日本一の瞑想の師「始めて彼を見た時に 言葉を失った。 それは透明のオーラを放っていたからだった。 こんな人間がいるのだろうか? 何で透明なんだろうか? その疑問はすぐに溶けた。 エゴが無いから. 自分のエゴというのが全くない人でした。 それが山田孝男先生だったのです。 こんな人を見たのは初めてで そのあと出合う多くに人を含めて皆無でした あれから15年がたち、20年が過ぎた あのような凄い人には出会っていない。 特殊能力があったり、天才の人には数多く出合っていますが、 彼は人間の境地を手放した人なのかもしれない 私のセミナーの受講生にも瞑想を教えてくださいました。 その時2003年だったと思うのですが 山田先生をお呼びして瞑想セミナーを行った時の事 「日本一の瞑想指導家です」といって紹介をしたら 「瞑想に一番も2番もありません。 そういうのを超えているのが瞑想です」 と ピシャっといわれました。 一番ですと私が紹介したのは それまでまがいものの指導家に出会った事が 何度かあったらでしたが、 比較をしてはいけないんだなと、その時痛感しました。 山田孝男先生は 自然体で、少年のようで それでいて瞑想は厳しい。 彼は瞑想を極め 悟っているから あんなに透明に見れたんだと納得したのでした。 瞑想を習い ほんとうに初心者の時に知り合いのつてで 皆で山田先生のご自宅まで教えてもらいにいった。 ほとんど個人セッションのような形で実現し そのあと 上級者の集う非公開瞑想セミナーに 頼みこんで参加させていただき そこでもまた、貴重な体験をする。 瞑想の素晴らしさと怖さ (エゴで使うととんでもない事になる) 等も体感させていただいた。 皆が素晴らしい。誰ひとり素晴らしくない人はいない ほんとうに誰の魂も素晴らしいのです。 これはまぎれもない事実です。 それに気付いたら不安な人が減るだろうに 自分の素晴らしさに気付いたら迷いことも減るだろうに 自分はダメだと否定しなくなるだろうに、 ほんとうにそう思った。 これを伝えられたら 私もうれしいなと思った。 そして瞑想を 本気で極めたいと思い 必死になっていった。 透明のオーラ。それは色が全くない、エゴが全くないことを意味する。 私には到底できないだろうと思う。 また悟りも目指してはいない。 幸い悟りの体験は何度もさせていただいた。 体験をするのとそのままキープするのは違う。 似ているように見えるかもしれないけど、全く違う。 私は垣間見ただけかもしれません。 こういう世界があるんだと 見させていただいたにすぎないのかもしれません。 私は 悟りよりも まだまだ現実の世界で迷っていたいのかもしれません。 迷うというよりも現実の世界を楽しんでいたいのです。 瞑想の体験を生かしつつ、楽しく生きていたいのです。 私の瞑想体験はこちらをクリック 10年瞑想を習い 時には意地になって一日10時間瞑想してた時もあった。 負けず嫌いだったのもあって、当時は必死になっていた。 1990年代後半はそれこそ必死になっていた。 おかげさまで神秘体験は数知れずさせていただいた。 山田先生のように 透明のオーラの境地には到底なれないにしても 瞑想を伝えることはできるようになった。 (瞑想して山田先生に頼む事も 今でもありますが) 現実生活にいかす瞑想を教えることはできると思う。 宇宙の知恵を使うと 人生を楽に生きられる病気も治る願望達成だってする。 マインドを浄化したら願望は不思議な方法で達成する。 それらを伝えていきたいなと思っています。 瞑想音楽ファイル 瞑想へ戻る HOMEヘ |
「瞑想」は簡単にいうと、心を鎮め(雑念を鎮め) より深く精妙な意識を自覚するための、肉体的、精神的行為の一切を意味しています。 それは宗教の基礎になり得るものではありますが 宗教自体ではありません。 瞑想者は、精神集中という手段を通じて、感覚と心の働きをコントロールします。 そのとき、 普段は自覚されていない意識の深い層が、意識化されてきます。 意識を海にたとえるならば、表面の波は心に浮かぶ想念です。 波がおさまり、水面が鏡のように鎮まったとき 海底にあるものが、ありのままに見えてきます。 私たちの内的自己もこれと同じです。 普段は絶えまなく働きつづける心が次々と 生み出す想念の波のために、 その波の下にある本来の自己の姿を 自覚するのは難しいのですが 心が動きを止め、想念の波を作るのを止めたとき、 はじめて、 その本来の姿が見えてくるのです。 ではなぜ、本来の自己の姿を自覚することが 大切なのでしょうか。 