馬最大のピンチ!
(くそっ、だから女は嫌なんだよ! すぐ泣くし!)
などと心の中で叫んでみても状況は好転しない。いっそ珪に押しつけて逃げ出そうかと、不埒な考えすら頭をよぎったその時――
「ハハハ…、いけないな。レディにはもっと紳士的に接しなくてはね」
「え…?」
声に振り返り、まず目に入ったのは一輪の赤バラ。
そしてそれを右手に持つのは、焦げ茶のスーツに身を包む、口ひげをたくわえた謎の紳士だった。
「すまないね、お嬢さん。彼らは女性の扱いに慣れていないだけなんだ。許してもらえるかな?」
紳士はダンディにそう言うと、優紀子の側にかがみ込んで花を差し出す。
「は、はいっ。わたしは別にそんな」
「そうそう。レディに似合うのは涙じゃない。このバラのような華やかな笑顔だよ」
「…は、はあ」
バラを押しつけられて当惑顔の優紀子をよそに、和馬は珪に耳打ちする。
「おい、誰だ? このおっさん」
「さあ…」
「…君たちの学園の理事長だよ」
「え! そ、そりゃどうも失礼しました」
「ハハハ…。始業式は寝ていたんじゃないだろうね?」
図星だったが、とにかく天の助けである。和馬は珪の腕を掴んで後ずさった。
「じ、じゃあ後は女の扱いに慣れてるらしい理事長に任せます! 行くぜ、葉月!」
「ああ…」
「待ちなさい」
しかし逃げだそうとしたところへ、二人ともむんずと襟首を掴まれる。
「君たち、みっともない男と思われたままでいいのかね。レディの前なんだよ? 少しは格好いいところを見せていきたいだろう」
「い、いやいいっすよ別にどうでも」
「そんな事ではいけないねぇ。どうだろうお嬢さん。彼らに名誉を挽回するチャンスを与えてもらえないだろうか」
「は、はあ。構いませんけど…」
「だから俺はいいって!」
「ハハハ…。我が校に紳士的でない男性はいらないからね。できなかったら退学」
「笑顔で無茶言ってんなよおっさんー!!」
天の助けどころか、かえってピンチが深刻化してしまった。困り顔の優紀子の前に、再び押し出される和馬と珪。
「だから、どう話を進めりゃいいのか分からねーって…」
「男は決断力だよ。時には強引にレディを引っ張っていく…。それでこそ紳士というものではないかね?」
「…つまり、俺たちが行き先を決めていいらしい」
「そ、そうなのか? うーむ…」
「わ、わたしはどこでもいいよ〜」
仕方なくパンフレットを広げる和馬と珪。行き先は――
バスケ部主催の3on3大会
伊集院家主催のミニ動物園
ガールズ1
焦りつつパンフをめくる和馬だが、その隅に小さく書かれた
『バスケ』
の三文字が、彼に普段の自分を取り戻させた。
「おおっ、バスケ部が大会やってんじゃねーか! 早く気づけよ俺!」
「そっか〜。鈴鹿君ってバスケット得意なんだ」
「ま、まあバスケ部だからよ。もしかしてお前も何か運動…してるようには見えねえな」
「う、うん。運動は苦手だけど、一応サッカー部のマネージャーなんだよ。えへ」
「へ、へえ。マネージャーも結構大変だよな」
なんとか話が繋がった…。そのことに和馬は心から安堵し、後ろの理事長もうんうんと腕組みして頷くのだった。
パンフに従って第二体育館へやって来ると、ポニーテールにジャージ姿の女の子が呼び込みをやっている。
「いらっしゃーい! バスケ部主催の3on3大会はこちら! もうすぐ受け付け締めきりだよーっ!」
「あれかなぁ。三人って誰が出るの?」
「そりゃ俺だろ、葉月だろ」
「なんで俺が…」
「後は…ったく肝心な時にいねえんだからよ、姫条のヤロー」
「聞けって…」
和馬と優紀子の視線が理事長へと向かうが、紳士は鷹揚に首を振る。
「ハハハ。確かにスポーツには自信があるが、若者の祭典に乱入するほど無粋ではないよ。優紀子くん、君が出なさい」
「ええっ!? わ、わたし運動は全然駄目で」
「苦手なことに挑戦してこそ青春というものだ。諸君、はばたけ!」
「そ、そんな〜」
「まあ他にいねえんだから仕方ねえ。なーに、俺が二人分活躍してやるって」
かくして適当に決められた三人組は、呼び込みの女の子に声をかけた。
「よう、俺たちも参加させてもらうぜ」
「あ、はーい。この紙に名前を書いてくださいね。その制服って、もしかしてはばたき学園?」
「まあな、こう見えてもはば学のレギュラーだぜ。きら校バスケ部の実力を見せてくれよ」
「え? うーんと、バスケ部員は出ないです。出たら優勝しちゃうし」
「なにぃ!?」
期待とは違う展開に、露骨にがっかりした顔を見せる和馬。
「ケッ、なんだよ。素人相手じゃ試合したってつまんねーよ」
「そんなこと言われても…」
「ったく、一人くらい部員が出てこいっつーの。まあきら校ごとき俺の敵じゃねえけどな」
「なっ…」
腹立ち紛れに吐かれた暴言に、それまで明るかった少女の顔色がさっと変わった。
「い、言ったなぁ! わかりました、そこまで言うなら優美が相手してやるんだから! ついてきてくださいっ!」
すっかり怒ってしまったポニーテールの少女は、肩をいからせ体育館内に入っていく。和馬は一瞬呆気にとられてから、同行者たちを振り返った。
「あんなに怒ることねえじゃんなぁ…」
「お前が悪い」
「す、鈴鹿君が悪いんじゃないかな」
「君ィ。我が校の評判を落とすような真似はやめなさい」
「す…スンマセン」
