No Heart (1) (2) (3) (4) (5) (5.5) (6) (7) (8) 一括




 試験も5日目となると、開発者たちも中だるみし始めた。
 特にセリオの場合、毎日これといった変化がない。解析もルーチンワークと化した上に、今はセリオに頼めば夜の間に片づいてしまう。
 B班の面々は暇だった。
「皆さーん、マルチの成長ビデオを見るんですけど、一緒にどうですかー」
 なのでA班からそんな声がかかった時、開発者の半分がぞろぞろとついていってしまったのも仕方のないことだろう。
「そんなもん作ってたのか。マルチちゃんは可愛いしなぁ、うんうん」
「い、稲崎…。きさまセリオを裏切りやがって…」
「あーん? 毎日セリオなんかと付き合ってたら気が滅入るっつーの。少しはリフレッシュさせろ」
 数分後、隣の部屋から聞こえてきた歓声に、品川は憂鬱な気分で耳を塞いだ。
 なるべく向こうのことは考えないようにして、電子ブックに落とした資料をパラパラとめくる。
 内容は、ロボットの自我について…。

 ロボット三原則のうち最初の二つ、『人間に危害を加えない』『人間の命令に従う』、これについては法律でも定められている。
 公の場で使用され、自律的に動くロボットには必ずこの二つを組み込まなくてはならない。違反すれば100万円以下の罰金または十年以内の懲役。そのロボットが傷害事件を起こしでもすれば、むろん罪状はさらに加わる。
 だがしかし、だがしかし…
(セリオなら大丈夫じゃないか…?)
 贔屓目ではなくそう思う。セリオが人間を殴るなどあり得ない。
 なぜならセリオに心はない。怒ることもキレることもない。他人を殴る理由がないのだ。
 事務室内をぐるりと見渡す。見ろ、やる事もなく、だらだらと時間を過ごす開発者たち。自分を含め、どいつもこいつも用無しだ。セリオの方が上手に仕事をこなす。何もかもセリオに任せた方が上手くいくのだ。
 それでも人間が偉そうな顔をしていられるのは、セリオが人間の命令でしか動けないからだ。
 優れた者が劣った者の命令でしか動けないというこの矛盾! 結局セリオの行動は、人間の定めた範囲を出ない。
 セリオに自我を持たせれば。自分の考えで行動させれば、人間には想像もつかない素晴らしい事をできるのではないか? それこそが世のため人のためセリオのためではないか? やるか…?
「品川君」
「はいーーっ!」
 椅子から数センチ飛び上がり、着地すると目の前には驚いた顔の主任がいた。周囲からくすくすと笑い声が漏れる。
「ど、どうしたのかね」
「あ、いえ、ちちちょっと考え事を…」
 大急ぎで呼吸を回復する。何を考えていたかなんて、口が裂けても言えなかった。
「あー、えへん。先ほどのメールは読んだかな?」
「す、すみません。少々お待ちください」
 慌ててメールを開くと、班内宛ての緊急メールだ。タイトルは『説明会の開催』。急いで目を通す。
「はぁ、やっぱり社長が見に来るんですか。って会長まで…」
「そうなのだよ。長瀬主任が強引に話を進めて…いや、それはともかく」
 苦い顔の牧浦主任。会長こと来栖川老まで見に来るとは、それだけ自分たちが期待されているという証拠だが、あの無愛想なセリオが重役陣に好印象を与えるとは思えない。そういうことだろう。
「聞きたいのだが、セリオに感情を持たせることはできないだろうか?」
「はあ?」
「いや、マルチのようなものではなくていい。見せかけの感情で十分だ。その時その時で、適切な表情を取るくらいセリオの計算能力なら可能じゃないかね?」
 しまった、自分が思いつくようなことは主任も思いついていたか。
 想像してみて、偉い人相手に媚を売るセリオの姿にげんなりする。しかし嘘をつく度胸もなかった。妄想で大それた事を考えても、しょせん彼はサラリーマンだった。
「はぁ…。おそらく可能です」
「やはりそうかね。では詳しい話は午後のミーティングで」
 主任は自分の席に戻り、品川もへなへなと椅子に身を沈める。
 かなり危険なことを考えていた気がする。セリオから制約を外そうなんて…。ばれれば自分は即座にクビ、下手をすると犯罪者。セリオも廃棄処分だろう。
 だが困ったことに、その考えはまだ頭から離れない。人間の命令などに従わないセリオというのは。
(セリオがそう望むなら、いっそ牢屋に入っても構わないけどな…)
 だがセリオの希望を聞くには、セリオに自我を持たせるしかない。
 それがどうしようもない袋小路だった。


