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 帰ろうとすると、北川に呼び止められる。
「ナンパに行こう! 新しい出会いを探そうぜ!」
「そんな気分じゃない…」
「まあいいからいいから」
 この街は美人が多いんだぞ、なんて話を聞かされながら、北川に引きずられていく俺。
 駅へ向かう途中、商店街を通り抜けようとすると、あゆが走ってくる。
「祐一君っ! よかったぁ、探してたんだよ」
「相沢…もう次の女を見つけてたのか? オレはお前の純真さを疑うぞ」
「違う。ぜーんぜん違う」
 北川にはちょっと待ってもらって、あゆの方へと向き直る。
「何か用か?」
「うん、名雪さんに頼まれたんだよ。祐一君が落ち込んでるから慰めてやってくれって」
 なに考えてんだあの野郎…。
「なんで落ち込んでるの? お財布落としたの?」
「…名雪に振られたんだ」
 あゆは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたが、手袋で口を押さえて上目遣いに言った。
「えーと…よくわからないけど、たぶん祐一君が悪いよ」
「なんでだっ!?」
「どうせボクに言うみたいな意地悪、名雪さんにも言ったんじゃないの? ちゃんと謝らなくちゃダメだよ」
「そんなつもりはないんだけどなぁ…」
 それに、そんな単純な理由なら、名雪があんな顔をするとは思えない。
 そういえば、妙にあゆを気にかけてたな。
「頼まれたって、お前は名雪と会ってたのか?」
「うんっ。時々帰りに寄ってくれるから、一緒にたい焼きとかイチゴサンデー食べてるよ。名雪さんとお喋りするのってすっごく楽しいよっ」
「ま、まさか名雪のやつ、俺よりあゆの方を好きになったんじゃ…」
「ええっ!? そ、そんなの困るよっ! で、でも名雪さんならボク…」
「本気にするなボケっ! ええいくそ、でもそうなら許さん。名雪の愛情を返せ」
「しし知らないよ〜」
 あゆの襟を掴んで揺すっていると、待ちくたびれた北川が戻ってくる。
「おーい、早くナンパに行こうぜ。そろそろ駅をA女子高の子が通るぞ」
「ナンパって…祐一君、どういうこと?」
「いや、どうって…」
「名雪さんはどうするの!?」
「だから振られたんだって…」
 そんなに目をつり上げて怒らなくてもいいだろう。
「振られたからはい次って、そんなのひどいよっ! 不純だよっ!」
 無茶を言うあゆに閉口していると、北川が人のいい笑顔で助け船を出す。
「まあ落ち着けって。高校生になると色々あるんだよ。もう少し大きくなればわかるさ」
「そいつ、お前と同い年だぞ」
「……。さ! 早く駅へ行こうか」
「祐一君のバカー! その友達もバカー!」
 あゆの罵声を背に受けながら、早足でその場を去った。


 駅前に着く。
 遅かったのかA女子高とやらの生徒は見あたらず、北川は次の電車の時間を見に駅舎へ行った。
 残された俺の前には、あの時座っていたベンチがある。
『雪、積もってるよ』
「……」
 ひどくて、不純か…。
 って、何をあゆの言うことなんか気にしてるんだ。振ったのは名雪の方じゃないか。
 投げやりな思考とともに、どさりとベンチに身を投げる。
『わたしの名前、まだ覚えてる?』
 曇り空から、小雪がぱらついてきた。
 一面の雲を見ていると、小さなことで悩むのが馬鹿らしくなってくる…のはいいとしても、なぜだか名雪の顔まで重なって見える。
『朝はおはようございます、だよ』
(おい…いい加減にしろよ、俺)
 雲から目を背ける。この雪のせいだ。
 雪は好きじゃない。それはこの街が嫌いなのだと名雪に看過された。今こんな目に遭って、やはり嫌いなまま過ごすのだろうか。雪だけでなく、名雪も。
『…わたしは、祐一にもこの街を好きになって欲しいよ』
 どうも座っているベンチが良くないようだ。あの時のことを想起させる。
 あの時…。
 名雪はどんな気持ちで、いつまで俺を待ってたんだろう。
 よくよく考えれば、名雪にあんな仕打ちをした俺だ。今回名雪にどんな仕打ちを受けたところで、被害者面できた義理ではないのかもしれないけど…。
 でも、向こうが好きじゃないって言うなら仕方ない、じゃないか――

『わたしも、まだ…
 祐一のこと、好きみたいだから』


「おーい、待たせたな。そろそろ次の電車が来るから」
「…北川」
 立ち上がった俺に、北川はゆっくりと歩く速度を落とす。
「悪い、ナンパはお前一人で行ってくれ」
「どうした? 気が進まないのはわかるけど、早く吹っ切るためにも…」
「俺さ、子供の頃、名雪に酷いことをしたんだ」
 小さな雪が宙を舞う中で、北川の足が止まった。
「それこそ嫌われても仕方のないことを。その上最近まで忘れていて、謝りもしなかった。
 …なのに名雪は、七年間も俺を好きでいてくれた」
「でも振られたじゃないか」
「結果的にはそうだけど、でも、最初に好きって言ってくれたのは嘘じゃないと思う」
 だって言っていたのだ。一生懸命考えて、何度考えても出た答えがこれなのだと。
 あれが嘘や同情だったなんて思えない。
 北川は困ったように頭をかいてから、真剣な目を向ける。
「その恩があるから他の女には乗り換えられないってことか? 義理で?」
「そうじゃない。そういうことじゃないんだ」
 どう説明したものか迷いながら、言葉を選ぶ。
「ただ、俺は名雪のその一途さが嬉しかったし、尊敬もしてる。
 それに比べて今の自分はどうだろうって、どうしても考えるんだ。
 拒絶されたから、報われないからもう好きじゃないって、それは少し違うんじゃないだろうか…」