仕方ないのでスリッパに履き替えて体育館に上がると、既にギャラリーがそれなりに入っている。コートの端には出場者らしき体操着姿の生徒たち。そしてその一画で、先ほど優美と名乗ったポニーテールの子が、先輩らしい女生徒と話していた。
入ってきた和馬たちを見て、優美は興奮気味にそちらを指さす。
「ほら、あの人ですよ奈津江先輩! 優美に勝負させてくださいっ!」
「お、落ち着きなさいよ優美ちゃん。そうは言っても、そろそろ第一試合の時間だし…」
「あー、それなんだけどさ鞠川さん」
困り顔の女生徒に、ひょいと顔を出したのは早乙女好雄だった。その隣には連れらしい、やる気のなさそうな男子生徒。
「色々作業が遅れてるとかで、伊集院がまだ来られないらしいんだわ」
「え、そうなの? あの人も忙しいものねぇ」
「そうそう。だから俺たちは棄権ってことで…」
「こら、勝馬! まったく、あんたはすぐサボろうとするんだから…。でもそういうことなら、エキシビジョンマッチとしてはば学の実力を見るのも悪くないかな」
「おう、そうしてくれよ。その間に伊集院も来るだろうし……って」
そこまで言って、ようやく来客に目を留める好雄。
「あいつら葉月たちじゃん!」
「お兄ちゃんの知り合いだったの?」
と、好雄に尋ねるのはむすっとした顔の優美である。
「いや知り合いっつーかなんつーか」
「取り込み中悪いけどよ」
なかなか話が進まないので、しびれを切らした和馬がずかずかと歩いてきた。
「こっちは気が短いんだ。どいつでもいいからさっさとかかってこい……痛っ!」
相変わらず無礼なことを言い、とうとう切れた理事長に後ろからげんこつを食らわされる。
「失礼、お嬢さん。我が校の生徒が申し訳ないね、後でよく教育しておくから…」
「い、いえ。こちらも選手が来ていないので、試合をしていただけるなら助かります。そちらの三人は全員バスケ部ですか?」
「俺は違う…」
「わ、わたしは運動が全然ダメで〜」
と、珪と優紀子。
「じゃあこっちは戎谷くんと…」
「俺?」
近くにいたオールバックの男子部員が自分を指さす。女生徒は頷き、さらに視線は横へ。
「勝馬と……」
言われた相手は抗議の声を上げようとしたが、思い切り睨まれて諦めたように沈黙した。
「恵」
「ええー!? な、奈津江ちゃん。私じゃ無理だよぉー」
最後に指名されたのは、大きなリボンを頭につけた、やはりジャージ姿の女の子。あまり運動は得意そうではないので、バスケ部のマネージャーかなぁ? と優紀子は内心で考える。
「向こうもそう言ってるんだから公平でしょ。じゃあこの三人で3on3を」
「ゆ、優美はどうなるんですかー!?」
「え? うーん、今回は見学で」
「ヤダヤダー! 優美があの生意気男をコテンパンにしてやるんだー!」
(俺かよ…)
渋い顔の和馬だが、自業自得である。じたばたとわめく優美に、先ほど戎谷と呼ばれたバスケ部員は苦笑して肩をすくめた。
「やれやれ、泣く優美ちゃんには勝てないな。鞠川、いいんじゃないか別に」
「うーん、仕方ないわねぇ」
「やったー! よーし、見てなさいよ生意気男。あとで泣いても知らないからねーだ」
「おいおい…」
かくして紆余曲折は終わり、はばたき対きらめきのバスケ対決が行われることになったのだった。
上着を脱いだ和馬と珪が借り物の体育館シューズに履き替えていると、こそこそと好雄が近づいてくる。
「よう、さっきはどうも」
「おう、さっきの」
「ところで葉月クン。いやー悪いんだけどさ、やっぱり藤崎さんのことは諦めてくんない? こっちにも色々と事情があって」
「……? 何の話だ…?」
「こら、お兄ちゃん! 敵と何しゃべってるの!」
「やべっ。じ、じゃあそういうことで」
珪が怪訝な顔をしている間に好雄は逃げ、そして選手を呼ぶ笛の音。
「それでは勝負を始めます。5分ハーフで、点の多い方が勝ち」
コートの中央で、審判の奈津江がボールを持って宣言する。優紀子だけはさすがにスカートで試合はできず、やはり借り物のジャージに着替えていた。
はば学とのバスケ部対決ということで、いつの間にかギャラリーも増えている中、奈津江の手が動き――
「始め!」
ボールが空中に飛ぶ。
「でやあああ!」
威勢よくジャンプする優美だが、さすがに身長の差は埋められない。ボールをはじき飛ばしたのは和馬だった。
「おし、行け牧原!」
「恵先輩、ボール取って取って!」
「え、えええっ?」
「そ、そんな〜」
近かったばかりに必死でボールを追う女の子二人だが、手が届く寸前でお見合いになってしまう。
「あ、えーと、お先にどうぞっ」
「う、ううん。わたしはまた今度でいいよ〜」
「アホかーー!!」
和馬が叫んでいる間に、ボールを奪ったのは勝馬。二人を置いてドリブルに入る。
「やったぁ勝馬、気合い入ってる!」
「やれやれ。真面目にやらないと奈津江にどやされるからなぁ…」
優美の声援を受けて苦笑する勝馬だが、その前に珪が立ちふさがる。
「おっ、どうぞよろしく。お手柔らかにな」
「‥‥‥」
「何だかやりにくいなぁ…」
しかし愛想は悪くても珪の実力は本物で、抜こうとする勝馬の手からボールを叩き落とした。
慌てて拾い直す勝馬だが、厳しいチェックにその場から動くことができない。
(へっ、つくづく何をやらせても完璧な野郎だぜ)
優美をマークしつつ心の中で感心する和馬。一瞬の隙をつき、珪のヘルプに向かう。
「あーっ!」
優美が後を追うがもう遅い。二人がかりでは勝馬も逃げられず、ボールを奪った和馬がそのままシュートを決めた。
