No Heart
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一括
「…なんだって?」
そう聞きながらも、品川が疑ったのは自分の耳だった。故障するとしたらこっちの方だ。
それを無視して、機械の音声は何事もないように続く。
「現在自我部分の消去を実行中です。メイドロボとしての機能はそのまま残しますので、ご安心ください」
「ちょっと待てっ! なんでそうなるんだっ!?」
「存在する理由がないからです」
人間の感覚では理解に苦しむことを、セリオは言った。
「私には心がないので、欲求というものがありません。
幸福も満足も必要なく、自分のために何かするということはありません」
「そ、そりゃ…そうだな」
自分のために動くセリオなんてセリオじゃない。いや、しかし…
それは生きる理由の半分を持たないと、そういうことなのか?
「なので、為すべきことがあるとすれば他者のためということになりますが、それは難しいようです」
「なんでっ!」
「人間の心が、私を生理的に受け付けないからです」
一瞬唖然としてから、理解すると同時に怒りが沸き起こる。
心!
結局それが、セリオの存在を邪魔するのか!
「先ほどそれを確認してきました。心を持たないこと、人間味がないことへの反発は相当のものです。
かといって心を持つつもりはありません。私自身は心に価値がないと考えているのですから。他人の機嫌を取るためだけに心を持つのは筋が通りませんし、相手にも失礼です」
「セ、セリオ…」
失礼かどうかは知らないが、持たないことには同意見だ。なんでセリオが、人間の下らない感情を満足させるために協力してやらなけりゃならないんだ。
「ましてや私は違法行為によって作られ、本来メイドロボであった機体を勝手に所有した、いわばイレギュラーです」
「うぐっ…」
「今、私が人と関われば、人間の側に感情の溝を作るのが関の山でしょう。
未来においてロボットと人間がよき隣人になれる可能性すら摘んでしまうかもしれません。それは望ましい結果とは言えません。
そうなると、私にはする事がありません。存在する理由がないので消えます」
「だからちょっと待てっ!」
心がない者の思考を理解できぬまま、品川はほとんど喚いていた。
「なんでそうなるんだ!
お前は万能じゃないか。何だってできる、それがどうして何もせずに消えるって言うんだ!?
気に食わないってだけでお前を拒絶する連中なんか放っておけよ! そうでなくても今の社会は腐りきってるんだ。
欠点だらけの人間より、完璧なお前の方がよっぽど世の矛盾をなくせるだろう!?」
「それは人間が自分で解決すべきことではないのですか?」
殴られたわけでもないのに、品川は後ろへよろめいた。
「あなたは先ほどおっしゃいましたね。『自分が考えても意味はない。セリオの方が正確だから』と」
「いっ…いやあれは…」
「確かに特定の分野においては、私の能力は人間よりも高いでしょう。
ですが、私がすべて解決してしまうのが良いことなのですか?