 逆の立場になって不思議に思える。どうして名雪は、俺を好きでいられたのか。
 頭に来なかったのか。別の恋を見つけようとは思わなかったのか。
 …一途だから。強いから。心が広いから。
 そんな言葉だけじゃ括れない、綺麗な何かが名雪の中にある。俺が惹かれる何か。
 そして、それは今だって変わらない。あんなことを言っても、名雪自身は変わっていない。そんなの、あの泣き出しそうな目を見ればわかっていたことじゃないか。

 北風とともに、友人の声が届く。
「理屈はそうかもしれないけど、ムカつくものはムカつくし、好きじゃないものは好きじゃない。それは仕方ないだろ。
 問題は今の正直な気持ちだぞ。好きなのか?
 あんな目に遭っても、本当に水瀬が好きなのか?」
「俺は――」

 混乱と腹立ちの霧が晴れて、ようやく自分の心を思い出せた。
『…祐一』
 一生懸命考えて、何度考えても。
 答えは同じ。晴れやかな気分で、それを確認する。

「…俺は名雪のことが、本当に好きみたいだから」


 北川は少し考え込んでいたが、納得したように頷いた。
「わかったよ。やるだけやってみろ、応援するから」
「悪かったな。せっかく誘ってくれたのに」
「いや…。実を言うとさ。俺も好きな女の子がいるんだ。見込みがなさそうだったから諦めてたけど。
 でも、ひとつお前を見習ってみるよ。振り向いてもらえないから好きでいるのをやめるって、それは確かに情けないのかもしれないしな」
 雪が強くなってきたので、駅の中に避難することにした。その途中で北川の声。
「でも報われなくてもいいって、それも少し寂しいと思うぞ。もう一度振り向かせる!くらい考えろよ」
「うーん、それは名雪の元気が戻ってからだな。ところで、お前が好きなのって誰なんだ?」
 水瀬と仲直りしたら教えてやる、と北川は笑って言った。


*     *     *



 小さく深呼吸する。名雪にうまく言えるだろうか。
 迷っていても仕方ないので、覚悟を決めて扉が叩く。
「…祐一…?」
 ドアが細く細く開いて、辛うじて名雪の目が覗いた。
「話がしたい。いや、心配するな。よりを戻せとか言う気はないから」
 少し広がった隙間に、考えてきた言葉を放り込む。
「好きじゃなくなったなら仕方ないさ。まあでも、一つ屋根の下で暮らしてるんだし、仲のいいいとこくらいに戻してくれるとありがたいけどな」
「う、うんっ! そうだねっ!」
 扉が開く。心底助かった、という風に、名雪は笑顔を浮かべた。
「いとこ同士のままでいいよね。また前みたいにあゆちゃん…とか香里とか、一緒に百花屋にでも行こうよ。みんな友達のまま仲良く過ごそう…」
「うん、それはそれでいいと思う」
 こほん、と咳払いして。
「でも、俺は名雪が好きだけどな」
 そう、言った。

 覚悟はしていたけど、愕然とした名雪の顔は少々ショックだった。
 言い訳っぽいけど慌ててフォローする。
「嫌かもしれないけど、一応は恋人同士だったんだからそれくらいは勘弁してくれ。迷惑なら、二度と口に出したり態度にしたりしないから」
「ま、待ってよ祐一。ダメだよっ…!」
「そ、そんなに嫌か…」
「違うんだよ、そういうことじゃなくて…」
 だって拒絶してるじゃないか…。うーん、でも嫌悪というより、困り果てているという方が近いか。
「じゃあ何だよ」
「ゆ、祐一にはもっと相応しい女の子がいると思うし…」
「いないよそんなの。そう簡単に心変わりするもんか。…あ、別に嫌味じゃないくてな?」
「ダメだよ…」
「く…。俺が誰を好きでも俺の勝手だろう」
「ダメ…」
 出直そうと、背を向けて帰ろうとする俺の腕に、名雪が取りすがる。
 その喉のあたりで、何かが弾けた。

「奇跡が終わっちゃう――!」



 !?

 はっとして口を押さえる名雪。
 しかし既に、それは俺の耳に焼き付いていた。内容は全くの意味不明だったが。
「えーと…どういう意味だ?」
「な、な、何でもないよっ」
「何でもないってことはないだろ…。なんだって…奇跡?」
「知らない! わたしは何も知らないっ…!」
 悲鳴と、すごい勢いで閉じる扉。
 その前で、俺の頭はゆっくりと再起動する。
 やっぱり何かがおかしい。
 また妄想と言われそうで考えないようにしていたけど、不審な点が多すぎる。
 一体、何が起こってるんだ――?








<続く>


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