「まずは2点、と」
「うーっ、まだ始まったばっかりだもんっ! 勝馬、頑張ろうよっ!」
「へいへい。参ったね……っと!」
「うおっ!?」
やる気のなさそうに見せかけて突然ダッシュ、という勝馬の行動に、和馬は虚を突かれ動けない。珪がディフェンスに回るが、俊足で追いついた優美との壁パスでそれも抜き去り、あっという間に勝馬が2点を返した。
「くそ、あいつらどっちも速えーな。葉月、ボール回してくぜ」
「…ああ」
ちなみに残る女の子二人は
「やっぱり勝馬くん格好いいっ」
「うん、みんなすごいよね〜」
「あ、私は十一夜恵っていうの。よろしくね」
「こちらこそ。わたしは牧原優紀子だよ」
などとお喋りを始める始末なので、実質2on2と化している。
ここから本格的に点の取り合いが始まった。優美が背の低さを生かして二人抜きを決めたかと思えば、和馬がパワー溢れるプレイでゴールにねじ込む。奈津江にせっつかれた勝馬が堅実に点を返す。
しかし前半5分間で最も目を引いたのは珪だった。バスケ部員たちも舌を巻く動きで、パスもシュートも自由自在。さらに前半終了間際には…
「3ポイントっ!?」
あんぐり口を開けた優美の上を、珪の放ったボールは弧を描いてゴールに吸い込まれた。かくして前半終了、はば学チームが6点リード。
コート外で見ていた戎谷と好雄も感嘆の声を漏らすしかない。
「おいおい、あれでバスケ部員じゃないのかよ。ったく詐欺だな」
(こ、こりゃ公には気の毒だけど勝ち目はねえや…)
内心少し複雑な和馬だが、そこはスポーツマンらしく珪を讃える。
「大したもんだぜ。今日は随分とハッスルしてんじゃねーか」
「‥‥‥。そう言われれば…何でだろう…」
「は? お、おい、今の取り消し! 疑問を持つなっ!」
「いや…考えてみれば、熱心にやる理由なんてなかった…」
「うわーーっ!!」
見事なやぶ蛇に頭を抱えるがもう遅い。
その瞬間を境に、珪のプレイにやる気がなくなった。このチャンスを逃すきら校チームではない。
「おっ、なんだか動きが鈍くなったぞ。優美ちゃん、追いつこうぜ」
「うん! 反撃だー、ウォーウォー!」
さすがの和馬も2対1ではどうしようもない。優美と勝馬のコンビプレイに、たちまち1点差まで詰め寄られる。
「おい牧原! てめーも参加しろ!」
「それでね、今週の乙女座のラッキーアイテムはね」
「ふーん、そうなんだ〜」
(ちっくしょぉぉぉ! い、いや、俺は天才バスケットマンだぜ。これくらい一人で切り抜けられねぇでどうする!)
気合い充填。味方の珪からボールをもぎ取ると、猛然と相手陣内に飛び込んでいく。その先には優美。
「女だからって容赦しねぇ!」
「きらめきの実力を見せてやるんだからっ!」
右へ抜くと見せかけて、瞬時に左へ切り込む和馬。
「くぅ!」
一瞬反応が遅れる優美だが、必死でボールへ向け右腕を伸ばす。強引に突破しようとする和馬の首が交差して――
「ぐへっ!」
見事にラリアットの形になり、直撃を食らった側は床に崩れ落ちた。
「わ、わあああっ! だ、大丈夫ですかーっ!?」
「た、大したことはねえ…。い、いいラリアットだったぜ…」
「さすがは優美ちゃん、華麗なプロレス技だなぁ」
「ふぇぇん、わざとじゃないもん! バ勝馬ぁ!」
その場は優美のファールとなり、和馬は首をこきこき鳴らしつつ試合を再開した。
しかしこれが勝敗の分岐点だった。さすがに悪かったと思ったのか、優美のプレイにいまいち勢いがなくなり、その後は和馬が押し気味に展開。
結局そのまま、はば学が4点差で勝利した。
「うぅ…。負けちゃったぁ、悔しいよぉ…」
糸が切れたようにコートに座り込み、涙を流す優美。
しかしそこへ、和馬の手がすっと差し出される。
「いい勝負だったぜ。さっきは敵じゃないなんて言って悪かった」
「はば学の人…」
「お互い大会に向けて頑張ろうぜ! 言っとくがウチは女子バスも強いからな!」
「う…うんっ! 優美たちだって負けないよ!」
がっしと手を握り合う二人に、それまで黙って観戦していた理事長が手を叩く。
「素晴らしい! スポーツに打ち込むことで培われる友情、これこそ真の青春というものだ!」
拍手は体育館中に広がり、割れんばかりに響いたのだった。
「…疲れた…」
「お疲れさま〜」
「お前らもうちょっとやる気出せよっ!」
「うう…。ご、ごめんね…」
「いやいや、みんなよく頑張ったよ」
成果に差はあれ、着替え終わった選手たちは理事長に出迎えられる。
体育館を出る寸前、和馬は思いだしたように振り返った。
「おう、それからそこのそいつ」
「え、俺?」
指さしたのは、先ほど戦った男である。
「それだけ実力があってバスケ部じゃねえのはもったいねえ。入部して俺たちと勝負しろよ!」
「あら、いいこと言うわねえ。私がびしばしと鍛えてあげるわよ」
「うへっ、勘弁してくれ…」
嬉しそうな奈津江に、首を縮めてそそくさと逃げ出す芹澤勝馬だった。
伊集院家主催のミニ動物園
ガールズ1
ガールズ2
↓
終了
「…動物園…」
「え?」
「動物園なんか…どうだ?」
広げたパンフレットの珪が指さした箇所には、『伊集院家主催・ミニ動物園』と派手な字で書かれている。
「あ、行きたいな〜。わたし動物大好きなんだよ〜。えへへ」
「そうか…。じゃあ、行くか…」
(うむ、なかなか見事なエスコートぶりだ)
(くっ…。やるぜ葉月の奴!)
