NHK-FM マイ・セレクション('87.8.24)

  • 『いつわりの日々』が終って・・・・

    1983年の秋に出したアルバム『SAND CASTLE』の中から『いつわりの日々』です。
      これは初めて佐藤準というキーボードの奏者・アレンジャーと一緒にやった仕事で、レコーディングは一緒にやったことあるんだけど、一緒に音作りをやったのは初めてで、僕は彼が、彼のサウンドが好きで、なんていうのかなぁ、自分の作ったアルバムの中で唯一プロらしいアルバム、っていうとこれかな、っていう感じがするアルバムです。
    さて、その次の年、初めて今度は自分でプロデュースして『DOWN BY THE MAINSTREET』っていうのを出すんだけど。
    この年はホントにあの、忘れられないことがあって、えーこのアルバムを作ってる時はツアーの準備をしてる期間と重なって、やっぱり夏で。いつも夏なんだなぁ・・・。そうだね、だいたいツアーが秋から始まるから夏なんだけど・・・。
    六本木?麻布かな?あれは。麻布にあるスタジオで毎日、こー集まってね、メンバーと。あのーリハーサルをする、コンサートの。そしてその後、夜はレコーディングをするっていう毎日で、スッゴク忙しかったの。
    で、まだ曲を全曲書き終えてなくて、あの結構・・・なんていうのかな、イライラしてたんだねぇ〜。

    おまけにバンドの中がうまくいってなかった。例えば、キーボードがもう一人のキーボード奏者と合わないとかね、ベーシストがドラマーと合わないとかね、非常にバンド内がぎくしゃくしてて。おまけにサックスの古村はひとりで孤立してふてくされてるし、町支はいつもの感じで、あのーマイペースって感じで・・・。僕は凄いイライラしてた・・・。
    ある日、レコーディングとリハーサルが一日だけオフになって、僕は近くにあるスポーツジムへ行って。食事しに行ったのかな?なんか覚えてないんだけど、新宿だったか渋谷だったかよく覚えてないんだけど。
    とにかく夜、食事が終わった後、駐車場から車を出そうとしたの。そしたらそこに酔っぱらいが来たんだなぁ、これが、3人組の。で、普段俺は、あまり自分では暴力的な人間ではないと思ってはいるんだけど、その夜、えーーーーま、手が出てしまってね。その3人組の中の一人がちょっと絡んできたんだねぇ。普段だったら「まぁいいか」で済ませるんだけど、その時は何のためらいもなく、手が出てしまって喧嘩になったのね。かなり、なかなかいいファイトをして。
    で、その後、ま、友達に喧嘩がすごい好きなヤツがいてね、「浜田さん。相手がだいたい喧嘩になった体勢の時に下にぐっと構えて体重が下に落ちるようなヤツだと、そいつはやっぱり慣れてるから気をつけた方がいいよ。」とかって言われたことがあるんだけど、まさにそのー、喧嘩した相手のヤツはえー体重が下に、ぐっと来るようなタイプのヤツでね。
    で、結局なんだかんだ大暴れして、駐車場の人やらなんかその辺にいた人に止められて、別れたんだけど。
    ふと気がつくと自分の左手の薬指が直角に横に曲がってる!ハッと見た瞬間、俺、「折れてる!」と思ったのね。それまでは結構ね、「わ、爽快!」っていうスッキリした気分だったんだけど、「お、折れてる」と思った瞬間ね、急にクールになって。
    その後あれは駒沢通りにある第一国立病院に、救急病院にね「すいません、指が折れちゃったみたいなんです」とか言ったら、「ここまで歩いて車で来れるような人は、救急患者にはなれません」とか言われて。自分で引っ張って。結局脱臼してたんだけど、靱帯を切ってしまったんだけどね、自分で引っ張って、もう腫れ上がった指でまた飲みに行ったという・・・(笑)。次の日にお医者さんに怒られましたけど。
    喧嘩がいいとか悪いとか別にして、その時俺、すっごい気分が良かったのね。なぜならば、えーその時31になってたんだけど、もう30を越えてね、路上で喧嘩するようなことは俺にはできないだろうと。分別もくさくなって、ナントカ週刊写真誌も怖いし、そんなことはできないだろうと思ったんだけど。
    何の理屈もなくポッと自分の手が出たってことが、スッゴイ嬉しかった。
    まぁ、そこまで僕を追い込んだバンドのメンバーも悪い!とかって言いたいんだけど(笑)。
    えー、レコーディングのスケジュールも悪い!って言いたいんだけど。とにかくイライラしてたのが、それで結構吹っ切れたっていうのがあって。
    でも、その後ツアーがすぐ始まったんだけど。それがツアーの始まる2週間くらい前で。3か月間僕はギブスをしたままギターを弾いてる”振り”をしてました(笑)。ほとんど、あのー固定してるギブスがあのー金具でできてるもんですから、ボトルネックのボトルをささなくても、そのまま”ボトルネック奏法”ができるという3か月間で。(笑)
    えーそのツアーはメチャクチャな厳しい、バンド内がグジャグジャという、えーその次の年、見事に解散してしまいましたが、ツアーでした。
    そのツアーをやった時の、できあがったアルバムがこれです。このー伝わるような気がするんだよね、そのイライラが。
    『DOWN BY THE MAINSTREET』から『DADDY'S TOWN』

    (『DADDY'S TOWN』が流れはじめる・・・・)

⇒⇒ 続く⇒⇒

[22歳] [23歳] [24歳] [25歳] [26歳] [26夏] [27歳] [28歳] [29歳] [30歳] [31歳] [32歳] [33歳]