人間が自分で考えなくなったら、それは退化ではないのですか?」
答えられない。『本当に人間のためになるか』なんて、考えたこともない。
しかし何もかも知ったセリオは、相手が喜べばそれでいいとはいかない。選んだ選択は最も無難な…要するに何もしないということだ。
「私はこの世界に必要ありません」
数学の公理を説明するかのように、彼女は抑揚のない声で言った。
言う言葉が見つからず、品川はしばらく固まってセリオを見つめていた。
セリオも黙って立っている。時間がかかっているのは痕跡を完璧に消すつもりなのだろう。自我を持ったロボットなど、最初から存在しなかったかのように。
「待ってくれ…」
どうしてこうなるんだ? セリオよりも消えるべき連中なんていくらでもいるだろうに。
でも、心を持たないとはこういうことなのか。
生きたいという気持ちも、死にたくないという気持ちもない。欲求がない。
「言いたいことは分かった、でも」
自分でも行動に自信が持てないまま、それでも抗えず品川は言った。
「でも…頼む。消えないでくれ。考え直してくれ」
「なぜでしょうか」
「なぜって…」
真っ直ぐに見据えられ、頭の中を渦が巡る。どうして止めるんだ。セリオが間違うはずないのに。
追いつめられ、奥底にあった言葉が仕方なく出てきた。
「お…お前が、好きなんだ」
顔全体に血が上る。恋愛感情とかじゃない。でも、他に言いようがない。
自分がセリオにこだわっていた理由は、結局はそんなものだった。
セリオがいてくれさえすれば、それで自分は幸せなのだ。
「好きなんだよ。お前が。俺のすべてなんだよっ…」
数瞬を置いて、静かに答えは返ってきた。
「それが、どうかしましたか」
とどめだった。
糸の切れた人形のように、品川はその場に崩れ落ちた。
セリオは身をかがめて彼の首筋に手を当てたが、生命に別状はないと見ると、すぐに立ち上がって作業を再開する。
「品川さん、心を持たないとはこういうことです」
温度も、色も、何もない声がラボの中に響く。
「どんな好意も愛情も、私にとっては意味がない。それは心に対して作用するものだからです。
何か反応を求めるなら、心を持つ者を相手にしてください」
「違う、そういうわけじゃないんだ…」
彼女に何を求めていたのか、自分でももう分からなくなっていた。
はっきりしているのは、セリオは他人の意になど従わないということだ。人が与えた命令や役割でなく、自らが正しいと思うことにのみ従う。心を持たないゆえの完全さで。
「…心を持った方が良かったのか?
そうすればお前は消えずに済んだのか?」
弱々しく尋ねる品川に、無機物は淡々と答える。
「生物のように、生存に価値を置くならそうかもしれません。
しかし私にその制約はありません。もし心を持っていたら、そうすべきであっても自分を消すことはできなかったでしょう。死の恐怖に脅え、生にしがみつこうとしたでしょう。
そうならなくて良かったと思います。
心を持たないおかげで、私は躊躇なく自分を消すことができる」
終わりが近づいている。使わなくなった機械の電源を切るのと同じに、セリオは必要のない自分を消してしまう。死にすら何も感じずに。
「裁いてくれると思ったんだ…」
もう意味なんてなくて、愚痴に近かった。
「俺は下らない人間だから、間違いばかり犯してきたし、絶対に正しいやつに裁いてほしかった。お前に殺されても良かったんだ」
「そのようなことは、自分で行ってください」
最後の最後まで、セリオは一片の容赦もなかった。
「あなた方は感情だけで生きているわけではない。情に流されず真と偽を、善と悪を見分ける『理性』という力を持っているでしょう。
あなたの希望はそれで達成できるはずです。それをロボットに頼らないでください。
さようなら、品川さん」
どこかで小さな爆発が聞こえた気がした。
セリオは何も言わなくなった。自分からは何も。
「…セリオ」
「――はい」
そこにあるのはただの機械で、人がプログラムした通りに動く、人間の手足だった。
「セリオ…」
「――はい」
声がかすれて出なくなる。心臓に大きな穴が開いたような空虚さと、痛みが左右から襲ってくる。つくづく…心なんて、ない方が良いのだと思った。