理事長と和馬が勝手に感心していたが、珪としては単に自分が行きたいだけだった。
場所は校舎裏。覗いてみると一画が白い柵によって区切られ、ふれあいコーナーのようになっている。中には犬に猫にヤギに羊、それからよくわからないイグアナらしき生き物がいた。
しかしまだ入れないようで、数人のきら校生たちがあたふたと動き回っている。
「あ、あのっ。ごめんなさい、もう少し待ってください…」
兎を抱えながらそう言ったのは、おとなしそうな背の低い女生徒だった。
「…しばらくかかるのか…?」
「い、いえっ。すぐに開きますからっ」
「やあ愛君、待たせたね」
と、横から男子の制服を着た――と言っても学ランではなかったので、珪たちは他校生なのかと思ってしまったが――一人の生徒が声をかける。
「最後の便も到着したとの連絡が入ったよ」
「そ、そうですか…。良かったです…」
「おや」
その目が珪たちへ…正確には軽く手を挙げている理事長へ向く。
「これはこれはミスター天之橋。我がきらめき高校へようこそ」
「やあ、伊集院君。今日は楽しませてもらっているよ」
どうやら金持ち仲間らしく、慇懃な挨拶を交わす二人。優紀子のもの問いたげな視線に理事長が紹介しようとしたが、その前に本人が前髪をかき上げ口を開く。
「僕が理事長の孫の伊集院レイだ。男子諸君は僕を見て自信を喪失したかもしれないが、まあ仲良くやろうじゃないか。はーっはっはっはっ」
(何だかイヤミな野郎だな…)
和馬が内心で嫌な顔をしていると、黒服を着たガタイのいい男が来てレイに耳打ちする。
「レイ様、お待たせいたしました」
「うむ、ご苦労だった。外井」
「道路の渋滞でトラックが通れなくなりまして、急遽ヘリコプターに移し替えて移送いたしました」
「おいおい、随分と大がかりだな。何が来るんだよ?」
「は、はい…。ライオンさんが…」
何の気なしに聞いた和馬だが、先ほどの少女の答えに、一瞬きょとんとしてから苦笑した。
「ったく、わけわかんねえ冗談言うなって。こんなところにライオンが来るわけ…」
『グルルルル…』
……背後から低いうなり声。
和馬がおそるおそる振り返ると――
黒服たちに連れられた、立派なたてがみを構えた獣が、ぎょろりと彼を睨み付けた。
「う……うわあぁぁぁぁぁあああ!!」
学校中に聞こえそうな大声を上げ、近くにあった雨樋によじ登る和馬。高笑いが追い打ちをかける。
「はーっはっはっはっ! どうした庶民、ライオンのポチ郎がどうかしたかね?」
「フレンドリーな名前つけりゃいいってもんじゃねえだろぉっ!」
「あの…、可愛いです…」
「…ああ、なかなかいいな…」
「待て待て待て、ちょっと待てお前らぁぁぁっ!!」
かくしてライオンは柵の中に入れられ、ミニ動物園の開園となった。
さすがに他の客たちもライオンに近づこうとはしなかったが、二人の黒服が脇を固めて警備していたので、安心して動物たちとの触れ合いを始めた。和馬も恐る恐る雨樋から下りてくる。
「鈴鹿くん、ライオンとか恐いの?」
「目の前にライオンがいりゃ普通こえーよ!」
「そ、そっか。うん、そう言われればそうかも」
「反応が遅いっての!!」
そんな様子に満足そうなレイだったが、外井が背後から耳打ちする。
「レイ様、次のご予定が押しております」
「分かった。それではミスター天之橋、ごゆっくりどうぞ」
「うむ、そうかね。ああ、伊集院君」
「何でしょう?」
「…君も楽しんでいるようだね」
その言葉に、一瞬レイは虚を突かれたように見えた。
足を止め、少し考え込むように下を向く。
「そうですね…。そうかもしれません」
けれど再び顔を上げたときは、何か納得したような表情だった。
「ここは僕の学校ですからね。はーっはっはっはっ」
さて、希望通り動物園へ来られた珪だが、本人は柵内の隅でしゃがみ込み、黙って猫を撫でている。
「葉月くん、こっちのヤギさんも可愛いよー?」
「てめえちっとは団体行動しろよ」
という優紀子と和馬の声にも
「…ああ」
と生返事を返すだけ。気持ちよさそうだった猫も、飽きたのか立ち上がって移動してしまう。
今度は通りがかった兎を撫でようとすると、不意に人影が日陰を作る。顔を上げると、先ほどの小柄な子が、おどおどと覗き込んでいた。
「あの…、葉月珪さん、なんですか?」
* *
美樹原愛は落ち込む暇もなかった。
公にあんなことを言ってしまい、顔から火が出るほど恥ずかしかったが、動物園の準備が優先である。元々伊集院家が主催のこの企画に、動物好きが高じて思わず志願してしまった仕事であるので、手を抜くわけにはいかなかった。
それでも何とか開園できて、ほっと一息ついていると、女の子の声が耳に飛び込んでくる。
「葉月くん、こっちのヤギさんも可愛いよー?」
(葉月…?)