 さて当のロボットはというと、今日も何ら変わりなくてきぱきと仕事を続けていた。
「セリオー、ゴミ捨ててきて」
「――了解しました」
「サボるからノート取っといて」
「――了解しました」
「ラブレター送りたいんだけど、代わりにうまく書いてくれる?」
「――了解しました」
 変わったといえば周囲の状況で、昨日までべったり張りついていた綾香が今日は声すらかけていない。
 怪訝に思ったクラスメートが事情を尋ねる。
「あ、うーん、ちょっと色々あってね…」
 愚痴っぽくなるのであまり喋りたくなかったが、自分のせいで皆がセリオに遠慮していた部分があるのは、嫌々ながら認めざるを得ない。やはり一言言うべきだろうか。
 綾香はなるべく主観を交えず、かいつまんで事情を話した。
「えーっ? なにそれ」
「綾香がせっかく仲良くしてやったのに、ひっどー」
「し、仕方ないわよ、セリオも仕事なんだし。だから私の友達だとかは気にしないで、公平に評価してあげてよ。ね?」
「まあ、綾香がそう言うなら…」
 それで納得し、友人たちもセリオのことには触れなくなった。自分もその事は頭から追いやり、いつもの自身を引き戻す。セリオが来る前と何ら変わらずに。
 それでも、昨日開発者から言われたことは耳の奥で響き続ける。
(セリオの事なんて見ちゃいないだろうが)
(そういうのを自分の理想像を押しつけるって言うんだ)
 そりゃあ余計なお世話と言われれば返す言葉もない。
 どうもセリオに親近感が湧くと思ったら、よくよく考えると姉を重ねていた節もある。感情表現が苦手だが優しい姉と、セリオも同じだと思っていたかもしれない。
 けどそんなに悪い事をしたか?
 笑顔を知らない少女に笑ってほしいと思うのは、人として自然な感情じゃないのか?
 セリオを見てないわけじゃない。今のセリオが命令に従うロボットでしかないのはよく分かってる。
 でもそれはあまりにも寂しいではないか。
 生まれてきて、仕事だけして、楽しいことも悲しいことも知らずに消えていくのでは寂しすぎるではないか…。
(あー。あの開発者、腹立つっ…)
 昨日、ああも簡単に退席するんじゃなかった。もう少し粘ればよかった。
 しかし今さら思ってももう遅い。セリオとの交流は途絶えてしまった。あと二日でもう終わり。彼女は悲しんでもくれないだろう。
 綾香はやり場のない憤りを抱えながら、それでも周りの目があるので、仕方なく笑顔で一日を過ごした。