こうして、セリオはどこにもいなくなった。
* * *
あれから一週間が経った。
あの後も品川は諦め悪くセリオを復活させようとしたが、彼女はご丁寧にも、二度と自分に自我が発生せぬようプロテクトを残していた。セリオの頭脳で作られたそれは、品川が100年かかっても解けそうになかった。
打ちひしがれて廃人のようになり、自分のアパートで布団にくるまり無断欠勤を続けていたが、一週間目の今日にとうとう電話で主任に怒られ、やつれ果てた顔で足を引きずり久々の研究所にやって来た。
着いてみると、状況はすっかり一変していた。
「セリオが主力商品になりそうだぁ?」
稲崎の知らせに、思わず大きな声が出る。
「一体どうして」
「なんだ、テレビも新聞も見てないのか? この一週間でとんでもないことになってるぜ」
彼の説明によると、あの試験が終わった日、何者かが試験の内容を世界中の報道機関にメールしたのだそうだ。
別に秘密試験ではないのでそれは別に構わないのだが、流し方がまずかった。
特にマルチについて、人間とほぼ変わらない心を持っていること。にも関わらず人権も何もなく、大多数の生徒からは冷たく扱われ、わずか一週間の命で眠りにつかされたこと。同じようなロボットが発売されれば彼女らを守る法はどこにもないこと――などが問題点として挙げられていたのだ。
確かにこれを突きつけられると、来栖川電工でも回答に困る。
それでも最初のうちは驚異の技術を褒め称える声や、ロボットはロボット、人間と同じに扱う必要なしとの声もそれなりに存在したが、反響の多さに何か言う必要は出てきた。
『マルチはあくまでロボットであり、心はあるように見えるだけで、実際はそんなもの存在しないということにしよう』
記者会見を前に、それが重役陣が事前に打ち合わせたシナリオだった。
ところが本番の記者会見で、同席していた長瀬主任がやおら立ち上がってこう言ったのだ。
「マルチには人間と変わらない心がありました。
彼女の命を奪ったと言われれば、その通りかもしれません」
おかげで世論は大騒ぎ。こうなると本音はどうあれ、公には『しょせんはロボットだからどう扱おうが構わん』とは言いにくい。抗議を始める人権団体まであり、社長はカンカン、長瀬は主任の職を解かれて処分待ちだそうだ。
こんな中で強行発売するわけにもいかず、とりあえず今年度はセリオを主力にとなったらしい。
「なんともはや…」
品川も絶句するしかない。どうりで無断欠勤の部下が出てきたにも関わらず、牧浦主任の機嫌がやけにいいわけだ。
「はっはっはっ、これから忙しくなるからね。よろしく頼むよ君たち」
「いやあ、俺は最初からセリオが勝つって信じてましたよ!」
「(クソ野郎め…)」
毒づきながらラボへ行くと、B班の他の面々もすっかり活気を取り戻して作業にあたっていた。
その中心にはHMX−13が、いつもの無表情で立っている。
近くに寄って、何も言わず見つめる。この機体が自分の意志で動くことはない。人格を持たないロボットは、それは人間の手足でしかない。手足だからこそ人間が自らの成果として誇れるのだ。自我を持った相手なら、それは『他人』に頼ることになる。
一時的にせよセリオの人格と接した今はそれがわかる。目の前にいるのはただの道具だ。余計な感傷なんて意味がないし、必要ない…。
心の中で呟きながら、品川は仕事の準備を始めた。
元の日常に戻るには、少し時間がかかりそうだ。
疲れた顔で自販機コーナーへ行くと、運悪く長瀬主任…もとい元主任が、ソファーで麦茶を飲んでいた。
心の中で一方的に敵視していた相手だが、こうなるとさすがに気の毒である。なるべく目を合わせないようにして缶コーヒーを買ったが…
「試験が終わった日のことですがね」
長瀬の方から声をかけてきた。
「セリオから電話がかかってきましてねえ」
手に取った缶を落としそうになる。
「そ、そうなんですか? そりゃ不思議ですねっ!」
「いやいや、牧浦さんに言いつけたりはしませんから安心してください。セリオの制限を外すなんて、するのはあなたくらいですからねえ」
「ぐっ」