そういえば、好雄が言っていた名前が確かそれではなかったか。
愛はよく知らなかったが、モデルだと言っていた。女の子が声をかけた相手は、確かに綺麗な顔をしている。
(ど、どうしよう…)
しばらく逡巡してから、思い切って声をかけてみることにした。詩織のこともあったが……一人でぽつんと動物を撫でている彼に、何となく誰かが声をかけるべきだと思えたのだ。
「あの…、葉月珪さん、なんですか?」
「…そうだけど」
怪訝そうな目で見られ、思わず『ごめんなさい!』と言って逃げ出したくなる。
元々、男の子と話すのは大の苦手だった。必死で足をその場に留めて、何とか言葉を考える。
「あ、あの…、あの…」
「‥‥‥」
「あの…、ど、動物、お好きなんですね」
ようやく出された一言に、珪は少しきょとんとしてから、兎へと視線を戻した。
「ああ…、そうだな」
「そ、そうなんですか。あの、私も…」
「…動物は、人を色眼鏡で見ないからな…」
ぽつりと。
辛うじて聞こえるくらいの声だったが、愛の耳には届いた。はっと少女は息をのむ。しばらく何も言えない時間が続いてから、人一人分離れた隣におずおずとしゃがみ込む。
「そ、そうですよね…。私なんか、すぐそういう目で見ちゃうから…」
「別にそんな意味じゃ…」
「い、いえ、あの…。その、私の友達にも有名な人がいて…」
だんだんと緊張がピークに近づき、自分でも何を言っているのか分からなくなってくる。
「べ、勉強でもスポーツでもなんでもできて、みんなから注目されてて、何かするとすぐに噂になっちゃって…。
で、でも私はその人が大好きなんです。私は普通の友達でいようって、けどそういうのが、かえって特別扱いしてるのかもって…」
そこまで言って、それで限界だった。
「ご、ご、ごめんなさいっ! わ、私ったら初めて会った人に変なこと…」
「いや…」
と、珪がゆっくりと顔を上げる。吸い込まれそうな瞳の色。愛の心が、湖面のように落ち着いていく。
「…大丈夫だ。多分、その気持ちだけで相手には十分通じてるから…」
「葉月さん…」
しばらくそうしてから、見つめ合っていることに気づいて、愛は見る間に耳まで赤くなった。俯いて、どもりながら辛うじて言う。ありがとうございます、と。
(いい人かも…)
この人なら詩織ちゃんとでも……と一瞬考えてしまい、慌てて心の中で謝った。
(ご、ごめんなさい、主人さんっ)
入学以来、彼が詩織のために頑張ってきたのを、ずっと見てきたのに。
少し深呼吸して、あらためて珪を見る。
愛の心は軽くなったけど、兎をじっと見ているこの人は、やはり少し寂しそうだ。
「あの…、葉月さんには、そういう人はいないんですか…?」
「俺…?」
「あ、あの、いえ、その」
色眼鏡で見ないで、ありのままの自分を見てくれる人…。
珪はしばらく考え込んでから、初めて気づいたように、静かに言った。
「そうだな…。いる……のかも、しれない」
その言葉に、愛はほっと安堵の息をつく。
「あの…、良かったです…」
「‥‥‥」
「おーい葉月ー、そろそろ行くぜー!」
背後からのいきなりの大声に、思わず飛び上がりかける愛。
珪はじっと動かない。愛の心に、再び不安の雲が湧く。『行かない。ここで動物といる』と言い出しそうで。
そんな彼女の視線に気づいて、珪は少しだけ微笑んだ。
「大丈夫だ…。サンキュ」
ゆっくり立ち上がり、同行者たちの方へ歩いていく。
最後に何か言いたかったけれど、そこまでは無理で、愛は口をぱくぱくさせて見送ることしかできなかった。
ただ、後ろ姿だけでも、動物たちの中を歩いていく彼はすごく綺麗に見えた。
「美樹原さーん、犬とヤギが睨み合ってるんだけどー」
「あ、はーい。今行きまーす」
呼ばれて向かいながら、愛は考える。
この当番が終わったら、詩織のところへ行ってみよう、と。
バスケ部主催の3on3大会
ガールズ1
ガールズ2
↓
終了
文化祭の日とあって、普段は職員しか使わない駐車場も来客者で混雑している。
そんな中へ、入ってきたのは人目を引く黒塗りの大型車。停車するやいなや、中から声が聞こえてくる。
「須藤の準備が遅いせいでこんな時間になっちゃったじゃない。ったくぅー」
「なによぉー! いいじゃないの、ミズキの車で送ってあげたんだから!」
「まあまあ。とにかく着いたんだし、降りようよ。ね?」
扉が開き、中からぞろぞろと出てきたのは五人の女の子たち。
そのうちの一人、ボブカットの中背の少女――はばたき学園二年、空野羽音(そらの はおと)は、友人が外に出るのを手伝ってから、車内の運転手に頭を下げた。
「ギャリソンさん、送っていただいてありがとうございました」
「いやいや、おやすいご用でございます。どうぞ皆様楽しんでらっしゃいますよう」
白いひげを生やした老運転手は、にこやかにそう答える。他の少女たちも、一人を除いてめいめい感謝の意を述べた。
その除外されるブロンドの少女――須藤瑞希は髪をかき上げると、にぎやかな声の聞こえる校舎の方へ目をやる。
「ふうん、思ったほど大した学校じゃないわね。もっとGrandな建物を期待してたのに」
「やれやれ、これだから世間知らずのお嬢はぁー」
後ろ髪を上向きにして留めた少女――藤井奈津実は両手を広げてわざとらしく溜息をつき、当然ながら相手の怒りを買う。
「なによぉ、どういう意味よ!」
「あのね、歴史ある学校なんだから建物が古いのは当然。でも伊集院家がついてるのよ。バンドコンテストなんてスゴイ設備を用意してるって噂よ。もう少し情報を集めなさいよねー」
「ふんだ、伊集院家なんて須藤家に比べれば大したことないわよ。ま、品のないアナタにはわからないでしょうけど」