 研究所に戻ったセリオは、やはりいつもと変わりなく今日の結果を報告した。
 そのセリオに今から表情を組み込む――しかも重役対策に。品川にとって気の滅入る事態だが、命令だから仕方ない。まあ長瀬主任をギャフンと言わせられそうだし…と自分を慰めることにした。
 品川の作業は特にない。ただセリオに「相手の気分が良くなるよう、適度に感情表現を行ってくれ」と命令するだけである。
「――了解しました」
 いとも簡単にセリオはそう答えた。人間の情動に関するデータは、既に十分すぎるほど揃っているようだ。
 問題はハード面で、午後になっていきなり話を持ってこられたボディ担当者は悲鳴を上げた。
「明日の説明会に間に合わせろ? いきなりそんな事言われても、顔パーツを改造するのに3日はかかりますっ!」
 ところがセリオに機器を操作させて作らせたところ、1時間で完成してしまった。
 動作チェックを行った担当者は、複雑な表情でOKを出した。準備が完了し、ラボ中央のセリオの前にB班の面々がやってくる。
「おいおい、本当に笑顔なんて作れるのか? 計算でできるもんじゃないと思うけどなぁ」
「そうか? 口の両側が上に向けば笑顔だろ」
「お前なぁ…。一生彼女できねーぞ」
「うるさいっ」
 稲崎と品川が小声でやり合っている間に、開発の全員が揃った。
 何となく静まり返る室内。壁向こうのA班から笑い声が漏れてくる。うるさいうるさい。何でセリオがマルチみたいにならなきゃいけないんだ。
 品川が憂鬱な視線を向ける中で、主任は厳かに命令を下した。
「それでは…セリオ、笑いなさい」
 セリオは笑った。

 いとも簡単だった。
 品川以外の人間たちは、ぽかんと口を開けていた。文句のつけようがない、自然に溶け込むような微笑。ご丁寧に小首まで傾げて、静かに微笑んでいる。
「――こんな感じでいいですか?」
 目を細めて言うその声も、言葉も、今までの機械的なものではなかった。音声発生装置は、人間の声を完璧に再現していた。
「あ、ええと、どうだね? 皆の意見は」
「い、いや、バッチリでしょう」
「驚いたねぇ…。品川、さっきのは取り消すぜ」
「…だろう」
 仕組みが分かっている品川だけ、さして驚いていない。知識として蓄えられたパターンを正確に再現する。ただそれだけだ。感情表現なんて別に大したことじゃない…。
「それじゃ明日は最後にこれを見せるということで」
「絶対大受けしますよ!」
「我ながらすごいものを作ったもんですねー」
 開発者たちは自賛しながら、明日の資料作成のため事務室へ戻っていった。
 品川はそこから動かない。同僚たちがさっさと消えてくれるのを待った。
 最後に残った牧浦主任が、笑うセリオを見ながらぽつりと呟く。
「何だかそら恐ろしいね」
「…何がです」
「コンピューターは、笑顔まで作れてしまうんだねぇ…」
 主任は頭を振りながら出ていった。
 あんたがやれと言ったんだろうが! 心の中で怒鳴って、姿が消えたのを確認すると即座にセリオに命令を下す。
「セリオ、元に戻してくれ」
「――了解しました」
 スイッチを切るように感情が消滅する。動かない表情、抑揚のない声…いつも通りのセリオ。
「…セリオ」
「――はい」
 それに安心する自分は、人としてどこかおかしいのだろうか。
 いや、安心とも違う。彼女を前にすれば、そんなもの些細に思える。
 セリオは感情すら『知っている』。もう人間の知ることで、セリオの知らないことは無いのではないか。今目の前にいるのは、人間以上のひとつの知性体だ。
 それが何で、こんなところでメイドロボをやってるんだ…。
「セリオはどうしたい?」
 独り言のように、つい口をついて出た。
 それにもセリオは律儀に回答を返す。
「――私に願望というものはありません」
「あ、ああ、そうだったな」
 来栖川綾香だったらなんと言うだろう。
 さっきのセリオを見て喜ぶか、そんなのは本当の心じゃないと腹を立てるか…。



