NHK-FM マイ・セレクション('87.8.24)

  • (『片想い』が終わって)・・・・

    『片想い』。 え『イルミネーション』というアルバムからなんですが・・・。
    この『イルミネーション』 から、水谷公生さんという人とね、その後4,5年ずっと一緒にレコードを作っていくわけです。 彼がサウンド・プロデューサーをしてくれてね。
    でー、彼がいつも思い出話の中で言うんだけど、この『片想い』を聞いた時、それまでは、ピンとこなかったって言うのね、正直言って。
    でも、この『片想い』は、デモテープをもらってうちで聴いてたら奥さんが、
    「この歌は凄くいい歌だ。きっとこの子は、」
    アハ、この子になっちゃうんだよね、だいぶ年が上だから・・・「この子はきっと成功するよ。」って、「公生、絶対やってみるべきよ。」とかって言われた。っていうのをいつも聞かされます。

    丁度そのとき彼はお母さんを亡くしたばかりで、「お母さんの遺骨の前でこの曲をアレンジしたんだ。」なんて、えー、よく聞かされてたんだけど・・・。
    その彼もその奥さんと離婚してしまいまして・・・。
    えー、で、僕も、えー、つい最近の話しなんですが、父を亡くしまして・・・。

    あのー、僕の口癖はねー、『君が人生の時』 ていう、5枚目のアルバムまでは「廃盤にしてくれ」っていうのが俺の口癖で、あれは恥だから、絶対に誰にも聞かせたくないから、「廃盤にしてくれ!」
    とかっていつも言っているんだけど。
    そのー、父を亡くした時に、横浜から父の郷の山口までね、棺を、あのー、車に乗っけてずっと帰ったのね。 16時間位かかったかなぁ。
    その時に生まれてはじめて自分の『愛奴』のファースト・アルバムから、最新のアルバムまでね、順番にずーっと聞いてったんです。
    そしたら自分が凄く嫌だ嫌だと思っていた5枚目位のアルバムまでも、なかなかいいんじゃないかと。

    あのー、色々苦労はしているけれど、稚拙な歌は沢山あるけれど、その時その時なりに小さな、ね、まだ小さな男の子と呼んでもいいような男の子が、一生懸命歌を作っているなー、みたいのが、えー、伝わってきて。
    で、最近はまあ、廃盤にしなくてもいいか、ということで今日もラジオで昔の曲を、えー、恥ずかしくもなく、聞いてもらっているわけです。

    さて、次に聞いてもらうのは、これも「廃盤にしたい、したい」と言っていたアルバムの一つなんですけど、えー『グッド・ナイト・エンジェル』という曲で・・・。
    当時わりとリズムっぽいものをやりたくて、ポップなリズムっぽいものをやりたくてこんな曲も作ってました。
    1979年で、僕は26歳でした。 『グッド・ナイト・エンジェル』

    ・・・・・(『グッド・ナイト・エンジェル』 が流れ始める・・・・)

⇒⇒ 続く⇒⇒

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