「なんですってぇ!」
「なによぉー!」
「ふ、二人とも喧嘩はやめようよ。ど、どうしよう羽音ちゃん〜」
「大丈夫だって、いつものことだしね」
背は小さめ、気も小さそうなショートカットの子――紺野珠美に泣きつかれ、羽音は苦笑してそう答える。
「あのね、みんな」
そんな浮かれている一同に、知的そうな長身少女――有沢志穂は、眼鏡を直して注意した。
「ここが他校ということを忘れずに行動してちょうだい。そもそも文化祭というものは…」
「またまた。ホントに真面目なんだから、有っちは」
「あ、有っちって…。藤井さん、変なあだ名つけないで」
「えー? いいじゃんわかりやすくってさ。有っち、はおとっち、珠っち、スドッチ、ヒムロッチ」
「ちょっとぉ、なによその東欧のサッカー選手みたいな呼び方は!」
「あーほらほら。ここで話してもしょうがないし、とにかく行ってみない?」
「それもそうね、それじゃレッツゴー!」
言うそばから奈津実は校庭へ向けて駆け出してしまった。珠美が慌てて後を追い、志穂も溜息をついてそれに従う。
残った羽音は、運転手と話している瑞希を待つ。
「じゃあギャリソン。ミズキたちは行ってくるから、電話したら迎えに来るのよ」
「はい、承知いたしました。それでは空野様、お嬢様をよろしくお願いいたします」
「ええ、任せておいてください」
笑顔でとん、と胸を叩く羽音に、瑞希は少し赤くなってから、目を閉じてぷいと横を向く。
「ちょっと空野さん? 発言は正確にしてくださるかしら。あなたがミズキの面倒を見るんじゃなくって、ミズキがあなたたちの面倒を見てあげるんですからね!」
「うんうん、それじゃ行こっ」
「もーっ。ちゃんと聞いてるの?」
文句を言いながらも、瑞希は羽音に手を引っ張られて校舎の方へと消えていく。
それを目を細めて見送ってから、ギャリソン伊藤はおもむろに車を発進させるのだった。
バスケ部主催の3on3大会
伊集院家主催のミニ動物園
ガールズ2
↓
終了
「にしても、女同士でよその文化祭なんてさぁ。つくづく色気がないよね」
校庭の出店を見て回りながら、奈津実は頭の後ろで手を組んで、空を見上げてそう言った。
「そう? たまにはいいと思うけどな。そりゃ姫条くんたちも一緒に来られれば良かったけど」
「それが聞いてよ。アイツ誘ってやったのに、『お前がいたらナンパできへんやん』とか言いやがったのよ。ムカツクー」
「あ、あはは…」
容易に想像できるだけに、羽音は思わず笑うしかない。と、その袖が横から引っ張られた。
「ね、ねえ、羽音ちゃん」
「ん? どうしたのタマちゃん」
「うん。あのね、何か買っちゃダメかなぁ?」
遠慮がちにそう聞く珠美。そういえば、選ぶものが多すぎて誰も何も買ってない。一人で突出したくないあたりが珠美である。
「もちろんいいよ。私も何か食べようかな」
「おっ、いいねえ。あたしもあたしも」
「でも大丈夫なのかしら。こういうところのものって、栄養のバランスが…」
「もー、志穂さん。作ってる人に悪いって。お祭りなんだから気にしないの」
「そ、そうね」
と、羽音の後ろでは瑞希が、声をかけてほしそうにわざとらしく咳払いした。
「瑞希さんもいいよね?」
「え!? そ、そうね。ま、まあ本来ならそんな下々のものは口にしたくないけど、ミズキは心が広いからつきあってあげる」
やたら嬉しそうな表情に、あんた本当は食べたかったんじゃないんかい……内心で考える奈津実たちだが、敢えて言わないでおいてあげた。
「じゃあそこのお好み焼きで!」
奈津実が指さした屋台は、『2年D組』の看板がかけられている。さらに近寄ると『アメリカンお好み焼き 300円』の札も。
「なに、アメリカンって…」
「ああそれ? フランクフルトをお好み焼きで挟んでホットドッグみたいにしたのよ。とってもクリエイティブ、創造的な料理だと思わない?」
「…それでアメリカン?」
「オフコース、もちろん! まあレッツイート! 食べてみなさいよ」
自信満々にそう言っているのは、後ろ髪を頭上でシニョンにした変な髪型の女の子である。
はば学女子五人は思わず顔を見合わせたが、結局羽音が思い切って注文した。
「じゃあ、それひとつ」
「あ、羽音ちゃんが頼むなら私も…」
「オーケーイ。望ー、アメリカン2つねー」
「はいよー」
隣にいたボーイッシュな短髪少女がそう答え、鉄板で生地とフランクフルトを焼き始める。
「すぐにできるわ。ウェイトアモーメント、ちょっと待ってね」
「ねえ、ちょっとあなた」
と、苛立たしげに一歩前に出たのは瑞希である。
「ホワット、何?」
「その英語よ! なんでわざわざ後ろに日本語訳をつけるのよ!?」
「ンー、そうねえ。まあ相手が意味分からないと困るし」
「中学生レベルの英語でしょっ!」
「まあまあ、細かいことはネバーマインド! 気にしないの」
あっはっはと笑う相手に、気を削がれた瑞希は深々と溜息をついた。
「まったく、きらめき高校も思ったほどではないわね。ミズキにとっては…」
「へいお待ち!」
「あ、どーもー」
「ちょっと聞いてるの!? ミズキならこの美しいフレンチに、つまらない和訳なんてつけたりしないわよ。Comprenez-vous?」
「フーン、みんなフランス語なんてわかるの。そういえば私も勉強しなくちゃねぇ」
「いや、全然わかんない」
何よ旅行でも行くの? と言いかけた瑞希の口は、割り込んだ奈津実の言葉にあんぐり開いてしまった。
「は?」
瑞希が目を向けた他の同行者たちも、困ったように目を泳がせる。
「さ、さすがに私もフランス語は範囲外で…」