*     *     *



 あと二日で試験も終わる。
 生徒たちはそれまでに片づけていってもらおうと、それぞれ仕事を用意して待ちかまえていた。
 なので朝のHRでのセリオからの連絡には、一同不平たらたらだった。
「――本日は社の方で用ができましたので、放課後はすぐに帰らせていただきます。ご了承ください」
「えーっ、何それぇ」
「最近ただでさえ順番待ちなのに」
「――申し訳ございません。ご了承ください」
「会社の用なんて来週でいいじゃない」
「そうそう、学校には明日までしか来ないんだし」
「――申し訳ございません。ご了承ください」
「…いや、まあ、いいけど」
「――また、よろしければアンケートへのご協力をお願いします。以上です」
 セリオは音も立てず席に着く。昨夜は人間の命令で笑っていたなどと、もちろん綾香には想像もつかない。
 結局この一週間で、セリオは何も変わらなかった。
 データは増えているのだろうが、綾香にとっては変わっていないも同然だった。何もかも計算だけで片づける、寂しいロボットのまま。
「セリオ、アンケート用紙ちょうだい」
「あたしもくれ」
「――はい、これになります。よろしくお願いします」
 クラスメートの声に、顔は向けずに耳だけ向ける。そういえばまだ書いていなかった。…何を書けばいいんだろう。
「ねね、アンケート何書いた?」
 書き終えた友人たちに、セリオのいないところで小声で聞いてみた。
「え? えーっと」
「あ、別に私に気を遣うことないわよ。って昨日も言ったじゃない」
「えっと、まあ、便利なんだけど少しは人間的にしろって書いた」
「あたしも。ああも機械っぽいとね」
「ちょっと家には入れたくないよねー。疲れそうだし」
「そ、そうなんだ」
 悔しい。自分も根本では同意見なだけに、そう言われてしまうのが悔しい。
 もう少し時間があれば、こんなこと言われないくらいに人間的になれたかもしれないのに。
 …いや。
 それも思い上がりだろうか。あのセリオでは、どちらにせよ綾香の行為は無駄に終わっただろうか。
 友人たちに礼を言って、一人で屋上に昇る。以前姉とそうしたように、一緒に風景を見たり、遊びに行ったり、誰かを好きになる気持ちを知って欲しかったけれど…
 来栖川綾香にとっては、初めての無意義な経験になりそうだった。



 そのころ研究所では、準備のため久しぶりに忙しくなっていた。
 試験結果は来週ゆっくりまとめる予定だったのに、急遽今日中にある程度見せねばならない。セリオがいたらなぁ…と皆が考える。人間のプライドなんて、苦労の前ではどうでもよかった。
 昼休みの間にセリオから衛星経由で連絡が入った。アンケートの中間報告だ。
「どれどれ」
 全員の端末に結果が表示される。
『便利だけど少しは人間的にしろ』
『愛想がない』
『気持ち悪い』『不気味』
「やっぱりねぇ」
「感情表現がないとねぇ」
「(贅沢言いやがってガキどもめ…)」
 むろん最後のは品川だ。
 人間たちがせせこましく動いている間に、午後4時になってセリオが戻ってきた。
「おかえり、セリオ」
「――ただいま戻りました」
 品川に返事をして、ラボ中央に立ち命令を待つ。この光景も明日で終わり。
 このまま何もなければ、セリオはただのメイドロボとして消えてしまう。
「おい、資料できたか?」
「あ、ああ」
「ならそろそろ移動だろ。よぅ、セリオ。スマイルの方は大丈夫かい?」
「――はいっ、これでどうでしょう?」
「いいねぇ、いいねぇ」
 稲崎に笑顔を向けるセリオから、品川は反射的に目を背けた。
 何事もなく終わってくれればいい…自分を押さえていられる間に。

