NHK-FM マイ・セレクション('87.8.24)

  • (『恋に気づいて』が終わって)・・・・

    「は〜し〜り〜」 なんてね。 なんて声してるんだ、ほんとに。(笑)

    本当に「廃盤にしてくれ!」 ってずーっと頼んでいるんですがいっこうに廃盤にならない昔のアルバム・・・。(笑)
    さて、次のアルバムは『イルミネーション』 になるのかな? 198・・・、78年、25歳。
    ちょっと内輪の話になってしまうんですが・・・。
    当時僕は大手のねぇ、あのー、歌謡プロダクションに所属していた。
    何故ならば、最初のアルバム、デモテープをいろんなところに、フォーク系の、ロック系の事務所に持ってっても誰も 「こんなものは売れない」 というんで拒否された。
    何故か歌謡曲の方の、えー、プロダクションの方が、「やってみようじゃないか」 ということでねぇ、
    居たんですが・・・。

    なかなか、そのー、周りになんていうんですか、ロックをやっている人が居ないから、なんていうのかなぁー、共感、共感ていうか、協力っていうかねぇー、得られなくてね、自分にパーソナルなマネージャーが欲しいなぁ、と思った。
    で、そこで、高橋信彦君のことを思い出したのね。
    で、高橋君は 『愛奴』 の時一緒にずーっとやっていて、彼はベースでねぇ。
    で、彼はその当時保険会社でアルバイトをしていた。

    『愛奴』 はもう解散して、彼はミュージック・シーンから足を洗ってて。
    彼だったら僕のこと解ってくれるんじゃないかなー、なんていうんでね。
    彼はマネージャーには絶対向いてない性格だということを解りながらも、あのー、自分のレコードを持ってってねぇ。
    「やってくれないか。」って。

    彼はもの凄いロングヘアーでね。えー、ブリティッシュ・ハード・ロックが好きで、ロンドンブーツを履いてて、とんでもない奴だったんだけど、・・・OKしてくれまして。
    マネージャーになったとたん、髪を切り、靴もぺッチャンコの靴を履き、えー、 一緒にやり始めて早や、もう何年になるんだろう・・・。
    今僕の 『ロード&スカイ』 てゆう事務所の社長をやってくれていて、コンサートなんかに来てくれる諸君は、少しは顔ぐらいは知っててくれているかと思うんだけど・・・。

    そうやって、えー、パートナーが一人増え、二人増え、という感じが丁度この頃です。
    でも相変わらずレコードはまったく売れなくて相変わらず生ギターで、あっち、こっちの学園祭に行ったりしてました。
    でー、このアルバムを作ったんですが・・・。 
    当時初めてラブ・ソング、マイナーのラブ・ソング、それもとてもリアルな気持ちで書いたラブ・ソングです。
      『イルミネーション』 の中から、『片想い』

    ・・・・(『片想い』が流れ始める・・・・)

⇒⇒ 続く⇒⇒

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