「えっと、ちょっとわからないかな…。ゴメンね?」
「ま、まあフィーリングで気持ちは伝わるから!」
「な、な…」
何てこと、今まで得意げに使っていた仏語は、まったく通じていなかったのである。コミュニケーションの欠損に衝撃を受ける瑞希。
「AHAHAHA! それじゃ独り言と変わらないわよね〜」
「なによぉー! わかったわよ日本語訳をつければいいのね!? 『ボンジュールこんにちは』とか『トレミニョン可愛いわ』とか言えばあなたたちは満足なのね!?」
「てゆーか、そもそも無理にフランス語使わなくても…」
アメリカンお好み焼きを食べながら、思わずつっこむ羽音だった。
バスケ部主催の3on3大会
伊集院家主催のミニ動物園
ガールズ1
↓
終了
次はどこへ行こうかと、渡り廊下を歩いていると、二つの携帯電話が同時に鳴る。優紀子のものと、和馬のものだ。
「あ、ちとせ? う、うん。そろそろ行こうと思ってたんだよ」
「なんだ姫条かよ。あ? ここは一階の東側の渡り廊下だな。来るなら早く来いよ」
同時に電話を切って、顔を見合わせる。
「あのね、もうすぐ友達と待ち合わせなんだ」
「そ、そうかよ。あー、それじゃあ…」
「あまり連れ回すのも申し訳ないし、名残惜しいがここでお別れとしようか」
「は、はいっ。どうもお世話になりました」
横から助け船を出す天之橋理事長に、ぺこりとお辞儀してから、和馬と珪にも笑顔を向ける優紀子。
「鈴鹿くんも葉月くんも、一緒に回れて楽しかったよ〜。もえぎのにも遊びに来てね」
「お、おう。気が向いたらな」
「…ああ」
「じゃあねー」
優紀子は手を振ると、ぱたぱたと玄関の方へ歩き去った。
和馬はほっとして息を吐き出す。考えてみれば、『女の子と一緒に文化祭を回る』という偉業を無事に成し遂げたのである。
「ハハハ…。よくやった君たち。なかなかのエスコートぶりだったよ」
「そ、そうっすか」
「…どうも…」
「今後とも女性には優しくしたまえ。それでは私もこれで」
理事長は二人の肩を叩くと、ダンディに去っていった。
数分後、まどかが駆け足でやって来る。
「いやー、お待たせお待たせ」
「さっきの女はもういいのかよ」
「ああ、ちょいと喧嘩になってもうてな…」
暗い顔のまどかに、和馬は意外そうな表情をする。
「お前がか? 珍しい」
「それがなぁ。オレはタコ焼きのタコは2、3個が適量やと思うんやけど、あの子は多ければ多いほどええに決まっとる言うて譲らへんねん。まったく価値観の違いってのは始末に負えんわ…」
「…葉月、何かツッコんでやれ」
「どあほう」
* * *
「さてと、そろそろ昼飯にしよか」
校舎内に戻って何カ所か見学してから、腕時計を見てまどかが言う。
「そうだな、ヤキソバでも買うか?」
「アホ! オレらは文化祭に来とるんやで!? 美少女ウェイトレスのいる喫茶店に入り、手料理を味わいつつアンミラ制服の女の子とお知り合いになる…っちゅーんが正しいあり方やろが。なあ葉月?」
「…同意を求めるな…」
「なんでもいいよ、腹さえふくれりゃあよー」
しかしアンミラ制服の喫茶店などあるはずもなく、結局近くにあった『軽食レジェンドウッド』に入ることにした。看板によると1年B組の出し物らしい。
「いらっしゃーい……わっ、かっこいい人!」
「いやあ、おおきに。美少女は言うことも素直やなぁ」
「え、ええとっ。ちょっと今混んでるので、相席でよろしいでしょうかっ」
初々しいエプロン姿の一年生に頼まれて、当然ながら快諾するまどか。
案内された先は窓際の席で、おかっぱ髪の少しぽっちゃりした女の子と、背の高い暗そうな女の子が、スパゲッティを食べながらお喋りをしている……といってもおかっぱの方が一方的に喋っているだけだったが。
「あのーっ。すみません、席が足りないのでこちらの方たちと相席でいいですか?」
「え? あ、はい、もちろんっ。いいよね、花桜梨ちゃん?」
「…別に、いいけど」
二人がテーブルの端に寄っている間に、まどかは和馬に耳打ちした。
(ついとるわ、他校の女の子と相席やで。オレらには幸運の女神が味方しとる!)
(ずいぶん安っぽい幸運の女神だな…)
ウェイトレスは名残惜しげに去り、空いたスペースに三人が詰め気味に座る。
「無理言って堪忍な。せやけど、オレらはラッキーやったわ。こない可愛い子と相席なんて初めてやし」
「ええっ? や、やだあ、そんなことないよ。えっと…関西の人?」
「おお、生まれは大阪やねん。オレははばたき学園の姫条まどかや」
続けて他の面々も自己紹介。おかっぱの方は佐倉楓子、背の高い方は八重花桜梨という名前だった。
「私たちはひびきのから来たんだよ」
「おお、そうなんか。ひびきのの男が羨ましいなぁ。オレもひびきのに転校したくなったで」
「も、もう。そんなことばっかり言わないでよ〜。恥ずかしいモン!」
(くうー!)
赤くなってはにかむ楓子に、思わず生きる喜びを実感したまどかである。
先ほどのウェイトレス一年生が再び来て、注文を取る。それからしばらくは互いの学校のことや、この文化祭について雑談。
しかし主に喋るのはまどかと楓子、たまに和馬で、残る二人はほとんど口を開かなかった。
まどかが気を使って時々花桜梨に話を振っても、返ってくるのは「そう」とか「別に」とか気のない返事ばかり。その度に楓子が慌ててフォローするが、花桜梨は暗い顔で俯いたままだ。
さすがにお手上げになったまどかが珪を肘でつつく。
(おい、葉月、自分もなんか言えや。無口同士で気が合うやろ)
(無口が二人で会話が成り立つわけないだろう…。馬鹿かお前は…)
(開き直んなアホーーっ!)