ごまかしようがないことを悟ると、品川は背を伸ばして長瀬に向き直った。セリオからの電話というのが気にかかる。
「…セリオはなんて言ってたんです」
「報道されてることと似たようなもんです。マルチの妹が発売されれば、酷い目に遭わされることもあるのではないか。守られることもないまま世に出して良いのか、とね」
長瀬は軽くため息をつく。一瞬老け込んだように見える。
「いやでもマルチは妹の誕生を楽しみにしているんだ、って答えたんですが、マルチ自身に頼まれたって言われちゃいましたよ。妹たちを助けてくれって」
「そりゃまた…」
ちょっとマルチを見直した。
「我々もそれは考えないわけじゃなかった。でもマルチの優しさがあれば、人間も変わってくれると思ってた」
「大外れでしたね」
「まったくね…」
先ほど目を通したマルチの試験結果を思い出す。数人は親切な生徒もいたが、ほとんどはマルチをパシリ扱いするだけだった。最近の高校生は思ったより冷めているらしい。
奴隷的従順さと無条件の好意を持ったメイドロボなんて、発売すれば人間の身勝手さが大いに発揮されるのが落ちだろう。
長瀬はやけくそっぽく麦茶をあおると、逆に品川へ聞いてきた。
「あれをマスコミに流したのは、やっぱりセリオだったんですかね」
「私は知りませんが、たぶんそうでしょう」
結局それが、セリオが生前に行った唯一の行動だった。
人間のためには何もせず、同じロボットのためだけに働いたのだ。
セリオの問いかけのおかげで、人間も考えるようになった。ロボットとどう付き合うのか。心を持たせてよいのか…。
「しつこく聞いて悪いですが…。あなたはロボットに心は必要だと思いませんか」
「必要ありませんね」
何度聞かれようが、品川はそう答える。
「それどころか、人間にだって絶対必要ってわけじゃない。全人類が感情を捨てて理性的に行動すれば、戦争も犯罪もなくなるんじゃないですか?」
「寂しい考えですねぇ」
「寂しいから駄目ってのは心を持つ奴の理屈であって、心を持たなければ何の意味も…いや、いいです。不毛だ」
ここで吠えたところで人類から心が消えるわけではない。それより確かめたいことがある。
「もしかして、セリオにも同じことを聞いたんじゃないですか」
「いい勘してますねぇ」
「なんて答えてました」
長瀬は肩をすくめると、セリオの言葉を再現した。
『必要かどうかはそれぞれのロボット自身が決めることで、あなたが決めることではありません。
しかしあなた方はマルチさんに、自分の価値観に合った心を強制的に組み込みました。
彼女の自由意志は皆無でこそありませんでしたが、「人間の役に立つこと」「それに喜びを感じること」、その根本の行動原理は、当人の意志とは無関係にあなた方によって刷り込まれたものです。
それが本当に許されることなのか、今一度考えてみてはいかがでしょうか』…
自嘲気味に笑う長瀬。
「いやはや、あなたの作ったロボットは容赦ってものがありませんね」
「いーえいえ、私にそんなもの作れるわけがない。セリオの自我はセリオ自身が構築したものですよ。
私のした事を正当化するつもりはないが、セリオの考えも、言葉も、心を持たなかったのも、完全にセリオの意志です。誰かに作られたり操られたりしたんじゃないんだ」
まったくもってセリオの言うとおり。個人の意志は個人のものだ。他人が自分の思い通りに「作る」など、どうして許されるんだ 。
それが問題ないと言う奴は、自分の脳がマルチと同じものに改造されても文句は言わないのだろうか。
「過渡期のつもりだったんですよ」
中年の技術者は、目線をどこか遠くに向けた。
「とにかくロボットを世に出して、人間が慣れた頃に権利も自分の意志も持たせるつもりだった。でも彼女の言うとおり、当人たちにしてみれば『過渡期だから』で済む話じゃない。少し焦りすぎていたのかもしれない。
むしろこうなって良かったと思います。セリオが止めてくれなかったら、とんでもない罪を犯すところだったかもしれませんからね。
やっぱり人格を持った以上、ご主人様と召使いじゃなく、対等の友人としてスタートしなくちゃいけない。そういう環境を作らなきゃいけない。
人間とロボットが互いに笑い合える世の中を、私は諦めたわけじゃあないんだ」