実は、私たちが生きているこの世界は 心の働き(想念)によって創られたものに他ならないからです。 苦しみや喜び、愛や悲しみを体験するとき、 その原因は外側にあると普通考えますが、 「それを体験する自己」が 存在しなければ客観世界もありえません。 世界はそれを見る「自己」があって、 はじめて存在しうるのです。 瞑想によって意識の深い層を自覚していけばいくほど、 私たちはより自由になり、幸福感も増していきます。 そして、心の波が完全に鎮まり、 最深奥の意識が現れてきたとき これこそ本来の自己意識なのですが、 私たちは相対世界を超え、 生死を超越した永遠の存在であることを悟ります。 私は、これこそが、人間だれしも求めなければならない 人間本来の目的であると思っています。 瞑想はそこにいたるための方法です。 (『瞑想のススメ』序文より抜粋) 瞑想へ戻る HOMEヘ 瞑想ファイル |
1990年に出された「瞑想法で心を強くする」 願望を実現するマインドコントロールの方法 マインドコントロールというと いやなイメージがある人もいるかもしれませんが 元々は自分で自分のマインド(心)をコントロールし いい状態を創る事を言うのだそうです。 瞑想でマインドを強くして 願望達成をするというもので 「瞑想で自分のマインドを操縦し願望を実現する。 願望が達成しないのは 心の集中を妨げている雑多な精神エネルギーが マインドにあるから マインドの矛盾した雑念を整理する, 心の押し入れを整理する 願望達成しやすい人としない人がいる 自己制限 無理やり信じ込んでも成果は得られない たとえば ☆産まれた時難産だと バーストラウマを持ちその後の人生がしんどくなる 「願望実現を妨げるマイナスの想念がかなり 強固にうめこまれている」 「失敗したら取り返しがつかなくなる こんな事をしたら周りは何と言うだろう」 「自分にはそんなものを持つ資格が無いのかもしれない」 「こんな不安に悩むくらいなら今までのままでもそれほど 不幸じゃないしこのままでもいいじゃないか」 と自分を納得させてしまう人が案外多いかもしれない、 これではなかなか願望は実現しない 表面意識で無理やり信じ込んでも なかなか大きな成果は得られない。 表面でそう思っていても 無意識レベルに強いマイナスのプログラムを 持っている場合は表面的な思い込みだけでは 願望は実現できない。 願望を実現するには マイナスのプログラムを解消し プラスのプログラムを 無意識のレベルに埋め込み直す必要がある 無意識の奥に埋め込まている マイナスのプログラムは 願望実現にとっては 不要なものである、 こういったものを捨て去るには 脱プログラミングをして、 マイナスのプログラムを 消去しなければならない。 そして代わりにプラスのプログラムを 新しくプログラミングする必要がある」 そしてこのプログラミングの作業に 最も有効な方法が瞑想なのである。 瞑想でマイナスのプログラムを消去する マインドは願望実現の宝庫 といった事がかれている。 残念ながら絶版になっていますが 私は2冊持っているのですが 本だけではなく、山田先生から直接指導を受け おかげさまで色々と願望を達成してきたなぁと しみじみ 思いながら 今読んでもちっとも古くない むしろ今読んでもしっくりくる内容 「コンピューターにたとえてみると 意識はちょうどディスプレイ上に呼び出している 画像メモリーのようなもの、 無意識はマシンを動かしている オペレーションシステムやプログラムのようなもの」 ディスプレイ上の情報は 蓄積されている情報のほんの一部ものにすぎない、 一方機能を支えるオペレーションシステムや 蓄積されているデーターベースの情報は 膨大なものである 同じように自覚された意識は マインドの表面的な部分でしかない コンピューターでデーターベースにアクセスしたり プログラミングを組み変えれば 無限ともいえる可能性を広げる事ができる 同様にマインドの世界も 無意識にアクセスし プログラムを自由に扱う事ができるなら 信じられない事さえ実現できるのだ 瞑想はこの無意識にアクセスする方法である。」 愛場千晶(ちあ魔女)瞑想を使い、元気のお手伝いをしています。 著:自分の名前にありがとうを唱えると奇跡が起こる 一日一ページ自分を変えることば (この本の内容はホームページから読めます) 瞑想へ戻る HOMEヘ 瞑想ファイル |
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