料理が来てからもしばらくはそんな調子で、話が和馬の部活に及んだ時、急に花桜梨は立ち上がり…
「ど、どうしたの花桜梨ちゃん。気分でも悪くなった?」
「…うん、ちょっと人混みに当てられたみたい。少し、外の空気吸ってくる」
と言って、廊下に出ていってしまった。
しょぼんとする楓子の前で、おもむろに珪も立ち上がる。
「右に同じ…。少し出てくる」
「おっ、そうか。よろしく頼むわ」
「別に、そういうわけじゃない…」
素っ気なく言って、珪は務めてゆっくりと廊下へ向かった。
「どないしたん。楓子ちゃんに暗い顔は似合わへんで」
皿の上のお好み焼きを平らげてから、明るく笑って取りなすまどか。ちなみに和馬はおかわりした牛丼を一心に食べている。
「う、うん…。あのね」
「なになに、何でも相談してや」
「私ね、本当は二学期から転校するはずだったんだ」
「は?」
「大門に行くはずだったの。でも、花桜梨ちゃんが心配だったから…。私がいなくなったら、本当に誰とも話さなくなっちゃいそうだったから……だから転校、延ばしてもらったんだ」
予想外に大きな話に、さすがにまどかも和馬と顔を見合わせる。
「そらまた、えらい気合いの入った友達思いやなぁ」
「そ、そんなことないよ〜。元々急に決められちゃった転校だったから、少しはわがまま言いたかったし」
打ち消すように手を振ってから、テーブルに目を落とす楓子。
「でも、花桜梨ちゃんにはかえって迷惑だったかもって。今日も無理矢理連れて来ちゃったし…」
(うっ…)
無理矢理連れて来たことについては他人をどうこう言えず、言葉に詰まるまどかを、楓子は相談が悪かったと解釈したのか、慌てて謝る。
「ご、ごめんなさい〜! 気にしないで、ねっ」
「いやいやいや! まあホンマに嫌やったらそう言うやろ。意外と内心では楽しんでるかもしれへんし」
「開き直ってるぜ、この馬鹿…」
「お前にだけは馬鹿とか言われたくないわ! せめてアホにしといてや」
「?」
「あー、まあ、オレもさっきの葉月を無理矢理連れてきたようなもんなんやけどな」
頭をかいてから、まどかはテーブルの上に右腕を置いた。
「まあ楓子ちゃんの言うこともわかる。
せやけど、それならどないするん? ここでお別れにして帰るんか?」
「そ、そういうわけにも〜」
「せやろ、進むしかないんやったら、悩んでも仕方ないやんか。それならせめて笑顔でいようや」
「姫条くん…」
「楓子ちゃんが元気に笑っとったら、きっと花桜梨ちゃんの気持ちもいつか晴れるて。うん、このオレが保証するで。こう見えても女の子の笑顔についてはプロフェッショナルやからな」
にかっと笑って親指で自分を指すまどかに、楓子は目を丸くしてから、とうとう我慢できず吹き出した。
「も、もう。そんなプロ聞いたことがないよ〜」
「おお、その顔や。いやー眼福眼福」
嬉しそうなまどかに、丼を持ったまま呆れる和馬。
「つくづく口だけは達者だよな」
「やかましいわ、とっとと食えや。花桜梨姫を迎えに行くで。なあ楓子ちゃん?」
「う、うんっ」
「わかったわかった」
そう言って、和馬は牛丼の残りを一気にかきこんだ。
* *
「‥‥‥」
珪が廊下に出ると、花桜梨は開いた窓の枠に手をついて、じっと外を眺めていた。
「迷惑なら…。はっきり言ってやったらどうだ…?」
ぼそりと背後から言われ、びくっとして振り返る花桜梨。
しかし先ほどの相席者と気づいて、再び視線を外に向ける。
「別に…。あなたに関係ない…」
「…なんだ、本当に迷惑してたのか」
「誰もそんなこと言ってない…!」
少しむっとした顔で珪を睨むが、すぐに表情を打ち消した。珪は隣に行って外を見る。
「佐倉さんは…本当にいい人よ」
誤解されたままが嫌なのか、隣からかすかな声がする。
「…それが重荷…?」
「…そうかも…。どうして構うんだろう。私なんて、何の価値もない人間なのに…」
ぼそぼそと言って、横目がちらりと珪へ向く。
「あなたは…そういう部分、ないの…?」
「俺…?」
何だかんだで、多少は同類と思われていたらしい。
「…さっきの人たちとか…」
再び俯いて尋ねる彼女に、珪は少し考えてみた。
『別に自分がおったら女の子が勝手に寄ってくるからウハウハやとか、そんなことは全然考えてへんでー?』
「…いや、全っ然ないな」
「そ、そう?」
何だか珪の眉間にしわが寄ってる気がして、花桜梨はそのまま黙ってしまった。
…会話が進まない。
珪も居辛い。あいつだったらこんな時どうするんだろう、とクラスメイトの少女のことを考えて、しかしそのようにはできそうになかった。
「じゃあ、俺はこれで…」
「あ…」
去ろうとする珪に、花桜梨は一瞬だけすがるような目を向けたが、慌ててそれを外に戻す。
珪は軽く溜息をつく。
結局、救われたがってるんだろうか。…自分も含めて。
「それなら、恩返しってことにしたらどうだ」
「恩返し…?」
怪訝な顔の花桜梨に、珪は軽く頷いた。
「お前がそこまで、そいつに悪いと思ってるなら、そいつの喜ぶことをするのが筋だろ…。今みたいに、傷つけるのは逆だ」
「そ、それは…! そんなの…」
「…分かってて分からない振りをするのは、卑怯じゃないのか」
花桜梨は反論できなかった。
彼女の身体が窓から離れ、暗い会議は終わった。
「ありがとう…。一応、お礼言っとく」
「別に…礼を言われることじゃない」
二人が店の中に戻ると、残る三人もちょうどテーブルを立って、こちらに歩いてくる。
「おっ、葉月。お務めご苦労」
「‥‥‥」
会計を済ませて廊下に出る。
笑顔でいようとする楓子と、言葉を探す花桜梨の間に数秒の時が流れ、ようやく口を開いたのは花桜梨の方だった。
「あの…、佐倉さん」
「な、なあに?」
俯き気味に、少し紅潮した頬で必死になって言う。
「見たいところがあるんだけど…。一緒に来てくれるかな」
…驚き。
それが通り過ぎた後の楓子は、嘘偽りなく心からの笑顔だった。
「う、うん、もちろん! 花桜梨ちゃんの行きたいところならどこでも!」
「自然環境についての展示…。佐倉さんは、つまらないかもしれないけど…」
「そんなことないよ〜! ほら、行こ行こっ」
花桜梨の気が変わらないうちに、という勢いで手を引っ張ろうとして、ようやくまどかたちの存在を思い出す。
「あ、それじゃあね〜。どうもありがとう〜」
「じゃあ…」
「ああ、ほなな。また会うたら遊ぼうや」
「うんっ」
にっこり笑って、楓子は花桜梨と一緒に廊下の向こうへ消えていった。
珪は黙って見送っていた。一番正しい方法を、花桜梨は実際分かっていたのだ。
「さて、オレらも行こか」
「そうだな…」
うっかり答えてしまい、まどかと和馬から意外そうな目を向けられる。
「何だよ、急に素直になりやがって」
「…もう、諦めた…」
「おっ、そうそう、それが一番。人間諦めが肝心やで」
「お前が言うな…」
やっぱり少し後悔して、それでも彼らと同じ道を行く。
様々な生徒たちが行き交う中を、はばたき学園の三人は午後の部へと繰り出していった。
<つづく>