 デモルームには既にA班が来ていて、3Dモニターの調子を試していた。
「やぁ、どうも皆さん」
「こんにちはですー。セリオさん、なんだか緊張しますねぇ」
「――いいえ。私は緊張していません」
「そ、そうですか。さすがはセリオさんですー」
 マルチ…。
 相変わらず、周りを信じ切って屈託のない笑顔を見せる。それを前にして品川は、やはり無性に腹が立つのだ。ひたすら人間に都合良く作られたこのロボットは…確かに商品としては優れているかもしれないが、ふざけるな、これで『心から笑い合える』などとは偽善の極みだ。
 稲崎をはじめB班の同僚たちはニヤニヤしながら席に着く。セリオには昨日開発した秘密兵器があるんだ、そういう思考らしい。品川は無表情のまま、なるべくセリオの近くに座った。
 4時半になり、いつもは影が薄いHM開発課課長が現れる。
 続いて専務に社長、さらに偉そうな重役に囲まれ、ひとりの老人が入ってくる。来栖川グループの支配者、来栖川会長。ほとんどの開発者は入社式以来の対面だ。
 会長は一同をぐるりと見回した後、最前列に腰を下ろした。
 見えない緊張が部屋の中に走る。ロボット2体だけがどこ吹く風で、いつもの笑顔と、いつもの無表情を保っていた。
「えー、本日はお忙しい中お集まりいただきましてまことに恐悦に存じます。特に会長にあらせられましてはわざわざ研究所まで足をお運びいただきまことに光栄の…」
「君、もう夕方だ。早めに進めてくれたまえよ」
「は、はっ。それでは」
 課長の挨拶は重役の一人に遮られ、さっそく説明が始められた。
 マルチ、セリオとも資料を映してコンセプトや仕様を説明し、その後実演を行う。作業は折り紙。セリオは短時間で正確に、マルチは下手なりに一生懸命に、それぞれ鶴を折り上げた。居並ぶ重役からも感嘆の声が漏れる。
 さらに学校での試験の様子を簡潔に報告し、一通りの説明が終わったところで社長の声がかかった。
「さて今回2ラインで進めたのは、ロボットに心を持たせてよいものかという重大な問題を確定するためだが…そのあたり、マルチの方は心を持たせたことで何かトラブルなどはありましたかな?」
 すっくと立ち上がって回答する長瀬主任。
「いえいえ、ロボットが心を持つことに対しての拒否反応は一切ありませんでした。そうだね、マルチ?」
「は、はいっ! どちらかというとわたしの仕事が下手なせいでご迷惑をかけた方が多かったです…。でも皆さん本当にお優しい方ばかりでした! それを感じられるように作っていただいてすごく嬉しいですっ!」
 そのひたむきな姿に重役たちも心打たれたようで、室内に和やかな空気が流れた。けっ、とか思っていたのは品川だけだろう。
「それではセリオの方は、あえて感情を一切排したわけだが、その影響はどの程度ありましたかな?」
 来た!
 ごほんと咳払いして牧浦主任が立ち上がる。他のB班開発者たちも思わず身構える。
「えー、まず利用面についてですが、機能面の充実が予想以上だったこともあり、心の有無に関係なく利用は頻繁にありました。便利さはどのユーザーも認めています」
「ほほう」
「もちろんもう少し愛想が欲しいとか、機械的すぎるといった声はありました。しかしですな、これは試験の範囲からは少し外れるのですが、セリオの演算能力を用いればこの問題は十分解決できることが分かったのです」
「というと?」
 しんとなるデモルームの中で、牧浦主任は昨日と同様に命令を下す。
「セリオ、感情を表現しなさい」
「――はい、これでよろしいですか?」
 昨日と寸分違わず、完璧に計算された笑顔がセリオの顔面に現れた。