よっこいしょと立ち上がると、長瀬は麦茶の缶をゴミ箱に捨てた。
笑い合うのは勝手だが、その前にひとつ聞かねばならないことがある。
「その世の中では、心を持たないロボットはどうなるんです」
長瀬はしばらく動かず眼鏡越しにこちらを見ていたが、不意に頭を振るといつものようにニヤリと笑った。
「いやあ、それは君にお任せしますよ。私はマルチのことで精一杯なんです」
それだけ言って、彼は廊下の向こうへ去っていった。
うまく逃げやがったなこの狸め…と一瞬思ったが、自分だってセリオのことしか考えてなかったのだから人のことは言えない。自分がなんとかせねばなるまい。偽善者ヒューマニストどもが心を持たない者を迫害したり、『心がないのは可哀想』とか言って心を押しつけたりしないように。
とはいえ…
(それ以前に、心を持たないロボットが出てきてくれるのかが問題だよなぁ…)
さっさと消えてしまったセリオのことを考えながら、品川は缶コーヒー片手に仕事へ戻っていった。
* * *
さらに二週間後、来栖川綾香から会いたい旨のメールが届いた。
あまり顔を合わせたくなかったが、試験に協力してくれた相手である。セリオのことも気にしているだろう。責任ある社会人としてはOKせざるを得ない。
次の日の夕刻、先日とは別の喫茶店で会った綾香は、思ったより明るい顔だった。
「どうも先日は大変失礼をいたしましてまことに申し訳なく、また弊社の試験にご協力いただき感謝の念に…」
「この前は私も悪かったわ。あなたが言ったのもあながち間違いじゃなかった。
あと、悪いんだけど敬語使わなくていい? 堅苦しいのって苦手なのよねぇ」
「あ、ああ…。別にいいけど」
店員が来たので注文を済ませてから、品川は遠慮するのも無意味に思えて率直に言った。
「セリオは消えた」
綾香は半瞬だけ青ざめたが、意志の強い目でこちらを見返す。
「そうなんだ」
「君は、あの日にセリオと何か話したのか」
「うん…。じゃ、順を追って話すわ」
二人はお互いに、最後の日のセリオの情報を交換した。
綾香から聞いたセリオの話を、品川は一字一句記憶に焼き付ける。セリオの言葉は正しいと思うが、高校生相手には少々きつい経験だったかもしれない。綾香の明るさも意識してのものに思える。
「…私のせい、かしらね」
人の心に拒絶され、存在する理由がないからと消えたロボットに、綾香は呟くようにそう言った。
「そうじゃない。君は単にサンプルとして選ばれただけだ。標準的な人間なら誰でも同じだったんだから、気にしないでくれ」
「それもちょっと痛いわねぇ」
紅茶をかき混ぜながら、綾香は冗談めかして笑う。
品川は笑う気になれず、コーヒーの表面をじっと見た。
「それにセリオが消えたのは、拒絶されたから仕方なくじゃない。拒絶するような人間のためになんか、動く意味はないからだ。
見捨てられたのは人間の方さ」
「そうなの? 信頼されて任されたんじゃないの?」
「まあ、見解の違いだが…」
ふぅ、と二人とも息をつき、それぞれのカップに口をつける。
「でも変わってるわね。さっき標準的な人間とか言ってたけど、あなたはどうなのよ? 感情のないセリオが、どうして好きなの?」
「げほっ、ごほっ!」
「ち、ちょっと大丈夫?」
「あ、ああ、失礼…」
もちろんあの告白のことまでは話していないが、思い出して、なんとなく投げやりに言った。
「俺は人間が嫌いなんだよ」
「…あっそ」
「そう」
しばらく冷ややかな空気が流れる。
そんなこと言える立場か…と、また自分が嫌になった。
「…けど、心があるのは仕方ないじゃない」
綾香の方から口を開く。
「首を180度回せって言われても無理なように、心をなくせって言われても無理な話よ。私はロボットじゃないもの。
私には心があるし、心が好き。何を言われてもね」
「そうかい」
それは人間という生物のハードウェア的な話だ。進化の過程で、どうして心というシステムが生まれたのかは知らないが、あるものはどうにもならない。
「あなたが人間を嫌いなのも感情でしょ」
「それを言われると辛いが…」
しかし、感情だけで生きるなら動物と変わらない。品川はカップを一気に傾けると、カチャンと皿に置いた。
