(『終りなき疾走』が終わって)・・・・・
1980年、27歳。『HOME BOUND』というアルバムから『終りなき疾走』でした。
このギターソロはスティーヴ・ルカサーでね。
で、ギターも凄い疾走感のあるギターで、伊藤銀次さんというギタリストのかたがいらっしゃるんですが「ルーカサーのテイクの中でもベストに近いもんだなぁ」と言ってたのが、我ながら・・・というか、自分のことのように嬉しかったのを覚えています。
えーしかし、このアルバムを出した後も、自分では凄いいい物を作った。やっと自分らしいものを作った、という自負があったんだけど、相変わらず業界は冷たく、えージャーナリストも冷たく、ほとんど無視された形で・・・
で、コンサートはその頃、ツアーをやり始めて1年で100本以上やってたのかなぁ。
でも熱狂的なね、支持をしてくれるお客さんはいたんだけど、やはりホールは一杯にも、半分にもならないっていう感じで、何とかしなきゃいけないなぁと思ってたら、ある突飛な発言があって。
「武道館でやろうぜ!」
「俺達これだけのステージやってんだったら、もっと多くの人に見てもらわなきゃだめだよぉ、浜田!」
なんていうんでね。その時は「え〜〜」って言ってたんだけど・・・
だって当時は東京で一番大きなホールと言っても日本青年館くらいでね。
で、ラジオの番組で確か山本コータローさんだったと思うんだけどこんなこと言うのよ。
「え〜〜浜田ほんとにやるのぉ?俺の観た武道館のコンサート、一番入ってなかったのゲスフォーかなんかで、アリーナ前から2列目しか客いなかったぜ」
とか、そんな話ばっかりするのね。「本当に大丈夫かなぁ?」って不安に思った。
でも、例えアリーナだけのお客さんでもいいステージやって、もっと多くの人に見てもらって、コンサートツアーにも来てもらえるような体制にしたいなぁ、っていうことで思いきって武道館やったの。
で、今でこそ武道館ていうとね、何時間でチケット売り切るか、新人が何時間で売り切るか・・・みたいなとらえられ方なんだけど、その頃まだほんとにビッグな外タレ、日本のアーティストだと5,6人しかやったことがない時代で、結構あの、新しい奇抜なスタイルだったのは確かです。
いよいよ武道館の当日。赤坂のね、小さな喫茶店があるのね。朝の11時くらいじゃないかなぁ。板倉とか、町支とか、ドラムの俊ちゃんとかが顔面蒼白でね、「だめ、一睡もできなかった。」とかね。
で、楽屋に入って、みんな何か食べなきゃ体が持たないって知っていながら、口に入れようとするともどしそうになるわけね、緊張で。
今考えてみるとねぇ可愛いなぁと思うんだけど・・・。
1万人クラスのコンサートってやったこと無いわけだから、それまで800人くらいの前でしかやったこと無いわけだから、もうみんな「吐き気がする」とかね、「このまま家に帰りたい」とかね。
そうしてやった武道館コンサートっていうのは、ま、僕の思い出の中のステージ、良かったステージの一つじゃないかと思います。
その頃ステージでやった曲っていうのは『愛の世代の前に』という81年の秋に出したアルバムからが中心だったんだけど、その中から『ラストショー』という曲を選びました。これを聴いてください。
・・・・(「ラストショー」がかかる・・・・)