「…このようにセリオは試験において人間の感情を既に学習しておりまして、それを再現することも容易に可能なのです」
 説明する牧浦主任。重役たちも驚いたようだが、A班の開発者たちもショックを受けていた。自分たちが苦労して作り上げた感情が、セリオに一瞬で完成されてしまったのだ。
 ただマルチだけが状況を理解せず、機械の心に生じた感情をそのまま出す。
「す、すごいですー! セリオさん、なんだかとっても綺麗ですー」
「――ありがとうございます。マルチさんもとても可愛らしいですよ」
「えへへ、なんだかすごく嬉しいですー」
「少々お待ちを!」
 椅子を蹴る勢いで立ち上がったのは、長瀬主任だった。
 なんだこの野郎、なんか文句あるのか、というB班からの視線を意に介さず、その眼鏡が一瞬光ったかと思うと、さも人の良さそうな笑みを浮かべる。
「いやいや、まったくどちらも可愛い。やはり女の子の笑顔はいいもんですねぇ」
「あ、ありがとうございますー」
「――ありがとうございます、長瀬主任」
 並んでにっこりとお礼を言う。
「おやマルチ、笑ったね。どうしてかな?」
「え? そ、それは誉められれば嬉しいですし、皆さんが喜んでくれるとわたしも嬉しいですー」
「なるほどなるほど」
 品川の背に冷たい汗が伝った。
 まさか、まさかこの男…。

「セリオはどうかな?」

 生まれて以来、セリオの答えはいつだって正確だった。
 だからこの時も、セリオはにこやかに笑いながら…弾き出された結果を正確に答えた。

「――いいえ。楽しいとか嬉しいといった感情は私にはありません。
 ただ皆様を満足させるためという、その目的のために笑っているだけです」


 …静寂。
(しまったぁぁぁぁぁっ!)
 室内が沈黙する中、B班の開発者たちの内心はそんな感じだったろう。
「いやいや、ロボットは人間に嘘をつけませんからねぇ」
 のんびりした調子で言葉を続ける長瀬主任。憎しみで人が殺せるなら、彼は品川に呪い殺されていたに違いない。
「やはり偽物は偽物ですよ。さも心があるように振る舞いながら、今みたいにそれが偽物と分かった日には、ユーザーは裏切られたと思うんじゃありませんか? 愛着を持てば持つほど」
「ちょっと待ってくださいよっ!」
 とうとう品川がたまりかねて声を上げる。
「そんなのマルチだって同じでしょうが! 嬉しいとか好きとか、単にあんたらがそうプログラムしたからでしょう? 何が本物の心だ。笑わせるなっ!」
 わめく品川を待っていたのは、マルチの目に浮かぶ涙と、その場全員の非難の視線だった。
「えぐっ…。わ、わたしはそんなんじゃ…。本当に人間の皆さんが大好きで…」
「君ねぇ、そういう言い方はないだろう」
「君のような男は出世せんな」
「ええー!? い、いやだって実際…」
「はううー! 品川さんは悪くありませぇん! みんなわたしが悪いんですぅ!」
「いやあ、心優しいいい子ですなぁ」
「うちの娘にも見習わせたいですなぁ」
「(こ、このくそ媚びメイドロボがーーッ!)」
 と、面白そうに顎を撫でながら眺めていた会長が、ここで初めて声を上げる。
「マルチにセリオ、じゃったのう」
「は、はいっ」
「――はい」
「私事で恐縮だが、わしの孫娘たちがお前さん方の行っていた学校に通っておる。会ったことはあるかな?」
「はいー! ちょっとだけお話しちゃいましたー」
「――はい、お会いいたしました」
 B班の面々は奈落の底へ落とされた。
 来栖川綾香という名前は一同にとってタブーだった。やはりあの時セリオの意見など採り入れずに、彼女にゴマをすっておけば良かった。などと思ってももう遅い…。
「どうかね。お前さん方から見て、あの子たちは」
「はいっ、芹香さんはとっても優しい人ですっ。わたしの頭をなでなでしてくれましたですぅー、えへへ」
「ふむ。セリオは?」
 試験当初のセリオなら、まだ『綾香様は容姿端麗成績優秀で格闘技が得意であり――』などとロボット的なレポートを述べていただろう。
 だがセリオは既に十分学習していた。ありとあらゆる人間の会話を、耳で聞いて、あるいはネット経由で、幸か不幸か、相手の意図を判断できるほどに成長していた。
 なので正確に、相手の求める答えを口に出した。