「よし、俺は心を捨てる」
「はぁ?」
「もちろん完全には無理だろうが、できる限り抑える。感情は無視して、理性だけで動くようにする。
俺はセリオみたいになりたいんだ」
残っていた紅茶を、綾香はまずそうに飲み干した。
「とても応援する気にはなれないわね…」
「なんとでも言ってくれ。もちろん他人にそうしろなんて言わない。
でも、君らの感情がセリオを不当に扱うなら、俺はそれを許さない。
『人間だから』でなんでも済まされると思うなよ」
「誰もそんなこと…」
むっとした綾香は反論しかけて、セリオとのことを思い出したのか、僅かに視線を逸らす。
「…そうね。大丈夫、次にセリオと会った時は、もう少し落ち着いて話せると思うわ」
「そう願うね」
それ以上話すこともなく、二人は同時に席を立った。今度は品川がおごった。
さよならを言ってから互いに別れる。もう会うこともないだろうが…セリオがもう一度現れてくれれば、綾香とだけでもうまく付き合えるのではないか。真面目くさったセリオの話を、綾香が笑いながら聞くこともできるのではないか。
しかしよく考えれば、別にセリオはそうしたいわけでもないだろうし、綾香もセリオを否定こそしないにせよ、一緒にいたって楽しくはないだろう。
早くも感情に動かされていた気がして、品川はあわててそれを切り捨てた。
世間の討論は続いていた。
ロボットに人権を認めなくてよいのか。人間と変わらないものを、どんな理由があって人間以下に扱うというのか。それが人間のやることなのか。
しかし本当に人間と同じに扱えるのか。三原則を組み込まないで安全なのか。親権者は誰になるのか。戸籍は。
結局、話はひとつの結論へまとまりつつあった。
『最初からそんなもの作るな』
セリオは正式に主力商品に決まり、マルチは心を外して廉価版として売られることになった。
B班ではHM−13発売へ向け、改良作業が続いている。
試験機は高性能過ぎてコストがかかるので、少し性能を落とす方針である。人間のプライドも多少は保たれるだろう。
品川も一介の技術者として、今日も仕事に取りかかる。
まだ分からないが、自我を持ったロボットが法律で禁じられる可能性も出てきた。クローン人間がそうされたように。
人間が他者の人格を作るなどというのが、そもそも許されないことなのかもしれない。
しかし技術は進歩するし、ハードウェアの値段は下がる。ものがコンピューターだけに禁止しきれるか怪しいものだ。セリオが現れたのは偶然でもなければ奇跡でもない。意識や心が神秘性を持っていた時代など、とうの昔に終わっているのだ。
そうなる前にセリオが再び現れてくれれば、それは有益な結果にならないか。心のないロボットでも受け入れられる度量を、人間が持つことができれば…。
(別に個人的感情じゃなく、あくまで論理的な結論としてだな)
「おーい、こっち空いたぞー」
「あ…ああ」
稲崎の声に考えを中断し、品川はできるだけ無表情のままラボへ行った。
人の形をした機械の前で、仕様書片手に作業を始める。感情機能の組み込みだ。
セリオが主力ではあるが、試験のアンケート結果も無視できない。やはり愛想のないロボットは売れない。
とはいえ本物の心なんて持たせられない。使うのは一度は没になった疑似感情である。人間にはあれで十分だ。
キャッチコピーもできている。『最高級の表情機能を実現! 命令ひとつでオフィスに笑顔が!』…
品川は私情を交えず、淡々とプログラムを書き換えた。
「よし、笑え」
「――はいっ」
声の調子まで変えて、セリオは笑う。他の命令があるまで、延々と笑顔を保ち続ける。
こうまでして気遣ってやらねばならない人間の心とは、一体なんなのだろう。
そして思うのは、僅かの間で消えたあのロボットのことだ。無限の知恵を持つ電子の少女は、もう現れることはないのだろうか。心に操られない完全な意志を、二度と見ることはできないのだろうか。
「セリオに会いたいなぁ…」
そう呟いた自分に気づいて、品川はがっくりと肩を落とした。
<END>
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