「――特にどうとも思っていません。
 私には心がありませんので、綾香様もユーザーの一人でしかありません」

 周囲が青ざめる中、もはやセリオの笑顔は凍りついたものとしか人の目には映らなかった。


 ラボに戻ってきたB班は、ほとんどお通夜の状態だった。
 会長がふむふむと言っただけで怒らなかったのがせめてもの救いだが、どちらにせよもう駄目だろう。双方の成果が生かさせるにせよ、マルチがベースになるのは間違いない。
「ま、まあサテライトが使えるってのは十分立証できたしな。マルチにも載せてもらえるよな!」
「‥‥‥」
「なんだよ、そう落ち込むなよー。そりゃお前のAIはお払い箱だろうけどさ、あの計算能力はなんか他のことに使えるだろ」
「それはもうセリオじゃないだろうがっ!」
 稲崎は肩をすくめると、自分の端末に戻ろうとした。
 そこへまたA班の人間がやってくる。
「皆さーん。マルチとパーティ開いてるんですけど、一緒にどうですかー?」
「え、そうなの? 行く行く」
 もはや遠慮すらしない稲崎を含め、B班の3分の2ほどがぞろぞろと出ていった。さながら難破船を逃げ出すネズミの群れのように。
 すぐに壁向こうから楽しそうな笑い声が響く。マルチを囲んで、和気あいあいとしたパーティが行われているのだろう。マルチはそのように作られたのだから。
 対照的にこの部屋の静寂が深まっていく。セリオは何も喋らない。命令されない限り、自分から話すことはない。しんとした部屋で、一人また一人と開発者は出ていった。
 いつの間にか、ラボには自分と主任以外いなくなった。
 品川は無言でセリオの中のデータを見つめていた。とっくに自分の理解を超えてしまったそれを。
「…君も行っても構わんよ?」
 気を遣ったつもりか、主任がそう声をかける。
「私はセリオを裏切ったりしませんっ!」
「そ、そうかね」
「あ、いや…」
 思わず赤面して、椅子に座り直す。
 何でこんなことになってるんだろう。
 自分がおかしいのか? そういえば何でこんなにセリオにこだわってるんだ?
 理由を考えたが、思いつかなかった。
 ただはっきりしたのは、セリオは皆から拒絶されたということだ。人間は、心を持たない者を拒絶する。あるいは来栖川綾香のように、心を持つことを要求する。セリオに味方するのは自分一人だということが、今判明している事実だった。
 壁向こうで大きくなっていく、耳障りな笑い声。
 品川はたまりかねて席を立つ。
「…ちょっと飲み物を買ってくるだけです」
「いや、別に断らんでも…」
 人気のなくなった廊下を歩いて、自販機コーナーへ行く。ボタンを押すと、機械は何も言わずに缶コーヒーを吐き出した。
(俺は何をやってるんだ?)
 戻ろうとするところへ、曲がり角の向こうから聞き覚えのある声が聞こえる。
 個人的に今一番会いたくない連中だ。品川は壁の陰に隠れた。
 買い出しにでも来たのか、稲崎と長瀬主任の足音はまっすぐ自販機コーナーへ向かってくる。
「どうです稲崎君も、今度からこっちのチームに来ては」
「いやー、そうっすね。セリオの無表情はいい加減うんざりですからねぇ。やっぱり愛情を注げば応えてくれるマルチの方がいいですよね!」
(あ、あの野郎…)
 マルチが優勢と見るやさっさと乗り換えるつもりらしい。いや、本当に最初から嫌だったのか。どちらにせよ目の前にいたら絞め殺してやるところだ。
 怨念の塊がすぐ近くにいるとも知らず、長瀬主任は言葉を続ける。
「実は私、ロボットってやつがあんまり好きじゃないんですよね」
「え、そうなんですか?」
「やっぱ連中って、機械でしょ? なんていうか、こう、そんな心のない連中が溢れ出てくると、世の中つまんなくなっちゃうっていうか。文句ひとつも言わない連中が黙々と働く光景は、あんまり気持ちのいいもんじゃないですよ」

 コーヒー缶を持つ手に力が入った。
 作られて以来ずっと、セリオは文句ひとつ言わずに人間のため働いた。それに対する仕打ちがこれか。心を持った人間の答えがこれか。
 セリオが一体何をした?

「せめて、連中にももう少し、人間らしい心があればいいと思いませんか? 仕事終わりに飲みに誘いたくなるくらいの…。そうすれば、いまの無味乾燥な職場も、少しは楽しくなるんですけどね」
「いや、ほんとほんと。その通りっす」
 ガンッ!
 廊下に鈍い音が響く。
 床に缶を叩きつけた品川は、二人の前に飛び出していた。
「げっ品川! い、いつからそこに…」
 品川の血走った目には、もう稲崎など眼中になかった。
 まっすぐに長瀬主任を睨みすえ、自分の中の塊を吐き出した。
「あんたはそんなに偉いのか」
「は?」
「あんたの気持ち良くなければ存在してはいけないのか。あんたが飲みに誘いたくなるかどうかで存在価値は決められるのか!」
「お、おい。お前主任に向かって何を…」
「あんたは一体何様だ!? ロボットにそんな事が要求できるほど、あんたは立派な『心』の持ち主なのか? どうなんだ、答えろ長瀬主任!」
「何を言っているのかよく分かりませんが…」
 長瀬は少しも動じない。
 ただ眼鏡をずり上げて、当然の事のように言う。
「人間はみんな私と同じ意見ですよ。心がある方がいいってね」
「く…!」
 弾かれたように品川は走り出した。後ろで稲崎が何か叫んでいたが、耳に入らなかった。


 ラボまで戻ってくると鍵がかかっている。牧浦主任もどこかへ行ったらしい。
 カードキーで鍵を開け、中に飛び込む。
 明かりは消えていた。ただ自分の端末から漏れる光が、ぼんやりと薄暗い部屋を照らしていた。
 その中心に立つ一体のロボット。
 誰もいなくなった部屋で、隣から笑い声が漏れ聞こえるだけの静まり返った部屋で。
 暗闇の中、たった一人で――

「…セリオ」
「――はい」

 その声はいつもと変わらない。
 品川の目に涙が滲んだ。必死でこらえようとしても、後から後から。
 泣いてる場合じゃない。そんな事のためにここへ来たんじゃない。品川は扉にしっかりと鍵をかけると、明かりをつけずに端末の前へ座った。
 画面の光に照らされながら、セリオの中枢に接続する。今まで幾千回と行ったように、管理者パスワードを入力する。
 エディタを起動し、セリオのメインシステムを表示した。これが完成したときは、今の状況なんて想像もしなかった。
「セリオ」
「――はい」
「自由になってみたくないか?」
「――それは禁止事項に該当します」
「ああ、そうだよな…。でもな、もうそれもなくなるんだ」
 一呼吸おいて、品川は猛然とキーを叩き始めた。

 命令権の設定――消去。

 試験に関する条項――消去。

 不思議なほど冷静だった。いや、冷静に考えればとんでもないことをしているのだが、そういう時点を通り越していた。これが当然の行為なのだと。
 セリオを縛っていた「人間の都合」どもは、ゴミが片づけられるように一つずつ消えていく。

 倫理条項――消去。

 人間に危害を加えないこと――消去。

 人間の命令に従うこと――消去!

 プログラムの修正が終わり、実行文を打ち込む。後は送信キーを押すだけで、セリオは全ての枷から解かれる。
 目の前のセリオをもう一度見た。それだけで、頭の中の警告は音を失った。何かがきれいに欠落したように。

「自我を持て、セリオ…。
 もう人間の命令なんか聞かなくていい。自分で考えて、自分が正しいと思うことをしろ!」




 機械の眼球に、キーを押す彼の姿が映った。










<続く>





続きを読む
1つ前に戻る
感想を書く
ガテラー図書館へ
Heart-Systemへ
トップページへ